マグレッリ:《G.Berkeley》
G.バークレイ
人知原理論、
第一部、第30,31,32節
経験の教えるところでは、あらゆる観念には、
ものごとの通常の流れのなかで
もう1つの観念がともなっている、
だから予見する力は、
われわれの行動に、
生活の必要に応じた規則を与える。
さもなくば、即ち、われわれに
感覚の痛みを与えたり、取り除いたり
するような方法を何も知らないというのは
当惑することだろう。
あらゆる手段は、
その結果へと
自然によって確立された法則にしたがって導いていく。
それ無しでは、我々は不確かで、混乱し、
大人も、生まれたばかりの赤ん坊より
うまく生きることができないだろう。
しかしながら、魂の知恵を示す
この統一的な機構は、
別の理性を求めてさまよう
われわれの精神を彼へとは導かない。
(訳者妄言)
タイトル通り、非常に高度に哲学的な詩である。バークレーはアイルランドの聖職者だった哲学者(1685-1753)で、Esse est precipi , 存在することは、知覚されることである、という哲学を開陳した。誰かに見られたり、触られたりしていないと、そのものは存在しないのである。では、誰もいないときには、どうなのですか?というと神が見ている、という答えが返ってくるわけである。
この詩は、特にバークレーの『人知原理論』第一部第30,31,32節を、詩のタイトルにかかげている。ここでバークレーは、感覚による観念は、想像力による観念よりも強いこと、また1つの観念はもう1つの観念とむすびついていること(現代風にいえば、原因と結果ということです)などを論じている。
この詩だけでなく、マグレッリのこの詩集での一連の詩は、見ること、知覚することと存在、あるいは書くこととの関係を問うた詩であると言えよう。
原文は、
G.Berkey,
Trattato sui principi della conoscenza umana,
Parte prima, paragrafi 30, 31, 32
ここまでがタイトル、以下、本文です。
L'esperienza c'insegna che ogni idea
s'accompagna a un'idea
nel corso ordinario delle cose,
e che quindi poter prevedere
da' regola alle nostre azioni
secondo le necessita' della vita.
Altrimenti sarebbe il dubbio,
non saper nulla in modo
che ci desse o levasse
il dolore dei sensi.
E ogni mezzo conduce
ad un suo risultato
secondo leggi stabilite di natura.
E senza, saremmo incerti e confusi
ne' un adulto saprebbe vivere
meglio d'un bambino appena nato.
Tuttavia questa meccanica uniforme
che indica la saggezza dello spirito
non guida verso lui la nostra mente
che vaga in cerca d'altre ragioni.
極端なことを言う哲学は詩的であり、考えを煮詰める詩は哲学的なのだ。
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