Sereni, Vittorio (セレーニ)

2009年3月28日 (土)

Vittorio Sereni: Altro compleanno

       もう一つの誕生日

7月の終わり
サン・シーロ・スタジアムのバールの日除けの下
鉄柵と丸天井の間に
日に照らされた三日月形のスダジアム
巨大な空のたらいが唖然とし
浪費された時を映し、まさに
そこで一年がやって来て死ぬように見える
さらなる一年が何をもたらすかは知らず
この敷居をもう一度通過しよう
町の大波にお前の心が耐えるなら
スレートが夏の色を広めるなら。


(訳者妄言)
ヴィットリオ・セレーニの詩。詩集 Stella variabile (1981) から。詩人の誕生日は7月27日。誕生日は死への一里塚でもある。詩人は、ミラノで、バールからサンシーロ・スタジアムを見ている。セレーニはサンシーロに足繁く通ったのだという。

町の大波(10行目)は日常生活の生きにくさのもろもろであろう。

原文は、

A fine luglio quando
da sotto le pergole di un bar di San Siro
tra cancellate e fornici si intravede
un qualche spicchio dello stadio assolato
quando trasecola il gran catino vuoto
a specchio del tempo sperperato e pare
che proprio lì venga a morire un anno
e non si sa che altro un altro anno prepari
passiamoloa questa soglia una volta di più
sol che regga a quei marosi di città il tuo cuore
e un'ardesia propaghi il colore dell'estate.

ほとんど句読点がなく、長いひとかたまりの詩行になっている。

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2009年3月27日 (金)

Vittorio Sereni: Non sa più nulla, è alto sulle ali

           もはや何も知らず、翼にのって高く

         野戦病院127,1944年6月

もはや何も知らず、翼にのって高くにいる
ノルマンディーの浜辺で倒れた最初の者は。
それゆえ誰かが、今晩
ヨーロッパのための祈りを
つぶやきながら私の肩に触れた
その間新たなアルマーダ艦隊は
フランス沿岸に現れつつあった。

私は眠りのなかで答えた:ーそれは風だ、
風が妙な音楽を奏でたのだ。
もし君が本当に
ノルマンディーの浜辺で倒れた最初の者だったら
可能なら祈ってくれ、僕は、
戦争にも、平和にも、死んでいる
これはいまや音楽だ:
支柱にたたきつけるテントの。
天使の音楽ではない、わたしの
唯一の音楽で、それで十分だ。ーー

(訳者妄言)
ヴィットリオ・セレーニの詩。詩集 Diario d'Algeria  (1947)から。セレーニはアルジェリアで捕虜となっている時に、連合軍がノルマンディー上陸するのを予感した。

一行目は、ノルマンディー上陸作戦での最初の死者が、飛行機に乗せられて上空(高いところ)を飛んでいる、ということである。

語り手の肩をたたいたのは、その最初の死者であろうか。

語り手は、捕虜になっていたため、戦争からも、平和のための戦い(パルチザン)からも、離れ、疎外された状況におかれていた(12-13行)。その苦悩が、この表現になっている。つまり、ノルマンディー上陸作戦で死んだものより、自分の方がもっと死んでいるのである、無益で、虚しい状態に置かれていたのである。

原文は、

      Campo Ospedale 127, giugno 1944

Non sa più nulla, è alto sulle ali
il primo caduto bocconi sulla spiaggia normanna.
Per questo qualcuno stanotte
mi toccava la spalla mormorando
di pregar per l'Europa
mentre la Nuova Armada
si presentava alla costa di Francia.

Ho risposto nel sonno:-E' il vento,
il vento che fa musiche bizzare.
Ma se tu fossi davvero
il primo caduto bocconi sulla spiaggia normanna
prega tu se lo puoi, io sono morto
all guerra e alla pace.
Questa è la musica ora:
delle tende che sbattono sui pali.
Non è musica d'angeli, è la mia
sola musica e mi basta.-Vittorio_sereni-

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2009年3月26日 (木)

Vittorio Sereni: Terrazza

          テラス

突如わたしたちを夜がとらえる。
               そして君は
どこで湖が果てるかわからなくなる、
囁きのみが
空中テラスの下にいる
僕らの人生をかすめる。
われわれはみな今晩
物音のしない出来事につるされて
そこへ哨戒艇の光
われわれを詮索し旋回し去る。

(訳者妄言)
ヴィットリオ・セレーニの詩。詩集 Frontiera  (1941) から。セレーニは1913年マッジョーレ湖のほとりのルイーニに生まれた。ブレーシャおよびミラノ大で学び、グイド・ゴッツァーノで卒論を書いた。その間、文学者アントニア・ポッツィ、ルチャーノ・アンチェスキ、ダリア・メニカンティや哲学者エンツォ・パーチ、ラッファエーレ・デ・グラーダ、レーモ・カントーニ、ジュリオ・プレーティに出会った。彼らはアントニオ・バンフィの美学に影響されていた。

詩人として強い影響があったのは、ウンガレッティ、モンターレ、サーバ、クヮジーモドやシニスガッリ、ベルトルッチである。特にモンターレは重要で、ジルベルト・ロナルディによれば、1960年代までは一方通行の影響であったが、後には、散文的、日記的な詩を書くモンターレにセレーニが影響を与えた。

ガットやヴィゴレッリを通じてフィレンツェのグループともコンタクトを持つようになった。ミラノで1938年に若き日のエルネスト・トレッカーニによって創刊された《Corrente》に協力したが、反ファシスト的傾向のため弾圧をうける。1941年 Corrente から初の詩集 Frontiera を出版。

第二次大戦で捕虜となり、二年間、アルジェリアとモロッコで虜囚生活を送る。そこから生まれた本が Diario d'Algeria (1947) である。1956年ピレッリの広報、58年出版社のモンダドーリ社に入り、75年まで文学担当の責任者を勤める。1983年ミラノで死去。

この詩では、冒頭の 'Improvvisa' (突然の)は、受ける名詞がなく、宙に浮くが、それはこの夕べ、待ち受けられている出来事と、彷徨う感覚が同時に表出されているのだろう。そうした前景化をここで訳すのは困難だったので、変わりに、私たちに相当する言葉にヴァリエーションを与えてみた。

夜が訪れて、湖の対岸が見えなくなる。囁きというのは、湖水のさざなみのたてる波音である。

われわれは、何らかの出来事を待っており、光が当たってそれかと思うが、哨戒艇は、こちらを照らしたあと、向きをかえて、去っていってしまう。最終行は、動詞三つがカンマもなしにつながれ(asindeto, 連辞省略)、たたみかけるように終わる。

原文は、

Improvvisa ci coglie la sera.
                            Più non sai
dove il lavo finisca;
un murmure soltanto
sfiora la nostra vita
sotto una pensile terrazza.
Siamo tutti sospesi
a un tacito evento questa sera
entro quel raggio di torpediniera
che ci scruta poi gira se ne va.

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