2007年5月 7日 (月)

カルロ・フェリーチェ劇場

Carlo_felice_2 Carlo_felice                                                                                       2時45分から7時前までカルロ・フェリーチェ劇場で『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』を観る。

カルロ・フェリーチェ劇場は、ジェノヴァが港町であったため第二次大戦中に爆撃を受け、戦後は閉鎖されていて、1991年に再開された。

もともとは1828年に建てられたのであるから、古い劇場ともいえるし、再開から数えれば新しい劇場ともいえる。こういう場合、ヨーロッパ人は、歴史は古いのだということを強調する。ジェノヴァのこの劇場は、オペラとバレエのシーズンを持っており、ラインナップはなかなか意欲的であると思う。

『道化師』は、舞台で見ると、脚本が良く出来ていることがわかる。単なるヴェリスモというのではなくて、劇中劇のある面白さ、役者が劇のなかで自分を抑えられなくなる不条理さなどが、ピランデッロを想起させる。

『カヴァレリア』は、合唱において、男性合唱と女性合唱のかけあいが音楽的にも面白かった。この演目は、合唱曲も実にメロディーが魅力的なのである。

歌手ではリチートラが良かった。指揮のブルーノ・バルトレッティは大ベテランである。

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無線LAN

Lanジェノヴァのホテルでは、自室でなく、二階の新聞を読むためのデスクのところに無線LANの機械が置いてあった。

ここで、libero.it からクレジット・カードを用いて買う。

ジェノヴァのホテルは、今回の旅行でここだけが4つ星(あとは3つ星)なのであるが、それでインターネット環境はこの程度である。しかし、これでもましだったことが後に判ったのだった。

3つ星では、インターネット出来ますとホームページに書いてあっても、あまりあてにならない。これまで数度、工事中とか、電波が混線して使用できないとか、結局使えないところが去年、今年と何軒かあった。

というわけで、現在のところ、ホテルの中でネットが使えれば上等とせねばならないのである。

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2007年5月 3日 (木)

ジェノヴァへ

Genova_1                                        ミラノ中央駅(Milano Centrale) を9時10分にでて、10時50分にジェノヴァ・プリンチペ駅に着く。

ジェノヴァの場合、主要鉄道駅が、町の西と東にあり、西がプリンチペ駅、東がブリニョーレ駅であり、すべての列車が両方に停まるわけではないので、ちょっと注意が必要だ。

ジェノヴァにいたるまでの途中は山がちであり、わずかな海岸線の平地にへばりつくように家が密集している。さらには、丘の上まで家々が立ち並んでいる。

中心部には、意外なほど、立派な建物が残っており、日本でのジェノヴァの観光都市としての知名度の低さが惜しまれる。ただし、港の近辺は、港町独特の雰囲気で、やや荒っぽい感じもする。移民も相当数にのぼるものと思われる。

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物価高

Panini

パニーニ(上)

ユーロが高い、1ユーロ160円ほどである。

数年前には、1ユーロ100円を切っていたのだからえらい違いで、そこから上がったにしても近年は120から130円くらいだった。

ユーロ高と、イタリアのユーロ導入以来の物価上昇がダブルパンチとなって、食事はどこでどうとっても高い。

たとえばミラノで、パニーニ2つと水(500cc)をかって10ユーロ(1600円)である。

ジェノヴァで、定食のように決まったもので12~13ユーロ。夜、決してきどったレストランではないところで、パスタや魚をとったら、30,5ユーロだった。胃が疲れないようにするためと、倹約のため、バールでパニーニ類を買うことが多くなった。

パニーニは、中にトマトやチーズ、ハム、ツナなどが入っており、おいしいし、栄養のバランスも結構とれているかと思う。野菜が少し足りなめだが。

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電車の切符

Hotel_star_1  サンタンブロージョ教会のあたりでは、タクシーはひろえないので(イタリアにはあまり流しのタクシーというものはいない)、コルソ・ポルタ・ティチネーゼまで歩いて戻る。途中で、親切な老紳士が道を教えてくれた。

ホテルで、明日のジェノヴァ行きの電車の切符がどこで買えるかを尋ねる。もう6時になっていたが、幸い、近所の旅行代理店がまだ開いており、21ユーロで買えた。駅まで行くよりずっと近いので、こういう時は、ホテルのフロントの情報がものを言う。

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2007年4月 7日 (土)

ドゥオーモに登る

Duomo_milano_1Duomo20milano_1P1010181 今日はドゥオーモの上に上った(8日)。

聖堂の中をさっと見ているうちに、先に上に登ろうと考えた。登るには階段とエスカレータがあるのだが、まだ時差ボケもあり、エスカレータ(6ユーロ)を利用。

上の登ると、ゴシック式にニョキニョキ生えた尖塔とその先端の人(聖人か?)がよく見える。

ドゥオーモの屋根の尾根部分(写真)を歩くことができるのだが、この場所は、ヴィスコンティの《若者のすべて》をはじめ、いくつかのイタリア映画に登場した場所でもある。

降りてから、聖堂内を見る。クリプタ(地下)やサンタ・テクラ(ドゥオーモ建築以前からあった教会)の遺構を見る。

聖堂に入る際には、警察官がバッグをあけて検査。テロ対策である。

P1010198 ドゥオーモを出て右手のガッレリーアへ。これほど立派で、エレガントな商店街アーケードもあるまい。色彩の統一も見事で、ここではマクドナルドも黒と金色のマークと化している。リッツォリ書店で、少し音楽関係の本をチェック。

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2007年3月 2日 (金)

レンタカーの条件

Car イタリアで自動車を借りようと思ったとき、大手はAvisとHertzである。

今回(2007年3月)調べてみたところ、借り手となれるのは、25歳以上で、クレジットカード保有者である。高級車を借りる場合は、クレジットカードが二枚必要な場合がある。

ある疑問が浮かんだ。親が借りた自動車を、たとえば大学生の息子、娘が運転することは可能なのだろうか?

結論から言うと、Avisは21歳以上、Hertzは23歳以上でなければ、運転を認めていないのであった。

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2006年9月 1日 (金)

Risiera di S.Sabba

Ssabba1 Risiera di S.Sabba

Ssabba2 S.Sabbaの内部、ユダヤ人が収容されていた。

Ssabba_3

S.Sabbaの入り口

Risiera di S.Sabbaに行く(9月1日)。ホテルの前から10番のバスの乗る。どこで降りたらよいのかわからず、おばあさんに尋ねる。

郊外に出て、約20分ほどで着く。Risiera di S.Sabba はもともとは米の脱穀所だったのだが、第二次大戦中にユダヤ人収容所となったのである。1943年9月から、政治犯やパルチザンやユダヤ人を収容し、少なからぬ人が処刑された。

リソルジメント博物館。1時ぎりぎりに、入る。20分ほど見学。

ヴィア・サン・ニコロを往来し、サーバ書店の隣にベルリッツがあったこと、ジョイスが最初にノラと泊まったホテル(だった建物)を確認。

郵便局(ブスタ)による。今日は、3時半までとのころ。本を送るための特別の封筒を買う。10部単位のものしか買えず4,5ユーロ。

夕方、レヴォルテッラ博物館へ。これは、レヴォルテッラ男爵の館を保存して公開しているのだが、その上の部分を完全にリフォームし、この部分は、イタリアの近現代美術館となっている。そのリフォームはスカルパが担当した。6Fから3Fまでが、近現代美術だった。まったく異質の空間が上下に重なっている。イタリアの近現代美術は、トリエステ出身の画家が中心だが、アカデミズムの強さは良く理解できた。また、ズヴェーヴォの友人の画家も見られてよかった。

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2006年8月31日 (木)

ミラノからトリエステへ

Unita_ditaliaトリエステのイタリア統一広場

ミラノ・マルペンサ空港を10時10分の飛行機で、ロンキ空港へ。マルペンサで、空港から飛行機へのバスの中で、トヨタ系の技術者に会う。彼は、スロヴェニアに向かうとのことであった(8月29日)。

ロンキ空港までは約1時間。そこで、彼は乗り継ぎ、僕はトリエステへ。バスにのる。一時間弱の旅。途中で、ドゥイノを通る。リルケのドゥイノである。山の中の城と小さなボルゴ。

夕方、4時半から約2時間のガイド付きツアーに参加。イタリア人が一番多いが、アメリカ人、スイス人、ドイツ人、スペイン人もいる。日本人は僕だけ。

統一広場から出発して、ヴェルディ劇場、ガレリア(ミラノのものよりずっと小さいが、より古いのだそうだ)、ボルゴ・テレジアーノ(マリア・テレジア時代の街)、ローマ時代の野外劇場跡、丘をずっとのぼる、途中にマリア・テレジアが開いたという幼稚園あり、丘の上にサンジュスト教会(二つの教会が合体、もともとあった巨大な教会はアッティラに破壊されたらしい)、ゲットーのあと、ピアッツァ・デッラ・ボルサ、統一広場に戻る。

スペイン人の女性とバールで食事。彼女はバスク人だという。ザビエル、ロヨラの話をする。

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2006年8月29日 (火)

ミラノ・マルペンサに泊まる

ミラノ・マルペンサ空港についた。

そこから1kmほどのところにあるFirtst Hotelに泊まる。

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