トリエステ郊外のミラマーレ城
ミラマーレ城の内部
バゾヴィアのフォイバ
フォイバの内部
午前中、まず本を中央郵便局に行って、自分宛に送る。封筒一つで19、5ユーロ。かなりの値段である。本の場合、ディスカウントがあると思うが、時間が惜しいので、ここはそのまま払う。
バスで36番のバスで、ミラマーレ城へ。海岸沿いというより、まさに海岸の崖の上に立っている。城の背後に広大な庭が広がっていて、その一部がイタリア式庭園として整えられている。ハプスブルク家のマクシミリアン大公が、夫人のカルロッタとともに、自分たちの趣味を家具の選定にまで反映させた作品性の高い城である。
様式は、ゴシックやバロックやルネサンスなどの折衷であるが、自分たちの好みに合わせての取捨選択なので、それほどちぐはぐには見えない。
この頃、日本の美術展でもあるが、電子機器を借りると説明が聞ける。機器は、電話が流線型になったような形をして、数字のボタンとプレイを押すと説明が聞けるしくみ。
城を出て、来るときとは別の道で海沿いに歩いていくと、ずっと海水浴客たちの群れが続いていた。案外、バス停までの道が長く、日に焼けた。相変わらず、イタリア人は泳がず、肌を焼いている。女の人はブラジャーまでとって、焼けムラができないようにしている。
駅で、明日の切符を買う。切符を買うのになんでこんなにかかるのかと不思議なほど、一人一人の買う時間が長い。ウディネまでは、一等でも9ユーロあまり。
ホテルのそばで食事。クラテッロがあったので思わず注文、少し塩からかった。本来のクラテッロはもっと薄味なのだが・・・。スパゲッティ・アレ・ボンゴレは、脂っこく閉口。プリット・ミストは量が多いので、半分ほど食す。
夕方、思い切って、フォイバに行くことにする。駅までいって、39番のバス。今度は、山に向かってどんどん進む。16キロも離れているので、トリエステを一望できる地点まできたが、さらに進んで山の中の集落で降りる。そこから、数百メートル歩いて、フォイバに着く。これは、第二次大戦の最終局面で、ティトのパルチザンが、トリエステのファシスト、支配層、さらには開放委員会のメンバー(これは、反ファシストだが、戦後、トリエステを自分の領土にしたいパルチザン側からは、逆に邪魔者であったのだ)など。
現地に行くと、ほとんど何もない。というか、十字架はあるのだが、その周りは工事中で入れない。
途方にくれていると、同じような状況の夫婦にあう。一緒に回りをぐるっと歩いてみたが、どうもここしかない。フォイバは、後で調べてみると崖ではなくて、井戸だったのだ。そこが、処刑場となっていて、そこから骨が出てきたのである。
彼らは、ボローニャから来た夫婦であったのだが、親切にも帰りに車にのせてくれ、その上、僕がロセッティ劇場に行きたいと思っているというと、そこで降ろしてくれた。助かった。
ロセッティ劇場は、1910年、未来派の夕べがイタリアで(といっても当時はオーストリアなのだが)はじめて開かれた場所である。非常に堂々たる劇場で、坂の上に立っている。
すぐそばの市民公園に、トリエステにゆかりの人々の胸像がたくさんあり、ジョイス、ズヴェーヴォ、サーバらのものを写真にとる。
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