De Luca: Da noi
俺たち
俺たちは最後の母音を発音しない、
言葉が宙ぶらりんとなる。
冬(inverno) はふう(viern')となり、残りは季節だ。
はじめと終わりは、はじんと終わい、
現在の肉と骨はあるのだけれど、現在はただ、いむとなる。
愛よりは、俺らがあいで、
もっと恥ずかしいのは、腹が減るが、える、
お金はかね、兵士はへし、
兵をつのるより、おしになる。
俺たちには、ある、と言う言葉はありはしない、でもおるがある。
誰も持ってはいないのだが、持っとるやつがおる。
俺たちには雨は降らない、降りやがる。雨でずぶぬれでなくて、
ずぶんこになり、腐る。
血はちいで、コップ一杯の水の価値もない。
俺たちは、立ち去らねばいけないは、もう行ったようにしろ、
今より前は、いまよんめえ、
俺たちは世界一速い動詞を持っている、行くがい、
お前は行かねばならないは、いにゃい。
Erri De Luca の詩集L’Ospite Incallito (常習の客)(Einaudi, 2008)より。デ・ルーカは1950年ナポリ生まれ。散文作品の他、詩集には Opera sull'acqua e altre poesie (Einaudi 2002) と Solo andata. Righe che vanno troppo spesso a capo (Feltrinelli 2005) があり、これが第三詩集となる。
この詩「俺たち」(Da noi) は、俺たちのところ(ナポリ)では、こういう言い回しをするという詩なので、日本語だけ読んでもちっとも面白くない(訳者の敗北宣言です)。可能であれば、振り仮名ならぬ、振りイタリア語をしたいところである。あえて、原文を以下にあげる。
Da noi
Da noi non si pronuncia l'ultima vocale,
le parole restano sospese.
L'inverno e' viern', il resto e' la stagione.
Prima e dopo sono primm' e dopp',
honno piu' carne e ossa del presente, che e' solamente:
mo'.
L'ammor' nuosto e' piu' tosto di amore,
piu' svergognata 'a famm' della fame.
i soldi sono 'e sord', il soldato 'o surdat',
piu' sordo che assoldato.
Da noi il 《c'e'》non c'e', pero' ci sta.
Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene.
Da noi non piove:chiove. La pioggia non infradicia
ma 'nfra'ceta, marcisce.
Il sangue e' 'o sang' e vale meno di un bicchiere d'acqua.
Da noi se devi andartene, fai che sei gia' partito,
pure prima di adesso, primm' 'e mo'.
Teniamo il verbo piu' veloce al mondo, andare:i'.
Se te ne devi andare, t'n'ia i'.
最後の母音を発音しないから、prima が primm' となり、dopo が dopp' になるわけだ。
11行目、ナポリでは、標準イタリア語で c'eというところを ci sta という。c'e non c'e という言葉遊びも楽しいが、次の12行目は Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene. 前半は標準語で誰も持っていない。後半は、でも、持っているやつがいる、と矛盾することを言っているのだが、おかしみにあふれている。
終わりから2行目のandare が i' となるのは、ire のつづまった形だろう。文語やトスカナでは不定形のire や過去分詞 ito が用いられるが、ここではナポリ方言として i' と最速動詞として登場している。
(追記)
知人からの指摘で気づいたが、11行目、12行目の ci sta には、ナポリ弁での「ある」という意味と、イタリア語での「それでよい、困らない、同意する」という意味が掛けられているのではないか、と思う。
11行目は、c'e という言い方はないが、ci sta という言い方があるという意味(ナポリ弁の相)と、c'e という言い方はないがそれでいいという意味(イタリア語の相)が掛けられている。
12行目は、誰もきちんと所有はしていないが、(一時的に)持っている人はいるという意味(ナポリ弁の相)と、誰も所有していないが、持っている人はそれでよい(イタリア語の相)が掛けられているのではないだろうか。
詩人は言葉遊び、掛詞が好きな人種であるから、わざと紛らわしい、ややこしい、どちらにもとれる言い回しにしている部分があるのだろう。
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コメント
楽しく拝読しました。イタリア原語以上に日本語がみごとでした。力量。降りやがるーずぶんこになりーいまよんめえーいにゃい。傑作でおもわずイタリア語を見ました、やはり日本語がみごとです。以前たしかに拝見いたしました。
投稿: figliagiglia | 2009年3月12日 (木) 13時42分
figliagiglia さん
お誉めにあずかり恐縮です。この詩は、ナポリ弁とイタリア語で言い回しの異なるものを比較しながら、遊んでいる詩なので、訳文も遊ぼうと思ったのですが、おかしみを創りだすのは、手に余るという感じでした。
投稿: panterino | 2009年3月12日 (木) 15時04分