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2008年7月

2008年7月31日 (木)

モンターレ:クセーニャII 12

         12

隼(はやぶさ)は
お前のまなざしからはいつもあまりに遠かった
近くで見たのは稀だった。
一羽は、エトレタで、幼い隼がぎこちなく
飛ぶのを見張っているのだった。
あとの二羽は、ギリシアのデルフィの道で、
若い二羽が、大胆だが攻撃的ではなく
柔らかい羽根で、組んずほぐれつ。
     
お前は、粉々になった人生が好きだった。
耐えがたい筋道を粉砕するような
人生が。
    
        
(訳者妄言)
エトレタはフランスのノルマンディ地方の町。

自由に空を飛ぶ隼と、束縛を打ち破る人生が、モスカのなかでは重ね合わせられているのだろう。

原文は

I falchi
sempre troppo lontani dal tuo sugardo
raramente li hai visti davvicino
Uno a E'tretat che sorvegliava i goffi
voli dei suioi bambini.
Due altri in Grecia, sulla via di Delfi,
una zuffa if piume soffici, due becchi giovani
arditi e inoffensivi.

Ti piaceva la vita fatta a pezzi,
quella che rompe dal suo insopportabile
ordito.

1行目の I falchi で i の音がまず主調音であることを宣言している。2行目は lontani のみだが、3行目は、li, hai, visti, davvicino と立て続けに i を拭くんだ単語がつづく。4行目も後半、sorvegliava i goffi となる。5行目は、voli, dei, suoi, bambini とすべて i で終わる単語のみで構成されている。i 主張音であることは明らかだ。

ここで一行空いて、主調音は弱まりはするのだが、まだ余韻は引きずっている。6行目も、ti, piaceva, vita, pezzi と i 音を含んだ単語は多い。7行目はしかし insopportabile のみとなり、しかもアクセントがのらない。そして最終行が ordito. とアクセントがのる。

i の音は a や o に較べて鋭い音なので、i falchi (ハヤブサ)のイメージと i音のイメージが重なり合って、相乗効果をあげるものと思われる。

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2008年7月30日 (水)

モンターレ:クセーニャII 11

                 11
    

無限            無限の時の彼方から

フィリピン人の      フィリピン人のチェリアが電話をかけてきた          

お前のこと        お前の知らせを聞くためだ。元気だと思う、と私、
前よりも良いかもしれない。「何ですって、思う?
もういない?」。たぶん前よりも、だが...
チェリア、判っておくれ...
                 電話線の向こうで、
マニラか、地図上の
どこかから、彼女もどもって
言葉がでない。突然、切れた。

                

             

    (訳者妄言)

    モンターレのクセーニャIIの11.1967年10月4日の日付の草稿がある。原文は

Riemersa da un’infinita di tempo
Celia la filippina ha telefonato
per aver tue notizie. Credo stia bene, dico,

       forse meglio di prima. Come, crede?
Non c’e piu?
. Forse piu’ di prima, ma...
Celia, cerchi d’intendere...
                                    Di la' dal filo,
da Manila o da altra
parola dell'atlante una balbuzie
impediva anche lei. E riaggancio' di scatto.

     チェリアはフィリピン人のお手伝いさんだったのだろう。奥様はいかがで

  すか、と電話で尋ねてきたのである。もごもごと答える詩人。やりとりの

  ぎくしゃくとした様子はそこはかとなく可笑しい。




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2008年7月29日 (火)

モンターレ:クセーニャII 10

       10
     
捜しまわったはてに、
お前はリベルダーデ通りのアヴェニダホテルの
バールにいた。お前は、ポルトガル語の h も
知らず、というより知っているのは一つだけ
マデイラ。グラス一杯の白ワインが
伊勢エビのつけあわせとともに出てきた。

その晩、私は発音できない名のひとたちから
ポルトガル最大の詩人にたとえられた
さらにはカルドゥッチにまでたとえられた。
まったく感銘をうけず、お前は涙がでるまで
聴衆に隠れて笑っていた
おそらくは退屈し、懊悩して。

    
          
(訳者妄言)
ポルトガルでの出来事である。リスボンにリベルダデ通りがあり、そこにアヴェニダという名のホテルがある。

後半、第二連からすると、モンターレは講演をしたか、モンターレがからんだシンポジウムがあって、そこでモンターレはポルトガルの詩人(複数)やカルドゥッチにたとえられたのであろう。そこに聴衆としていたモスカは、感銘を受けるどころか、笑い転げ、おそらくは退屈し、しかしながら場所柄、神妙な顔つきでいた、気がつくと、さっさと帰ってしまった。第一連に戻って、どこにいるかと捜したら、ホテル・アヴェニダにいた、というところだろうか。

後半の原文は

La sera fui paragonato ai massimi
lusitani dai nomi impronunciabili
e al Carducci in aggiunta.
Per nulla impressionata io ti vedevo piangere
dal ridere nascosta in una folla
forse annoiata ma compunta.

拙訳では、annoiata ma compunta tu にかけているが、直前のfolla にかけて解釈することも出来る。その場合、モスカではなくて、聴衆が退屈して、懊悩しているということになる。


第二連は、1行目末のmassimi と2行目末 impronunciabili assonanza (母音韻)で、3行目末のaggiunta と6行目末のcompunta が韻を踏んでいる。

前半の原文は、

Dopo lunghe ricerche
ti trovai in un bar dell’Avenida
da Liberdade; non sapevi un’acca
di portoghese o meglio una parola            
sola: Madeira. E venne il bicchierino                
con un contorno di aragostine.          

                                             
で、第一連4行末の parola と第二連4行末のfolla はほぼ韻をなす。5行目末のbicchierino と6行目末のaragostine consonanza (子音韻)をなしている。また行末ではないが、6行目のcontorno r n o bicchierino と共有している。第一連は、特に後半 o の音が支配的である。4行目末 parola (アクセントがo の上)、5行目冒頭の sola, 6行目冒頭 con, 中程 contorno, 最後はアクセントはのらないが aragostino である。

それに第二連後半は o を響かせつつ、a が支配的となる。おしまいの二行(第二連5行目、6行目)
dal ridere nascosta in una folla
forse annoiata ma compunta.

であるが、5行目は、dal, nascosta(アクセントはo の上), folla (アクセントは o の上)

6行目は、annoiata (アクセントは a の上)ma, compunta (アクセントはu の上)となっている。

o と a の交錯もこの詩を味わう楽しみの一つかもしれない。

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2008年7月28日 (月)

モンターレ:クセーニャII 9

      9

修道女、未亡人、死にそうに
いやな匂いのする愚痴たれ女、
お前は彼女らを見ようとしなかった。千の眼を持ったあの人も
彼女らから眼をそらす、とお前は確信していた。
すべてを見通す彼...というのもお前は、思慮分別があり、
小文字ですら神(dio) の名を口にしなかったからだ。
   
   
(訳者妄言)
神は全知全能という言い方はあるが、千の眼をもった彼、という言い方は面白い。仏教には千手観音という表現、仏像があるわけだが。

5行目末の giudiziosa と6行目末の minuscola は母音韻(assonanza) になっている。

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2008年7月27日 (日)

モンターレ:クセーニャII 8

     8
   
「天国は? 天国なんてあるの?」
「あると思いますよ、でも、甘美なワインは
もう誰も望まないんです」。
          
               
(訳者妄言)
原文は
《E il Paradiso? Esiste un paradiso?》
《Credo di si', signora, ma i vini dolci
non li vuol piu' nessuno》.

1行目は、最初は il Paradiso と尋ね、二度目は un paradiso と尋ね、冠詞と大文字、小文字が変化している。 il Paradiso と言えばキリスト教の天国であろうし、 un paradiso と言えば、その他の宗教もふくめ、極楽、天国、彼岸の地というものはそもそもあるのか、ということになろう。

その疑問に対する答えは、皮肉、ユーモアにみちている。肉体が無くなれば、肉体的な快楽もまたないのである。

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2008年7月26日 (土)

モンターレ:クセーニャII 7

       7
       
「この世にいることに一度も実感がもてないんだ」
「素晴らしい発見ね、あなたがそう言うのだから、で私は?」
「君はこの世を囓ってる、たとえ
同薬療法(ホメオパシー)の規定量としても。でも僕は...」。

         
(訳者妄言)
4行目に dosi omeopatiche とあるが、ホメオパシーは同薬療法とか同質療法、同毒療法とも言われ、ある病気を治すために、その症状を起こす薬でなおすという療法である。たとえば、発熱時に熱を出す薬を飲んだりする。

それから推すと、モンターレは、なぜか、この世に存在しているという実感が乏しいのだが、モスカは世俗にまみれていて、その世俗を囓って同薬療法、解毒剤としているようだった、ということか。

モスカの世俗に対する鋭い観察眼は、何度かクセーニャの中で言及されている。

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2008年7月25日 (金)

モンターレ:クセーニャII 6

     6

酒場の主人はお前に少し地獄を
ついだ。お前は、挫けて、「飲まなきゃいけないの?
とろ火で中で焼かれただけじゃ不十分なの?」
                      
                     
(訳者妄言)
ユーモラスな詩である。
地獄というワインを飲まされたが、私(モスカ)は地獄で焼かれたことがあるのに、それじゃ不十分で、飲まなくてはいけないのか、という反応。

原文は次の通り。

Il vinattiere ti versava un poco
d'Inferno. E tu, atterita: 《Devo berlo? Non basta
esserci stati dentro a lento fuoco?》.

1行目末のpoco と3行目の fuoco が韻を踏んでいる。

地獄を飲むというのは、ぎくっとする表現だが、これは草稿をL'Opera in versi (Bettarini, Contini 編、Einaudi, 1980)を見るとより良く判る。

もともとは、

Il vinattiere suggeriva un vecchio
Valtellina, l'Inferno. E tu: 《Anche berlo?
Neppure l'ho voluto quando c'ero
dontro, fin quasi al mento》.

酒場の主人が、古い
ヴァルテッリーナ、インフェルノをすすめた。お前は、「飲むの?
地獄の中に、顎(あご)まで浸ってた時だって
飲みたいとは思わなかったのに」。

となっていた。Valtellina というのは北部ロンバルディアのワインで、その中に Valtellina Inferno とか Valtellina superiore Inferno と呼ばれる種類がある。草稿段階では、それを明らかにしていたが、仕上げでは、いきなり Inferno (地獄)とくるので、訳文もそのようにした。

おそらくは、酒場の主人と、モスカのやりとりが、こういう冗談をとりまぜて実際にあったのだろう。それをどう仕上げるかは詩人の腕次第である。

草稿では、行末が vecchio, berlo, c'ero, mento となっており、berlo と c'ero が不完全な韻で、4行すべてが o で終わっているだけでなく、e o がすべて含まれている。

これらが書かれたのは、1967年だが、古典的な韻ではないにせよ、音韻への配慮はベテラン詩人、ぬかりない。

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2008年7月24日 (木)

モンターレ:クセーニャII 5

           5
   
私は、お前に手を貸し、すくなくとも100万段を降りた
今はお前はおらず、一段ごとに空白だ。
こんな風でも、われわれの長い旅は短かった。
私のは、いまだに続いている、もう私には
乗り換えや、予約や、
罠(わな)や、見えるものだけが
現実だと信じるものが陥るへまも必要ない。
          
私は、お前に手を貸して、百万段を降りた
四つの眼だとよく見えるからというのではない。
お前と降りたのは、二人のうち、本当の眼(まなこ)は、
たとえ随分曇っていようとも、
お前のだと知っていたからだ。
        
               
(訳者妄言)
クセーニャのシリーズの中では珍しく、韻を踏んでいる。原文は以下の通り。

Ho sceso, dandoti il braccio, almeno un milione di scale
e ora che non ci sei e' il vuoto ad ogni gradino.
Anche cosi' e' stato breve il nostro lungo viaggio.
Il mio dura tuttora, ne' piu' mi occorrono
le coincidenze, le prenotazioni,
le trappole, gli scorni di chi crede
che la realta' sia quella che si vede.

Ho sceso milioni di scale dandoti il braccio
non gia' perche' con quattr'occhi forse si vede di piu'.
Con te le ho scese perche' sapevo che di noi due
le sole vere pupille, sebbene tanto offuscate,
erano le tue.

第一連の6行目と7行目がcrede とvede で韻を踏み、3行目末のviaggio と第二連最初の行(全体では8行目)末のbraccio も韻を踏んでいるが、これはさらに2行目のgradino とも母音が調和する関係にある。viaggio の母音は i a i o であり、gradino は a i o である。つまり、後半の a i  o  は重複している。
10行目due と12行目 tue も韻を踏む。

内容は、きわめてわかりやすいが、叙情性あふれる詩である。後半は、本当の眼を持っているのはモスカだった、強度の近視にもかかわらず、という物理的な眼と心の眼(現実のうわべを突き抜ける眼)の対比。

旅の記憶と、階段を降りる無限の繰り返し、旅の準備、視力の問題が絡みあっているのだが、適度な繰り返し(Ho sceso ...milioni di scale) と変化(第一連は7行で、第二連は5行、また各行の長さはばらばらである)が混じりあって、定型詩的要素と自由詩の要素の微妙な均衡の上になりたった叙情詩である。

かつて共にあるいた階段と、今空白を感じつつ一人で降りる階段の対比は、物理的な眼と心の眼の対比と響きあっている。長い旅が短かったという逆接も同様である。第一連末の、「見えるものだけが現実と信じる...」という一節は、見えない現実があるという前提があるわけで、こうした対比(眼に見えるものと、見えないもの)が繰り返されることで、思考のリズムが生まれ、それは最終的に近眼なのだが、よく見える眼(モスカの眼)に集約されていく。若者のそれとは異なる老夫婦、老カップルならではの愛の歌であり、二項対立のちりばめられたきわめて精巧に出来た詩と言えよう。

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2008年7月23日 (水)

モンターレ:クセーニャII 4

     4

狡猾さをもって、
エトナ山の火口を出て
あるいは氷の入歯を出て
お前は、信じられない素性明かしをした。

マンガノに気がついた、善良な外科医だ、
正体が明かされると、黒シャツの
棍棒で、彼は苦笑いした。

お前はこんな風だった、深い裂け目の縁でも
音楽のほんの一節に甘美さと恐ろしさが同居していた。
           
                       
(訳者妄言)
第一連は、エトナ山(原文ではMongibello)の頂きのぎざぎざと雪をかぶった様子を氷の入れ歯と見立てているのだと思う。

モスカの観察眼は鋭く、今は善良そうな医師が、黒シャツ隊のファシストで棍棒を振り回していたことを見破ってしまう。

この詩は、モンターレの詩のクリティカル・エディション(さまざまな版、草稿、改訂を註として付している)である L'Opera in versi (Einaudi, 1980)(Rosanna Bettarini と Gianfranco Contini 編、絶版)によると、何度も書き換えが行われている。

最終的な原文は次の通り

Con astuzia,
uscendo dalle fauci di Mongibello
o da dentiere di ghiaccio
revelavi incredibili agnizioni.

Se ne avide Manga'no, il buon ceresico,
quando, disoccultato, fu il c
camicie nere e ne sorrise.
   
Cosi' eri: anche sul ciglio del crepaccio
dolcezza e orrore in una sola musica.

 

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2008年7月22日 (火)

モンターレ:クセーニャII 3

 クセーニャ II   3

われわれは長いこと靴べらを惜しんでいた、
さびたブリキの靴べらで、いつも
うちにあった。金ぴかや石膏のならぶところへ
そんな恐ろしいものを持って行くのは、はしたないようだった。
あれは、たしかダニエーリだ、わたしは
靴べらをカバンか袋に戻すのを忘れたのだ。
メイドのエディアはきっと運河に
捨ててしまったろう。そんなブリキの破片を
捜してくれという手紙などどうして書けよう?
われわれには救うべき信望というものがあるし、
忠実なるエディアがそれをしたのだから。
         
             
(訳者妄言)
ダニエーレという高級ホテルで靴べらをなくしたが、あまりに粗末な靴べらで愛着はあるのだが、とても捜してくれとは言い出せないというペーソスにあふれた詩。

クセーニャIIは、長年連れ添ったパートナーをしのぶ詩なので、これも思い出の一齣ということになる。

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2008年7月21日 (月)

デ・ルーカ:正月の乾杯の手引き

 正月の乾杯の手引き               

              

乾杯はすたれてきた習慣だ。せいぜいのところ、気の抜けたお決まりの
文句、「健康を祝して」という。一世紀前の正月には、アンナ・アクマトヴァ
というロシアの詩人は、テーブルで、三つの祝杯の辞をあげた。一つは
「われわれ全員がそこに帰る故郷の草原に乾杯」
もう一つはアンナに向けて、「私たち皆がそこで生きるあなたの詩に乾杯」
三つ目、「まだわれわれと共にいない人のために飲みましょう」

ここに僕のを付け加える。
正月の乾杯の手引きだ。

勤務中の人、電車、病院にいる人、
台所、ホテル、放送局、鋳物工場、
海、飛行機、高速道路にいる人へ
あいさつも無しに今夜をとばす人へ、
約束をする人へ、それを守る人へ
勘定を払った人へ、今払っている人へ、
どこの場所にも招かれなかった人へ、
イタリア語を学ぶ外国人へ、
音楽を学ぶ人へ、タンゴを踊れる人へ
席をゆずるため立った人へ、
立てなかった人へ、顔を赤らめた人へ、
ディケンズを読む人へ、映画で泣く人へ、
森を守る人へ、火事を消す人へ
全てを失い、もう一度始める人へ
思想を共有しようと努力する禁酒家へ、
愛する人から相手にされない人へ、
からかいに苦しみ、その反発でいつかヒーローになる人へ、
侮辱を忘れる人へ、写真で笑っている人へ、
持っていたものを返す人へ、
冗談がわからない人へ、
最後の侮辱が最後であるように、
引き分けへ、トトカルチョ用紙のXへ、
前に一歩進み、境遇に甘んじない人へ、
やろうとしたが、出来ないひとへ、
最後に、今晩、乾杯をする資格を持っている人へ
そしてそれが見つからなかった人の輪の中で。

(訳者妄言)
Erri De Luca (1950-   )の L'Ospite Incallito (Einaudi, 2008) から。デ・ルーカのまなざしは、あちこちへ飛ぶ。融通無碍である。乾杯をするときに、そこにいる人だけでなく、そこにいない人のことを考えられたら、どんなに豊かなことだろう。

詩は散文詩のように綴られていくが、後半は achi ....., a chi..... の連続で、一つの型をつくっている。レトリックの用語で言えば、anafora (首句反復、行頭反復)であるが、これだけ続くと、お祈りの文句にも似てくる。そして、ある意味では、デ・ルーカのこの詩は、宗教の祈りではなく、世俗的な祈りとも言える色彩を帯びているのである。


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2008年7月20日 (日)

De Luca: Da noi

   俺たち

俺たちは最後の母音を発音しない、
言葉が宙ぶらりんとなる。
冬(inverno) はふう(viern')となり、残りは季節だ。
はじめと終わりは、はじんと終わい、
現在の肉と骨はあるのだけれど、現在はただ、いむとなる。
愛よりは、俺らがあいで、
もっと恥ずかしいのは、腹が減るが、える、
お金はかね、兵士はへし、
兵をつのるより、おしになる。
俺たちには、ある、と言う言葉はありはしない、でもおるがある。
誰も持ってはいないのだが、持っとるやつがおる。
俺たちには雨は降らない、降りやがる。雨でずぶぬれでなくて、
ずぶんこになり、腐る。
血はちいで、コップ一杯の水の価値もない。
俺たちは、立ち去らねばいけないは、もう行ったようにしろ、
今より前は、いまよんめえ、
俺たちは世界一速い動詞を持っている、行くがい、
お前は行かねばならないは、いにゃい。

                    
Erri De Luca の詩集L’Ospite Incallito (常習の客)(Einaudi, 2008)より。デ・ルーカは1950年ナポリ生まれ。散文作品の他、詩集には Opera sull'acqua e altre poesie (Einaudi 2002) と Solo andata. Righe che vanno troppo spesso a capo (Feltrinelli 2005) があり、これが第三詩集となる。

この詩「俺たち」(Da noi) は、俺たちのところ(ナポリ)では、こういう言い回しをするという詩なので、日本語だけ読んでもちっとも面白くない(訳者の敗北宣言です)。可能であれば、振り仮名ならぬ、振りイタリア語をしたいところである。あえて、原文を以下にあげる。

   Da noi

Da noi non si pronuncia l'ultima vocale,
le parole restano sospese.
L'inverno e' viern', il resto e' la stagione.
Prima e dopo sono primm' e dopp',
honno piu' carne e ossa del presente, che e' solamente:
                        mo'.
L'ammor' nuosto e' piu' tosto di amore,
piu' svergognata 'a famm' della fame.
i soldi sono 'e sord', il soldato 'o surdat',
piu' sordo che assoldato.
Da noi il 《c'e'》non c'e', pero' ci sta.
Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene.
Da noi non piove:chiove. La pioggia non infradicia
ma 'nfra'ceta, marcisce.
Il sangue e' 'o sang' e vale meno di un bicchiere d'acqua.
Da noi se devi andartene, fai che sei gia' partito,
pure prima di adesso, primm' 'e mo'.
Teniamo il verbo piu' veloce al mondo, andare:i'.
Se te ne devi andare, t'n'ia i'.

最後の母音を発音しないから、prima が primm' となり、dopo が dopp' になるわけだ。

11行目、ナポリでは、標準イタリア語で c'eというところを ci sta という。c'e non c'e という言葉遊びも楽しいが、次の12行目は Nessuno ha, pero' ci sta chi tiene. 前半は標準語で誰も持っていない。後半は、でも、持っているやつがいる、と矛盾することを言っているのだが、おかしみにあふれている。

終わりから2行目のandare が i' となるのは、ire のつづまった形だろう。文語やトスカナでは不定形のire や過去分詞 ito が用いられるが、ここではナポリ方言として i' と最速動詞として登場している。

(追記)
知人からの指摘で気づいたが、11行目、12行目の ci sta には、ナポリ弁での「ある」という意味と、イタリア語での「それでよい、困らない、同意する」という意味が掛けられているのではないか、と思う。
11行目は、c'e という言い方はないが、ci sta という言い方があるという意味(ナポリ弁の相)と、c'e という言い方はないがそれでいいという意味(イタリア語の相)が掛けられている。
12行目は、誰もきちんと所有はしていないが、(一時的に)持っている人はいるという意味(ナポリ弁の相)と、誰も所有していないが、持っている人はそれでよい(イタリア語の相)が掛けられているのではないだろうか。

詩人は言葉遊び、掛詞が好きな人種であるから、わざと紛らわしい、ややこしい、どちらにもとれる言い回しにしている部分があるのだろう。

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2008年7月19日 (土)

カラッバ 6

  私たちは、お前たちがそうなるところのものだった

ステップを上ると、僕が待っていた
バスは満員だった。
人々は朝の疲れた顔をし
厚着で、無気力のため
赤のたびに身体がずれた。
ある老人は穏やかそうに
膝に手をのせ
まなざしを他の乗客の
まなざしに向けていた。
僕は降り、歩いて進む。
学校の前を通ると、登校時だった。
何年もが経ち、服装は
変わったが、顔は同じ
姿勢も同じだ。
僕は絵、暗い中世の教会に
描かれたフレスコ画、
「死の凱旋」だ。
一つの集団から他の集団へと
移りゆき、骸骨の絵の上に
新たに皮膚がはえてくるのを感じる。
              
                  
(訳者妄言)
Carlo Carabba の Gli anni della pioggia (2008) から。タイトルは、 Eravamo come sarete で、似たような言葉は、教会で骸骨の絵や像などにつけられた題辞で見たことがあるが、このタイトルは少しそれをひねってある気もする(どう変化させているか、確認できたら追記します)。

おおまかには、メメント・モーリ、死を忘れるな、ということだろう。終盤に種明かし風に、語り手が「死の凱旋」(Trionfo della Morte)であったことが明らかにされる。

カラッバの詩は、ほとんどが語り手=詩人と思わせる(本当にそうなのかどうかは確かめようがないが)つくりなので、この詩は例外的である。

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2008年7月18日 (金)

カラッバ 5

    自画像
          
ローマが、四方をすべて
山に囲まれているのは、
空が澄みわたった
時にのみわかる。
ジャニコロの高みからの
眺めは
人間の地上での存在の
あらゆる印に満ちている。
家々やモニュメント
軍楽隊のコンサート
自動車やジェラートを売る
キャンピングカー、
何ヶ月も会っていなかった
元愛人のカジュアルな出会い。
時折、木々が
影のゾーンが、そして僕の町の
内から外へ広がる林が。
           
                 
(訳者妄言)
カルロ・カラッバのGli anni della pioggia(雨の歳月)(peQuod, 2008)から。Carabba は、Autoritratto (自画像)という題で、ローマを描いている。もちろん彼はローマ生まれであるのだが、自分とローマは一体なのだろうか。

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2008年7月17日 (木)

カラッバ 4

   魂を丈夫にするエクササイズ
           
30分は、千までゆっくりと数え、
眼を閉じて、僕がそこから逃げだしたい
あまりに狭い空間を
無視すれば
たいした時間ではない。
が、それは電車で、脇が
鉄の壁で閉じており、
行路を進み、僕が席を
立つことを許さない。
もし、ある声、リフレーン、
あるいは会話が僕の気を紛らわせてくれれば
僕は、その瞬間に
頭に描いた数字のことだけを考える、
それは続く数字に
追い越され、
さらにまた追い越される。
こんな風に10万まで数え、
倦怠のあまり死ぬのは
さほど辛いことではなかろう。

              
              
(訳者妄言)
語り手は、閉所が苦手のようだ。それを紛らすために30分間、どう過ごせばよいのか、というのが詩のテーマとなっている。奇想といえば、奇想である。

外の景色をみるのではなく、内なる風景(数字)を凝視するのである

また、それを大げさに「魂を丈夫にするエクササイズ」(Esercizio di irrobustimento dello spirito) という所がほのぼのおかしい。

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2008年7月16日 (水)

カラッバ 3

            ジョヴァンナへ

小さい頃、よく
電車に乗った、いまでも
そうするが。母は、
切符売りの男と話し、僕の客車には
ちゃんとした人が乗るかを
確かめた。
僕はおしゃべりをし、自分が成長したことを
見せようとし、ほとんど景色は
見なかった。駅では
父が微笑み
僕を家に連れて帰った。
自動車の中で、父は冗談を言い
二人は笑った。家には
お前がいた。僕は、お前の
唯一の愛の対象の息子だったが、
お前の息子ではなかった。彼が
帰ると、抱きしめるように、
お前は僕を抱きしめた、
僕にトマトソースの
ラヴィオリを作ってくれ、
週末は、幸せに
自然に過ぎていった。

                    

(訳者妄言)
per Giovannna という献辞がイタリックでついている。タイトルはない。
ジョヴァンナというのは、推察するに、語り手の父の代からずっといるお手伝いさん(婆やさん)、ひょっとしたら住み込みで、もう家族同様の老婦人かと思われる。
あるいは、語り手の祖母(父の母)ということも可能性としては考えられる。
tu で、気軽に呼んでいるのだけれど、二人の間の愛情がしっかり手応えをもって感じられる。
「僕は/お前の唯一の愛の対象の息子だったが...」は、ぎこちないが、原文は、Ero il figlio/dell'unico tuo amore, /pero' non tuo. である。tuo amore と呼ばれているのは、語り手の父ととった。イタリア、とくに中部、南部では、自分の子供や孫などを amore(愛) とか tesoro(宝) と呼んだりする。

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2008年7月15日 (火)

カラッバ 2

              だから、もう夜遅くに
              ふらふら出かけるのは止めよう
                       G.バイロン

雨の歳月が過ぎた
僕には妻も辛辣な言葉もない、
僕は同じ灯りのもとにすわる、
夜はそこで、眠らなければ、書き物をする。
大学で、僕は暮らした、午後と、
いくつかの午前をーー1月で、
バールには人気がなく、君は
夫がどう死んだかを語り
(君の息子がそこにいた)僕は聞いていた。
去年の9月、田舎で、
秋の初めの祭り、まるで
「もう夜は出かけないことにしよう...」
と呼ばれたかのような。
僕らは口論した、出かけるかどうか決まらずに、
一時間、道を行くのが、旅行でもあるかのように。
帰りには、心から笑った、
まるで、本当に
最後で、
夜はもう出かけないことに、するかのように。
ここから僕は出かけ
ここに僕は着かない。

                
               
Carlo Carabba の詩集 Gli anni della pioggia (2008)の表題詩である。多分に物語性を感じさせる詩である。子供を連れて、夫の死を語る女性は誰なのか、詩人(あるいは詩の語り手)との関係はどうなったのか、などなど、疑問はつきないが、最後の2行が暗示的な答えとなっているのだろうか。

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2008年7月14日 (月)

カラッバ 1

                     母へ

あなたは、自分が僕より先に
死ぬと知っている、そしてそれは正しい、
僕も、息子に先立たれる悲しみを
あなたに与えたくはない。
あなたが死ぬとき、僕はそばにいる、
と思いたい、言葉をかけ、
抱きしめられるように、
最後の日まで
あなたのそばで、きっとすぐには
それと理解できない別れの
前まで、どう考えたらよいのか、
どう説明したらよいのか、
わからないあの別離まで。
残るのが息子なのは、自然なことだ。
が、夜の物想いの中で、
あなたの書き物のリストを作ることに専念する中で
僕の悲しみを
和らげてくれる人が誰なのかは
知らない。

                                 
                        
(訳者妄言)
Carlo Carabbaの初詩集 Gli anni della pioggia (雨の歳月)(peQuod, 2008)から。カラッバは1980年ローマ生まれ。哲学科の博士課程に在学中。
ほんの少しのひねりはあるものの、ごくストレートに母親への愛情を歌っている。原文も読みやすい。たとえば冒頭の4行は、
                        a mia madre
Tu sai che morirai
prima di me, e' giusto,
e anch'io non voglio darti
il dolore di sopravvivermi.

である。tu をなんと訳すかは微妙なところである。
また sai (sapere) は、知る、という意味だけでなく、そう思っている、という意味もあり、ここでは、母親は自分の方が先に死ぬと思っている、という意味にもとれる。

(追記)
訳文では、当初、「母へ」がまるでタイトルのように画面上に現れてしまいましたが、イタリア語原文では、a mia madre はイタリックになった献辞であり、詩としては無題の詩です。

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2008年7月13日 (日)

モンターレ:クセーニャII 2

お前はよく(私はめったに)、カップ氏のことを思い出していた。
「イスキアで、ほんの二度ばかり見ましたわ。
クラーゲンフルトの弁護士で、葉書をくれる人です
うちにいらっしゃればいいのに」。

ついに、来た。彼にすべてを話すと、呆然としている、
彼にとっても災難であったかのようだ。長い沈黙、
口ごもり、直立不動の姿勢で立ち上がり、お辞儀をする。葉書を
書くと約束した。
           不思議だよ、お前を理解するのは、
ありそうもない人物を通してだけなんだから。
カップ博士!名前だけで十分。チェリア?何が起こったの?

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2008年7月12日 (土)

モンターレ:クセーニャII  1

            1
                     
死はお前に関係なかった。
お前の犬たちも死んだし、
痴呆の叔父さんというあだ名の精神科医も死んだ、
お前の母親やその米やカエルの
「得意料理」、ミラノの大勝利も、
小さな肖像となって、夜となく朝となく
壁から私を監視しているお前の父親も。
にもかかわらず、死はお前に関係ない。
             
葬式には、私も行かねばならなかった、
タクシーに隠れて、遠く離れた場所にいて
涙や煩わしさを避けた。それでも
お前には、人生や、その虚栄の
馬鹿騒ぎや貪欲、ましてや
人間を狼に変える世界に広がる腐敗は、
重要でなかった。

白紙、ある一つの点にすぎないのか、
私には判らないが、
この点は、「お前に関わっていた」。
                           
                               
(訳者妄言)
モンターレのクセーニャにはI とIIの二つの連作があり、それぞれ14編の詩からなる。これは II の最初の詩。

おしまいの3行は、原文では Una tabula rasa; se non fosse/che un punto c'era, per me incomprensibile,/e questo punto ti riguardava. で、ti riguardava の部分はイタリックで強調されている。死にもかかわらず、生の喜び、虚栄にも背をむけていたモスカ。

モスカは、モンターレが長年連れ添った伴侶、もともとは美術評論家マッテオ・マランゴーニの妻であった。近視で分厚いレンズの眼鏡をかけ、モンターレの友人からモスカ(蠅)とあだ名で呼ばれていた。本名はドゥルシッラ・タンツィ。1963年10月20日、死亡。二人は1930年代から同居していたが、1963年に結婚した。

そのモスカが一点こだわっていた白紙(状態)とはなんであるのか。まっさらな状態に対するこだわり。

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2008年7月11日 (金)

ウンガレッティ: 祈り

   祈り

混乱の閃光で
透明で、唖然とする領域で
目を覚ました時

僕の重みが軽くなった時

難破させてください、主よ
若い日の最初の願いを叶えたまえ

(訳者妄言)
ウンガレッティの『アッレグリア』を締めくくる詩。詩人は、1919年版と1942年版で大きな推敲、改訂を行っているが、ここでは1942年版にもとづいて訳した。
1919年版の原文は次の通り

Allorche' dal barbaglio
delle promiscuita'
mi destera' in attonita
sfera di limpidita'

e portero' sul flutti
il peso mio
leggero

Concedimi Signore
di naufragare
a quel bacio
troppo forte
del giovine giorno

1942年版は次の通り
Quando mi destero'
dal barbaglio della promiscuita'
in una limpida e attonita sfera

Quando il mio peso mi sara' leggero

Il naufragio concedemi Signore
di quel giovine giorno al primo grido

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2008年7月10日 (木)

ウンガレッティ:夜を徹す

  夜を徹す

一晩中
殺され
歯をむき出しにし
口を
満月にむけている
仲間の脇に
身を横たえた
彼の腕の
鬱血(うっけつ)が
僕の沈黙に
入り込む
僕は愛に満ちた
手紙を書いた

これほど
生に執着したことは
今までなかった

チーマ・クヮットロ 1915年12月23日

(訳者妄言)
ウンガレッティの『アッレグリア』より。ウンガレッティは長期にわたって塹壕戦を実際に経験している。真冬に、死者に添い寝をするかのように過ごす。死後硬直、鬱血が伝わってくる。まさに死に接しているのである。そこで、生への執着が猛然と沸いてくる。

「身を横たえた」と訳したが、原文の冒頭5行は、Un'intera nottata/buttato vicino/a un compagno/massacrato/con la sua bocca/...と切れ目なく、「手紙を書いた」、まで続いていく。nottata と buttato で t の音が連なり、なおかつ二重子音でノッタータ、ブッタートと強い音になる。単に一晩中なら Un'intera notte でも良いわけだが、ここは音の激しさおよびbuttato との組み合わせで、nottata の必然性が出てくる。意味的にも、buttato は放り出されたまま、うち捨てられている感じが強く出ている。訳文では、意味のわかりやすさを優先して、音や印象の強さが犠牲になってしまった。

それに対し、おしまいの3行は、Non sono mai stato/tanto/attacato alla vita となり、ここでも t 音が繰り返されるのだが、冒頭にくらべ穏やか、なめらかである。一つには行替えが、冒頭では、文法的な受け係りを断ち切って、ぶつぶつ切れるのに対し、おしまいの3行では、Non sono mai stato と一行でまとまりがあって、普通におさまりが良いのである。

激しい非日常のひりひりする状況と、日常への愛着を語る場面では、語彙もリズムも、構文の切り方も、あざやかに、この上なく適切に変えているのだ。

 

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2008年7月 9日 (水)

ウンガレッティ:兄弟

  兄弟

          

どこの連隊だ

兄弟よ?

夜のしじまに
震える言葉

生まれたばかりの葉

苦悩に充ちた空気の中
命のもろさに
さらされた男の
不本意な反逆

兄弟

マリアーノ 1916年7月15日

(訳者妄言)
これも第一次大戦中の詩。第一次大戦は塹壕戦である。膠着状態の中で、ふと fratelli (兄弟たち、同胞)と呼びかけられる。兄弟という言葉を発すること自体が、意味の上で戦争とは逆に連帯を前提として言葉であるから、意識せずに起こした反逆ということになるのだろうか。

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2008年7月 8日 (火)

ウンガレッティ:兵士たち

   兵士たち

彼らはいる
秋の
木にへばりつく
葉のように

クルトンの森、1918年7月

(訳者妄言)
書かれたのは、第一次大戦末期である。
これも短い詩だ。タイトルは Soldati (複数である)。原文は、Si sta come/d'autunno/sugli alberi/le foglie で、詞書きが Bosco di Courton luglio 1918 とある。

兵士たちは、生命と死の境目にいる。イタリア語では枯れ葉、落ち葉を foglia morta という。直訳すると死んだ葉である。死んだ葉になるのか、このまま木にしがみついていられるのか、極限の不安定さを耐えている兵士たち。

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2008年7月 7日 (月)

ウンガレッティ:朝

    朝

 途方もなく
 照らされる

 サンタ・マリア・ラ・ロンガ・1917年1月26日

ジュゼッペ・ウンガレッティの短詩。タイトルはMattina で、本文は、M'illumino/d'immenso である。詞書きに相当するのが、Santa Maria La Longa il 26 gennaio 1917 である(テクストは Vita di un uomo, Mondadori).もちろん定型詩ではないが、o の音で終わっていること、mの音の重なりが伝統的なライムとの非連続的なつながりを感じさせる。また、視覚的にも、一行目も二行目もアポストロフィー(M’、d’)とそろっているのが美しい。

20世紀の自由詩、すなわち韻を廃した非定型詩は、自分独自の型を追求する場合もままあるのだ。あるいは晩年のモンターレの詩のように、散文に近づいていくのである。

M'illumino は illuminarsi という再帰動詞で、明るくなる、照らされるという意味だが、主語をわたし(io)ととる説と、朝が擬人化されて、朝が明るくなる、すなわち、夜が明けて、世界が明るくなる、ととる説がある。

むろん、一日のはじまりに陽光に照らし出されるのが世界であり、世界にいるわたしの双方であってもよいわけである。イタリア語では、Mi という形で代名詞が冒頭にくるので、それが誰であるかを明確にしたくなるわけである。

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2008年7月 6日 (日)

ウンガレッティ:鳩

    鳩

もう一つの洪水を鳩の音に聞く

(訳者妄言)
たった一行の詩である。ウンガレッティは1888年エジプトのアレッサンドリアに生まれた。両親はトスカーナのルッカ出身。1912年パリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。そこで、アポリネールらの前衛作家を知る。1970年死去。

この詩は、タイトルがUna colomba で本文は D'altri diluvi una colomba ascolto だけである(テクストは、Vita di un uomo, Mondadori から)。もう一つの洪水は、遠い昔のノアの洪水だろう。diluvio には集中豪雨という意味とノアの洪水という意味とがあり、ここでは両方の意味をかけているわけである。雨がやんだあとに鳩が鳴くのを聞いて、旧約聖書の昔に想いをはせている。

たった一行の11音詩(endecasillabo)である。

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2008年7月 5日 (土)

モンターレ:クセーニャ 14

人は、私のは
どこにも属さない詩だという。
が、もし誰かのだとしたら、お前のだ、
もう形をなさず、本質だけになったお前の。
人は、詩はその絶頂では
「全て」を褒め殺すといい、
ウミガメが稲光より
速いのを否定する。
お前だけが、動きは
静止にほかならず、
空虚は満たされており、晴天にこそ
もっとも雲が広がっていると、知っていた。
同様にして、お前の包帯とギプスの間に
閉じこめられた長い旅をよりよく私は理解できる。
だが、一人でも、二人でも、われわれはたった一つのものだと
知ったところで、安らぎはえられないのだ

(訳者妄言)
モスカは、詩人と暮らしているだけあって、詩の逆説を知っていた。モスカが包帯とギプスに閉じこめられていても、心ははるか遠くを往来することが出来たのだろう。「「全て」を褒め殺す」の前後の原文は、Dicono che la poesia al suo culmine/ magnifica il Tutto in fuga, であるが、なぜ Tutto が大文字なのか不明。辞書、たとえば De Mauro のGrande Dizionario Italiano Dell'Usoを引くと、tutto が大文字の場合、哲学で totalita' dell'essere を意味するとあるが、存在の全体性、全存在と言っても、このフレーズの難解さが解消されるわけではない。

一応、magnifica il Tutto in fuga は、すべてのものを讃えて、それがあまりに過剰なので、それらが逃げ出してしまうくらいだ、との意にとったが、率直に言って訳者として自信がない。ダンヌンツィオ風の詩風(たとえば、現実を神話化して、美化する)に対する皮肉なのだろうか。 

あるいは、また超越者として全てを創造した神をイメージして、シェリーがその詩論で展開したように、詩人を創造者と捉え、詩人はその絶頂においては、超越者の顔色なからしむるもの、というような意味なのだろうか。

その後を読むと、詩や文学の世界においては、現実における不可能が可能になり、可能が不可能になるという逆接性が説かれている。しかし、その後で、さらに、そうはいっても一人ではなぐさめは得られないという散文的認識が訪れるのだ。

モンターレのクセーニャ(Xenia)には2つの連作がありIが14編、IIが14編ある。ここまで訳出してご覧いただいたのはクセーニャIの14編である。                                                                                                              

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2008年7月 4日 (金)

モンターレ:クセーニャ 13

お前の兄は夭逝した。お前は
髪がもしゃもしゃの子供で、肖像画の
楕円の中で、「ポーズを取って」私を見ている。
兄は音楽を書いたが、出版されず、聞くものもなく、
今はトランクの中に埋葬されているか、
古紙になってしまったかだ。ひょっとしたら、
誰かが、自分が書いたものはすでに書かれたものだと知らずに
再び作曲しているかもしれない。
お前以外には誰も彼のことを憶えていなかった。
わたしも調べはしなかった。今となっては無駄なこと。
お前の後、彼が存在していたという者は
私一人になった。が、ありうることだ、
なあ、亡霊を愛すること、われわれ自身が亡霊ということは。

死者についての想い、死者の想い出とは何か、という詩。モスカの兄の存在を知る人がいなくなったら、モスカの兄とは何であるのだろう。しかし、自分もそういう存在になるのだ。あるいは、すでにそうなっているのかもしれない。

モンターレの詩には、現世に存在している自分が、すでに(気づかぬうちに)亡霊のような存在になっているかもしれない、という感覚、認識が繰り返
されている。

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2008年7月 3日 (木)

モンターレ:クセーニャ 12

春は、モグラの通過とともに突然現れる。
もうお前が、抗生物質や
毒や、大腿骨のリベットや、
ずるがしこい省略によって転がりこむはずだったが
むしり取られた財産について話すのを、聞くこともない。

春は、べたつく靄とともに、
その長い日差しとともに、耐えがたい時間とともに進む。
もうお前が、時間、亡霊、夏の移動の問題という
逆巻く波と戦うのを
聞くこともない。

「ずるがしこい省略によって転がりこむはずだったが/むしり取られた財産」というのは原文では、dei beni di fortuna che t'ha un occhiuto omissis/spennacchiati  で、遺産相続などで、転がりこむはずと思っていた財産が、弁護士や公証人の巧妙な省略によってモスカの手には渡らなくなったのを何度も嘆いていたのだろう。

老妻の嘆きを、生前はあるいは疎ましいと思っていたのかもしれない。今は、それすらも懐かしい、ということか。

ロマン派的な若者の叙情とは質を異にする、生活の中から滲み出すような叙情ともいえよう。

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2008年7月 2日 (水)

モンターレ:クセーニャ 11

君の悲嘆を思い出すことは(僕のは倍だった)、
君の高笑いを打ち消すことではない。
それはまるで、君の個人的な最後の審判の
先取りのようだったが、残念ながら一度も生じなかった。

    
君の個人的な最後の審判は原文では un tuo privato/Giudizio Universale である。宗教的な用語を、まったく個人的な文脈に用いているわけだが、大げさすぎてユーモラスである。おそらく、モスカは、あの人はあんなことをしてるときっと地獄に落ちるわよ、などとダンテまがいの予言をしていたのかもしれない。

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2008年7月 1日 (火)

モンターレ:クセーニャ 10

「祈っていましたか?」、「ええ、サンタントニオには
失くした傘が
見つかるようにと、サンテルメーテには
洋服ダンスに納める服のために」
「そのためだけですか?」。「親族の死者と
私のためにも」。
         「十分です」と司祭が言った。
               
                   
最初は誰と誰の会話か、わからぬ感じだが、最後に司祭という言葉を見ると、亡くなった妻が祈っていたかを語り手(モンターレ)に尋ねているのだと思われる。
最初の祈りの内容は、ユーモラスである。サンテルメーテは、モンターレが夏を過ごした海辺の町フォルテ・デイ・マルミの聖人で、そのお祭り(8月28日)には、奇抜な洋服などが屋台で売られるとのことである。

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