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2008年9月

2008年9月29日 (月)

Montale:《Mottetti XII》

   モッテッティ XII

はるかな星雲を通過するときに
君の額にあたる霰から
解放しよう。君はサイクロンに
苛(さいな)まれた翼を持ち、びくっと目覚める。

正午:四角い枠に、西洋カリンの
黒い影が伸び、寒がりの太陽が
しつこく空にいる。路地にこっそり
逃げ込んだ影たちは君がここにいることを知らないのだ。

(訳者妄言)
モンターレのモッテッティのXII. ここでは君、クリツィアを空の彼方からやってくる天使にたとえている。外界は厳しい現実に満ちているので、翼が傷つくのである。それと影がのび、太陽すらうすら寒いという情景は呼応している。

詩人(語り手)にはしかと感じられるクリツィアの存在も、人々には見えない。

原文は、

Ti libero la fronte dai ghiaccioli
che raccogliesti traversando l'alte
nebulose; hai le penne lacerate
dai cicloni, ti desti a soprassalti.

Mezzodi': allunga nel riquadro il nespolo
l'ombra nera, s'ostina in cielo un sole
freddoloso; e l'altre ombre che scantonano
nel vicolo non sanno che sei qui.

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2008年9月25日 (木)

Montale:《Mottetti XI》

    モッテッティ XI

フルラーナやリゴドーネを
新しい季節ごとに通りに
振りまく魂、閉ざされた情熱に
はぐくまれ、あらゆる片隅に
より激しい状態で見つかる。

君の声は、こうした拡散する魂だ。
電線、翼、風に乗って、たまたま
ムーサか装置に引き立てられて、
幸せに、悲しげに繰り返される。他のものを
君を知らぬ他の人に語るが、そのもくろみは
ド、レ、ラ、ソ、ソ を繰り返すこと。
 
 
(訳者妄言)
モンターレ連作のXI. 君の魂は拡散しているので、語り手はさまざまなところにクリツィアの魂を見いだす。フルラーナやリゴドーネ(リゴドン)はどちらも激しい踊りで、前者はフリウリ地方、後者はプロヴァンスの踊り。そうした踊り、繰り返されるリズム、音楽の中に、クリツィアを見いだすのである。

原文は、

L’anima che dispensa
furlana e rigodone ad ogni nuova
stagione della strada, s'alimenta
della chiusa passione, la ritrova
a ogni angolo piu' intensa.

La tua voce e' quest'anima diffusa.
Su fili, su ali, al vento, a caso, col
favore della musa o d'un ordegno,
ritorna lieta o triste. Parlo d'altro,
ad altri che t'ignora e il suo disegno
e' la' che insiste do re la sol sol ....

韻は、2,4行目のnuova , ritrova, 1,5行目の dispensa, intensa,  7、11行目の col, sol,   8,10行目の ordegno, disegno

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2008年9月23日 (火)

Montale:《Mottetti X》

  モッテッティ X

なぜ遅いのか?松でリスが
松明(たいまつ)のしっぽを樹皮に打ちつける。
半月が先端とともに
おのれをぼやかす太陽へと
降りる。夜が明けた。

一吹きで、なまけものの煙は身震いし、
君を閉じこめる点で、身を守る。
何も終わらない、あるいはすべてが終わる、もし
君という電光が雲を去るなら。

 
(訳者妄言)
モンターレの連作モッテッティのX。

原文は、

Perche' tardi? Nel pino lo scoiattolo
batte la coda a torcia sulla scorza.
La mezzaluna scende col suo picco
nel sole che la smorza. E' giorno fatto.

A un soffio il pigro fumo trasalisce,
si difende nel punto che ti chiude.
Nulla finisce, o tutto, se tu fo'lgore
lasci la nube.

2行目リスのしっぽが松明なのは、形と色の両方。
5-6行目の 'nel punto che ti chiude' はモンターレ自身がBobi Balzen に宛てた手紙の中で、「自分はしばしばこうした曖昧なやり方をする。たとえば、雲から出ようとしている女のモッテットで、《A un soffio il pigro fumo.../si difende nel punto che ti chiude》 ここで、punto が二つの意味を持つのは明らかだ。nel momento che (瞬間)とnel luogo che (場所)、両方ともまったく正当だ。ランドルフィにとってはこうした疑いはおぞましいものだが、僕にとっては一種の豊かさなんだ・・・」

つまり、モンターレは、両義性、ああもこうも解釈できるようにわざと書いているのである。詩人自身が述べるように、それはここだけではなく、しばしば起こるわけである。

語り手は、Cliziaの出現を待っているが、それが起こるかどうかは保証されていない。それが彼にとっては全てか無か、ということになる。

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2008年9月22日 (月)

Montale:《Mottetti IX》

   モッテッティ IX

ミドリトカゲが、刈り株の
大きな鞭の下
飛び出しー

帆船が、岩で突然
風が変わり、うねり、
ふっと沈みー

正午の大砲が
君の心臓や
音もなく作動する
腕時計(クロノメトロ)よりもかすかでー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから?稲光が

むなしく君たちを何か豊かで変わったものに
変えるかもしれない。あとは、君の型だった。
       

(訳者妄言)
モンターレの連作のIX。一連、二連、三連とものを並置している。そのあと空白があって、それから?となるわけだが、詩人はクリツィアの型、イメージ、痕跡を追っている。

原文は、

Il ramarro, se scocca
sotto la grande fersa
dalle stoppie-

la vela qunado fiotta
e s'inabissa al salto
della rocca-

il cannone di mezzodi'
piu' fioco del tuo cuore
e il cronometro se
scatta senza rumore-

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

e poi? Luce di lampo

invano puo' mutarvi in alcunche'
di ricco e strano. Altro era il tuo stampo.

2-3行目の sotto la grande fersa dalle stoppie はDante Isella の註釈によれば、ダンテの神曲、地獄篇XXX79ー81の'sotto la gran fersa dei di' canicular, cangiando sepe, /folgore par se la via traversa' を踏まえた表現。モンターレはしばしばダンテの表現を引用、借用し、独自にアレンジしていく。

最終連12-13行目は、シェイクスピアのTempest の最後のプロスペロの台詞の中の’a sea-change into something rich and strange' からの引用である。

1行目と6行目のscocca とrocca は韻を踏んでいるが、その2つと4行目のfiotta は母音韻(assonanza、母音のみ同じで子音が異なる)となっている。

11行目と13行目のlampo, stampo も押韻している。

音の面では、第一連ではsの音が多い。se, scocca, sotto, fersa, stoppie。2行目末でfersa という古い形が用いられているのは、ダンテからの借用という面と、ferza という標準的な形ではsが欠けてしまうという二つの理由があるだろう。

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2008年9月21日 (日)

Montale:《Mottetti VIII》

  モッテッティ VIII
       
ほら徴(しるし)が。黄金色に染まる
壁に、枝が伸びる。
棕櫚(しゅろ)のぎざぎざの葉が
暁の閃光に焼き尽くされる。

温室からやってくる足音は
軽やかだが
雪で消音はされていない、それはまだ
君の命、僕の血管のなかの君の血なのだ。

(訳者妄言)
Eugenio Montale の連作の VIII. 棕櫚のぎざぎざの葉っぱが逆光で朝日を浴びて焼き尽くされたよう。クリツィアの足音で、僕の胸は高鳴るというのだが、彼女は彼の血管の脈動のなかに存在しているのだ。

原文は、

Ecco il segno; s'innerva
sul muro che s'indora:
un frastaglio di palma
bruciato dai barbagli dell'aurora.

Il passo che proviene
dalla serra si' lieve,
non e' felpato dalla neve, e' ancora
tua vita, sangue tuo nelle mie vene.

追記
8、9行目の訳文を改訂しました。

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2008年9月20日 (土)

Montale:《Mottetti VII》

   モッテッティ VII
       
岩ツバメの、電信機の
柱から海への
白と黒の昇り降りは
寄港地での君の悲憤のなぐさめとはならないし
君がもういない場所へ、君をもたらしもしない。

整地した所は、もうびっしり生えたニワトコの
匂いがする、スコールは消え去る。
たとえ薄明かりが休戦だとしても、
いとしい君に関する脅威は、それを消尽する。

    
(訳者妄言)
モンターレの連作のVII. 岩ツバメが矢のように飛びながら、上下する様子。かつてはそれがクリツィアの心の慰めとなったのだが、今はもうそれもない。

原文は、

Il saliscendi bianco e nero dei
balestrucci dal palo
del telegrafo al mare
non conforta i tuoi crucci su lo scalo
ne' ti riporta dove piu' non sei.

Gia' profuma il sambuco fitto su
lo sterrato; il piovasco si dilegua.
Se il chiarore e' una tregua,
la tua cara minaccia la consuma.

2-3行目のdal palo del telegrafo al mare は海際にある電信機の柱ともとれるし、dal~al で、柱から海へ、とも取れる。おそらくわざと曖昧なのであろう。

韻は1行目、5行目のdei , sei, 2行目、4行目のpalo, scalo, 7行目、8行目のdilegua, tregua である。

この詩では珍しく1行目のdei , 6行目のsu のように前置詞が行末に来て、露骨な行跨り(enjambement) となっている。

海とニワトコの匂いと、スコールが去った後の薄明るい空。短い詩だが、キャンバスに描かれた情景は大きい。

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2008年9月19日 (金)

Montale:《Mottetti VI》

  モッテッティ VI
      
君にまた会うという希望が
僕を見捨てた、
       
そして僕は自問する、もしこれ、君に関する
あらゆる感覚を僕から閉ざす幻想のスクリーンは
死の徴(しるし)があるのか、あるいは過去から
それ自身において、歪んでいたり、はかないものにせよ、
「君の」閃光だったのかと。

(モデナで、ポルティコの間、
袖章付きのお仕着せの召使いが
二匹のジャッカルを鎖で引いていた)。
            
         
(訳者妄言)
モンターレの連作のIV。モンターレ自身が後年(1950年)明らかにしたところによれば、第三連の背景にあるのは、彼の実体験。モデナで、散歩している犬を見たのだが、シェパードとも、ダックスフントともポメラニアンともなんとも判然としない。何という犬かと、犬を引く召使いに訪ねたところ、「犬ではなくて、ジャッカルでさあ」との返事。クリツィアは風変わりな動物が好きだったので、それ以来、詩人はモデナと聞くと、クリツィアおよび二匹のジャッカルの連想が切り離せなくなってしまった。

原文は、

La speranza di pure rivederti
m'abbandonava;

e mi chiesi se questo che mi chiude
ogni senso di te, schermo d'immagini
ha i segni della morte o dal passato
e' in esso, ma distorto e fatto labile,
un tuo barbaglio:

(a Modena, tra i portici,
un servo gallonato trascinava
due sciacalli al guinzaglio).

3行目の questo は転置法(iperbato)により、schermo d'immagini を先取りしている。イメージ、像のスクリーンということであるが、モンターレは、現実の認識がつねに錯誤にみちたものであると考えているので、思い切って「幻想のスクリーン」(幻想というスクリーン、現実がゆがめられて映し出されるスクリーン)と訳してみた。その認識のスクリーンからは、君を感じる感覚は閉ざされているわけである。

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2008年9月18日 (木)

Montale: 《Mottetti V》

  モッテッティ  V
         
さらば、暗闇での汽笛、合図、咳
と閉まった切符売場。時間だ。たぶん
機械的に動く人間は正しい。通路からは、
壁に囲まれているのが見える。
          
..........................
              

ー君も、特急列車のかすかな連禱に、カリオカの
ぞっとさせ、ずっと続いていく抑揚を
与えるのか?ー
            
               
(訳者妄言)
駅での愛する人との別れ。ユダヤ系のクリツィアは人種法のためイタリアを去る、いつ戻れるか判らない旅立ちである。

原文は

Addii, fischi nel buio, cenni, tosse
e sportelli abbassati. E' l'ora. Forse
gli automi hanno ragione. Come appaiono
dai corridoi, murati!

. . . . . . . . . . . . . . . . . .

-Presti anche tu alla fioca
litania del tuo rapido quest'orrida
e fedele cadenza di carioca?-

列車の人たちは表情もない。
列車は、カリオカのダンスのように、しつように同じリズムを繰り返して遠ざかっていく。

列車の音を描いているのは意味内容だけではない。1,2行目は、i の音が続く。Addii, fischi, buio, cenni, sportelli, abbassati,

後半は、ca が、fioca, cadenza, carioca と重なり、また、d の音も del, rapido, orrida, fedele, cadenza, di, と繰り返される。列車の繰り返されるリズムは意味上はカリオカのダンスにたとえられているが、詩の音韻上でも、繰り返しのリズムとして表現されているわけである。

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2008年9月17日 (水)

Montale:《Mottetti IV》

    モッテッティ  IV
   
遠くはなれ、君の父上が影に入り、告別の言葉
を残したとき、僕は君とともにいた。
そのときまで何を知っていたんだろう?「第一」の
消耗からは、ただこれゆえに、僕は救われた。

即ち、僕は君に気づかなかったが、そうであるはずもなかった。
今日の打撃で、よく判る、もしあそこから、一時間、
帰ってくるなら、クメルロッティかアンゲベーニへと
連れ戻されるだろうー信管の炸裂
とうめき声と部隊の駆ける音。
         
               
(訳者妄言)
Eugenio Montale の連作モッテッティのIV. ここからは、君(彼女)がクリツィアと呼ばれる女性となる。クリツィアは、アメリカにいるので、イタリアとは遠く離れている。

クリツィア(本名はイルマ・ブランダイス)と、モンターレが実際に出会ったのは1933年だった。彼女はユダヤ系アメリカ人でダンテ研究者としてフィレンツェに来る機会があり、当時Vieusseux という図書館の館長をしていたモンターレと出会った。二人の仲は急速に進展していく。モンターレはファシズム体制との折り合いが悪く、1938年末に Vieusseux 館長を辞任させられる。ファシスト党員にならなかったためである。

1938年は人種法が制定された年でもあり、ユダヤ系であるクリツィアはイタリアを離れざるを得ない。モンターレは、彼女と合流すべく渡米することを真剣に検討している。が、同棲していたドゥルシッラ・タンツィはそれを激しく拒絶する。二人の女性の間で引き裂かれ、もがいている間に、1939年9月第二次大戦が勃発し、アメリカ行きの可能性が断たれてしまう。

訳文3行目の「第一」は原文では4行目でprima (イタリック)なのだが、この詩が書かれた時期は微妙で、他のモテッティが書き終わってから最終的に付け加えられたらしい。そしてそれが1939年で、第二次大戦が不可避と思われる切迫した時点で書かれた表現ではないかと思われる。だから、prima がイタリックなのだと、僕は考える。

クメルロッティとアンゲベーニは、モンターレが第一次大戦中に従軍し、命を危険にさらした場所の地名。

つまり、第一次大戦中には、まだクリツィアには出会っていなかったが、知らぬうちに、クリツィアの星に見守られていて、それゆえに自分は命を助かったのだ、という意味。これは後に、モンターレ自身が解説しており、Motale 自身の Sulla Poesia の p.83 および Mottetti 全体は、Adelphi という出版社から現在でも出ているのだが、註編者はDannte Isella でその註釈でも読むことができる。

原文は、

Lontano, ero con te quando tuo padre
entro' nell'ombra e ti lascio' il suo addio.
Che seppi fino allora? Il logorio
di prima mi salvo' solo per questo:

che t'ignoravo e non dovevo: ai colpi
d'oggi lo so, se di laggiu' s'inflette
un'ora e mi riporta Cumerlotti
o Anghe'beni-tra scoppi di spolette
e i lamenti e l'accorrer delle squadre.

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2008年9月16日 (火)

Montale:《Mottetti III》

Montale915

 

 

            
                      

    モテッティ III

ガラスの上の霜、つねに
結ばれ、つねに病人は
離れている。テーブルの上
トランプ相手に長い独り言。
          
それが君の亡命。僕の
それも思い出す、朝
岩塊の間ではぜる音を聞く
バレリーナ爆弾だ
        
ベンガル花火の夜の饗宴は
長く続いた、まるでお祭りのように。

荒々しく翼がよぎる、君の手をかすめたが
無駄だ。君のカードは、これではない。

(訳者妄言)
モンターレの連作 Motetti のIII. サナトリウムの生活と、第一次大戦のそれが対比されて語られる。バレリーナ爆弾は、第一次大戦で用いられ、実際そうよばれていた爆弾である。爆弾の尾翼についている布が、バレリーナのスカート(チュチュ)を思わせることからこの名がついた。

モンターレはカポレットの大敗後、トレンティーノのヴァッラルサで、実際に従軍している。

君は、トランプ占いをしているのである。

原文は

Brina sui vetri; uniti
sempre e sempre in disparte
gl'infermi; e sopra i tavoli
i lunghi soliloqui sulle carte.

Fu il tuo esilio. Ripenso
anche al mio, alla mattina
quando udii tra gli scogli crepitare
la bomba ballerina. 
   
E durarono a lungo i notturni giuochi
di Bengala: come in una festa.
       
E' scorsa un'ala rude, t'ha sfiorato le mani,
ma invano: la tua carta non e' questa.

2行目、4行目はdisparte, carte で韻を踏み、6行目、8行目はmattina, ballerina で韻を踏む。10行目、12行目は、festa と questa で韻を踏んでいる。

音としては b の音がキーになっていて、彼女のいるところにはBrina(霜)が厳しい寒さを象徴するものとして存在し、前線にはbomba ballerina (バレリーナ爆弾)がまるでBengala(華やかな色のベンガル花火)のように存在していたのである。

第一連では、sの音が、sui, sempre, sempre, sopra, soliloqui, sulle と各行で繰り返されている。

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2008年9月15日 (月)

Montale: 《Mottetti II》

  モテッティ  II

長年、そしてより辛い一年、
夕暮れの燃える異国の湖ですごす
そして君は山から降り、僕に
サン・ジョルジョと龍をもたらした。

北東の強風の鞭に立ち向かう
心の大盾に、それらを
刻みつけられたなら...不滅の忠節の
深みに、君ゆえに降りていく。

 
(訳者妄言)
Eugenio Montale のモテッティのII. 彼女(君)は、長年、外国(スイスだろうか)のサナトリウムで過ごしている。Lorenzo Greco のMontale commenta Montale によれば、モテッティのIからIIIで歌われている女性は、ペルー人女性で、しかしもともと先祖はジェノヴァの出身であり、当時その女性はジェノヴァに住んでいた。

サン・ジョルジョと龍というのは、悪との戦いのアレゴリーであり、ジェノヴァの紋章である。ジェノヴァの紋章は、二匹の龍がサン・ジョルジョ(聖ジョルジョ)十字を支えている。そこから第二連の盾へとつながる。中世騎士物語的な世界を連想させるわけで、最終行の不滅の忠誠(fedelta' immortale) も同様である。

原文は

Molti anni, e uno più duro sopra il lago
straniero su cui ardono i tramonti.
Poi scendesti dai monti a riportarmi
San Giorgio e il Drago.

Imprimerli potessi sul palvese
che s'sagita alla frusta del grecale
in cuore...E per te scendere in un gorgo
di fedeltà immortale.

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2008年9月14日 (日)

モンターレ:《Mottetti I》

あのね、君をもう一度失わねばならないが、出来ないんだ。
照準を合わせた射撃のように、僕の身体を揺らすんだ
あらゆる作業、あらゆる叫び、そして潮風
もがーそれは、堤から溢(あふ)れ、、ソットリーパの
春に影をさす。

鉄製品の山とマスト
夕暮れの塵のなかの森
外からブーンとうなる音が
ガラスに爪をたてたように苛(さいな)む。僕は
失われた徴、君のおかげで持っていた
ただ一つの証をさがす。
             地獄はたしかだ。
 
 
(訳者妄言)
モンターレのMottetti I . Mottettiは20篇の詩の連作で、序にあたる Il balcone を加えると21篇となる。

モテットはもともと音楽用語で、13世紀に生じた多声の声楽曲であるが、短い詩のこともさす。

ソットリーパは、ジェノヴァの港の古い一郭の地名。そこは海といってもロマンティックな光景ではなくて、港湾での荷物の積み卸し、作業が繰りひろげられる場所。森や林は、船のマストの林立する比喩。

むなしいこととは知りつつ、君の徴(しるし)、証(あか)しを求めてさまよう語り手。

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2008年9月13日 (土)

モンターレ:《Il balcone》

簡単なことと思えた
僕に開かれた空間を
無に変え、君の確かな
炎を、不確かな懶惰(らんだ)に変えるのは。

今、あの空虚に、僕の
遅まきの動機を結びつけ、
困難な空虚を鎮め、
君をせつなく待つ不安を鎮める。

微光を与える人生は
君のみが見分ける人生だ。
それに君はこの窓から
身を乗り出すが、灯りは消えている。

        
(訳者妄言)
Eugenio Montale の Mottetti という連作の冒頭の詩。Mottetti の連作は20篇あるのだが、この詩は献辞があって、番外に置かれた一篇である。

Mottetti はモンターレの第二詩集 Le occasioni (機会)と 第一詩集 Ossi di seppia をつなぐ位置にある。

バルコニーは、家の外と内のどちらとも言えるし、どちらとも言えない位置にある。

ここで歌われている女性は、mottetti の本体で歌われている Clizia ではなくて、この前の詩集Ossi di seppia の中で歌われた Arletta-Annetta である。

6行目の遅まきの動機 (tardo motivo) は、生き残る理由。

原文は、

Pareva facile giuoco
mutare in nulla lo spazio
che m'era aperto, in un tedio
malcerto il certo tuo fuoco.

Ora a quel vuoto ho congiunto
ogni mio tardo motivo,
sull arduo nulla si spunta
l'ansia di attenderti vivo.

La vita che da' barlumi
e' quella che sola tu scorgi
A lei ti sporgi da questa
finestra che non s'illumina.

第一連では1行目giuoco と4行目fuoco が韻を踏み、行内であるが、3行目の aperto と4行目のmalcerto が韻を踏んでいる。

第三連は、彼女がバルコニーから身を乗り出すのを思い出しているが、今はその窓は灯りが消えているのである。

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2008年9月12日 (金)

ザンゾット:《Nei giorni delle insonni primavere》

眠れぬ春の日々に
目をくらます風が僕に向かってくるだろう、
僕を熱に浮かされた愛におしやるだろう
人間の町の
壁に忘れられた愛に。
開かれた扉は、暗い
入り口のホール
際限のない中庭を示すだろう。
青みがかった雲は氷のように
遠く、そこでは歩哨が
銅像のように
無の番兵をしている。

 
(訳者妄言)
ザンゾット初期の詩。無題。

原文は、

Nei giorni dell insonni primavere
mi verra' contro il vento che abbaglia,
mi spingera' ai febbrili amori
dimenticati alle mura
delle umane citta'.
Le porte aperte mostreranno
oscuri vestiboli
interminabili coritili.
Nubi azzurrognole come ghiaccio
saranno lontano, dove le sentinelle
come monumenti
al nulla fanno la guardia.

註釈では、デ・キリコの絵のようだとあるが、たしかに特におしまいの部分、雲の上で、無の見張りをしている歩哨というのはシュールレアリスティックである。

また、前半から都市的な光景がつづくのもザンゾットとしては、比較的めずらしい。しかしここでも、風や雲といった自然物がものを言っているのではあるが。

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2008年9月11日 (木)

ザンゾット:《Nell'era della silenziosa pace》

静かな平和の時代に
ガラスの村が、天の開かれた
谷に生まれる。

山々の姿をした眠りが
隠れた流れとともに待つ
風に追い立てられる
重い足取りの旅人たち。

    
(訳者妄言)
Andrea Zanzotto の Versi giovanili から。タイトルはない。

原文は、

Nell'era dela silenziosa pace
vitrei villaggi nelle aperte valli
del cielo nascono.

I sonni in figura di monti
aspettano con le celate correnti
i viandanti dai passi gravi
sospinti dallo stimolo del vento.

第一連は、不思議な光景である。丘の上から、陽光をあびた村をみて、逆に天の谷と呼んでいるのだろうか。平和がやってきて、生まれ変わった村。

第二連は、眠り、夢の世界である。重い足取りの旅人は、どこへ行くのか。新時代になっても、生活の重みは変わらぬということなのか。

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2008年9月10日 (水)

ザンゾット:《Villanova》

Zanzotto908

               
                
                         

                
                           

 

                 
                       
   ヴィッラノーヴァ

雪の後に太陽がもどる。
平地には、まばゆい光。
燃える青が、無垢な
丘々に輝く。

足の下には影が走る
われわれは日向(ひなた)を歩く。
われわれ生者には、昼間の時間は
つらくない。

われわれの喜びは純粋で、
太陽にあたって消えるように生まれた
雪のように。

走って、ドアの開いたダンスホールに
降りていこう。窓から
女の子たちが、自分を待つひとの
ところに降りていくのを見よう。

その時に、離れて、夜を
見よう、雲は見ずに。
冷気と、激しいダンスの中、
眩暈(めまい)。

   
(訳者妄言)
ザンゾットの初期の詩。ダンスホールの賑わいの中で、孤立して、眩暈(めまい)を感じてしまう語り手であった。

原文は

     Villanova

Torna il sole dopo la neve.
Nel piano e' fulgore e luce.
L'azzurro ardente sui colli
candidi splende.

Sotto i piedi corre l'ombra
noi camminiamo nel sole.
Per noi vivi nell'ora del sole
non e' dolore.

Pura e' la nostra gioia.
nata a dileguare al sole.
come la neve.

Scenderemo in corsa alle sale aperte
al ballo: dalle finestre
vedremo fanciulle scendere
a chi le attese.

In quel tempo, in disparte, la sera
vedro', non vedute le nuvole.
Sara' il gelo e nelle danze acute
lo stordimento.

最後のストロフで、時間の感覚がくらくらする。In quel tempo といい、vedro' といい、vedute と未来と過去が交錯する。そのくらくらする感覚がstordimento (めまい)という言葉にぴったりなのだ。

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2008年9月 9日 (火)

ザンゾット:《A una morta》

       死んだ女に

曲芸師のいて
大声の鳴り響く広場ではなく、
しおれた並木の間に
僕は君と来るだろう、雪の間で。
すべてのことを、ぼくは語るだろう。
ここで起こったこと、君が喜びそうなこと。
君は驚いて目をむくだろう
でもひょっとして、ため息をつき
僕に哀れみを示すかもしれない。
その時からかなり変わったのは
列車の時刻表だ、
うれしそうな駅
バラ色のホタルブクロが咲き、
うち捨てられ、風が吹き抜ける。
    
 
(訳者妄言)
ザンゾットの若いときの詩。この詩は  ‘A una morta (ある死んだ女に)’というタイトルがついている。1937年に亡くなった妹へ捧げられた詩である。

君とあったらこんな話をしようという内容のあと、君が哀れみ(pieta')を示すかもしれない、で転調し、最後は、幸せそうな駅に、列車ではなく、風が吹き抜けている。現世と来世を行き交う風なのだろうか。

原文は、

   A una morta

Non nella piazza che ha i saltimbanchi
e delle enormi voci risuona,
ma tra i filari intristiti
verrei con te, tra la neve.
Tutte le cose ti racconterei
che qui furono, che avresti amate:
tu sgraneresti gli occhi stupiti
ma forse, sospirando,
di me mostreresti pieta'.
Da quel tempo assai mutati
sarebbero gli orari dei treni,
e la stazione lieta
di campanule rosa
deserta, percorsa dal vento.

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2008年9月 8日 (月)

ザンゾット:《Esigue nevi i rami》

Andrea_zanzotto907

乏しい雪、枝は
純白の縁取り
僕は、寂しい茂みを放浪したが
寒さが降りてくる。
冷たいのは僕の手
胸におしつけ
奇妙な風に跳ねる。
もう少しで、僕は石のようになるだろう。

  
(訳者妄言)
ザンゾットの Versi giovanili から。

原文は、

Esigue nevi i rami
orlarono di candore:
io tanto errai tra mesti cespugli
che il freddo discende.
Fredde sono le mie mani
e al cuore strette le tengo
che ai venti strani balza.
Io tra poco saro' come la pietra.

わずかに雪化粧をした枝。森を歩き回っているうちに、もうじき石になってしまうだろう、という絶対的な孤独の宣言なのだろうか。

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2008年9月 7日 (日)

ザンゾット:《Ballata》

    バッラータ

緑の羽根は森だった
丸いそわそわした野兎(うさぎ)と
群をなすリスが
泉で水を飲んだ。

今、その水は驚いて
野兎と逃げる柔らかなリスの
臭いをかぎ、びくっとする。

月は丘に横たわる
家の中には
軽やかな虫が沈黙している

愛らしい動物たちの
堂々とした横顔に
豪雨の影が笑う。

      
(訳者妄言)
ザンゾットの若い時の作品(1938-1942)。1970年に A che valse? という名前で300部が頒布された。Meridiani 版では、Versi giovanili (1938-1942)としてまとめられている。

原文は、

           Ballata

Piume verdi fu il bosco
e le tonde irrequiete lepri
e gli scoiattoli a schiere
bevvero nella fontana.

Or quell'acqua impaurita
odora e sussulta di lepri
di molli scoiattoli in fuga.

Giace la luna sul colle
e nella casa
tacciono i vermi leggeri

In profili alti
di animali leggiadri ride
l'ombra del diluvio.

泉に野兎やリスが水を飲みにくるのだが、水が驚いているのである。それは驚いて、野兎やリスが逃げ出すのをうつしだすさざ波をたてる水面ということでもあろう。詩では結果をさきどりした形容詞(ここではimpaurita)を使うこともそう稀ではない。

最終行の l'ombra del diluvio は diluvio が大雨なり(ノアの)洪水なので、おそろしいものの影がさしている。牧歌的なだけではない。

バッラータは本来、各スタンザのあとにリフレーンが来るので、その点からいうとタイトルはおかしいが、雰囲気の軽やかさはタイトルにふさわしいと言えるだろう。

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2008年9月 6日 (土)

コピオーリ:《Come il postino piu' fedele》

   もっとも忠実な郵便配達人のように

あなたは知らせをくれる。
私はそれを受け取る。最も忠実な郵便配達人のように
正しい住所に配達する。
ここは、住所は私のだ、
でも、メッセージは間違っている。

限界は限界ではない
突然、精神がそれを越える
精神は登り、つねにもっと
あなたへと向かう、あなたは限界ではない
あなたは本質で、到達できない。

(訳者妄言)
Rosita Copioli の詩集《Il postino fedele》から。

第一連と第二連に、大きな飛躍があり、内容を連関させるのに苦労するが、同時にその飛躍が独特の魅力を形成している。

原文は、

      Come il postino piu' fedele

Tu mi da'i delle notizie.
Io le ricevo. Come il postino piu' fedele
le recapito all'indirizzo giusto.
Qui l'indirizzo e' mio.
ma il messaggio e' sbagliato.

Il limite non e' limite
lo varca di colpo la mente
la mente sale, va sempre piu'
verso te, che limite non sei,
che sei essenza, e irraggiungibile.

第一連は、情報の配達。第二連は、手の届かないものが対象となっている。

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2008年9月 5日 (金)

コピオーリ:《Assenza e presenza》

不在と存在は
両義的な
生きた力。
あなたと私が
それを決めると思う?
私たち次第なのは
たしか。
でも、私たちには
自律性は失われた。
不在は、存在を確信している
あなたが思うほど嘆きはしない。
存在は金、純粋な歓び
至高の水以上で、
黄金を注ぎ、その妹、
不在の上の滴となる。
不在からは、豊かさと
涙がしたたる。
私の不在、私の存在、
あなたの鏡、
あなたのコピー、あなたの模像、
いいえ、イメージのイメージ。

        
(訳者妄言)
コピオーリの詩集《忠実な郵便配達人》から。待つことは、不在と存在の間で心を揺らせながら、時を過ごすことである。

不在と存在の議論は哲学的な様相を帯びている。

原文は、

Assenza e presenza
sono forze vive
ambigue.
Credi che siamo tu e io
a determinarle?
Che dipendano noi
e' certo.
Ma da noi hanno perso
autonomia.
Assenza e' sicura della presenza
non si loamenta come credi.
Presenza e' oro gioia pura
piu' dell'acqua suprema,
e riversa oro e stille
sulla sorella, l'assenza,
che geme di ricchezza
e lacrime.
Assenza mia, mia presenza,
specchio di te,
tua copia, tuo simulacro,
no: immagine delle immagini.

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2008年9月 4日 (木)

コピオーリ:《Purche' ti attenda》

     君を待つなら

今君を待っている
どれくらい、何度数えたか
わからない。
いつも君を待っていたい
無限に待って
君を待つなら
苦い味
甘美さを味わえる
この恐怖は
たとえようもない
トラウマ
極端な考え
悪魔祓い、幸せだった者の
絶望の儀式。

        
(訳者妄言)
Rosita Copioli の詩集 Il positino fedele のなかのセクション Il postino fedele のII の3つめの詩。

待つことめぐる様々な感覚が、駆けめぐる。

原文は

Ora che ti attendo
non saprei contare quante
quante volte
e spero di attenderti
sempre, e con attese infinite,
purche' ti attenda,
io so il sapore di amaro
la dolcezza
incomparabile
di questo terrore
il trauma,
il pensiero estremo
l'esorcismo il rito
della disperazione
di chi era felice.

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2008年9月 3日 (水)

コピオーリ:《Terribili un tempo》

ひどいのは
待つ時間だった。
裏切られた期待は
語らぬほうがまし。
なぜまだ待つことに
したのか本当にわからない。

   
(訳者妄言)
コピオーリの詩集《Il postino fedele》はいくつかのセクションに別れている。この詩はそのなかの Il postino fedele というセクションのII の冒頭の詩。

待つことはせつない。attese に待つことと、期待という意味がかけてある。

原文は、

Terribili un tempo
erano le attese.
Meglio non parlare
delle attese tradite.
Non so proprio come accettai
di attendere ancora.

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2008年9月 2日 (火)

コピオーリ:《Cio' che di te non vedo》

あなたの見えないところが、
限りなく、
欠けたものを欲しくさせ、
あなたの虚空の中に、
希望もなく
私をぎょっとさせる!
それでも、私が死んだとしても、
そうさせるのはあなただ。私の
心は存在しない、とうに
あなたの手の
虚空のなかで果てた。

        
(訳者妄言)
コピオーリの詩集《忠実な郵便配達人》の詩。あなたの見えないところが、見たい、知りたくもあり、それが空で怖くもある。

原文は、

Cio' che di te non vedo,
senza fine,
mi fa desiderare cio' che manca
spaventa me
nel vuoto di te,
senza speranza!
Eppure sei tu che mi fai, anche se
io sono morta. Non esiste
il mio cuore, da tempo
e' finito ne vuoto
delle tue mani.

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2008年9月 1日 (月)

コピオーリ:《焚刑は少数者のみ》

まるで積み重なった松ヤニのせいであるかのように
絵は、まず照らし出された
光景が消え、もう見えない
あなたは狼狽し、光、眺めを
すべて失い、もう何も
知ることができない。ただ暗い夜で
松ヤニのシャツがあなたの火刑の薪で燃えるのを待つのみ。

すべては松ヤニで汚れている。
が焚刑は少数者のみだ。
美に関しては、あなたは死ぬのではなく
生きるのだ、愛に、嫉妬に、羨望に燃え、
私はあの回廊の思い出に震える
怖れ、期待したことのため
私は、分裂し、苦く、盲目で
燃えて、凍てついた魂を怖れる、それは、あまりにしゃべり、または無言で
一方、とても苦く、甘美でなく、満足している。

  
(訳者妄言)
コピオーリの詩集 Il postino fedele (2008) のなかの詩。焼きつくされる苦しみ(歓び?)は少数者のものという詩。

原文は、

Come per sovrapposta pece
il quadro la visione dapprima
illuminata scompare, non vedi piu'
ti sgomenti tutto hai perduto
la luce la vista conoscere non puoi
piu' niente. Solo nella  notte nera in attesa
che la camicia di pece arda sul tuo rogo.
         
Tutti siamo macchiati d'una pece.
Ma di pochi soltanto sara' il rogo.
Della bellezza tu non fai la tua morte
ma la vita, arso d'amore, gelosia, invidia
tremo nel ricordo di quel chiostro,
per quel che si teme e che si spera
temo l'anima divisa, amara, cieca,
arsa e agghiacciata, che troppo parla o e' silente,
mentre di molto amoro e poco dolce e' paga.

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