Guerra, Tonino (グェッラ)

2009年4月27日 (月)

Guerra : Sivio e' matt

         頭のおかしいシルヴィオ

話すときは、
ふいに話し、
頭から足下まで
全部ぼろぼろの服、
ひさしを後ろに向けた帽子、
それは走るための服
頭のおかしいシルヴィオ

(訳者妄言)
トニノ・グェッラの詩。詩集 I BU  から。頭のおかしいシルヴィオは、服装もちぐはぐで、まともでないのだが、本人は走る格好だと思っている(あるいはcorsa には競馬の意味もあるので、騎手の格好のつもりなのだろうか)。

原文は、

Quand che parlèva,
e' parlèva ad scatt,
tott un chèva fina i pi,
se brètt cun la visira arvólta indri,
che l'era avstéid da chéursa
Sivio e' matt.

イタリア語版は、

  Silvio il matto

Quando parlava,
parlava di scatto,
tutto un brandello
da capo a piedi,
e il berretto con la visiera voltata indietro,
ch'era vestito da corsa
Silvio il matto.

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2009年4月19日 (日)

Guerra : I bu

           牛たち

牛に言ってくれ、去れと
したことは、したことだ、
今日では、耕作はまずトラクターでするのだと。

心はやつらに涙する、俺自身にも、
あいつらが何千年も働いてくれたのに、
いまややつらは頭を垂れて
畜殺場へ長い綱で牽かれていくことを思うと。

(訳者妄言)
トニノ・グェッラの詩。ロマーニャ方言で書かれている。何千年と続いてきた農耕文化の変わり目に遭遇した牛たちの運命を嘆く詩。

原文は、

Andé a di acsè mi bu ch'i vaga véa,
che quèl chi à fat i à fatt,
che adèss u s'èra préima se tratour.

E' pianz e' cór ma tótt, ènca mu mè、
avdai ch'i à lavurè dal mièri d'ann
e adèss i à d'andè véa a tèsta basa
dri ma la córda lònga de' mazèll.

イタリア語訳は、

Ditelo ai miei buoi che vadano via
e quello che hanno fatto hanno fatto
che oggi si ara prima col trattore.

E piange il cuore a tutti, anche a me,
a pensare che hanno lavorato per mille anni
mentre eccoli lí che se ne vanno a testa bassa
dietro alla corda lunga del macello.

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2009年3月21日 (土)

Tonino Guerra: A gli óchi dla Chèca

Toninoguerra

     おかまの鵞鳥

僕が鼻ちょうちんをふくらませ
猫のしっぽを引っ張っていた頃、
僕は「ちっちゃく」、とっても「ちっこかった」ので
一目見ただけでは、人は僕に気がつかなかった。

が、ある朝、僕は成長しているのに気がつき、
あたりをこっそり見てドアにすべり込む
今度は出てく、運命に従うぞ
みんなバイバイ、命令はもう沢山。

外では鵞鳥が気に入った。
僕は彼らを追いかけた、おどかしたかったんだ
でもそいつらは、いきなりぱっと翼を開きながら向きを変えた。
僕はどうしたらよかったろう?で、泣いた。


(訳者妄言)
トニーノ・グェッラ(1920ー )の方言詩。詩集 I scarabócc (1946)から。トニーノ・グェッラは、エミリア・ロマーニャ州フォルリ県の近郊サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャに生まれた。

教職についた後、ローマに移り、映画界で脚本家(soggettista および sceneggiatore)として、デ・サンティス、ペトリ、ダミアーニ、ロージ、フェッリーニ、とりわけアントニオーニと共に映画づくりに関わってきた。

小説家としては、1952年にエイナウディ社のヴィットリーニが監修したシリーズ《I Gettoni》から La storia di Fortunato でデビューした。

最初の詩集は1946年の I scarabócc (なぐり書き)で、カルロ・ボの序文が付されていた。映画ではネオレアリズモの季節であったが、それと歩調を合わせるように、詩集でも恵まれない人々、村の貧乏人、老人、狂人を、村の動物や事物になぞらえて描いた。

サンタルカンジェロ村からは、ニーノ・ペドレッティ(1923-1981)とラッファエッロ・バルディーニ(1924- )という同世代の二人の詩人がでている。

グェッラの文体は、生の装飾を排したしたもので、現実に直接迫っていくものだ。

この詩では、幼い頃の思い出が、鮮やかなイメージとともに描出されているが、大人になったつもりで、家からでていくと、鵞鳥に出会い、追いかけ回すが、思いがけない逆襲にあって泣き出してしまった、というエピソードが繰りひろげられる。

タイトルの Chéca (イタリア語版ではChecca) が、ひねったもののように思える。というのも、checca はイタリア語では、女性役の男性同性愛者を意味するのである。しかし、ここでは大文字ではじまっていることから、地名とも、固有名詞とも解釈することが可能となっている。地名や固有名詞だとすると、どうしてわざわざこういう名前を選んだのか。なんらかの意味がありそうだが、イタリア語で言えば、oche, checca と言う音つながり、オリジナルでも óchi, chèca でカ、キ、ケとカ行の音を連ねていることはあるだろうが、同時に、同性愛者という当時、社会的に差別をうけていた存在に何らかの形で言及することにも詩人の意図はあったのではないか、と思う。

オリジナルとイタリア語版をあげる。

まず、オリジナルから。

Quand ch'a faséva i palunzéin me nès
e ch'a tiréva la còuda mé gatt,
a s'era pécal,  mo pécal da fatt
che a préima vésta t'a m' u n'févi chès.

Mo una matéina am so séntéi d'es gand,
ò guèrs in zèir e pu a i ò ciap la pórta:
-Sta vólta a vag, a vag par la mi sórta
e s-ciao a tòtt, e basta sa sti cmand.-

'D fura da chèsa a gli ochi a 'l m'à piséu!
e alòura dri ch'a vléva spavéntèli;
mo lòu a s' vólta ad bòtt e al slèrga a gli èli
e mè, sa vléiv ch'a faza? A i ò pianzéu.

つぎに、Roberto Roversi によるイタリア語版をあげる。

Quando facevo i palloncini al naso
quando tiravo la coda al gatto
ero piccino ma così piccino
che all prima occhiata nessuno mi vedeva.

Una mattina però ho sentito d'essere cresciuto
ho sbirciato in giro ho infilato la porta
stavolta me ne vado, vado al mio destino
saluti a tutti basta con i comandi.

Fuori mi sono piaciute le oche.
Le rincorrevo perché volevo spaventarle
ma quelle di botto si girano di botto spalancando le ali,
e io che cosa dovevo fare? io allora ho pianto.

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