Montale:《Mottetti IV》
モッテッティ IV
遠くはなれ、君の父上が影に入り、告別の言葉
を残したとき、僕は君とともにいた。
そのときまで何を知っていたんだろう?「第一」の
消耗からは、ただこれゆえに、僕は救われた。
即ち、僕は君に気づかなかったが、そうであるはずもなかった。
今日の打撃で、よく判る、もしあそこから、一時間、
帰ってくるなら、クメルロッティかアンゲベーニへと
連れ戻されるだろうー信管の炸裂
とうめき声と部隊の駆ける音。
(訳者妄言)
Eugenio Montale の連作モッテッティのIV. ここからは、君(彼女)がクリツィアと呼ばれる女性となる。クリツィアは、アメリカにいるので、イタリアとは遠く離れている。
クリツィア(本名はイルマ・ブランダイス)と、モンターレが実際に出会ったのは1933年だった。彼女はユダヤ系アメリカ人でダンテ研究者としてフィレンツェに来る機会があり、当時Vieusseux という図書館の館長をしていたモンターレと出会った。二人の仲は急速に進展していく。モンターレはファシズム体制との折り合いが悪く、1938年末に Vieusseux 館長を辞任させられる。ファシスト党員にならなかったためである。
1938年は人種法が制定された年でもあり、ユダヤ系であるクリツィアはイタリアを離れざるを得ない。モンターレは、彼女と合流すべく渡米することを真剣に検討している。が、同棲していたドゥルシッラ・タンツィはそれを激しく拒絶する。二人の女性の間で引き裂かれ、もがいている間に、1939年9月第二次大戦が勃発し、アメリカ行きの可能性が断たれてしまう。
訳文3行目の「第一」は原文では4行目でprima (イタリック)なのだが、この詩が書かれた時期は微妙で、他のモテッティが書き終わってから最終的に付け加えられたらしい。そしてそれが1939年で、第二次大戦が不可避と思われる切迫した時点で書かれた表現ではないかと思われる。だから、prima がイタリックなのだと、僕は考える。
クメルロッティとアンゲベーニは、モンターレが第一次大戦中に従軍し、命を危険にさらした場所の地名。
つまり、第一次大戦中には、まだクリツィアには出会っていなかったが、知らぬうちに、クリツィアの星に見守られていて、それゆえに自分は命を助かったのだ、という意味。これは後に、モンターレ自身が解説しており、Motale 自身の Sulla Poesia の p.83 および Mottetti 全体は、Adelphi という出版社から現在でも出ているのだが、註編者はDannte Isella でその註釈でも読むことができる。
原文は、
Lontano, ero con te quando tuo padre
entro' nell'ombra e ti lascio' il suo addio.
Che seppi fino allora? Il logorio
di prima mi salvo' solo per questo:
che t'ignoravo e non dovevo: ai colpi
d'oggi lo so, se di laggiu' s'inflette
un'ora e mi riporta Cumerlotti
o Anghe'beni-tra scoppi di spolette
e i lamenti e l'accorrer delle squadre.
| 固定リンク
「Montale, Eugenio (モンターレ)」カテゴリの記事
- モンターレ:《Nuove stanze》(2008.11.18)
- Montale: 《Mottetti XX》(2008.10.21)
- Montale:《Mottetti XIX》(2008.10.20)
- Montale:《Mottetti XVIII》(2008.10.17)
- Montale:《Mottetti XVII》(2008.10.15)


コメント