2009年8月 5日 (水)

Pascoli: La poesia (5)

                V

わたしは甘美に燃える
 灯りだ!
より孤独で、より遅い時間に、
より悲しい、重苦しく、
 より善良な影で、兄弟よ!

わたしが、もの思う
  子供の上に、
祈る母、泣く揺りかご
おしゃべりする食卓
 沈黙する石棺の上につらされた灯りであれかし。

わたしの純潔な炎は
遠くから、大地を踏みしめて
夜進み、心で泣いている放浪者に
人生の青白い道を照らす。
彼は立ち止る。が、私の光線が、
優しいたましいの中に燃えるのを見て、
暗い旅路を再開した、
 歌いながら。

(訳者妄言)
パスコリの詩の最終連。人生を行く旅人を照らす灯りとして「詩」は描かれている。パスコリは、詩の果たす役割に強い自負心を持っていたことがうかがえる。

原文は、

Io sono la lampada ch'arde
  soave!
nell'ore più sole e più tarde,
nell'ombra più mesta, più grave,
  più buona, o fratello!

Ch'io penda sul capo a fanciulla
  che pensa,
su madre che prega, su culla
che piange, su garrula mensa,
  su tacito avello;

lontano risplende l'ardore
mio casto all'errante che trita
notturno, piangendo nel cuore,
la pallida via della vita:
s'arresta; ma vede il mio raggio,
che gli arde nell'anima blando:
riprende l'oscuro viaggio
    cantando.

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2009年7月31日 (金)

Pascoli: La poesia (4)

            IV

あるいは、わたしは、ヴェールのかかった灯り、
  横に
白いシーツよりも白く、
まどろんで、胎内に
 宿した子をはぐくむ女を示す。

あるいは揺りかご
  -嵐のランプをかかげ
存在の海を渡り、
  揺れ、きしる船ーを照らす灯り

あるいは静かに地下の墓を
照らしだす灯りー頬のこけた
顔...老人の。金髪の乙女の
固まった笑顔。
お母さん!...時間のない影のなか
...あなた、その悲しい休息に
すでに蝕まれた心臓のところで
手をあわせる!-

(訳者妄言)
パスコリの詩の続き。子供を宿した母がうたわれ、そこから揺りかごへの連想は自然だが、その揺りかごは、存在の海原を渡る小舟に喩えられる。そして第三連では地下で腐敗する死体へ。人の一生と死(後)が灯りの光線で照らしだされている。

原文は、

o quella, velata, che al fianco
   t'addita
la donna più bianca del bianco
lenzuolo che in grembo, assopita,
   matura il tuo seme;

o quella che irraggia una cuna
    --la barca
che, alzando il fanal di fortuna,
nel mare dell'essere varca,
   si dondola, e geme--;

o quella che illumina tacita
tombe profonde--con visi
scarniti...di vecchi; tenaci
di vergini bionde sorrisi;
madre!...nell'ombra senz'ore,
...te, dal suo triste riposo,
congiunge le mani al suo cuore
già róso!--

おしまいの3行は、人称が交錯するが、死体となった母に tu (te) と親称で呼びかけつつ、すぐに suo triste riposo と三人称に変わり、彼女は胸の上で両手を合わせる、と解釈した。この連では、tu (あなた)が非人称的に使われていると考えることもできる。
  

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2009年7月26日 (日)

Pascoli: La poesia (3)

       III

わたしが、百の農家のあばら屋からの
つつましい油の滴で生きる
優しい聖母マリア像の
前で揺れる灯りでないとしたら、

わたしはあらゆる農園からの
オリーヴの捧げものと、
石だらけの丘と葦の鳴る小川の
挨拶を集める。

わたしの光線は、夜、
悲しげな紫の影のなか、
祈り、絶望するまつ毛のなか
たった一粒の涙を照らす。
そして夜明けの光のなかで死に絶える、
わたしの青ざめた光線は、乙女の合唱と
五月の花々のなかで
震えつつ。

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの「詩」と題された詩の第3連。第一スタンツァは農民たちが貧しいなか、マリア像にオリーヴ油を捧げている。
第二スタンツァでは、それが小川や丘といった自然に広がる。第三スタンツァは、涙を照らし燃やす灯りの光線と、夜が明けて、太陽の光に圧倒され、灯りの光線が死にいくさまを歌っている。
I, II と同様、詩は擬人化され、灯り(lampada)が語り手となっている。

原文は、

Se gia' non la lampada io sia,
      che oscilla
davanti a una dolce Maria
vivendo dell'umile stilla
    di cento capanne:

    raccolgo l'uguale tributo
    d'ulivo
da tutta la villa, e il saluto
del colle sassoso e del rivo
    sonante di canne:

e incende, il mio raggio, di sera,
tra l'ombra di mesta viola,
nel ciglio che prega e dispera,
la povera lagrima sola;
e muore, nei lucidi albori,
tremando, il mio pallido raggio,
tra cori di vergini e fiori
  di maggio.

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2009年7月 6日 (月)

Pascoli : La poesia (2)

                           II

たぶん、晩ご飯に人を集める
 灯りだ、私は。
白の上に花開く、たっぷりとした
テーブルクロスの上に静かに開く、雪の
 牧場の月。

そして楽しげな響宴に微笑む、
 突然、
小さな指を示す、
ほら、書いたり、インクを吸ったりする
 ペンでいつも真っ黒な指。

しかし、食卓では、私の暁の光線を
眺めて物思いにふける長女の
ことを心配する母親は
影にほうっておこう。
娘は私の黄金の炎に
夢中でお前のまなざしもむなしい。
もう逃れている、ああすでに、あわれな母よ、
 遠くへ!

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの詩  La poesia の第二連。ここでも詩=ランプが語り手となっている。宴にあつまって来る人、特に、小さな子供(の指)そして母と娘に光があたる。娘は夢見がちで、母はそれを心配するが、娘の思いはすでにその空間を出て、遠いところにある。

灯りは、テーブルクロスの白を照らすが、それが雪の牧場を照らす月と重ね合わせられている。灯り(=詩)は、擬人化されている。

原文は、

la lampada, forse, che a cena
  raduna;
che sboccia sul bianco, e serena
su l'ampia tovaglia sta, luna
  su prato di neve;

e arride al giocondo convito;
  poi cenna,
d'un tratto, ad un piccolo dito,
là, nero tuttor della penna
  che corre e che beve;

ma lascia nell'ombra, alla mensa,
la madre, nel tempo ch'esplora
la figlia più grande che pensa
guardando il mio raggio d'aurora:

rapita nell'aurea mia fiamma
non sente lo sguardo tuo vano;
già fugge, è già, povera mamma,
       lontano!

この連も、韻はABABC DEDEC FGFGHIHIである。

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2009年6月26日 (金)

Pascoli : La poesia (1)

           詩

      I

わたしは甘美に燃える
 灯りだ!
たぶん、いぶされた梁(はり)に
吊さがり、糸を紡ぐ
  夜の集まりを見ている。

物語や議論を聞く、
 影にかくれた口、隅の、
白い糸を紡ぎ出す
柔らかな糸巻き棒の
 後ろの口からの。

議論、物語、愛の
言葉、混乱した耳に、
絶え間ないつぶやきは、
絶え間ない錘(つむ)のピューという音にかき消され、
いつもの言葉を間近で
新たにわくわくして聞く、
物聞かぬ牛たちの
 おだやかな咀嚼のなかで。  

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの「詩」(La poesia) という名の詩。その第一連である。全体は5つの連からなっている。タイトルからも判るように、この詩は、パスコリの詩論にもなっている。

1行目の私というのが詩なのである。詩が擬人化されている。そして灯りとなった詩は、人々の集まりをじっと見つめている。

原文は、

Io sono una lampada ch'arda
   soave!
la lampada, forse, che guarda
pendendo alla fumida trave,
     la veglia che fila;

che ascolta novelle e ragioni
   da bocche
celate nell'ombra, ai cantoni,
là dietro le soffici rócche
   che albeggiano in fila:

ragioni, novelle, e saluti
d'amore, all'orecchio, confusi:
gli assidui bisbigli perduti
nel sibilo assiduo dei fusi;
le vecchie parole sentite
da presso con palpiti nuovi,
tra il sordo rimastico mite
   dei bovi:

韻はABABC  DEDEC  FGFGHIHIと踏んでいるが、2行目、7行目は特に短く、5行目10行目も短い。この連の最終行も3音節しかない。

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2009年6月22日 (月)

Pascoli : Il gelsomino notturno

           夜のジャスミン

夜の花が開く、
私がいとしい人たちのことを想う頃に。
蛾がガマズミの間に
あらわれた。

しばらく前から叫び声が止んだ、
一軒ぽつんとある家はつぶやいている。
翼の下で、巣が眠っている、
目蓋の下で、眼が眠るように。

開いた萼から、赤いイチゴの
匂いが立ちのぼる。
部屋には灯りが輝く。
墓には草が生える。

遅くきた蜜蜂が、蜜房が
すでにふさがっているのを見てつぶやく。
スバル座が空の麦打ち場を
星々のピーピーいう鳴き声とともに横切る。

一晩中、風とともに
過ぎる匂いが立ちのぼる。
灯りが階段を上る、
二階が明るくなる、消えた...

夜明けだ。花びらが閉じる
少ししわがよって。柔らかく
秘密の房のなかに抱かれているのは、
どんな新たな幸せなのだろう。

Gelsomino

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの詩。1901年に、パスコリの親友ガブリエーレ・ブリガンティの結婚を祝して出版された。後に、 詩集Canti di Castelvecchio に収められた。自然の出来事と、新婚の初夜の出来事が重ね合わされている。

パスコリは、しばしば、こうして、自然界に生じることと、人間界に生じることを並行して描く。人間が自然の一部であるように感じられるし、逆に、自然界のことがより身近に思える仕組みとなっている。

第一連、パスコリは夜になると、いとしい死者たちに想いを寄せていると告白している。

第二連の「叫び声」は、人々が活動している昼間の叫び声ともとれるし、鳥の鳴き声ともとれる。

第三連は、夜になって、ジャスミンの花が開き、匂いが立ちのぼる。部屋に灯りがともり、墓場に草が生えるというのは、不思議な描写だが、昼間には昼間の活動があり、夜には夜独自の生き物や人間の活動があるということだろう。

第四連の「スバル座」は La Chioccetta で、プレイアデス(アトラスの7人の娘)のことを農民はこう呼ぶのだとパスコリ自身が後に説明している。

第五連で、花嫁と花婿は一階の居間から二階の寝室へ移動する。

第六連では、花の受粉が、花嫁の受胎と重ね合わされている。繊細なエロティシズムである。

原文は、

E s'aprono i fiori notturni,
nell'ora che penso a'miei cari.
   Sono apparse in mezzo ai viburni
   le farfalle crepuscolari.

Da un pezzo si tacquero i gridi:
là sola una casa bisbiglia.
   Sotto l'ali dormono i nidi,
   come gli occhi sotto le ciglia.

Dai calici apeerti si esala
l'odore di fragole rosse,
   Splende un lume là nella sala.
   Nasce l'erba sopra le fosse.

Un'ape tardiva sussurra
trovando già prese le celle.
   La Chioccetta per l'aria azzurra
   va col suo pigolìo di stelle.

Per tutta la notte s'esala
l'odore che passa col vento.
   Passa il lume su per la scala;
   brilla al primo piano: s'è spento...

È l'alba: si chiudono i petali
un poco gualciti; si cova,
   dentro l'urna molle e segreta,
   non so che felicità nuova.

花が開くという視覚的な情報、夜になって、蛾が飛び回るという動き、そして叫び声やつぶやきという音が描写される。第三連からは、それに匂いが加わる。明らかに官能的な領域に入っている。夜に、草が生長するというのも、どこか生々しい感覚である。

そして灯りの移動と消灯。闇が訪れて、夜が明けると、その間に神秘的に生命がはらまれているのである。

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2009年6月18日 (木)

Pascoli : X Agosto

            8月10日

サン・ロレンツォの日だ、僕は知っている
多くの星が、静かな大気中で
燃えそして落ちるから、あんなに大きな涙が
空のくぼみで燦めくから。

一羽のツバメが屋根に帰ってくる、
誰かが殺した、いばらの中に落ちた。
くちばしに虫をくわえていた、
子ツバメの食事だ。

今はそこだ、十字架にかかったように、
あの遠い空へ、あの虫を差し出している。
彼の巣は日陰にあり、待っているが、
ピヨピヨという鳴き声はだんだんか細くなる。

ある男もその巣に帰るところだった。
誰かが殺した、彼は言った、「許す」。
見開いた眼には、叫び声が残った、
プレゼントの2つの人形を持っていた...

今はそこ、人里離れた家、
彼を待っている、むなしく待っている。
彼は動かない、呆然とし、遠い空に
人形を示している。

ああ、天よ、無限で、不滅の、
おだやかな高みから、
ああ!星々の涙が
「悪の」くすんだかけらをおぼれさせる。

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの詩。1867年8月10日、詩人の父ルッジェーロ・パスコリは帰宅途中何者かに撃たれて死亡。当時12歳だったパスコリにとって、拭い去れぬトラウマとなる事件であった。それから30年後、1896年8月9日にこの詩が発表されたのである。後、詩集Myricae に収められた。

8月10日は、聖ロレンツォの日である。だから、冒頭は、通常は、サン・ロレンツォよ、という呼びかけと解釈されるが、ここでは、今日は、サン・ロレンツォの日だ、という風に訳してみた。サン・ロレンツォの日は、流れ星がよく見られることでも知られている。

「8月10日」は父の死に捧げられた詩である。帰宅途中の男と、雛に餌を運ぶ途中のツバメ、そして両者の死が並行して語られる。

原文は、

San Lorenzo, io lo so perché tanto
di stelle per l'aria tranquilla
arde e cade, perché sì gran pianto
nel concavo cielo sfavilla.

Ritornava una rondine al tetto:
l'uccisero: cadde tra spini:
ella aveva nel becco un insetto:
la cena de' suoi rondinini.

Ora è là,  come in croce, che tende
quel verme a quel cielo lontano;
e il suo nido è nell'ombra, che attende,
che pigola sempre più piano.

Anche un uomo tornava al suo nido:
l'uccisero: disse: Perdono;
e restò negli aperti occhi un grido:
portava due bambole in dono...

Ora là, nelle casa romita,
lo aspettano, aspettano in vano:
egli immobile, attonito, addita
le bambole al cielo lontano.

E tu, Cielo, dall'alto dei mondi
sereni, infinito, immortale,
oh! d'un pianto di stelle lo inondi
quest'atomo opaco del Male!

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2009年6月15日 (月)

Pascoli : I gattici

             白楊

銀色の白楊よ、お前を再び見る、
種まく日に葉の落ちたお前を、
朝霧はまだ怠けもの
あたりのすべての蔓を黄金にぼかす。

黄色い葉を旋回させる
この風は、かつてお前を芽吹かせた、
僕は時に向かって、その時叫んだ、歩け
いまは心に涙が落ちるのを感じる。

今は、山の上の動かぬ雪、
もの悲しい雨、夜、戸に打ちつける
北風の長い怒り。

無限の下りに見える
短い日々、消え失せることとしおれること、
菊、死の花。

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリのソネット。4行、4行、3行、3行の古典的なソネットで、各行は endecasillabo (11音節)。

この詩は、1889年に書かれ、同年11月17日にフィレンツェの雑誌《Vita nova》に掲載された。1892年、詩集Myricae に収められた。

死が主題となっている。語り手は、秋の情景を眺めているが、春を思い出し、今や季節が冬に向かって進んでいることを嘆く。

第2節で春を思い出すが、第3節以下ふたたび秋から冬へ向かう今の寒々しい情景に戻る。

原文は、

E vi rivedo, o gattici d'argento,
brulli in questa giornata sementina:
e pigra ancor la nebbia mattutina
sfuma dorata intorno ogni sarmento.

Già vi schiudea le gemme questo vento
che queste foglie gialle ora mulina;
e io che al tempo allor gridai, Cammina,
ora gocciare il pianto in cuor mi sento.

Ora, le nevi inerti sopra i monti,
e le squallide piogge, e le lunghe ire
del rovaio che a notte urta le porte,

e i brevi dì che paiono tramonti
infiniti, e il vanire e lo sfiorire,
e i crisantemi, il fiore della morte.

韻は、ABBA, ABBA, CDE, CDE の形になっている。4行目の蔓(sarmento)はぶどうの蔓をさす。季節の移ろいに、深い思い入れのある詩。

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2009年6月10日 (水)

Pascoli ; Lavandare

       洗濯女

半ば灰色で半ば黒い畑に
牛のいない鋤が、忘れられたように
残り、あたりは薄靄。

導水路から、拍子のついた
洗濯女たちの濯ぐ音が
ぱんぱん叩く音と長く単調な歌とともに聞こえてくる。

風が吹き、枝の葉が雪のように落ちる、
けれど、あんたはくにに帰ってこない!
あんたが出てったときと、わたしは同じさ!
休耕地の鋤みたいなもんよ。

(訳者妄言)
ジョヴァンニ・パスコリの詩。1892ー1894年に書かれ、詩集Myricaeに収められた。畑にうち捨てられた鋤が、第三節で聞こえてくる洗濯女たちの歌のなかの私(村に残り、独り身のまま)と照応している。耕されぬ畑は、恋人の帰りを待ちわびる女自身の象徴でもあるだろう。

原文は、

Nel campo mezzo grigio e mezzo nero
resta un aratro senza buoi, che pare
dimenticato, tra il vapor leggero.

E cadenzato dalla gora viene
lo sciabordare delle lavandare
con tonfi spessi e lunghe cantilene:

Il vento soffia e nevica la frasca,
e tu non torni ancora al tuo paese!
quando partisti, come son rimasta!
come l'aratro in mezzo alla maggese.

この詩も形式的には前の詩と同じくマドリガーレの形式.
行末を示すと、
nero        A
pare        B
leggero    A

viene       C
lavandare B
cantilene  C

frasca      D
paese      E
rimasta    D
maggese  E

となり、Bの pare  と lavandare が第1節と第2節をむすびつけている。lavandare は洗濯女たちのことで、通常は lavandaie だが、韻の関係だろうか、lavandare というやや珍しい形をとっている。7行と9行は、厳密な韻ではなく、assonanza (母音韻)になっている。

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2009年6月 9日 (火)

Pascoli : Carrettiere

       馬車引き

ああ馬車引きよ、暗い山から
静かにやって来い、お前は夜
絶壁のもと、空中の橋の上にいた。

不平満々の北風は何と言っていたのか、
渓谷や洞窟で何をわめいていたのか?
が、お前は積荷の上で眠っていた。

道を進むにつれ、次第に、
あらしの風がひゅうひゅうと鳴る、
が、お前はクリスマスを夢見ていた、
チャルメラの音を聞いていた。

(訳者妄言)
しばらくぶりに、当ブログ再開します。ジョヴァンニ・パスコリは、1855年生まれ、1912年に亡くなった。「馬車引き」(Carretttiere)が収められた詩集 Myricaeは1891年から1903年にかけて数回改訂版が出てそのたびに収められた詩の数が増えている。

原文は、

 O carrettiere che dai neri monti
vieni tranquillo, e fosti nella notte
sotto ardue rupi, sopra aerei ponti;

che mai diceva il querulo aquilone
che muggìa nelle forre e fra le grotte?
Ma tu dormivi, sopra il tuo carbone.

A mano a mano lungo lo stradale
venìa fischiando un soffio di procella:
ma tu sognavi ch'era di natale;
udivi i suoni d'una cennamella.

内容は素朴だが、形式的には madrigale で、3行+3行+4行である。韻は、ABA CBC DEDE となっている。第一連、第二連は3行詩節(terzina) で、第三連が4行詩節(quartina) となっている。第一連と第二連は、それぞれの二行目がnotte, grotte で韻を踏むことで結びつけられている。第三連は、交差韻(交代韻、alternate) となっている。

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