マグレッリ:《Dieci poesie scritte in un mese》
1月(ひとつき)に10篇の詩というのは、
これが11篇目だとしても、
多くはない。
それにテーマも多様でない、
どころか、ただ1つのテーマで
テーマとしては、今、扱っているものだ。
これは言わば、ここのページに
留まる限り、
ドアをノックしても、入れないし、
そうすべきでないということ。書くことは、
鏡ではない、むしろ
シャワーのぎざぎざ模様の入ったガラス、
そこで身体は、粉々になり
その影だけが、不確かだが
現実のものとして、現れる。
誰が身体を洗っているのかは判らないが、
そのしぐさだけは判る。
だから、細工の後ろを
見るのは重要だ、
仮に僕が贋造者でも
こまかい細工だけが僕の仕事だから。
(訳者妄言)
1ヶ月に10篇の詩だと、3日に1つの詩をつくっている勘定となる。それが全部同じテーマだというが、結局それは詩論であろう。詩をどう書くかを論じている詩。詩を書くことがテーマとなっている。
マグレッリによれば、書くことは現実を映し出す鏡ではない。風呂場の曇りガラスのようなもので、現実の影をうつすもの。
現実を生のまま写すのではなくて、加工され、屈折した姿で表すのである。
現代詩には、詩を書くことについての詩が少なからずある。
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