カラッバ 6
私たちは、お前たちがそうなるところのものだった
ステップを上ると、僕が待っていた
バスは満員だった。
人々は朝の疲れた顔をし
厚着で、無気力のため
赤のたびに身体がずれた。
ある老人は穏やかそうに
膝に手をのせ
まなざしを他の乗客の
まなざしに向けていた。
僕は降り、歩いて進む。
学校の前を通ると、登校時だった。
何年もが経ち、服装は
変わったが、顔は同じ
姿勢も同じだ。
僕は絵、暗い中世の教会に
描かれたフレスコ画、
「死の凱旋」だ。
一つの集団から他の集団へと
移りゆき、骸骨の絵の上に
新たに皮膚がはえてくるのを感じる。
(訳者妄言)
Carlo Carabba の Gli anni della pioggia (2008) から。タイトルは、 Eravamo come sarete で、似たような言葉は、教会で骸骨の絵や像などにつけられた題辞で見たことがあるが、このタイトルは少しそれをひねってある気もする(どう変化させているか、確認できたら追記します)。
おおまかには、メメント・モーリ、死を忘れるな、ということだろう。終盤に種明かし風に、語り手が「死の凱旋」(Trionfo della Morte)であったことが明らかにされる。
カラッバの詩は、ほとんどが語り手=詩人と思わせる(本当にそうなのかどうかは確かめようがないが)つくりなので、この詩は例外的である。
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