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2006年10月14日 (土)

イタリアのホテルのアクセス環境(2)

Accessイタリアのホテルのアクセス環境の続きである。

アゾロからトレヴィーゾに来る。トレヴィーゾはかなり大きな町だ。駅前に近いホテルは、予約した時点では、無線Lanが使用できるはずだった。

ところが、実際に部屋に入ってみると接続出来ない。フロントで尋ねてみると、これまで無線Lanのサービスを提供してきたが、別の業者が登場し、混線・干渉するトラブルが発生した。そのトラブルはテレコムも解消できなかったし、解消の見込みはたっていないとのことだった。

それなら、使用できないと表示すべきではないかと抗議しようかと思ったが、今さらいってもらちが明かないのでやめた。

次はトリノ。ここも中央駅つまりポルタヌオーヴァ駅のそばのホテル。ここでは、ちょっと工夫は必要だったが、インターネットに接続できた。これも業者は異なるが、クレジットカードでIDとパスワードをもらい使用。割安となるので、トリノは5泊なのだが、一週間分を買う。

ちょっと注意すると、ホテルの部屋を出たところ(室内、廊下の壁のくぼんだところ)に、小さなアンテナのついた中継器がある。これが重要なのだと後にわかる。

トリノからアスティに移動。アスティのホテルでは、インターネットが使えるというのだが、部屋からどうやっても接続できない。フロントで聞いてみると最初は出来るはずと言っていたが、どうやっても出来ないのだというと、エレベータの側で座ってやってみろ、そこだと電波が強いという。

見ると、エレベータの反対側に、アンテナのついた中継器がある。というか、そこにしかない。僕が泊まった部屋は別の階で、その階には、アンテナは見あたらないのである。

ホテルはもちろん、木造ではないので、無線は二階上や三階上まで通るはずはない。エレベータ前のソファーでブログの更新やメールのチェックをするのは、少しわびしい感じがする。時々、宿泊客が通って落ち着かないし、照明も暗いが、まあ、何もないよりはましだった。

また、トリノで買った一週間の権利は(その時、住所も入力するのでアスティという別の町に来たら無効かと思ったが)、まだ生きていた。というのも、2日後には、同じ場所でもぱたっと接続出来なくなったからだ。トリノで5日、アスティで2日、1週間分が切れたのである。

再びトリノ。別のホテルであったが、ここはいかにも設備が古く、エレベータなど、自分でドアを開けて、箱の上下が外から見えるタイプで、昔の映画でよく見るタイプで、それはそれで面白かったのだが、予想通り、ネット接続は不可能。

もう最後の一泊だったのでこだわらなかった。

最後のネット接続は、トリノ郊外のカゼッレ空港。ここは有料だが可能。5時間分をクレジットカードで買った。

今回の旅行は、北イタリアのみで、3星ホテルが中心(いくつか4つ星がまじっている)であったが、無線Lanのサービスが備わっているところの方が多かった。6対4あるいは7対3くらいか。

電話器は、すべての部屋にあったので、そのジャックを抜いて接続し、ネットにつなぐことが出来るとすれば、100パーセントだが、前にも述べた通り、電話線では、いろいろ試してみたが、接続することは出来なかった。確かに、アクセスポイントはイタリアの各都市にあって、そこにかかるように設定するのだが、実際には、どのホテルからもつながらなかった(僕の設定の仕方にどこか決定的なミスがあったのかもしれないが・・・)。

スピードのことを考えると、やはり無線LANがあると便利である。もっとも、旅先で、あまり長時間、コンピュータに向かっているのも、時間の使い方としては考えものである。その町にいるのは、たいていの場合、数日しかないのであるから、見たいところを見るのが先だ。

僕の場合、体力の調整(ある町でがんばり過ぎてへばってしまうと、次の町での行動がつらくなる。旅行期間が一定以上長くなると、過労や病気にならないことも重要)ということと、イタリアの博物館や美術館などは12時半から3時半あるいは4時半まで閉まっているので、昼食後の休憩時間にメールチェックをしたりする。残りは、夕食後、就寝前ということになる。朝も朝食前後に、さっと見る。

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2006年10月12日 (木)

イタリアのホテルのアクセス環境(1)

Internet 今回のイタリア旅行は、2006年8月から9月にかけてのものであったが、その時点でのホテルにおけるインターネット・アクセス環境を報告する。

泊まったのは、3つ星ホテルが中心で、旅行代理店で検索したら思いのほか値段が安かった4つ星もある。

ミラノ空港近辺のホテルは、料金を支払って、パスワードとIDナンバーをもらうと使える仕組み。利用時間を選ぶのだが、結局、使用時間ではなく、使い初めからの経過時間で切れてしまう。

たとえば、1時間の利用を選択した場合、2時から使い始めたら、そこで5分しか使用しなかったとしても、3時には切れてしまうのである。

料金は、短い時間よりは、1日の方が割安にはなっていた。24時間で、15ユーロ(2250円)である。高いと思う。今年の春、オレゴンに行ったときは、モーテルに泊まったのだが、宿泊費の中にインターネット代は込みであった。もっとも、サンフランシスコのホテルでは別料金であった。

ミラノ・マルペンサ空港には、Vodafone WiFi hot spot という小さな垂れ幕があり、無線LANが来ている。待合い所の隣に座っていた男性が、メールをチェックしているのを確認。有料か無料かは不明。

次のトリエステでは、インターネットに接続しようとするとある画面が出て、クレジット・カード決済により、ある金額を支払うと、IDとパスワードがもらえる仕組。1日毎に買うより、大分割安になるので、5泊だったのだが、1週間分を買う。

ウディネのホテルは(あくまで、僕の泊まったホテルがそうだったということですが)、電話接続のみ。0発信の有無や、局番をどこからにするかなど、何通りものやり方でアクセス・ポイントへの接続を試みたが、成功しなかった。

日本国内では、電話接続を試みて成功しているので、海外で電話接続をするのは、困難であるか、やり方に何かコツがあるのかとも思う。あるいは、こちらに何か見落としがあるのかもしれないが。

アゾロでも、電話接続のみ。受付嬢の話では、アゾロはいったん、町に設置した設備を利用者が少ないというので、撤去してしまったのだという。時代に逆行している。ここでも、アクセスは成功せず。

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2006年10月 4日 (水)

聖骸布博物館

Museo_della_sindone 聖骸布博物館へ行く(19・9)

聖骸布 (sindone)はドゥオーモにあるのだが、聖骸布博物館は、それとは別の場所、数百メートル離れたサン・ドメニコという教会の地下にある。

15分ほどのヴィデオを見て、そのあとは、様々な展示品をヘッドホンからの解説付きで見る。聖骸布がどうやって出来たのかを解き明かそうとした過去の試みが、事細かに説明される。

結局は、聖骸布の成立を十全に説明しきれた人はまだ誰もいないというのが結論となる。

また、聖骸布がどのようにしてトリノに運ばれたか。また、現代にいたるまで、いかなる信仰の対象となってきたか(啓蒙思想・フランス革命の時代が、聖骸布に関する言及が減ったようだ)、トリノ以外の聖骸布にはどこにどんなものがあるかなど情報満載であるが、何となく疲れる。

帰ってきて、カフェ・プラッティで軽い食事。ここは作家のチェーザレ・パヴェーゼやフィアットのジョヴァンニ・アニェッリのひいきの店だったという。ここは駅前の大通りヴィットリオ・エマヌエーレ II 通りに面している。

Arte_povera 現代美術館の収蔵品、アルテ・ポーヴェラの一例(1968年)。

そこから、ほど近い、現代美術館(Galleria d'Arte Moderna, GAM) に行く。上のフロア別に19世紀、20世紀と見ていくと、1950年代あたりから、常識的に見てどこが美しいのか不明のコンセプチュアル・アートになることが判る。

つまり、レディ・メイドの物を、あるコンセプトで組み合わせていたり、絵とも彫刻ともつかないインスタレーションだったりするわけだが、なんだかこういったものは、新興宗教のようでもあるなあ、という気がする。

信じれば、それが素晴らしいものと思えるし、馬鹿馬鹿しいと思ってしまうと、幼児のがらくた遊びの延長のようにも見える。

思えば、それは、ダダイズム以降、これが美であるという確信や権威が崩壊したことの必然的帰結ではあるのだろう。とは思うのだが、自分が生きてきた時代が、索漠たる時代であったことの確認につながり、ふとため息ももれる。

早めに、トリノ郊外のカゼッレ空港にバスで行く。トリノカードの解説とは異なり、トリノカードを提示すると、バスの運転手が切符を買ってこいという。近くのバールに行って提示すると、トリノカードが使える割引券はないというので、普通券を購入。

トリノ・カゼッレ空港から、ローマ・フィウミチーノ空港へ。空はよく晴れ、案外低い所を飛んでいたため、海岸線やその付近の街がよく見えた。

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再びトリノへ、学校博物館

Coghe_1騎手マッシモ・コーゲ

 9時少し前に、アスティのホテルを出る。受付で、騎手のマッシモ・コーゲが同宿だったことを告げられる(18・9)。

ホテルの出口で立ち話をしていたので、少し話を聞いてみる。昨日のパリオは、雨のせいで、非常に馬場が重く、走りにくかったとのこと。馬の脚がとられてしまって、前に進まないと言う。

一緒にいたのは、 アスティの獣医だが、非常に画期的な検査法を考案して、それは人体にも適応できて、従来の検査とは異なり、身体的苦痛なしに、いろいろな病気の兆候が判るというもので、是非、日本にも輸出したいと言っていた。

10時過ぎにトリノへ。アスティで乗り込んだ列車には、偶然アスティに来るときの車掌で、向こうも覚えていた(この路線だと日本人はそう多くはないのだろう)。

今度もホテルは、ポルタ・ヌオーヴァ(中央)駅から近いのだが、面している通りが XX Settembre なので、思いのほか、騒々しい。窓は、3重になっているが、ちょっと心配である。この予想は、思いがけぬ形で的中する。

Baroloscuola 『クオレ』の時代の教室を再現した部屋(学校博物館)

学校博物館(Museo della scuola) に電話をしてみる。予約制と書いてあったのだ。10月までは閉まっているのだという。しかし、受付嬢のフランチェスカが同情してくれて、上役に相談し、開けてくれるという。感謝。

道に少し迷って(この博物館は、バローロ基金が運営しているのだが、同じ建物の中に、バローロ博物館もあり、最初はそちらに行ってしまったのだ)、11時半頃着く。

Prof.De Russo と Prof Vaglinano が出迎えてくれる。De Russo 教授が、ピエモンテの学校史の自著をくださる。Vaglinano 教授から研究センター(centro studi) の蔵書の説明を受ける。質問をまじえつつ、あっという間に一時すぎになる。

午後も来て構わないということだったので、外で食事をとり、他で用事をすませ、5時頃つく。フランチェスカが、博物館を詳しく案内してくれる。

ここの博物館は、『クオレ』の世界を再現しているのである。デ・アミーチスは、トリノに住んでいて、息子が地元の小学校に通い、それをモデルにして、『クオレ』を書いたのである。当時の子供のペン字の達筆なことに驚く。

学校博物館は、イタリアには4館あって、ローマ、パドヴァ、ボルツァーノとトリノにあるのだそうだ。ここは、2002年に出来たばかり。ローマのものが、非常に古くからあるという。しかし現在は、事実上、閉鎖中らしい。

イタリアには4つの学校博物館があるのだが、それでも、ドイツやフランスよりはずっと整備が遅れているのだそうだ。日本には、明治村のように建物が移築されているものはあるが、より体系的に学校史が研究できる設備としての博物館、研究センターは聞いたことがない。

ここには、数千冊の19世紀、20世紀の教科書、教師用指導書、教育学の本、絵本などが収集されている。

博物館には、昔の玩具も収集され、展示されている。

ここでは、教育や教育の歴史にまつわる展示会、ワークショップもなされている。

6時半に博物館を出る。

        

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