Pascoli ; Lavandare
洗濯女
半ば灰色で半ば黒い畑に
牛のいない鋤が、忘れられたように
残り、あたりは薄靄。
導水路から、拍子のついた
洗濯女たちの濯ぐ音が
ぱんぱん叩く音と長く単調な歌とともに聞こえてくる。
風が吹き、枝の葉が雪のように落ちる、
けれど、あんたはくにに帰ってこない!
あんたが出てったときと、わたしは同じさ!
休耕地の鋤みたいなもんよ。
(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの詩。1892ー1894年に書かれ、詩集Myricaeに収められた。畑にうち捨てられた鋤が、第三節で聞こえてくる洗濯女たちの歌のなかの私(村に残り、独り身のまま)と照応している。耕されぬ畑は、恋人の帰りを待ちわびる女自身の象徴でもあるだろう。
原文は、
Nel campo mezzo grigio e mezzo nero
resta un aratro senza buoi, che pare
dimenticato, tra il vapor leggero.
E cadenzato dalla gora viene
lo sciabordare delle lavandare
con tonfi spessi e lunghe cantilene:
Il vento soffia e nevica la frasca,
e tu non torni ancora al tuo paese!
quando partisti, come son rimasta!
come l'aratro in mezzo alla maggese.
この詩も形式的には前の詩と同じくマドリガーレの形式.
行末を示すと、
nero A
pare B
leggero A
viene C
lavandare B
cantilene C
frasca D
paese E
rimasta D
maggese E
となり、Bの pare と lavandare が第1節と第2節をむすびつけている。lavandare は洗濯女たちのことで、通常は lavandaie だが、韻の関係だろうか、lavandare というやや珍しい形をとっている。7行と9行は、厳密な韻ではなく、assonanza (母音韻)になっている。
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コメント
いつも楽しみに拝見しています。Milano? 運河の洗濯場(もう乾いていました)を観たことがあります(テレビ)。定型のもつ良さを再認識させていただきました。マドリガーレ心して読んで参ります。女が働くところも歌うところも臨場感があり、ひるがえって現代の自由がこのような傑作編を生み出さなくさせているのではないか、と思いました。assonanza。勉強しました。
投稿: sivel | 2009年6月12日 (金) 14時17分
sivel さん
ありがとうございます。
おっしゃる通り、定型には、定型の良さがありますね。
現代は自由詩のごとく、型のない文化、文明になってしまい、型にはまる快適さ、型の決まる美が失われているのでしょうね。
投稿: panterino | 2009年6月13日 (土) 00時08分