De Luca (デ・ルーカ)

2008年7月21日 (月)

デ・ルーカ:正月の乾杯の手引き

 正月の乾杯の手引き               

              

乾杯はすたれてきた習慣だ。せいぜいのところ、気の抜けたお決まりの
文句、「健康を祝して」という。一世紀前の正月には、アンナ・アクマトヴァ
というロシアの詩人は、テーブルで、三つの祝杯の辞をあげた。一つは
「われわれ全員がそこに帰る故郷の草原に乾杯」
もう一つはアンナに向けて、「私たち皆がそこで生きるあなたの詩に乾杯」
三つ目、「まだわれわれと共にいない人のために飲みましょう」

ここに僕のを付け加える。
正月の乾杯の手引きだ。

勤務中の人、電車、病院にいる人、
台所、ホテル、放送局、鋳物工場、
海、飛行機、高速道路にいる人へ
あいさつも無しに今夜をとばす人へ、
約束をする人へ、それを守る人へ
勘定を払った人へ、今払っている人へ、
どこの場所にも招かれなかった人へ、
イタリア語を学ぶ外国人へ、
音楽を学ぶ人へ、タンゴを踊れる人へ
席をゆずるため立った人へ、
立てなかった人へ、顔を赤らめた人へ、
ディケンズを読む人へ、映画で泣く人へ、
森を守る人へ、火事を消す人へ
全てを失い、もう一度始める人へ
思想を共有しようと努力する禁酒家へ、
愛する人から相手にされない人へ、
からかいに苦しみ、その反発でいつかヒーローになる人へ、
侮辱を忘れる人へ、写真で笑っている人へ、
持っていたものを返す人へ、
冗談がわからない人へ、
最後の侮辱が最後であるように、
引き分けへ、トトカルチョ用紙のXへ、
前に一歩進み、境遇に甘んじない人へ、
やろうとしたが、出来ないひとへ、
最後に、今晩、乾杯をする資格を持っている人へ
そしてそれが見つからなかった人の輪の中で。

(訳者妄言)
Erri De Luca (1950-   )の L'Ospite Incallito (Einaudi, 2008) から。デ・ルーカのまなざしは、あちこちへ飛ぶ。融通無碍である。乾杯をするときに、そこにいる人だけでなく、そこにいない人のことを考えられたら、どんなに豊かなことだろう。

詩は散文詩のように綴られていくが、後半は achi ....., a chi..... の連続で、一つの型をつくっている。レトリックの用語で言えば、anafora (首句反復、行頭反復)であるが、これだけ続くと、お祈りの文句にも似てくる。そして、ある意味では、デ・ルーカのこの詩は、宗教の祈りではなく、世俗的な祈りとも言える色彩を帯びているのである。


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2008年7月20日 (日)

De Luca: Da noi

   俺たち

俺たちは最後の母音を発音しない、
言葉が宙ぶらりんとなる。
冬(inverno) はふう(viern')となり、残りは季節だ。
はじめと終わりは、はじんと終わい、
現在の肉と骨はあるのだけれど、現在はただ、いむとなる。
愛よりは、俺らがあいで、
もっと恥ずかしいのは、腹が減るが、える、
お金はかね、兵士はへし、
兵をつのるより、おしになる。
俺たちには、ある、と言う言葉はありはしない、でもおるがある。
誰も持ってはいないのだが、持っとるやつがおる。
俺たちには雨は降らない、降りやがる。雨でずぶぬれでなくて、
ずぶんこになり、腐る。
血はちいで、コップ一杯の水の価値もない。
俺たちは、立ち去らねばいけないは、もう行ったようにしろ、
今より前は、いまよんめえ、
俺たちは世界一速い動詞を持っている、行くがい、
お前は行かねばならないは、いにゃい。

                    
Erri De Luca の詩集L’Ospite Incallito (常習の客)(Einaudi, 2008)より。デ・ルーカは1950年ナポリ生まれ。散文作品の他、詩集には Opera sull'acqua e altre poesie (Einaudi 2002) と Solo andata. Righe che vanno troppo spesso a capo (Feltrinelli 2005) があり、これが第三詩集となる。

この詩「俺たち」(Da noi) は、俺たちのところ(ナポリ)では、こういう言い回しをするという詩なので、日本語だけ読んでもちっとも面白くない(訳者の敗北宣言です)。可能であれば、振り仮名ならぬ、振りイタリア語をしたいところである。あえて、原文を以下にあげる。

   Da noi

Da noi non si pronuncia l'ultima vocale,
le parole restano sospese.
L'inverno e' viern', il resto e' la stagione.
Prima e dopo sono primm' e dopp',
honno piu' carne e ossa del presente, che e' solamente:
                        mo'.
L'ammor' nuosto e' piu' tosto di amore,
piu' svergognata 'a famm' della fame.
i soldi sono 'e sord', il soldato 'o surdat',
piu' sordo che assoldato.
Da noi il 《c'e'》non c'e', pero' ci sta.
Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene.
Da noi non piove:chiove. La pioggia non infradicia
ma 'nfra'ceta, marcisce.
Il sangue e' 'o sang' e vale meno di un bicchiere d'acqua.
Da noi se devi andartene, fai che sei gia' partito,
pure prima di adesso, primm' 'e mo'.
Teniamo il verbo piu' veloce al mondo, andare:i'.
Se te ne devi andare, t'n'ia i'.

最後の母音を発音しないから、prima が primm' となり、dopo が dopp' になるわけだ。

11行目、ナポリでは、標準イタリア語で c'eというところを ci sta という。c'e non c'e という言葉遊びも楽しいが、次の12行目は Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene. 前半は標準語で誰も持っていない。後半は、でも、持っているやつがいる、と矛盾することを言っているのだが、おかしみにあふれている。

終わりから2行目のandare が i' となるのは、ire のつづまった形だろう。文語やトスカナでは不定形のire や過去分詞 ito が用いられるが、ここではナポリ方言として i' と最速動詞として登場している。

(追記)
知人からの指摘で気づいたが、11行目、12行目の ci sta には、ナポリ弁での「ある」という意味と、イタリア語での「それでよい、困らない、同意する」という意味が掛けられているのではないか、と思う。
11行目は、c'e という言い方はないが、ci sta という言い方があるという意味(ナポリ弁の相)と、c'e という言い方はないがそれでいいという意味(イタリア語の相)が掛けられている。
12行目は、誰もきちんと所有はしていないが、(一時的に)持っている人はいるという意味(ナポリ弁の相)と、誰も所有していないが、持っている人はそれでよい(イタリア語の相)が掛けられているのではないだろうか。

詩人は言葉遊び、掛詞が好きな人種であるから、わざと紛らわしい、ややこしい、どちらにもとれる言い回しにしている部分があるのだろう。

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