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2006年9月24日 (日)

パリオ

Palio_di_asti_2 いよいよ今日はパリオ(17・9)。

ところが、朝からぱらぱらと雨。ホテルの人に聞けば、去年は雨で延期となり10月に走ったとのこと。

10時にサン・パオロという教区教会に馬と旗手の祝福を見に行く。その前にミサがあるというので、短いものかと思ったら、40分以上あるまったく本格的なミサで、パリオとは無関係のものだった。

それが終わって、馬と旗手が教会の外(といってもポルトーネのすぐ下という感じだが)で、数分の祝福をうける。

コムーネ(市役所)に行き、中の壁画で、通り沿いに走っていたパリオの絵を見る。

2時半すぎから、時代行列(sfilata または corteo storico)をサンセコンド広場でしばらく見て、そのままアルフィエーリ広場へ。

ここが競馬の会場だが、時代行列も最後はここに入ってくる。マイクでずっと解説がある。RAI3も中継をしていた。

アルフィエーリ広場は、シエナのカンポ広場に較べると、歴史や美しさは較べるべくもないが、大きい。しかし出走する馬は21頭いる(アスティの各地区や近隣のコムーネの代表)。

そこで、出走は、7頭を3組にわけて予選が実施される。これを batteria と呼んでいる。各組上位3頭が予選を通過する。3頭ずつが3組から選ばれ、決勝は9頭で行われる。

決勝は、穴馬とされたサンタ・マリア・ノーヴァ地区の馬と48歳の旗手が勝った。雨のため、重い馬場となり、非常に走りにくかったらしく、それが穴馬の勝った一つの要因でもあるらしい。

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2006年9月21日 (木)

アルバへ

Alba アルバのドゥオーモ

アルバに行ってみた。電車でアスティとの往復(16・9)。

駅前は、まことに索漠としている。旧市街へ歩いて向かう。

 サン・ドメニコ教会はまだ10時前で閉まっていた。Duomoのサン・ロレンツォ教会へ。Via V.Emanuele と Via Cavourが町の中心となる通りだが、そこは屋台の市場でにぎわっていた。

 ドゥオーモは4つの像がアルバ(ALBA)の AをAquila(鷲)が表わすといった具合になっている。

 サン・ドメニコ教会の中では、現代美術展をやっていた。

 アスティに帰って、サン・セコンド教会を再訪し、今度は、クリプタ(地下の礼拝堂)を見る。この部分にはローマ時代の柱が残っているという。

Torre_troyana  さらに Torre Troyana に登る。パリオの季節は、予約が必要だったらしいが、一人だったので、入れてもらえた。

 有料だが、入り口で、グラスをわたされ、上に行くと、アスティのスプマンテを振る舞ってくれた。スプマンテのプロモーションを兼ねているのである。

アルフィエーリ広場に行き、途中からとなってしまったが、プローヴァ(試走)を見る。一度に二頭ずつ、20分ほど走る。自由走行である。7時に終了。

 夜は、リオーネ(地区)の夕食会に出ようとしたが、8時半になって行ってもまだ始まっていなかったので、パスして、Convivio というレストランで食事。店主が馬好きの人であった。

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トリノからアスティへ

San_secondo_1 サン・セコンド広場、左が市庁舎、右がサン・セコンド教会

トリノからアスティへ行く。電車の切符は、あらかじめ買えるのだが、普通切符と IC(インテルシティー)は異なっていて、追加料金を払わなければならない(15・9)。

 ACI(この団体が、パリオの入場券の販売を管理していて、インターネットでも申し込める)にパリオの切符を取りにいく。銀行間のお金のやりとりは、利用者にとっては不都合このうえない。約1万円の送金をするのに、日本の銀行に4000円もの手数料を支払い、その上、イタリアの銀行に8ユーロ(1200円)もの手数料を支払うことになった。

 手数料の観点からは、郵便為替のほうがずっとまし(現在は2500円)である。さらに、クレジット・カードが使えれば、はるかに手数料は安くて済む。以上のことを、ACIに申し入れたうえで、手数料も支払った。

 町をぶらぶら歩く。アスティは塔の多い町である。町の中心はサン・セコンド広場。市庁舎とサン・セコンド教会が並んでいる。サン・セコンドとは、アスティの守護聖人である。

 ドゥオーモはやや町の中心をそれた所にある。他の教会は時間で、閉まっているところが多かった。

 夕方、アルフィエーリ広場に行ってみたが、プローヴァ(パリオの試走)を見に行ったが、雨のため中止とのこと。

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2006年9月17日 (日)

Pinacoteca Agnelli と自動車博物館

Automobile

Pinacoteca_agnelli 朝からどしゃ降り。アニェッリ夫妻のコレクションが寄贈されたアニェッリ絵画館と自動車博物館を見る(14・9)。

絵画館は、リンゴットと呼ばれるフィアット工場の跡地の最上階というか屋上にある。絵画館は大きな建物の上に空飛ぶ絨毯つきの箱が乗っているかのようである。フィアット工場は移転して、その場所には、工業学校とショッピングセンターが入っている。

絵画館は数は20数点だが傑作ぞろい。

そこから数百メートルのところに、自動車博物館がある。これは、クラッシックカーファンにはこたえられない所だ。ランチャやフィアットの戦前の車がごろごろおいてあるのである。触れないけれど。

そこからポルタ・ヌオーヴァ駅と反対側までいって、ガレリア・サバウダへ。王室のコレクションを見る。天平の仏頭があったのには驚いたが、12世紀とあったので、8世紀だと係の人に訂正しておいた。

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王宮とエジプト博物館

Preale Museo_egizio

王宮とエジプト博物館を見学 (13・9).

王宮は時間を決めて、ガイド付き見学しか認められていない。しかしながら、ガイドの説明は詳しく、保存状態も良好。

エジプト博物館は、トリノにきてなんでエジプトなのかという感じだったが、実際にみると圧倒される。量も膨大なのだが、最後にくる石像群は圧巻。大きさがものをいう。写真ではなかなか伝えがたい物言わぬ迫力に満ちているのだ。

昼はカフェ・ムラッサーノで。ここは、カフェ・バラッティの斜め向かいだが、やはりゴッツァーノが長居したり、またテアトロ・レージョでの演奏をおえた歌手ジーリや指揮者ガヴァッツェーニが立ち寄るところであったという。また、1920年代にイタリアにはじめてサンドイッチ(tramezzino)を導入した店でもある。僕も、サンドイッチとパニーニを食べてみた。

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2006年9月16日 (土)

モッレ・アントネッリアーナ、カフェ・バラッティ

Antonelliana モッレ・アントネッリアーナ

Baratti カフェ・バラッティ

今日は午前中、モッレ・アントネッリアーナに行く(12・9)。

ここは現在、映画博物館になっている。まず、塔のてっぺんに登る。吹き抜けの中を透明のゴンドラで登っていくのは、なかなかのもの。

そのあと、映画博物館へ。幻燈のだまし絵からはじまって、映画の発達にそって展示がある。小津安二郎の写真もあった。

特別展示で、パゾリーニの写真展があった。

古書店をいくつかまわる。トリノは古書店もたくさんあり、しかも中身も濃い。

カフェ・バラッティへ。ここを詠んだゴッツァーノの詩はあまりにも有名だ。カフェはバールと似ているところもあるが、明らかにブルジョワ的雰囲気を持っていて、カメリエーレの服装もフォーマルで値段もおおむね高い。

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ドゥオーモ、スペルガ聖堂

Sindone 聖骸布Sperga

スペルガ聖堂

今日は、ドゥオーモとスペルガ聖堂を観た(11・9)。

ドゥオーモは王宮の斜め奥という位置。聖骸布は普段は公開していないので、写真が飾ってある。

ポー川を渡ってすぐのグラン・マードレ・ディ・ディオ教会を見る。外見が立派。

その後、スペルガ聖堂へ。これは街はずれの丘の上にあって、トリノが一望できる。ちょっとしたピクニックである。バスに乗ったあと、ケーブルカーを乗り継いでいく。スペルガ聖堂の地下にはサヴォイア王家の墓所がある。ガイド付き見学で、よくわかった。

夕方、Borgo Medievaleに行ったがこれは少し期待はずれだった。

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トレヴィーゾからトリノへ

Torino_pcarlofelice カルロ・フェリーチェ広場(トリノ)

トレヴィーゾからヴェネツィア・メストレへ行き、乗り換えて、ミラノへ。そこで、別の電車に乗り継ぎ、トリノへ。約6時間の電車旅行(10・9)。

トリノの中央駅ポルタ・ノーヴァは大変立派な駅である。駅の前から王宮に向かって一直線に三つの大きな広場が並んでいる。

手前(駅に近いほう)から、カルロ・フェリーチェ広場、サン・カルロ広場、カステッロ広場となる。カステッロ広場の行き止まりに王宮がある。また、カステッロ広場を右にそれたところにテアトロ・レージョというオペラ劇場がある。

広場と広場を結ぶ道路にはポルティコがあって、歩きやすい。そこに高級ブティックなどが店を連ね、夕方などパッセッジャータの人々はウィンドウショッピングをしながら歩いている。

トリノが他の町と異なるのは、そういうポルティコに、本屋が多いこと。大きな本屋も小さな本屋も数が多い。

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ヴィットリオヴェネトへ

Vittorio_veneto Vv_museobatt2

写真右は、戦争博物館

トレヴィーゾからヴィットリオ・ヴェネトへ行く(9・9)。

行きは電車で、帰りはバス。昼間は電車がないのだ。

ヴィっトリオ・ヴェネトはもともとチェネダとセッラヴァッレという二つの街がイタリアが出来たときに、一つの街に合併してできたもの。

旧市街は、二つに分かれたままで、中間のところに、電車の駅や、長距離バスのターミナルがある。

ヴィットリオ・ヴェネトは、第一次大戦で、イタリアは途中から参戦したのだが、オーストリアに大敗し、北イタリアを深く攻め込まれる。それをやっと、ヴィットリオ・ヴェネトで勝利して、食い止め、逆転したのである。

それにちなんで、ヴィットリオヴェネトにはチェネダ地区に戦争博物館がある。軍服や、兵隊の使用した武器、日用品などが、これでもかこれでもかと並んでいる。

トレヴィーゾに帰って、サンタ・カテリーナ教会脇の博物館を見る。

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2006年9月15日 (金)

カザルサへ

Pasolini ピエロ・パオロ・パゾリーニ

Tomba_di_pasolini カザルサにあるパゾリーニの墓

トレヴィーゾからカザルサへ。駅前はがらんとしている(8・9)

街の中心のイタリア広場へ。パゾリーニの研究センターは普段は開いていないことが判る。

まず、町外れの墓地へ。木が墓の敷地いっぱいに枝葉を広げている珍しい墓である。

駅前のMunicipioまで戻って、そこの事務員が隣の図書館を案内し、またパゾリーニの研究センターを案内してくれる人と連絡をとってくれる。2時半。

図書館の隣の小さな教会サンタ・クローチェは普段は鍵がかかっているが、図書館の女性が鍵をあずかっていて、見せてくれた。ここで、パゾリーニの葬儀が執り行われたのである。

カザルサと駅の反対側にヴェルスータという地区がある。戦争中はパゾリーニがそこに疎開していたのだ。そこの小教会を見に行く。かなり距離があるのでタクシー。ここもまた鍵は近所の家が預かっている。

そこからヴェルスータの中心部に行くとき地元の青年が車に乗せてくれた。感謝。サンジョヴァンニという大きな教会と、その傍にパゾリーニが戦後、挑発的な政治ポスターを張ったロッジャ(柱廊)があった。

2時ごろ、研究センターに行ってみると、マリオがもう来ている。ここは、もともとパゾリーニの母親の実家コルッシ家であったのだ。今は、整備途中だが、4つの部屋に写真や資料が飾られている。

パゾリーニが若き日に描いた絵。葬儀の写真。マリア・カラスをカザルサに連れてきたときの写真。最後に、パゾリーニの自筆草稿、原稿を見せてくれた。カザルサ詩集の草稿が印象的で、Dio(神)と題された詩は、赤鉛筆で書かれていた。

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2006年9月14日 (木)

アゾロからトレヴィーゾへ

San_nicolo_treviso_1 Sala_del_capitolo

アゾロからトレヴィーゾへ移動。サン・二コロ教会が立派だ(7・9)。

裏手にあるSeminario Vescovile の Sala del Capitolo が面白かった。聖堂参事会員の部屋らしいのだが、ドメニコ会修道士たちが、もくもくと勉学に励む様子が40人ほどずらっと並んでいるのだ。

祈りそして働け、ではなく、学びそして祈れなのだろうか。

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バッサーノ・デル・グラッパ

Bassano_del_grappa_1 バッサーノ・デル・グラッパに行ってみた。アゾロからバスでの往復(6・9)。

街のはずれのピアッツァ・トレンタにバスがつく。Via Romaを通って中心に行く。リッチな街である。ピアッツァ・リベルタに出る。サン・ジョヴァンニは巨大な教会だが、中はそれほど充実を見せていない。

隣のピアッツァ・ガリバルディへ。サン・フランチェスコ教会はミサ中だったので、先に Museo Civico へ。絵や彫刻が主体なのだが、一角に往年のバリトン歌手ティト・ゴッビの舞台衣装および彼の胸像が飾ってあった。シエナにもバスティアニーニの舞台衣装や資料を飾る博物館あるいは博物館の一角があってよいのにと思う。

サン・フランチェスコ教会にはすばらしい木の十字架像があった。

プレンタ川にそったパラッツォ・ストルムで陶磁器を堪能。そこからポンテ・ヴェッキオへ。古い橋という意味だから、フィレンツェ以外にあるのも当然だろう。こちらは、プッチーニではなく、アルピーニ(山岳兵)の歌に歌われているという。

橋のたもとのバールは地下にムゼオ・ディ・アルピーニがあった。迷ったが、酔ってしまうと悲惨なので、グラッパは飲まず。こんなとき、下戸は損だ。

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ウディネからアゾロへ

Asolo

アゾロは丘の上の街だ。100の地平線を持つといわれている(5・9)。

ウディネからトレヴィーゾへ満員の電車で移動し。トレヴィーゾからはバスでアゾロへ。

バスは直接アゾロへ行くのかと思いきや、丘のふもとにとまり、丘のうえへは、アゾロ周辺を回るミニバス(ナヴェッタ)があるのだった。

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チヴィダーレ・デル・フリウーリへ

Tempietto_longobardo チヴィダーレ・デル・フリウーリにいってテンピエット・ロンゴバルドを観る(4・9)。

ウディネとチヴィダーレを往復したが、この電車は二つの街を往復する専用の電車で、二両編成の可憐なもの。

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トリエステからウディネへ

Arca_del_beato_bertrando Liberta_1

リベルタ広場

ベアト・ベルトランドの櫃

トリエステを発ち、ウディネへ。(3・9・06)

8時50分発の電車はがらがらで、10時3分にはウディネに着く。

ホテルでパスポート探しに一瞬、冷や汗がでる。

ここのホテルは、インターネットが電話回線のみとのこと。接続の設定をいろいろと変えてみたが結局つながらなかった。

リベルタ広場。その脇から登っていくカステッロ、その中にある Museo Civico を見る。すぐ隣のサンタ・マリア・カステッロ教会で結婚式を挙げているところだった。

午後、再びDuomoに行き、今度はmuseo も見たが、その Arca del Beato Bertrando はすばらしい傑作。

夕方、Palazzao Arcivescoville に行き、galleria Tiepolo を見る。さまざまな様態の天使が面白い。

ウディネには結構、黒人がいる。トリエステにもいたが、トリエステはスラヴ系もまじっているのだ。

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2006年9月 3日 (日)

ミラマーレ城とフォイバ

Miramare トリエステ郊外のミラマーレ城

Miramare_interno ミラマーレ城の内部

Foiba_di_basovia バゾヴィアのフォイバ

Foiba フォイバの内部

午前中、まず本を中央郵便局に行って、自分宛に送る。封筒一つで19、5ユーロ。かなりの値段である。本の場合、ディスカウントがあると思うが、時間が惜しいので、ここはそのまま払う。

バスで36番のバスで、ミラマーレ城へ。海岸沿いというより、まさに海岸の崖の上に立っている。城の背後に広大な庭が広がっていて、その一部がイタリア式庭園として整えられている。ハプスブルク家のマクシミリアン大公が、夫人のカルロッタとともに、自分たちの趣味を家具の選定にまで反映させた作品性の高い城である。

様式は、ゴシックやバロックやルネサンスなどの折衷であるが、自分たちの好みに合わせての取捨選択なので、それほどちぐはぐには見えない。

この頃、日本の美術展でもあるが、電子機器を借りると説明が聞ける。機器は、電話が流線型になったような形をして、数字のボタンとプレイを押すと説明が聞けるしくみ。

城を出て、来るときとは別の道で海沿いに歩いていくと、ずっと海水浴客たちの群れが続いていた。案外、バス停までの道が長く、日に焼けた。相変わらず、イタリア人は泳がず、肌を焼いている。女の人はブラジャーまでとって、焼けムラができないようにしている。

駅で、明日の切符を買う。切符を買うのになんでこんなにかかるのかと不思議なほど、一人一人の買う時間が長い。ウディネまでは、一等でも9ユーロあまり。

ホテルのそばで食事。クラテッロがあったので思わず注文、少し塩からかった。本来のクラテッロはもっと薄味なのだが・・・。スパゲッティ・アレ・ボンゴレは、脂っこく閉口。プリット・ミストは量が多いので、半分ほど食す。

夕方、思い切って、フォイバに行くことにする。駅までいって、39番のバス。今度は、山に向かってどんどん進む。16キロも離れているので、トリエステを一望できる地点まできたが、さらに進んで山の中の集落で降りる。そこから、数百メートル歩いて、フォイバに着く。これは、第二次大戦の最終局面で、ティトのパルチザンが、トリエステのファシスト、支配層、さらには開放委員会のメンバー(これは、反ファシストだが、戦後、トリエステを自分の領土にしたいパルチザン側からは、逆に邪魔者であったのだ)など。

現地に行くと、ほとんど何もない。というか、十字架はあるのだが、その周りは工事中で入れない。

途方にくれていると、同じような状況の夫婦にあう。一緒に回りをぐるっと歩いてみたが、どうもここしかない。フォイバは、後で調べてみると崖ではなくて、井戸だったのだ。そこが、処刑場となっていて、そこから骨が出てきたのである。

彼らは、ボローニャから来た夫婦であったのだが、親切にも帰りに車にのせてくれ、その上、僕がロセッティ劇場に行きたいと思っているというと、そこで降ろしてくれた。助かった。

ロセッティ劇場は、1910年、未来派の夕べがイタリアで(といっても当時はオーストリアなのだが)はじめて開かれた場所である。非常に堂々たる劇場で、坂の上に立っている。

すぐそばの市民公園に、トリエステにゆかりの人々の胸像がたくさんあり、ジョイス、ズヴェーヴォ、サーバらのものを写真にとる。

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2006年9月 1日 (金)

Risiera di S.Sabba

Ssabba1 Risiera di S.Sabba

Ssabba2 S.Sabbaの内部、ユダヤ人が収容されていた。

Ssabba_3

S.Sabbaの入り口

Risiera di S.Sabbaに行く(9月1日)。ホテルの前から10番のバスの乗る。どこで降りたらよいのかわからず、おばあさんに尋ねる。

郊外に出て、約20分ほどで着く。Risiera di S.Sabba はもともとは米の脱穀所だったのだが、第二次大戦中にユダヤ人収容所となったのである。1943年9月から、政治犯やパルチザンやユダヤ人を収容し、少なからぬ人が処刑された。

リソルジメント博物館。1時ぎりぎりに、入る。20分ほど見学。

ヴィア・サン・ニコロを往来し、サーバ書店の隣にベルリッツがあったこと、ジョイスが最初にノラと泊まったホテル(だった建物)を確認。

郵便局(ブスタ)による。今日は、3時半までとのころ。本を送るための特別の封筒を買う。10部単位のものしか買えず4,5ユーロ。

夕方、レヴォルテッラ博物館へ。これは、レヴォルテッラ男爵の館を保存して公開しているのだが、その上の部分を完全にリフォームし、この部分は、イタリアの近現代美術館となっている。そのリフォームはスカルパが担当した。6Fから3Fまでが、近現代美術だった。まったく異質の空間が上下に重なっている。イタリアの近現代美術は、トリエステ出身の画家が中心だが、アカデミズムの強さは良く理解できた。また、ズヴェーヴォの友人の画家も見られてよかった。

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アクイレイア、グラード

Aquileia アクイレイアのバジリカ

Grado潟に浮かぶグラード

今日は、トリエステを離れてグラードとアクイレイアを見学した(8月31日)。

トリエステから直接アクイレイアへ行くバスの便はないので、まずグラードへ。一時間半ほどかかる。海沿いの道を走ったあと、山がちの道となる。トリエステ近辺は、海際まで山がせまっていて、そこにへばりつくように街がある。

グラードは逆に、ヴェネトにはいって平地になり、そこから海へ突き出した突端にある街。ヴェネツィアのように潟がある。ある意味では、ヴェネツィアの原型が地形に関して理解できる。

タクシーでアクイレイアへ行くつもりであったが、タクシーが出払ってバスのみ。バスがでる前のわずかな時間で急いでチェントロ・ストリコを見る。教会と洗礼堂と教会で、古そうだった。しかし、グラードの古い町並みはその一角だけで、バスの乗り場の周りその他は、まったくモダンな味気ない建物が建っている。

バスでアクイレイアへ。10数分。アクイレイアはうってかわって、まったく田園地帯で、コンクリートの建物が連なっているということはない。まず、Museo Archeologico Nazionaleへ。古代ローマのレベルの高さ。皇帝のものらしいブロンズ像は圧倒的だった。いかにもリアル、決して理想化されていない。また、ガラスの道具がたくさんあって、中には多色のカラフルなものもある。

次にバジリカ。これは、少し低くなった床のモザイクに息をのむ。透明ガラスの通路の上を行くのだが、全体のモザイクの広がりはすごいとしかいいようがない。

となりのカンパニーレ(鐘楼)に登ったのはいいが、ももにこたえる。昼は、ペルゴラというトラットリアで。カラメッレというつつむパスタが絶品。スティンコ・ディ・マイアーレ(豚のすね)は量が莫大で、とても食べきれず。

そこから、道端のローマ人の家とオラトリオ跡、道からそれてローマ人の墓、フォロ・ロマーノとみて、河の港のところで足にくる。これは、まずいと判断し、別のローマ人の家跡は省略する。

バスで、グラードへ。グラードでチェントロ・ストリコを見ることはせず。早くホテルに帰るため、グラードからモンファルコーネへ出て、乗り換え。乗り換える場所が道路工事のため、並行して走る別の道路だったが、フィリピン人女性らしき人が案内してくれ助かった。

夜はPepiで。意外なことに、パスタもスープもない。ないというのは、メニューになく、注文することが出来ない。ソーセージとザワークラウトと赤ワイン一杯20数ユーロ。

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ズヴェーヴォ展

Trieste_joyce トリエステのジョイス像

午前中、トリエステの Museo Joyce に行く。ジョイス博物館というよりも、市の図書館の一角に、ジョイスのコーナーがある。ズヴェーヴォは写真展をやっていて、やはり一角にズヴェーヴォ関係の資料がある(8月30日)。

ズヴェーヴォの資料は娘さんからの寄贈があったようだ。その中にS崎Y子さんが彼女にプレゼントした日本語訳のズヴェーヴォおよびジョイスの「ジャーコモ・ジョイス」があった。

ジョイスに関しては、そこで約15分のドキュメンタリー映画を見せているのである。

ズヴェーヴォの資料は、そこの女性が親切にも、ズヴェーヴォ・ジョイス往復書簡を見せてくれた。大事に扱うようにと言われたものの、ジョイスがズヴェーヴォにあてた葉書やタイプでうった手紙(なかにはコピーのものもあったが)をじかに手にとることができたのは嬉しかった。葉書は、こころなしか、現在のものより、小ぶりである。

昼食は、その図書館の外はピアッツァ・オルティスという公園で、そこにはズヴェーヴォの像があって、人生はブルッタでもベッラでもない、オリジナーレなのだ、というゼーノからの引用が地面に刻まれているのだが、そのピアッツァに面したフィオーレで食す。50数ユーロなので、結構高い。

坂を上って、ヴぃア・ヴラマンテへ。そこにはジョイスがそこで、作品の想を得たというプレートがあった。坂を下って、Via del monte をくだる。途中で、サン・タポリナーレ教会の外で一休み、初老の女性と話す。Via del monte はサーバとゆかりの深い通りだったことがあとで判った。

そこから、Via S. Nicolo のサーバ書店に行く。マリオさんは、日本人慣れしていて、いろいろ話す。僕のジョイスや未来派に関する知識に驚き、トリエステのジョイスについて著作のあるクリヴェッリ教授に直接電話してくれたが、多忙というかヴァカンスに出ていて会えず。まあ、仕方がない。むしろマリオさんの親切に感謝。

テアトロ・ヴェルディに行ったら、閉まっていたのだが、そっと見せてくれた。観客は1300という。理想的広さ。馬蹄形で、内装も豪華。

テアトロ・ヴェルディの上演記録のアルキヴィオは別の場所にあるが、現在は開いていないことがわかった。残念。バスティアニー二に関する追加情報は得られず。バスティアニーニはここで、1950年代はじめに「マスネ」を歌っている。CDもある(ライヴで録音はよくないが、演奏はすばらしく、バスティアニーニの声の状態も最高である)。

雨がかなり激しく降った。インフォメーションに行き、ジョイス、ズヴェーヴォゆかりの場所を案内したリーフレットをもらう。

ホテルに帰る。

ジョイスの通った売春宿があったヴィア・ペスケリアを探す。結構判りにくいところであったが、やっと発見。Casa di toleranzaのあとは、まるで廃墟のようになっていた。赤い建物だが、それがいつ塗られたかも不明。現在は、空き家も多そうな感じ。隣の建物は、本格的リフォーム中だった。いかにも、どんづまりの地区であった。

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