カラッバ 3
ジョヴァンナへ
小さい頃、よく
電車に乗った、いまでも
そうするが。母は、
切符売りの男と話し、僕の客車には
ちゃんとした人が乗るかを
確かめた。
僕はおしゃべりをし、自分が成長したことを
見せようとし、ほとんど景色は
見なかった。駅では
父が微笑み
僕を家に連れて帰った。
自動車の中で、父は冗談を言い
二人は笑った。家には
お前がいた。僕は、お前の
唯一の愛の対象の息子だったが、
お前の息子ではなかった。彼が
帰ると、抱きしめるように、
お前は僕を抱きしめた、
僕にトマトソースの
ラヴィオリを作ってくれ、
週末は、幸せに
自然に過ぎていった。
(訳者妄言)
per Giovannna という献辞がイタリックでついている。タイトルはない。
ジョヴァンナというのは、推察するに、語り手の父の代からずっといるお手伝いさん(婆やさん)、ひょっとしたら住み込みで、もう家族同様の老婦人かと思われる。
あるいは、語り手の祖母(父の母)ということも可能性としては考えられる。
tu で、気軽に呼んでいるのだけれど、二人の間の愛情がしっかり手応えをもって感じられる。
「僕は/お前の唯一の愛の対象の息子だったが...」は、ぎこちないが、原文は、Ero il figlio/dell'unico tuo amore, /pero' non tuo. である。tuo amore と呼ばれているのは、語り手の父ととった。イタリア、とくに中部、南部では、自分の子供や孫などを amore(愛) とか tesoro(宝) と呼んだりする。
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コメント
やったあ!快哉を叫びました。時代が変われども美しい心は変わらない。イタリア、ロシア、日本ーーこういう心根の人が大勢いた。『坊ちゃん』のきよ。ロシアによくいる、いた、善の権化。イタリアでよくお目にかかるジョヴァンナさん。よくお目にかかります。美しい、ですね。嬉しくなりました。詩の原動力がここにあった。
カラッバ氏の個人的ないろいろージャニコロの丘で育ったこと、ジョヴァンナさんのこと、詩人の誕生に立ち会っているという実感。ありがとうございます。楽しみ。
投稿: figliagiglia | 2008年7月18日 (金) 09時59分
figliagiglia さん
そうですね。カラッバ氏は、父や母、ジョヴァンナさん、それぞれの愛の形、母の心配性、父のユーモア、ジョヴァンナの抱擁と料理を、それぞれの形でうけとめ、記憶し、それを僕らが実感できるように表現してくれます。
日常生活のなんと言うことはない一こまが、読者の心に灯をともし、なつかしさがこみあげてくる感じさえします。そこには、カラッバの現代社会へのささやかな、静かな異議申し立てが込められているのでしょうか?
さりげないタッチですが、実際には、たしかな観察眼、表現上のテクニックがあってこそのものですね。
投稿: panterino | 2008年7月20日 (日) 06時23分