Ungaretti, Giuseppe (ウンガレッティ)

2008年7月11日 (金)

ウンガレッティ: 祈り

   祈り

混乱の閃光で
透明で、唖然とする領域で
目を覚ました時

僕の重みが軽くなった時

難破させてください、主よ
若い日の最初の願いを叶えたまえ

(訳者妄言)
ウンガレッティの『アッレグリア』を締めくくる詩。詩人は、1919年版と1942年版で大きな推敲、改訂を行っているが、ここでは1942年版にもとづいて訳した。
1919年版の原文は次の通り

Allorche' dal barbaglio
delle promiscuita'
mi destera' in attonita
sfera di limpidita'

e portero' sul flutti
il peso mio
leggero

Concedimi Signore
di naufragare
a quel bacio
troppo forte
del giovine giorno

1942年版は次の通り
Quando mi destero'
dal barbaglio della promiscuita'
in una limpida e attonita sfera

Quando il mio peso mi sara' leggero

Il naufragio concedemi Signore
di quel giovine giorno al primo grido

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2008年7月10日 (木)

ウンガレッティ:夜を徹す

  夜を徹す

一晩中
殺され
歯をむき出しにし
口を
満月にむけている
仲間の脇に
身を横たえた
彼の腕の
鬱血(うっけつ)が
僕の沈黙に
入り込む
僕は愛に満ちた
手紙を書いた

これほど
生に執着したことは
今までなかった

チーマ・クヮットロ 1915年12月23日

(訳者妄言)
ウンガレッティの『アッレグリア』より。ウンガレッティは長期にわたって塹壕戦を実際に経験している。真冬に、死者に添い寝をするかのように過ごす。死後硬直、鬱血が伝わってくる。まさに死に接しているのである。そこで、生への執着が猛然と沸いてくる。

「身を横たえた」と訳したが、原文の冒頭5行は、Un'intera nottata/buttato vicino/a un compagno/massacrato/con la sua bocca/...と切れ目なく、「手紙を書いた」、まで続いていく。nottata と buttato で t の音が連なり、なおかつ二重子音でノッタータ、ブッタートと強い音になる。単に一晩中なら Un'intera notte でも良いわけだが、ここは音の激しさおよびbuttato との組み合わせで、nottata の必然性が出てくる。意味的にも、buttato は放り出されたまま、うち捨てられている感じが強く出ている。訳文では、意味のわかりやすさを優先して、音や印象の強さが犠牲になってしまった。

それに対し、おしまいの3行は、Non sono mai stato/tanto/attacato alla vita となり、ここでも t 音が繰り返されるのだが、冒頭にくらべ穏やか、なめらかである。一つには行替えが、冒頭では、文法的な受け係りを断ち切って、ぶつぶつ切れるのに対し、おしまいの3行では、Non sono mai stato と一行でまとまりがあって、普通におさまりが良いのである。

激しい非日常のひりひりする状況と、日常への愛着を語る場面では、語彙もリズムも、構文の切り方も、あざやかに、この上なく適切に変えているのだ。

 

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2008年7月 9日 (水)

ウンガレッティ:兄弟

  兄弟

          

どこの連隊だ

兄弟よ?

夜のしじまに
震える言葉

生まれたばかりの葉

苦悩に充ちた空気の中
命のもろさに
さらされた男の
不本意な反逆

兄弟

マリアーノ 1916年7月15日

(訳者妄言)
これも第一次大戦中の詩。第一次大戦は塹壕戦である。膠着状態の中で、ふと fratelli (兄弟たち、同胞)と呼びかけられる。兄弟という言葉を発すること自体が、意味の上で戦争とは逆に連帯を前提として言葉であるから、意識せずに起こした反逆ということになるのだろうか。

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2008年7月 8日 (火)

ウンガレッティ:兵士たち

   兵士たち

彼らはいる
秋の
木にへばりつく
葉のように

クルトンの森、1918年7月

(訳者妄言)
書かれたのは、第一次大戦末期である。
これも短い詩だ。タイトルは Soldati (複数である)。原文は、Si sta come/d'autunno/sugli alberi/le foglie で、詞書きが Bosco di Courton luglio 1918 とある。

兵士たちは、生命と死の境目にいる。イタリア語では枯れ葉、落ち葉を foglia morta という。直訳すると死んだ葉である。死んだ葉になるのか、このまま木にしがみついていられるのか、極限の不安定さを耐えている兵士たち。

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2008年7月 7日 (月)

ウンガレッティ:朝

    朝

 途方もなく
 照らされる

 サンタ・マリア・ラ・ロンガ・1917年1月26日

ジュゼッペ・ウンガレッティの短詩。タイトルはMattina で、本文は、M'illumino/d'immenso である。詞書きに相当するのが、Santa Maria La Longa il 26 gennaio 1917 である(テクストは Vita di un uomo, Mondadori).もちろん定型詩ではないが、o の音で終わっていること、mの音の重なりが伝統的なライムとの非連続的なつながりを感じさせる。また、視覚的にも、一行目も二行目もアポストロフィー(M’、d’)とそろっているのが美しい。

20世紀の自由詩、すなわち韻を廃した非定型詩は、自分独自の型を追求する場合もままあるのだ。あるいは晩年のモンターレの詩のように、散文に近づいていくのである。

M'illumino は illuminarsi という再帰動詞で、明るくなる、照らされるという意味だが、主語をわたし(io)ととる説と、朝が擬人化されて、朝が明るくなる、すなわち、夜が明けて、世界が明るくなる、ととる説がある。

むろん、一日のはじまりに陽光に照らし出されるのが世界であり、世界にいるわたしの双方であってもよいわけである。イタリア語では、Mi という形で代名詞が冒頭にくるので、それが誰であるかを明確にしたくなるわけである。

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2008年7月 6日 (日)

ウンガレッティ:鳩

    鳩

もう一つの洪水を鳩の音に聞く

(訳者妄言)
たった一行の詩である。ウンガレッティは1888年エジプトのアレッサンドリアに生まれた。両親はトスカーナのルッカ出身。1912年パリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。そこで、アポリネールらの前衛作家を知る。1970年死去。

この詩は、タイトルがUna colomba で本文は D'altri diluvi una colomba ascolto だけである(テクストは、Vita di un uomo, Mondadori から)。もう一つの洪水は、遠い昔のノアの洪水だろう。diluvio には集中豪雨という意味とノアの洪水という意味とがあり、ここでは両方の意味をかけているわけである。雨がやんだあとに鳩が鳴くのを聞いて、旧約聖書の昔に想いをはせている。

たった一行の11音詩(endecasillabo)である。

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