Montale:《Mottetti XV》
モッテッティ XV
最初の明るさ、突然の
鉄道の音が、僕に
空と水の混じった一瞬の光景
に照らし出される岩山のトンネル
に閉ざされ走りぬける人、を語る;
最初の暗さ、
机を虫喰いにする
鑿(のみ)がその熱を
強化し、番人の
歩みが近づいてくる、
明るいのと暗いのと、まだ人間的なたゆたい、
もし君が、その強い糸とより合わせ続けるなら。
(訳者妄言)
エウジェニオ・モンターレの連作のXV. モンターレ家の別荘のあったチンクエ・テッレは現在は、世界遺産となり有名になったが、5つの小さな漁村が切り立った崖のちいさな隙間にへばりつくようにして存在している。5つの漁村を結ぶ鉄道は、トンネルの連続で、時折、一瞬、海と空が見えるのである。その情景を歌ったのが第一連。
そこへ暗さが訪れるというのは、夜の訪れであり、時代の暗さをも反映しているだろう。単なる夜ではなく、番人、誰かに見張られているような暗さなのである。
クリツィアへの思いに、明暗があるように、語り手をとりまく日々にも明暗がある。
原文は、
Al primo chiaro, quando
subitaneo un rumore
di ferrovia mi parla
di chiusi uomini in corsa
nel traforo del sasso
illuminato a tagli
da cieli ed acque misti;
al primo buio, quando
il bulino che tarla
la scrivania rafforza
il suo fervore e il passo
del guardiano s'accosta:
al chiaro e al buio, soste ancora umane
se tu a intrecciarle col tuo refe insisti.
1行目と8行目はanafora であり、かつ行末は同語で韻を踏んでいる。5行目, 11行目のsasso, passo は韻を踏んでいる。7行目、14行目のmisti, insisti も韻を踏んでいる。
(追記)
quattro quattro さんのご指摘をうけ、第一連の訳文を改めました。
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コメント
現代詩を次々に紹介していただき、ありがとうございます!シナリオ作家としてしか認識していなかったTonino GuerraやLoiの方言詩も興味深いです。ずいぶん前にTicino で知ったOrelli,スイス人でありながらイタリアの詩人として紹介されるようになる例は珍しいのではないでしょうか。Giudiciの日常的世界もおもしろいですね。Montale も精力的にとりあげていただき、心強いです。さて、ここからはシロウトの読者妄言です...第1連4行目の chiusi uomini 列車のなか、トンネルのなかに「閉じ込められている人」という意味にはなりえないでしょうか。閉じ込められたまま、どこかへ連れて行かれようとしている...外には明るいCinque Terre の絶景が見え隠れするのだけれど...第2連ともこのあたりでつながっているように思えなくもないのですが。
投稿: quattro quattro | 2009年4月 7日 (火) 00時02分
quattro quattro さん
たしかに方言詩には、独特の豊かな世界がありますね。僕の能力に限界があり、イタリア語版からの重訳になってしまいますが、それでも、詩によっては、イタリア語版とオリジナル版を照らし合わせると、なんとなく分かるものもありますね。
さて、この詩の第一連4行目の chiusi uomini ですが、素直に読めばおっしゃるように「閉じ込められている人」となると思います。素直な語順では、uomini chiusi in corsa/nel traforo... となるでしょうけれど。
僕が「心を閉ざした人」と訳したのは、Dante Isella の註に、chiusi uomini: gli 《autonomi》di V 3. とあったのに引き寄せられてのことです。autonomi はロボットとか、機械的に動く人の意なので、上のように訳したわけです。
今、読み返してみると、両方の意味をかけているように思います。
しかし、ご指摘のあった意味を主にした方が自然なので訳文を変えました。
ご指摘ありがとうございました。
投稿: panterino | 2009年4月 8日 (水) 21時44分
ありがとうございます。そうですか。autonomi との注があるのですね。おっしゃるとおり、ふたつの意味をかけているのでしょうね。Montale の詩には特にこんなふうに二重の意味を読み取るべきものが多いのでしょうか。Ermetismo と呼ばれる詩は、多かれ少なかれ、そういうところがある?Ermetismo にどの詩人が属するか、ということについても、いろいろ議論があるらしいですね。
ところで、ふたたび読者妄言:一連では al primo chiaro と quando 以下、2連では al primo buio と quando 以下を、それぞれ同格のようにとらえてよいのでしょうか。つまり、「最初のあかるさ」とともに「列車の音がわたしにdi~を語るとき」と、1連はquando の節だけで終わっていて主節なし。2連も、accosta まではすべてquando の節のなか、のように考えてよいのでしょうか。お教えいただければ幸いです。 それにしても、バリトン歌手を目指しただけあって、Montale って美声ですよね。「セビリアの理髪師」の《La calunnia...》をボソボソっと歌っている映像がありました。響きを考えて精選した語彙のつらなり、味わい深いですね。でも、むずかしい...むずかしいと思って敬遠し、Montaleはほとんど読んだことがありませんでした。紹介していただいて、あらためて感謝!
投稿: quattro quattro | 2009年4月15日 (水) 19時20分
quattro quattro さん
するどい適切なご質問ありがとうございます。
1.モンターレには、二重の意味を読み取るべきものが多いのだろうか?
これには、モンターレ自身の言葉(Bobi Bazlen 宛ての1939年5月10日の手紙--Rosanna Bettarini e Jianfranco Contini 編の L'opera in versi の930ページで読むことが出来ます。残念ながら絶版です)の言葉を引用するのがよいでしょう。
A me succede spesso (e spesso volontariamente)di essere ezuivoco in questo modo. P.es.nel mottetto della donna che sta per uscire dalla nuvola:
《A un soffio il pigro fumo...(?)
si diffende nel punto che ti chiude》
e' chiaro che 'nel punto' (v.6) puo' avere due sensi: nel momento che e nel luogo che, tutti e 2 legittimi. Per Landolfi questo dibbio e' orrendo, per me e' una ricchezza.
(以上の引用では、原文でイタリックのところが、イタリックになっていません)
訳)
僕にはしばしば(しばしば自発的に)こうした曖昧さは生じる。たとえば『モテット』の中で、女が雲からでようとするところで、
《のらくらした煙は一息で...
君を閉じる点で身を守る》
'nel punto'(モテットXの6行目) は2つの意味を持つのは明らかだ:〜の時という意味と〜の場所というどちらの意味も正当なのだ。ランドルフィにとってはこうした疑念の余地があることはおぞましいのだが、僕にとっては豊かさなんだ。
(引用終わり)
モンターレ自身が、両義性、曖昧さをテクストの豊かさとして、好んで使用していた、ということになると考えます。
2.Ermetismo, Ermetistaの詩にはそういうところが多かれ少なかれあるか?
そうですね。少しこだわって言えば、必ずしも上記のような両義性に限らず、Ermetista の場合、韜晦して、指示しているものが判らない、なんの比喩か判然としないことが、ままあります。詩人は、読者の読解困難を想定しつつも、それ以上の情報を与えようとしないのです。
そういうことから、ある時期のモンターレは ermetista と言えるでしょうが、ある時期からはそうではないとも言えると考えています(ややこしい言い方ですみません)。
3.構文については、おっしゃる通りだと思います。
全体が一文でできている詩、力わざですね。
全体が一文であるのは、第一連が大文字で 'Al primo chiaro'とあるのに対し、第二連が 'al primo buio'と小文字で始まっていることからも判るように出来ていますね。
訳文(日本語)では、その違いがでないのですが、原文では、第一連の終わりは、プント(.)ではなくて、プント・エ・ヴィルゴラ(;)になっています。
第一連と第二連は、冒頭は繰り返して、chiaro とbuio を変えていますが、第二連は、実は5行+2行と別れていますので、厳密なシンメトリーではなく、またその切れ目はドゥエ・プンティ(:)になっています。単純な構造のようでいて、よく見ると、複雑さを内包しているのです。
最後の2行で、もう一度 'al chiaro e al buio' と繰り返しておいて、そこにはじめて《君》が登場するところが巧みですね。
投稿: panterino | 2009年4月16日 (木) 18時58分