ポルタ・ティチネーゼ・メディエヴァーレ
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オメノーニの家を通りすぎ、再びスカラ座の前に出る。ガッレリーアを通り抜け、ドゥオーモ前広場でタクシーを拾う。
旧市街のはずれであるティチネーゼ門まで行ってくれ、と言ったのだが、何故か、サン・ロレンツォ・マッジョーレ前で良いかというから、そこで降りる。ここも見たかった教会なのだ。
追記)今、地図を確認すると、サン・ロレンツォ・マッジョーレのすぐそばにあるのがポルタ・ティチネーゼで、そこから数百メートルまっすぐに進むとアルコ・ディ・ポルタ・ティチネーゼがある。紛らわしい。区別のため、前者のことをポルタ・ティチネーゼ・メディエヴァーレ(中世のティチーノ門)とも言うようだ。
教会前の広場の道にそって、ずらっと柱が並んでいる(上から1、2枚目)。柱を上でつなぎ合わせ、門というか、広場を囲う形になっている。柱は16本あり、古代ローマの遺物である。ここにはキリスト教以前の異教の神殿があったと考えられている。
教会の前にはにあたる広場には、目立たぬがコンスタンティヌス帝の像が立っている。313年のミラノ勅令で、キリスト教布教を認めたことを記念したものだ。
教会自体は16世紀後半に建立されたものだが、中の礼拝堂のいくつかは4,5世紀に遡る古いもので、ラヴェンナの教会を思い起こさせる風情を持っている。特に Cappella di San Aquilino は古い形をそのまま保存している。こういう古風なモザイクの方が、たとえ一部が剥落していても、ほっとし、像自体の表情は、無表情といえば無表情とも言えるものだが、こちらの気持ちをつつんでくれるありがたみを感じる。古いものの方がありがたいのは、仏像にも通じる話だと思う。
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マンゾーニの家を見る。Via Moroni というスカラ座から近いがやや狭い通りに面している。
現在、ここは博物館になっていて、一階の書斎、二階の寝室(写真)を見ることができる。
マンゾーニは、『いいなずけ』でイタリア人なら誰でも知っている国民作家である。現在でも、中学、高校でほぼ必ず読むし、この日も中学生の修学旅行に会い、その説明を僕も聞かせてもらう。
中学生相手の説明は、判りやすく、かといって手を抜かないので、僕にとってはとても有益である。慣れてくると、展示物の字を読むよりも、耳から説明を聞くほうが、すっと頭に入る気がする。その分、すっと抜けてしまうのだろうか?
マンゾーニの家には寝室が二つあって、夫人が亡くなったあとは主寝室は使わなくなり、写真にある質素な寝室を晩年は使用していたとのことであった。
家自体は巨大というわけではないので、収蔵物は定期的に入れ替えて展示していると、博物館の係員は言っていた。
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スフォルツァ城からの帰り際、スカラ座の前を通ると、どことなく怪しげな紳士が近づいてきて、切符はいらないかと尋ねてくる。
スカラ座の切符は、インターネットでも販売しているのだが、日本からアクセスしたときは、僕のミラノ滞在中はどの日も完売であった。というか、その前後もすべて売り切れであった。たまに、残券があると、オペラではない演目の日だったりする。
ガレリア(4階、5階の席)が50ユーロ。定価は15ユーロである。他の席で、ボックス席(palco) もあるという。ただし、場所を教えてもらうと、舞台との位置関係がかなり斜めであり、かつ、ボックス席は二列になって座るので、後ろだと舞台がほとんど見えない可能性がある。
というわけで、ガレリアの方を買った。手の込んだ詐欺で、ただの紙切れだったらどうしよう、という不安もないではないが、ホテルのフロントの人からもこの手の人物がいるということを聞いていたので、まあ大丈夫だろう判断し、ダメモトで購入。
後に知り合いになった別のオペラ好きのミラネーゼによると、彼およびその仲間は地元では知られた存在のようだ。風体を描写してもらうとドンピシャである。
スカラ座の席は早くから完売になってしまうが、転売目的の人もなかにはいるらしい。
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昼近く、ホテルに帰ると、ちょうどフィリピン人のメードが部屋のお掃除をしている最中であった。
イタリア語と英語で少し話す。彼女は11年間イタリアに住んでいるが、フィリピンには一度しか帰ったことがないという。
不思議に思ってさらにさみしくはないのかと尋ねると、両親も呼び寄せてイタリアに住んでいるとのことであった。
去年のトリエステ、ヴェネト諸都市、トリノ訪問でも感じたことであるが、北イタリアにおける外国人居住者(旅行者ではなくて)は、相当な数に登っていると感じる。
黒人もいれば、アラブ人もいれば、フィリピン人もいれば、中国系もいるといった具合だ。
アメリカなどでも、オレゴン州などでは白人が圧倒的に多かったことを思うと、自分の中の古い常識(アメリカには雑多な人種が住んでおり、ヨーロッパはいわゆる白人が住んでいる)がどんどん崩れていく。
イタリアはかつては移民の輸出国家であったのが、1970年代くらいから輸入超過にかわったのだが、最近はその勢いが加速しているのである。
ただし移民の受け入れがすべてうまくいっているかは、別問題である。法改正をして、不法滞在者を合法化したり、一年毎の受け入れ枠を定めたりしているが、すっきりとはいかないようだ。
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城とはいえ、町の中心部の縁に位置する平城である(9日)。正面はフィラレーテの塔と呼ばれている。
城の周りには堀がある。今は水が張ってないが、きっと以前は水がたたえられていたのだろう。
Castello Sforzesco の中には、さまざまな美術館、博物館がある。
まずは絵画、彫刻の美術館。ここには、ミケランジェロの遺作といわれる《ロンダニーニのピエタ》がある。
筋骨隆々たるダヴィデ像などとは異なる最晩年のもう1人のミケランジェロがいる。孤独と死を、静かにしかし、じっくりと見つめていることが伝わってくるような彫刻である。
ここには、また、家具博物館もあって、17、18世紀の家具から20世紀のジオ・ポンティまでその移り変わりを知ることができる。
絵画館(Pinacoteca) もあって、ブレラにもあったピトッケット(民衆をリアルに描いた18世紀の画家)、クリヴェッリ、マンテーニャなどがある。お城は広いのである。
地下には、先史博物館があって、エジプトのミイラを見る。
上の階には、楽器博物館があり、弦楽器、フラウト、鍵盤楽器がそれこそところ狭しと並んでいるのだが、残念ながら音を聞くことが出来ない。その点では、日本の浜松の楽器博物館は、ヘッドホンが楽器のそばにあってスイッチを押すと数分間その楽器の音を聞くことができてよかった。浜松の楽器博物館では、とくに鍵盤楽器は、アクションの仕組みをわかりやすく楽器の横断面を見せて、見本の楽器にはじかに触れることの出来るものもあった。
スフォルツァ城では量的にはより多くの楽器が展示されている。最後の部屋で、ヴェルディがミラノのホテル滞在中に使用していたピアノを見た。
見たところ普通のアップライト・ピアノであるが、ヴェルディが弾いたものということで、大事に保管されている。感慨深い。
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ブレラ美術館(Pinacoteca di Brera) に行く。
ここは聞きしにまさるとてつもない美術館の一つだ。ラファエッロの《聖母の婚姻》、マンテーニャの《死せるキリスト》(写真)、ピエロ・デッラ・フランチェスカの《聖母子と聖人の祭壇画》。この3点だけでも、十分ここに来る価値はある。
フィレンツェのウッフィーツィ美術館がフィレンツェのルネサンスを中心とした展示(当然といえば当然だが)であるのに対し、ブレラは北イタリアに展開したルネサンス、ジョヴァンニ・ベッリーニやクリヴェッリの良い作品がある。
ティントレットの《聖マルコの遺体の発見(略奪)》やじぇんティーレの《アレッサンドリアの聖マルコの説教》、カラヴァッジョの《エマオの晩餐》もある。
特に注目を集める様子もなくひっそりとエル・グレコの《聖フランチェスコ》があったりして驚く。
近代の作品もあって、セガンティーニの《春の牧場》、マリノ・マリーニの彫刻、カルロ・カッラやモランディの初期作品、つまり20世紀前半の秀作も収められているのである。
これは、一度はざっと見て、再び行くチャンスがあれば、今度はお目当ての作品群をじっくり見るという風に出来ればと思う美術館であった。
今回の僕は、その時間的余裕はないので、ハングリーに全部を見て、こんなものまでここにと無知の驚き、喜びを味わうと同時に、疲れた。
ちなみに、建物の一階部分は、美術学校となっている。
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聖堂の中をさっと見ているうちに、先に上に登ろうと考えた。登るには階段とエスカレータがあるのだが、まだ時差ボケもあり、エスカレータ(6ユーロ)を利用。
上の登ると、ゴシック式にニョキニョキ生えた尖塔とその先端の人(聖人か?)がよく見える。
ドゥオーモの屋根の尾根部分(写真)を歩くことができるのだが、この場所は、ヴィスコンティの《若者のすべて》をはじめ、いくつかのイタリア映画に登場した場所でもある。
降りてから、聖堂内を見る。クリプタ(地下)やサンタ・テクラ(ドゥオーモ建築以前からあった教会)の遺構を見る。
聖堂に入る際には、警察官がバッグをあけて検査。テロ対策である。
ドゥオーモを出て右手のガッレリーアへ。これほど立派で、エレガントな商店街アーケードもあるまい。色彩の統一も見事で、ここではマクドナルドも黒と金色のマークと化している。リッツォリ書店で、少し音楽関係の本をチェック。
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イタリアでは数独(sudoku) というパズルが流行っている。
流行っているというより、すっかり定着している。
全国紙のうち、コリエレ・デッラ・セーラ、レプッブリカ、イル・メッサジェーロ、イル・ソーレ・24・オーレ、イル・テンポなど、すべて数独が掲載されている。
僕の場合、コリエレ・デッラ・セーラで以前から見ていたのだが、日常的に解くようになったのは、去年の夏、イタリアの電車の中でイタリア人女性がコリエレ紙の SUDOKU を解いているのを見て、つられて自分もトライしてみてからである。
念のためルールを紹介しておくと、ルールはきわめて単純。
1.縦の列9マスに1~9の数字を一回ずつ入れる
2.横の列9マスに1~9の数字を一回ずつ入れる
3.3×3の9マスに1~9の数字を一回ずつ入れる
1、2,3のルールを同時に満たすように、あいたマスに数字をいれていく。それだけである。
イタリアの知人の話ではレプッブリカが最初に始めたらしい。レプッブリカは一日に二つのsudoku(中級と上級)を載せている。
コリエレ・デッラ・セーラは、一週間のうち、2日間は中級、2日間が上級、2日間は悪魔級という超むつかしいのを載せている。
イル・メッサジェーロは9コマが単位となったSUDOKUのほかに、6コマが単位となった新たなSUDOKUを載せている。
トスカナの地方紙 Nazione には SUDOKU は載っておらず、別の言葉を使ったパズルが載っていた。
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