Montale: 《Mottetti XX》
モッテッティ XX
・・・がこれでよい。コルネットの音が
樫の大群と対話する。
金星がきらめく貝の殻に
描かれた火山が、うれしそうに煙を吐く。
溶岩にはめ込まれたコインは
それもまたテーブルの上で輝き、
何枚かの紙をおさえる。広大に
見えた人生は、君のハンカチより短い。
(訳者妄言)
エウジェニオ・モンターレのモッテット連作の最後の詩。モッテット集は、1933-40年にかけて書かれた作品群であるが、この詩は、1937年に作られたもので、時間軸の上では最後に書かれたものではない。詩人が、意図的に最後に置いたのである。
書き出しが「・・・がこれでよい(...ma cosi' sia)」というのも、ひねってはいるが最後の詩にふさわしい言い回しとも言えよう。
二枚貝の殻に絵が描かれたもの、硬貨の埋め込まれた溶岩は、ナポリのみやげ物。何枚かの紙は、詩人の原稿であろう。
原文は、
...ma cosi' sia. Un suono di cornetta
dialoga con gli sciami del querceto.
Nella valva che il vespero riflette
un vulcano dipinto fuma lieto.
La moneta incassata nella lava
brilla anch'essa sul tavolo e trattiene
pochi fogli. La vita che sembrava
vasta e' piu' breve del tuo fazzoletto.
1行目の cosi' sia は祈りの文句アーメンの訳語でもある。韻は1,3,8行目がcornetta, riflette, fazzoletto で tt+母音という形を共通して持っている。さらに、6行目も trattiene で語末ではないが、語中にtt+母音を持っている。
2、4行はquerceto, lieto で韻を踏む。以上から、韻に関しては t の音が支配的であることが判る。さらに、tの音は、1行目、cornetta, 2行目querceto,3行目riflette, 4行目dipinto, lieto, 5行目moneta, incassata 6行目tavolo, trattiene, 7行目vita, 8行目vasta, tuo, fazzoletto と後半第二連のほうにより頻出する。
この詩で tの音とともに頻出するのは、vの音である。1,2行目こそないものの、3行目valva, vepsero, 4行目vulcano, 5行目lava, 6行目tavolo, 7行目vita, sembrava, 8行目vasta, breve である。
このtとvの頻出にはどんな意味があるのだろう? 僕は、モンターレがこの詩にvita (生命、生活) を埋め込んだのだと思う。この詩に出てくるコインを埋め込んだ溶岩のみやげ物のように、彼は、v と t (vita) を詩に散りばめて埋め込んだのだ。
彼女は遠くにいる。時代は暗い。そして、彼の詩の原稿がみやげ物によって抑えつけられていることに象徴されるように、詩や芸術は、人生の表象、再現に過ぎない。ある意味では、人生の代償行為とも言えるものだ。ではあるが、人生の断片を表現、再現することが出来る、とも言えるのだ。これしか出来ないと取るか、これが出来ると取るかである。
そういった意味で、彼の芸術論、詩論とも言える詩であり、シリーズのしめくくりにふさわしい詩と言えよう。
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コメント
panterinoさま、
37年ナポリ
広大に
見えた人生は、君のハンカチより短い。
萎れることのない瑞々しい詩行。いつかどこかで見た
シーンを見ているような・・・Montaleの重層的で美味な世界に触れました。視覚と聴覚がだんだん研ぎすまされて行きます。書きたい!という意欲が生まれてきます。厳しい、けれど。
投稿: giacomal | 2008年10月26日 (日) 19時17分
giacomal さん
おっしゃる通りヴェスヴィオ山とナポリをふくむ広大な風景と、小さな土産物、ハンカチの対照に折り込まれた語り手の人生は、つらいものでありながら、現代的な叙情性にあふれた瑞々しいものですね。
投稿: panterino | 2008年10月27日 (月) 17時25分
記憶があいまいですが、1975年秋、某新聞で
女性の翻訳家がモンターレについて書いておりました。そのとき、海に寄せ返す音楽の波の中に、故郷の街が浮かび上がるリズム感と幻想にみちた
世界があったように思いかえすのですが、
あの詩篇は「何」だったでしょうか。
その記事色々手をつくしたが、見つけられませんでした。詩に関する痛恨事のひとつです。
投稿: 金石稔 | 2024年8月31日 (土) 13時41分
金石稔さん
女性の翻訳家というのは、須賀敦子さんでしょうか。もしそうだとすれば須賀敦子全集に収録されているのかどうか。。。あるいは大きな図書館で新聞のデータベースを検索されるか。モンターレは、ジェノヴァの生まれで、親の別荘もチンクエ・テッレのモンテロッソにあり、そこで毎夏幼少期から過ごしました。詩集《Ossi di seppia (イカの骨)》の一篇かもしれませんね。その詩集の中の’I Limoni', ’La casa dei doganieri', 'Punta del Mesco' などが候補としてあげられるかもしれませんが、記事を見ないとはっきりしたことは判りませんね、残念ですが。
>金石稔さん
>
>記憶があいまいですが、1975年秋、某新聞で
>女性の翻訳家がモンターレについて書いておりました。そのとき、海に寄せ返す音楽の波の中に、故郷の街が浮かび上がるリズム感と幻想にみちた
>世界があったように思いかえすのですが、
> あの詩篇は「何」だったでしょうか。
> その記事色々手をつくしたが、見つけられませんでした。詩に関する痛恨事のひとつです。
投稿: panterino | 2024年9月 2日 (月) 11時23分