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2008年6月 9日 (月)

苦悩する女

ああこんなはずでは!わたしが、ここで滴に?
溶けていくナメクジ・・・わたしが?
溶けていき、私をすすぐ心、
内蔵、腿(もも)...すべてが水に...
こうして続いていくのだとしたら、疑うことなどできるの?
少しずつ、少しずつ、この肉も
穿(うが)たれ、去っていく。
ああ、まだ、いやよ、いや、私のはやめて、
まだ、時間があるの、いってるでしょ、時間が、
でも、どの時間、飢えた骨、肉の
時間!ほら、すべてが、私を流れていく、
何年も、何年も、何年も、噛みついて、
私の脳みそを一皮、一皮囓(かじ)って。
少しの力も無く、内蔵の
動かぬ力で、足に服をまとう。
でも、これではないし、これでもない、
ひょっとして、私もう、足も、腕もない...
だったら、頭もない?顔もない?
何が残ってるの?何も残ってないの?
私に残ったのは、精神。意外なことに、
精神が残った。精神だけじゃない。
ちょろちょろドブみたいに流れるのも、
私から?まさか、脳みそじゃ?
私はいまや、屠殺場で皮を剥がれた
獣のよう、四つ裂きにされ、水抜きに釣らされているのか、
ドアが釘付けになっていても、
まだ私は歩けるかのように?ああ、お願い、
私の姿は見えず、ひょっとして、
私を見た人は、虚脱状態に陥るのか。
何もわからない、私には関係ない、
でも私の眼、ああ、私の眼、
私の眼が見たもの、たとえ恐ろしいものでも!
そして闇、ドアが間に入った。

ヴァルドゥーガの『苦悩する女(Donna di dolori)』(1991) から。

(訳者妄言)語り手の女は、死んでいるが、そのことを自覚していない。この状況は、彼女の肉体への執着、焦燥をかきたてる。

詩型は、endacasillabo(11音節)で、対韻(rima baciata)である。
即ち、行末だけしめすと、
    sgorcciolio?
              io?
             sciacqua
              acqua...
             dubitarne?
              carne
と、2行ずつ、同じ韻で進んでいく。

この詩にいたってヴァルドゥーガの詩は、演劇性を強く帯びる。舞台でパフォーマンス(独白)をするのにふさわしい。実際、この作品は、ルカ・ロンコーニの演出で舞台にかけられた。

お断り
 訳者としては、読み方が複数あったり、読みを指定したい時に、振り仮名(ルビ)をつけたいのですが、ルビは特殊文字になって文字化けを起こしやすいので、(  )の中に読みを挿入しています。お見苦しいですが、頭の中で、ルビに転換してお読みいただければ幸いです。

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