モンターレ:クセーニャ 7
自分への哀れみ、無限の罪と不安
「この世」を熱愛し、期待し、あの...
に絶望する者の (誰があの世などと口に出来よう?)
.................................
「奇妙な哀れみ...」(アズチェーナ、第二幕)。
(訳者妄言)
これは今までの6篇と調子の異なる詩である。
原文は、
Pieta' di se', infinita pena e angoscia
di chi adora il quaggiu' e spera e dispera
di un altro...(Chi osa dire un altro mondo?)
.................................................................................
'Strana pieta'...'(Azucena, atto secondo)
(テクストはEugenio Montale, Tutte le poesie、a cura di Girogio Zampa, Oscar Mondadori,1990)
2行目の quaggiu' はイタリック。4行目は原文そのものが、...のみになっている。前の3行があり、4行目で中断され、つぶやくように5行目の一言が来る。
イタリア語の原文では、3行は一息の言葉である。現世への執着を認めつつ、罪と不安を抱えている。しかし、あの世、来世と口にできようか、という信仰を失った、あるいは信仰に確信がもてなくなった西欧知識人の苦悩がかいま見える。最後の一言は、ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』からの引用で、アズチェーナはジプシーの女で、第二幕では自分の息子マンリーコ(実は先代の伯爵の子で、敵役のルーナ伯爵の兄弟)に、自分の母親は先代伯爵により火刑に処せられたこと、伯爵の子供(マンリーコ)を誘拐したことを語る。
マンリーコは自分は誰の子と疑問を持つが、アズチェーナは自分の子であると言い張る。アズチェーナは謝って自分自身の子は火中に投じてしまったというトラウマを抱えている。
『イル・トロヴァトーレ』は、オペラとしては大傑作であるが、ストーリーは不条理なものである。アズチェーナに共感を覚えているモンターレの姿が浮かび上がる。
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コメント
たいへん感激して拝見いたしました。御訳も解説も。
アズチェーナ大好きアジア人としましてMontaleさんに共感と拍手を送ります。Montaleの新しい貌を見ることができました。懸命について参ります。よろしく。
それから・・ヘンな鼠、快ではない。
投稿: figliagiglia | 2008年7月 3日 (木) 10時23分
figliagiglia さん
こちらこそ、よろしく。
Montaleは若い時には、バリトン歌手になろうかと歌を先生について勉強していました。
また、後年、ジャーナリストとして、コッリエーレ・デッラ・セーラ紙で健筆をふるっていた(詩人というのは、経済的には成り立たないんですね、残念ながら)時には、スカラ座の初日の批評を書いており、それは一冊の本となっています。
それにしても、詩の中に、こうもはっきり、アズチェーナって出てくると、新鮮な驚きがありますね。
投稿: panterino | 2008年7月 3日 (木) 19時42分