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2008年12月14日 (日)

Cardarelli: Gabbiani

        かもめ

かもめはどこに巣があるのか、どこで
平安をえるのか、知らない。
僕は彼らに似ている、
いつまでも飛びつづける。
彼らが、食料を捕まえるために水をかすめるように
僕は生命をかすめる。
おそらくは彼らもそうであるように、僕は静けさ、
大いなる海の静けさを愛すが、
僕の運命は、
烈風のなかをよろけつつ生きることなのだ。

(訳者妄言)
Vincenzo Cardarelli の詩。1934年の Giorni in piena におさめられた。
詩人の、安定を求めつつも、それを得ることなく彷徨する人生が、カモメの生きように喩えられている。

原文は、

Non so dove i gabbiani abbiano il nido,
ove trovino pace,
Io son come loro,
in perpetuo volo,
La vita la sfioro
com'essi l'acqua ad acciuffare il cibo.
E come forse anch'essi amo la quiete,
la gran quiete marina,
ma il mio destino e' vivere
balenando in burrasca.

3行目loro と5行目sfioro は韻を踏んでいるが、同時にそれらは、4行目の volo と assonannza (母音韻、母音のみ同じで子音を異にする)となっている。
1行目の nido と6行目の cibo もassonanza となっている。
後半の4行(7−10行)は、行末で韻を踏んでいないが、7行目のessi は6行目のessi を繰り返しているし、7行目のquiete は8行目の半ばで繰り返されている。
最終行では、balenanndo と burrasca という長めの単語が二つあって、リズムがゆっくりとなって重厚に終わる。

(追記)
最終行の balenando (原形はbalenare) は、稲光が光るという意味と、よろめく、千鳥足で歩く、という意味がある。balenare の意味上の主語を語り手と取れば、拙訳のようになるし、嵐で烈風が吹きすさぶなか、稲妻も光っているという壮絶な光景ともとれる。

風吹き荒れ、雷の落ちる中を生きていくのが僕の運命だ、ということになる。どちらにもとれるように、双方の意味を響かせて、詩人は書いているのではないだろうか。

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コメント

panterino様、

 良い詩ですね。詩人の目線にも胸うたれました。
 時代はファシズム、なんともいえない緊迫感そして平和な時代にない直線的なものがすべての詩にあって胸うたれます。もちろん日本語がとても良い。

投稿: sandrara | 2008年12月15日 (月) 10時22分

sandrara さん

ご指摘ありがとうございます。
たしかに、嵐の時代のなかで、いごこちの良い場所はないという詩人の覚悟が聞こえてきますね。
また、ボードレールの『悪の華』の「あほう鳥」を想起させられますね。

投稿: panterino | 2008年12月15日 (月) 22時26分

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