Corazzini (コラッツィーニ)

2009年1月 5日 (月)

Corazzini: Toblack (4)

       トブラック

     IV

魂よ、どんな憐れみ深い手が
今晩、お前の憂鬱な灯りを
つけたのか、死が休みなく
刈り取る病院にそって?

カルトゥージオ修道院の道で
葬列また葬列が通るのを見た。
栄光の頂点を熱望する理想の
絶望した結核患者!

いまやすべては静まりかえる。棺のなかに
死んだ若者は、太陽もなくいる、
蠟燭の憐れみが輪になって燃える。

魂よ、こうして涙するのは無駄だ、
ため息も無駄だ、昨日までお前のなかに
生きていたものへの言葉も虚しい。

(訳者妄言)
コラッツィーニの詩「トブラック」の第四セクション。最終セクションである。若者たちの死、葬儀で灯される蠟燭、しかし、詩人は、若者を悼む行為(涙、ため息、言葉)すら虚しいとつきはなして詩は終わる。

若くして死の病を患う詩人自身の行く末をみつめた絶唱と言えよう。

原文は、

Anima, quale mano pietosa
accese questa sera i tuoi fanali
malinconici, lungo gli spedali
ove la morte miete senza posa?

Vidi lungo la via della Certosa
passare funerali e funerali
malinconici, lungo gli spedali
anelanti la cima gloriosa!

Ora tutto e' quieto; nelle bare
stanno i giovani morti senza sole,
arde in corona la pieta' de'ceri.

Anima, vano e' questo lacrimare,
vani i sospiri, vane le parole
su quanto ancora in te viveva ieri.

これもソネット形式で、韻は abba abba cde cde となっている。

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2009年1月 4日 (日)

Corazzini: Toblack (3)

       トブラック

   III

陰気な病院よ、お前は哀れみ深い
兄弟にとっては、悔悛に良い機会だ
日常生活を通じて、
が自らをよく意識させる

たとえお前の空から雨が、止むことなく
降って、涙ぐむ窓ガラスの後ろで
回復の望みが
青白い結核患者をとらえている。
    
いつも、こう棺が来るまで、
静かに、十字架とともに
最後の通路を通っていく。

一人また一人が準備し、
皆、暗い深淵におもむく
希望よ、お前の長い甘美な道にそって!

(訳者妄言)
コラッツィーニの詩「トブラック」の第三セクション。ソネット形式である。韻は、abba abba cde cde となっている。

詩人は、病院に呼びかけている。その中にいる病人は、涙を流しつつ死を待つ日々を送っている。6行目の「涙ぐむ窓ガラス」(vetri lacrimosi) は、窓ガラスの外側は雨で濡れており、内側は病院の涙に濡れている、その両方をさしているのだろう。

11行目の最後の通路(ultima corsia)は、病院の大部屋で、二列にならんだベッドの間の通り道のこと。

原文は、

Ospedal tetro, buona penitenza
per i fratelli misericordiosi
cui ben feece di se' Morte pensosi
nella quotidiana eesperienza,

anche se dal tuo cielo piova, senza
tregua, dietro i vetri acrimosi
tiene i lividi tuoi tubercolosi
un desiderio di convalescenza.

Sempre,  cosi' finchee' verra' la bara,
quietamente, con il crocefisso
a prenderli nell'ultima corsia.

A uno a uno Morte li prepara,
e tutti vanno verso il tetro abisso,
lungo, Speranza! la tua dolce via!

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2009年1月 3日 (土)

Corazzini: Toblack (2)

        トブラック
Toblack

 

 

       II

失われた希望、むなしい
祈り、無謀な大胆さ、砕け散った夢、
むなしい望みをもった愛する人たちの
無益な言葉、不可能な幻想、

すべての過ぎし春、
死すべき理想、見知らぬ人の
落涙、夢みる魂は
渇くが、飲むことはままならぬ、
       
トブラックよ、達し得ぬもの
失えるものは、お前の神聖な
土地にあり、このお前の消えぬ太陽のうちにあり、

お前の恐ろしい鐘にあり、
お前の単調な噴水にある、
泣く命、歩くが。

(訳者妄言)
コラッツィーニの詩「トブラック」の第二セクション。

第二セクションはソネットの形式を持っている。原文は、

Le speranze perdute, le preghiere
vane, l'audacie folli, i sogni infranti,
le inutili parole de gli amanti
illusi, le impossibili chimere,

e tutte lee defunte primavere,
gl'ideali mortali, i grandi pianti
de gli ignoti, le anime sognanti
che hanno sete, ma non sanno bere,

e quanto v'ha Toblack d'irraggiungibile
e di perduto e' in questa tua divina
terra, e' in questo tuo sole inestinguibile,

e' nelle tue terribili campane
e' nelle tue monotone fontane,
Vita che piange, Morte che cammina.

最終行の Vita (命)と Morte (死)は擬人化され、大文字になっている。訳文では太字とした。

原文4行目の illusi は、「むなしい望みを持った」としたが、註釈によっては dellusi 「失望した」という解釈もある。その場合、望みがないとしりつつ、むなしい慰めの言葉をかける愛するひとたち、ということになる。

韻は、第一連が abba 、第二連も同じ韻で abba  第三連が cdc ,  第四連が eed となっている。

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2009年1月 2日 (金)

Corazzini: Toblack (1)

       トブラック 

    I

...そして若者たちは道を彷徨(さまよ)い
大きく憂鬱な陽光を浴びて、
玄関の扉は半ば閉じ、窓敷居には
人影も見えず、どこかの小さな噴水は
葬列が通るたびに永遠に同じく流す
涙を泣いている、
広大な墓地、尽きることのない
十字架、花輪、ゆっくりとした
不安をかきたてる弔いの
鐘、いつも、毎日、
毎晩、高く、青空、
希望と慰めに満ちて、
広々とした空、励まし祝福する
母の眼のように善良だ。

(訳者妄言)
セルジョ・コラッツィーニの詩「トブラック」の第一セクション。全体は4つのセクションからなる。詩集『苦い杯(L'amaro calice)』(1905) に収められている。この詩集は、1904年の12月に出版されたが、奥付は1905年になっている。

トブラック(通常のスペリングはToblach)は地名で、イタリア語名はドッビアコ。

トブラックのあるアルト・アディジェ地方は、第一次世界大戦前はオーストリアであったが、大戦後イタリアに帰属するようになったため、地名がドイツ語式のものとイタリア語式のものがある。トブラックは、現在でも町はずれが、イタリアとオーストリアの国境である。

トブラックは、この詩が書かれた当時は、隣のサン・カンディードに肺病のサナトリウムがあり、療養地として知られていた。

この詩でもトブラックは、療養の町であると同時に、死を待つ町として描かれている。後半の一見明るさがかえって哀しい。

1行目の若者は原文はgiovinezze で直訳すれば若さ(複数)である。

5−6行目の「永遠に同じく流す涙...」は、原文では、(qualche piccola fontana) che piange un pianto eternamente uguale だが、この表現は、Vincenzo De Caprio, Stefano Giovanardi の註釈によると、ダンヌンツィオやとりわけパスコリの影響を受けている。具体的には、たとえばパスコリの詩集Myricae の'Ricordi' (12のセクションからなる詩である)の XI Il Santuario には ‘con un sospiro eternamente uguale' という句が見られるし、続くXII Anniversario には ‘piangendo il pianto che su me versavi' という句が見られる。

同じくパスコリのNuovi Poemetti の中の‘Il chiu'' にも、‘un mesto verso eternamente uguale'という句がある。

原文は、

...E giovinezze eranti per le vie
piene di un grande sole malinconico,
portoni semichiusi, davanzali
deserti, qualche piccola fontana
che piange un pianto etternamente uguale
al passare di ogni funerale,
un cimitero immenso, un'infinita
messe di croci e di corone, un lento
angoscioso rintocco di campana
a morto, sempre, tutti i giorni, tutte
le notti, e in alto, un cielo azzurro, pieno
di speranza e di consolazione,
un cielo aperto, buono come un occhio
di madre che rincuora e benedice.

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2009年1月 1日 (木)

Corazzini: Bando

         

   布告

さあどうぞ、わが屋敷に
灯りがともった!
各々方!私の考えの
販売が始まりますぞ。
お入りください!どなたがご所望です?
オリジナルな考えが
通常の値段で。
僕が売るのは、時の果てまで
眠る猫のように、
陽を浴びて
うずくまっていたいからだ!
さあさあ! 良い
機会ですぞ。各々方、
お留まりあれ、お留まりあれ、
これほどお安く売るのです。
わずかのお金で
有名になれますぞ。
お考えあれ。よい機会です!
悔いのなきよう。
雀の涙のあがないとて、
僕が気を悪くするとは夢心配なさるな!
僕には栄光など関係ないのだ!
気になさるな、お願いだ、僕の
めそめそ声を
あまり気になさるな!

(訳者妄言)
Sergio Corazzini
 (1886-1907) の詩。死の前年に出版された詩集Libro per la sera della domenica (日曜の夕べの本)の掉尾を飾る作品。以下、Romano Luperini, Pietro Cataldi, Lidia Mrchiani La Scrittura e L’interpretazione vol.5 に付されたこの詩の註釈を参照して記す。

この詩は、コラッツィーニがもっとも黄昏派的な詩からはなれ、より前衛的、表現主義的になった作品である。

詩人に与えられた威厳が奪われ、詩人は社会的役割を喪失し、詩人は詩をあたかも他の商品と同じように売買するしかなくなっている。そうした中で、詩人は挑発的に自分の考えを買ってくれと、人々に訴えかける。詩の調子は、冒瀆的であり、自己に対する皮肉にみちている。

お終いの3行は挑発的な調子から、いつもの被害者意識、犠牲者意識のあふれる調子へと変化している。

タイトルの布告(Bando)は、公衆に役所が何かを知らせることで、この場合には、詩人は自分の考えを売るという広告=公告をしているのである。

原文は、

Avanti! Si accendano i lumi
nelle sale della mia reggia!
Signori! Ha principio la vendita
delle mie idee.
Avanti! Chi le vuole?
Idee originali
a prezzi normali.
Io vendo perche’ voglio
raggomitolarmi al sole
come un gatto a dormire
fino alla consumazione
de’secoli! Avanti! L’occasione
e’ favorevole. Signori,
non ve ne andate, non ve ne andate;
vendo cosi’ poco prezzo!
Diventerete celebri
con pochi denari.
Pensate: l’occasione e’ favorevole!
Non si ripetera’.
Oh! non abbiate timore di offendermi
con un’offerta irrisoria!
Che m’importa della gloria!
E non badate, Dio mio, non badate
troppo alla mia voce
piangevole!

自由詩だが、6,7行目のoriginali, normali, 11,12 行目の consumazione, occasione のように対句をなしている部分もある。また、Avanti, signori, idee などの言葉が繰り返されて、リズムを形成している。

1011行目の a dormire /fino alla consumazione/ de’ secoli  は挑発的な言い方で、ブルジョア社会で詩人の果たすべき役割のない不満を、世間に背をむけていつまでも猫のように眠っているという形で表している。また、註釈によれば ‘consumazione dei secoli’ はラテン語の‘consummatio saeculorum’を訳したもので、聖ヒエロニムス(San Girolamo, 4世紀の教父、ウルガタ聖書を訳した)の言葉。

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2008年12月31日 (水)

Corazzini: Sonata in bianco minore (3)

        白い短調のソナタ

         III

ーああシスター、もし戻ってこなかったら、
どうしましょう?
ーもし戻って来なかったら、待ちましょう。
ー修道院は、なんて凍てつくこと。
ー私の心はもっと凍てつくわ。
ーああ、シスター、ところが、私の心は、
太陽を浴びているのです。
ー空に星、海に帆、
たくさんの星、たくさんの帆...
―祭壇に蠟燭の火を灯しましょう。
ー覚えておきましょう、シスター、
私たちは死すべき存在であると。

ー無原罪の御宿り...
ーどうしましょう、もし戻って来なかったら?
ーもしもう戻ってこなかったら、死にましょう。


(訳者妄言)
セルジョ・コラッツィーニの詩の第三連。最終連である。この詩も詩集 Piccolo libro inutile に収められたものである。

おわりから3行目の原文は、Regina sine labe originali...とこの部分だけラテン語である。第二ヴァティカン公会議より前は、ミサや祈りはラテン語であげられていた。聖母マリアに捧げる連祷の一部分である。

原文は、

-Oh, Sorelle, e, se non torna,
che faremo?
-Se non torna, aspetteremo.
-Come e' gelido il convento.
-E' piu' gelido il mio cuore.
-Oh, Sorelle, invece, io sento
tutto il sole nel mio cuore.
-Stelle in cielo e vele in mare,
tante vele e tante stelle...
-Accendiamo le candele sull'altare.
-Ricordiamoci, Sorelle,
che siamo mortali.

-Regina sine labe originali...
-Che faremo, se non torna?
-Se non torna piu' morremo.

太陽の訪れを待つしか他にすべのない修道女。能動的に動くこと、働きかけることは出来ない。それゆえ、動く星や帆に憧れるのであろうか? 星から祭壇の蠟燭への連想は、宇宙的な広がりと、修道院の祭壇の重ねあわせ、物理的な広大さと、精神的な深さの重ねあわせでもある。

生命の行方を、運命にゆだねるしかなかった若い病んだ詩人の心がよく現われた詩といえよう。

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2008年12月30日 (火)

Corazzini; Sonata in bianco minore (2)

          白い短調のソナタ

         II

ーシスター、手をあわせ、また明日
戻ってくるよう祈ってください!
ー戻ってきますとも、たとえわずかの時間でも、
毎日、戻ってきますわ!
ーなぜ戻って来ないことがありましょう?
私たちは死に瀕しているのですもの。
ーシスター、聖体拝受をいたしましょう、
星が出る前に。
ー私たちには、イエスとマリアだけで
ほかには何もありませんわ。
ースープ皿のわずかなお水と
独房のわずかな日差しね。
ー私、自分の髪に
花飾りをつくりましょう。
ー私、シスター、
鳥のために粟を作りますわ。

(訳者妄言)
Sergio Corazzini の詩の第二連。修道女の会話である。7行目の「聖体拝受をいたしましょう」は、原文は、Comunichiamocene で、太陽から聖体拝領しましょうということ。擬人化されている太陽と交流する、交わることであり、さらには、宗教的意味合いを帯びて、太陽から聖体を授かるということになる。陽光が命のみなもとという感覚から来ているのであろう。

おしまいの二つの会話は、太陽の光によって、花がさけばそれで花輪、花飾りが作れるし、鳥のえさとなる粟やキビを栽培できるということである。

原文は、

-Sorelle, pregatelo a mani
giunte che' torni domani!
-Che torni, per poco, che torni,
pero', tutti i giorni!
-Perhce' non dovrebbe venire?
Noi stiamo per morire.
-Comunichiamocene, sorelle,
prima che vengano le stelle.
-Noi non abbiamo che Gesu',
Maria e niente piu'.
-Un po' d'acqua nella scodella
e un po' di sole nella cella.
-Io mi faro' una ghirlandetta
per i miei poveri capelli.
-Io, sorella benedetta,
avro' il miglio per gli uccelli.

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2008年12月29日 (月)

Corazzini: Sonata in bianco minore (1)

   白い短調のソナタ

      I

ーシスター、来てご覧なさい!
ー菜園に太陽が、太陽がでてますわ!
ーかわいそうに、太陽、風邪をひいてますわね?
ー過ぎた春を嘆いていますわ...
ー病み上がりの太陽。
ーシスター・アンナはこんな風に微笑むわね。
ー海の彼方のおとぎ話を
語りたいのよ!
ー太陽はやってきて
ぽつんと離れた私たちを見つける、
たぶん、病人が
自分の家の敷居で太陽が来るのを
むなしく待っていたかもしれないけれど。
ーその人は、私の角頭巾より白いわ...
ーシスター、太陽が行ってしまう前に
菜園に降りていきましょう。

(訳者妄言)
セルジョ・コラッツィーニの詩の第一連。修道女たちの修道院における会話。修道院や修道女を、黄昏派の詩人たち(Crepuscolari) は比較的しばしばとりあげている。修道院も、20世紀はじめには、古くさい、忘れ去られるべき存在として見る人も少なくなかったので、コラッツィーニらは、社会のなかでしかるべき位置を占められなくなった詩人と通じるところがあると考えたのではなかろうか。

太陽は、極端なまでに擬人化されている。

原文は、

-Sorelle, venite a vedere!
-C'e' il sole nell'orto, c'e' il sole!
-E' un povero sole che ha freddo, non senti?
-Che piange le sue primavere...
-Sole di convalescenti.
-Suor  Anna sorride cosi'.
-Che ci voglia raaccontare
una fiaba d'oltre mare!
-E' venuto a trovare
noi, povere sperdute,
e, forse un malato lo aspetta
invano al limitare
della sua casa per la sua salute.
-E' piu' bianco della mia cornetta...
-Sorelle, scendiamo nell'orto
prima che se ne vada.

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2008年12月28日 (日)

Corazzini: Dialogo di marionette

               マリオネットの対話

ー 可憐な女王よ、なぜ
わたしを寒さで死なせるのですか?
王は眠っておられる。おそらくは、
あなたに歌をお聞かせできるでしょう
王がお聞きにならずに!ああ、どうか
バルコニーにあがらせてください!
― 典雅な友よ、バルコニーは
張り子です、
二人を支えきれませんわ!
わたしを、頭なしで
死なせたいとお考えですの?
ー おお可憐な女王よ、黄金の
長い御髪(おぐし)を解いてください!
ー 詩人よ!わたしの髪は
屑繊維なのを
ご存じないか?
ー ああ、お許しください!
ー 許す。
ー これほど?
ー これほど...?
ー もうなにもおっしゃいますな、
私は死にます...
ー なんですと?たったこれだけの
ために?
ー 皮肉をおっしゃる...さらば!
ー そう見えて?
ー 厚紙の森での
僕らの最後の逢い引きを
惜しむ気持ちはありませぬか?
ー わたくし、覚えていませんの、
いとしいお方...行っておしまいになるの?
永遠に? ああ、どれほど
泣きたいことでしょう!でもどうして出来ましょう、
わたくしの小さな心は
木で出来ているのですもの。
   
    
(訳者妄言)
セルジョ・コラッツィーニの詩。自由詩で、一行の長さは自在に変化している。"cosi'?"のように2音節しかない行もある。詩集Libro per la sera della domenica に収められている。

マリオネット、手遣い人形(burattini)、道化は、象徴主義や耽美主義(デカダンス文学)によく登場するテーマである。自分自身を皮肉化するものとして、表象される。

この詩では、詩人の人形は、夢を追求し、女王の人形は現実に引き戻し、幻想のむなしさ、無効性を露わにする。語り手(コラッツィーニ)は、自分の夢の追求とその限界とを、同時に描いているのである。

原文は、

-- Perche', mia piccola regina,
mi fate morire di freddo?
Il re dorme: potrei, quasi,
cantarvi una canzone,
che non udrebbe! Oh, fatemi
salire sul balcone!
-- Mio grazioso amico
il balcone e' di cartapesta,
non ci sopporterebbe!
Volete farmi morire
senza testa?
-- Oh, piccola regina, sciogliete
i lunghi capelli d'oro!
-- Poeta! non vedete
che i miei capelli sono
di stoppa?
-- Oh, perdonate!
-- Cosi'?
-- Cosi'...?
Non mi dite una parola,
io moriro'...
-- Come? per questa sola
ragione?
-- Siete ironica...Addio!
-- Vi sembra?
-- Oh, non avete rimpianti
per l'ultimo nostro convegno
nella foresta di cartone?
-- Io non ricordo, mio
dolce amore... Ve ne andate?
Per sempre? Oh, come
vorrei piangere! ma che posso farci,
se il mio piccolo cuore
e' di legno?

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2008年12月27日 (土)

Corazzini: Per un organo di Barberia (2)

                 手回しオルガンのために

           II

ほら、だれも聞いてない。
君の単調な悲しみを脱ぎ捨てて
それが眠る
地方の小さな
家のまえで。
あの君の祝杯を
瀕死の人の群れをすすり泣け
もう一度、
君の涙へ戻れ
あわれな不満な
子供のとまらぬ涙へ、
誰も君を聞いていない。

(訳者妄言)
セルジョ・コラッツィーニの詩の第二連。第二連は、語り手が直接、手回しオルガンに呼びかけている。しかし、ここでも、誰にも聞いてもらえぬオルガネットは、詩人およびその作品の謂に他ならない。

6-7行目は、いくつかの註釈によれば、ヴェルディのオペラ《椿姫》の乾杯の歌への言及。陽気なはずの乾杯の歌も、手回しオルガンにかかると、すすり泣くように聞こえるということか。そう聞こえるのは、詩人の心理状態が反映しているのも一因だろう。

コラッツィーニは、詩集のタイトルも Piccolo libro inutile (無益な小さな本)としているが、詩人という存在の無意味さや、詩の存在意義のなさにこだわって詩を書いている。

原文は、

Vedi: nessuno ascolta.
Sfogli la tua tristezza
monotona davanti
alla piccola casa
provinciale che dorme;
singhiozzi quel tuo brindisi
folle di agonizzanti
una seconda volta,
ritorni su' tuoi pianti
ostinati di povero
fanciullo incontentato,
e nessuno ti ascolta.

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