Zanzotto, Andrea (ザンゾット)

2008年9月12日 (金)

ザンゾット:《Nei giorni delle insonni primavere》

眠れぬ春の日々に
目をくらます風が僕に向かってくるだろう、
僕を熱に浮かされた愛におしやるだろう
人間の町の
壁に忘れられた愛に。
開かれた扉は、暗い
入り口のホール
際限のない中庭を示すだろう。
青みがかった雲は氷のように
遠く、そこでは歩哨が
銅像のように
無の番兵をしている。

 
(訳者妄言)
ザンゾット初期の詩。無題。

原文は、

Nei giorni dell insonni primavere
mi verra' contro il vento che abbaglia,
mi spingera' ai febbrili amori
dimenticati alle mura
delle umane citta'.
Le porte aperte mostreranno
oscuri vestiboli
interminabili coritili.
Nubi azzurrognole come ghiaccio
saranno lontano, dove le sentinelle
come monumenti
al nulla fanno la guardia.

註釈では、デ・キリコの絵のようだとあるが、たしかに特におしまいの部分、雲の上で、無の見張りをしている歩哨というのはシュールレアリスティックである。

また、前半から都市的な光景がつづくのもザンゾットとしては、比較的めずらしい。しかしここでも、風や雲といった自然物がものを言っているのではあるが。

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2008年9月11日 (木)

ザンゾット:《Nell'era della silenziosa pace》

静かな平和の時代に
ガラスの村が、天の開かれた
谷に生まれる。

山々の姿をした眠りが
隠れた流れとともに待つ
風に追い立てられる
重い足取りの旅人たち。

    
(訳者妄言)
Andrea Zanzotto の Versi giovanili から。タイトルはない。

原文は、

Nell'era dela silenziosa pace
vitrei villaggi nelle aperte valli
del cielo nascono.

I sonni in figura di monti
aspettano con le celate correnti
i viandanti dai passi gravi
sospinti dallo stimolo del vento.

第一連は、不思議な光景である。丘の上から、陽光をあびた村をみて、逆に天の谷と呼んでいるのだろうか。平和がやってきて、生まれ変わった村。

第二連は、眠り、夢の世界である。重い足取りの旅人は、どこへ行くのか。新時代になっても、生活の重みは変わらぬということなのか。

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2008年9月10日 (水)

ザンゾット:《Villanova》

Zanzotto908

               
                
                         

                
                           

 

                 
                       
   ヴィッラノーヴァ

雪の後に太陽がもどる。
平地には、まばゆい光。
燃える青が、無垢な
丘々に輝く。

足の下には影が走る
われわれは日向(ひなた)を歩く。
われわれ生者には、昼間の時間は
つらくない。

われわれの喜びは純粋で、
太陽にあたって消えるように生まれた
雪のように。

走って、ドアの開いたダンスホールに
降りていこう。窓から
女の子たちが、自分を待つひとの
ところに降りていくのを見よう。

その時に、離れて、夜を
見よう、雲は見ずに。
冷気と、激しいダンスの中、
眩暈(めまい)。

   
(訳者妄言)
ザンゾットの初期の詩。ダンスホールの賑わいの中で、孤立して、眩暈(めまい)を感じてしまう語り手であった。

原文は

     Villanova

Torna il sole dopo la neve.
Nel piano e' fulgore e luce.
L'azzurro ardente sui colli
candidi splende.

Sotto i piedi corre l'ombra
noi camminiamo nel sole.
Per noi vivi nell'ora del sole
non e' dolore.

Pura e' la nostra gioia.
nata a dileguare al sole.
come la neve.

Scenderemo in corsa alle sale aperte
al ballo: dalle finestre
vedremo fanciulle scendere
a chi le attese.

In quel tempo, in disparte, la sera
vedro', non vedute le nuvole.
Sara' il gelo e nelle danze acute
lo stordimento.

最後のストロフで、時間の感覚がくらくらする。In quel tempo といい、vedro' といい、vedute と未来と過去が交錯する。そのくらくらする感覚がstordimento (めまい)という言葉にぴったりなのだ。

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2008年9月 9日 (火)

ザンゾット:《A una morta》

       死んだ女に

曲芸師のいて
大声の鳴り響く広場ではなく、
しおれた並木の間に
僕は君と来るだろう、雪の間で。
すべてのことを、ぼくは語るだろう。
ここで起こったこと、君が喜びそうなこと。
君は驚いて目をむくだろう
でもひょっとして、ため息をつき
僕に哀れみを示すかもしれない。
その時からかなり変わったのは
列車の時刻表だ、
うれしそうな駅
バラ色のホタルブクロが咲き、
うち捨てられ、風が吹き抜ける。
    
 
(訳者妄言)
ザンゾットの若いときの詩。この詩は  ‘A una morta (ある死んだ女に)’というタイトルがついている。1937年に亡くなった妹へ捧げられた詩である。

君とあったらこんな話をしようという内容のあと、君が哀れみ(pieta')を示すかもしれない、で転調し、最後は、幸せそうな駅に、列車ではなく、風が吹き抜けている。現世と来世を行き交う風なのだろうか。

原文は、

   A una morta

Non nella piazza che ha i saltimbanchi
e delle enormi voci risuona,
ma tra i filari intristiti
verrei con te, tra la neve.
Tutte le cose ti racconterei
che qui furono, che avresti amate:
tu sgraneresti gli occhi stupiti
ma forse, sospirando,
di me mostreresti pieta'.
Da quel tempo assai mutati
sarebbero gli orari dei treni,
e la stazione lieta
di campanule rosa
deserta, percorsa dal vento.

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2008年9月 8日 (月)

ザンゾット:《Esigue nevi i rami》

Andrea_zanzotto907

乏しい雪、枝は
純白の縁取り
僕は、寂しい茂みを放浪したが
寒さが降りてくる。
冷たいのは僕の手
胸におしつけ
奇妙な風に跳ねる。
もう少しで、僕は石のようになるだろう。

  
(訳者妄言)
ザンゾットの Versi giovanili から。

原文は、

Esigue nevi i rami
orlarono di candore:
io tanto errai tra mesti cespugli
che il freddo discende.
Fredde sono le mie mani
e al cuore strette le tengo
che ai venti strani balza.
Io tra poco saro' come la pietra.

わずかに雪化粧をした枝。森を歩き回っているうちに、もうじき石になってしまうだろう、という絶対的な孤独の宣言なのだろうか。

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2008年9月 7日 (日)

ザンゾット:《Ballata》

    バッラータ

緑の羽根は森だった
丸いそわそわした野兎(うさぎ)と
群をなすリスが
泉で水を飲んだ。

今、その水は驚いて
野兎と逃げる柔らかなリスの
臭いをかぎ、びくっとする。

月は丘に横たわる
家の中には
軽やかな虫が沈黙している

愛らしい動物たちの
堂々とした横顔に
豪雨の影が笑う。

      
(訳者妄言)
ザンゾットの若い時の作品(1938-1942)。1970年に A che valse? という名前で300部が頒布された。Meridiani 版では、Versi giovanili (1938-1942)としてまとめられている。

原文は、

           Ballata

Piume verdi fu il bosco
e le tonde irrequiete lepri
e gli scoiattoli a schiere
bevvero nella fontana.

Or quell'acqua impaurita
odora e sussulta di lepri
di molli scoiattoli in fuga.

Giace la luna sul colle
e nella casa
tacciono i vermi leggeri

In profili alti
di animali leggiadri ride
l'ombra del diluvio.

泉に野兎やリスが水を飲みにくるのだが、水が驚いているのである。それは驚いて、野兎やリスが逃げ出すのをうつしだすさざ波をたてる水面ということでもあろう。詩では結果をさきどりした形容詞(ここではimpaurita)を使うこともそう稀ではない。

最終行の l'ombra del diluvio は diluvio が大雨なり(ノアの)洪水なので、おそろしいものの影がさしている。牧歌的なだけではない。

バッラータは本来、各スタンザのあとにリフレーンが来るので、その点からいうとタイトルはおかしいが、雰囲気の軽やかさはタイトルにふさわしいと言えるだろう。

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2008年8月30日 (土)

ザンゾット:《)(   ()》

    )(      ()

そして今私は入り込む
君の黄金に飛び込む
月私のただ一つの傑作
  
君だけの森
花盛りの月
黄金の黒い群(むれ)
森傑作

準備の出来た瞳       (ショーウィンドウの中で)
骨折りの準備
だが見張りが意気を挫く
地平線の
地平線へ落ちる        (顕微鏡のスライドガラスの中で)

全てを飾る花
沈む些事
些事ただ一つの傑作。

    
(訳者妄言)
タイトルからお判りのように昨日の詩とペアになる作品で、タイトルは外向きのカッコと内向きのカッコが、昨日の詩とは逆に並んでいる。

oro (黄金)は月の光の形容であるが、この詩は音韻からも oro に満ちている。原文は

E mi addntro ora
mi tuffo nel tuo oro
luna mio unico capolavoro

Bosco di te sola
luna fiorito
nera orda d'oro
bosco capolavoro

Pupilla pronta           (in vetrina)
e sforzo pronto
ma le guardia smonta
e di orizzonte
cade in orizzonte      (in vetrino)

Fiore di cui tutto infioro
inezie che tramonta
inezie unico kapolavoro.

2,3, 6,7, 13,15 行目の行末が oro となっている。1行目の ora も近似の音である。また6行目のorda ,  9行目のsforzo, pronto , 11行、12行のorizzonte 13行のfiore には、oro かそれに近い音(or a, ore )が、ばらばらにされて埋め込まれている。

原文では8行目末と12行目末のカッコの中はa と o が入れ替わるだけで、極めてよく似たものになっているのだが、訳文では残念ながらほど遠いものとなっている。ザンゾット自身の説明では、月は美であるが、美がショーウィンドウの中の商品のように消費の対象となることもあり(8行)、科学の探究の対象となることもある(12行)。

現在でも、森にかかる月の風情はあやしく人の心を動かすだろうが、人の生きる世界は大きく昔とは変わってしまったのである。

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2008年8月29日 (金)

ザンゾット:《()  )(》

     ( )      )(

O脚とX脚の樹々/ラテン語化すらされず/権利もなく/宗教も
なく/行き先もなしで/金貨も/天職もない

     樹木の成長、現段階では、
しばしば、現在の森の木々の生長に
垣間見る

       O脚 と X脚
         )   (
       君の小人の
         (    )
         脚とともに
        私に毒を盛り
       手の上で私を踊る

              
 (訳者妄言)
ザンゾットの詩集 Il Galateo in Bosco (森の作法)(1978)のなかの詩‘() )(’ 。誤植ではなくて、内向きのカッコと外向きのカッコが並んでいるのがタイトルなのである。

詩人自身がこの詩を説明している。散文集の Prospezioni e consuntivi のなかの‘Intervento' の中でこの詩をとりあげているが、‘Intervento'自体は、ザンゾットと中学生および高校生との2回の対話(1980年3月)を収録したもので、彼の詩がいくつかとりあげられている。(Mondadori 社のシリーズMeridiani のAndrea Zanzottoには‘Intervento'が収められている)。

それによると、ザンゾットは近年の(  )の多用を皮肉る意味を持ってこのようなタイトルをつけたとのこと。また、この(   )の形は三日月の形でもある。さらには、詩をよめば明らかなように、脚の内反、外反をも表現しているわけである。

月はいつも森のうえにあって、近くて遠い存在なのである。この二つのカッコは同時に内反、外反の脚を示していて、これは歩行の困難を示しているのだという。われわれは、多かれ少なかれ、現実というものに対し、身体障害者である(手足が不自由である)というイメージを表しているのだ。

詩人によれば、世界が一種の小人化し、脚を開き、手の上で踊りを踊って、死に挑んでいる、という構図のミニドラマだという。

原文は、

Alberi vari e valghi/nemmeno latinizzati/senza diritti/senza
religioni/privi di destini/e di zecchini/privi di vocazioni

       L'Arborescenza, nella sua fase attuale,
intravista sovente nelle arborescenze
del Bosco attuale

                  Varo e Valgo
                     )        (
                   con le tue gambe
                     (       )
                     di nano
                   avvelenandomi
                  ballami sulla mano

不思議な詩と記号と現実の交わりである。

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2008年8月28日 (木)

ザンゾット:《La perfezione della neve》

   雪の完璧さ

なんという完璧さ、なんたる
なんたる完全さ。刺しつつ、加える。
そして抽出作用、星の生成作用、星々の公式
凍傷、星と空を通じて
完成物のなかを僕は進もう
もう少しそちらへ、まぶしい輝きの、充足の、空虚の
進み方を追求しよう
もういちど跳ねてみて、怪しげな
闇を避けながら、というところかな。
しかし、雪がこれほど豊穣では、どうやってわれわれを支えるのか
どう等しくなるのか。早朝の谷へ、谷へ
複数の光源の山へ
この根源的な運動ー欠如のただ中に私は入った
あ痛っ、登る、理解する最初の戦慄(おののき)、
順番通り出発し、挑む。さあ、そろった、
君の慰謝、日照、そして僕の、この
冬の果実、鍛えられ、協定して、
いつものガラスの頂上へ、雪に覆われた縁へ
決してー立ち去らせーなかった、
そのハリネズミのなかで燃える星
氷から抽出された栗
すべて、すべてエロス、すべて自由、わなのなかの自由
抱擁の中に私はいる、いるにまかせる、
招きに同意し、計画のなか、出来事のなかにいる。
本当の、微笑み?人(生)(観ー視)。
何もできない、仮説を立てられないところのもの
なすこと(愛撫する?)の限界で。
おお、氷は長く、色の培養
黄金の保証された仕事
用意はできた。誰に話そう?もう一度かける。
準備はいい、不滅の相で、
雪のスケッチー観念、その揺らめき。
準備OK.
完全へ、完全の。

「話は終わりました。お帰りになって結構です。」


(訳者妄言)
ザンゾットの La Belta' の巻頭2番目の詩。

ザンゾットの言葉の連結、接続は、いつも意味内容によるものではない。14行目、movimento-mancamento 、17行目、consolazione insolazione 18行目 allenate, alleate などは、明らかに音の類似、近似で片方がもう一方を呼び寄せてしまうのである。

雪の世界を外から描いているわけだが、同時に言語世界の磁場が働いていて、言語世界は必ずしも、現実世界を分節化する(散文であれば、それが主要な働きになるのだが)ために機能しないのである。

たとえば4-5行目は、assideramento, attraverso sidera e coelos / assideramenti assimilazioni-  であるが、assideramento (凍傷)という言葉のなかに sidera (星)が埋まっている。assideramenti と assimilazioni はアリタレーション(頭韻)である。

原文を途中まで引くと、

Quante perfezioni, quante
quante totalita'. Pungendo aggiunge.
E poi astrazioni astrificazioni formulazione d'astri
assideramento, attraverso sidera e coelos
assideramenti assimilazioni-
nel perfezionato procederei
resaltando, evitando
dubbiose tenebrose; saprei direi.
Ma come ci soffolce, quanta e' l'uberta' nivale
come vale: a valle del mattino a valle
a monte della luce plurifonte.
Mi sono messo di mezzo a questo movimento-mancamento radiale
ahi il primo brivido del salire, del capire,
partono in ordine, sfidano:ecco tutto.
...

ザンゾットの詩集でもっとも簡単に入手できるのは、Oscar Mondadori のペーパーバックの選詩集で Andorea Zanzotto Poesie (1938-1986)  である。これは Poesia del '900 というシリーズの中の一冊。より本格的なのは Meridiani の Andrea Zanzotto: Le poesie e prose scelte となり、こちらには散文も含まれている。

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2008年8月27日 (水)

ザンゾット:《Ma che grandi nevi》

なんたる大雪
何メートルも何メートルもの輝きをお前は予見し、先立っていた、
満足して、乳のような雪を夜明けに測っていた。
だが、穏やかな食べ物、葉を取り払って、だが、断食として。

クリスマスのイヴ
ミソサザイまで断食する。

 
(訳者妄言)
ザンゾットの詩集 La Belta' の連作 Progezie o memorie o giornali murali のIV. 

原文は、

Ma che grandi nevi
che metri e metri di splendore prevedevi, precedevi,
e contento le misuravi nell'alba latteneve.
Ma cibo pacato ma come denudato ma come un digiuno.

E la vigilia di Natale
digiuna persino lo sgricciolo.

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