2020年1月22日 (水)

夢の実現展 と 甦るルネサンスの調べーレオナルドが生きた時代の音楽ー

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年を記念した東京造形大学の展覧会と音楽会に行ってきた(代官山ヒルサイドフォーラム)。

場所は、代官山ヒルサイドテラスのF棟というところで、もう何十年かぶりに代官山という駅を降りた私は、お洒落なブティックが道の両脇にずらずら並んでいるのと、またその店舗が一般家屋を改装したような建物であることが多いのに目をみはった。代官山ヒルサイドテラスF棟というのも入り口からすぐのところはお店が入っていて、やや中に入ると展示コーナーがあるのだった。いわゆる一般の博物館、美術館ではない。

この展覧会も音楽会も無料なのである。

無料だから来たというわけではないのだが、1月5日から26日までの会期をこの場所を借りて、展示物を準備して、僕は残念ながら聞くことはできなかったがレクチャーやシンポジウムも複数やっている。これを企画、オーガナイズするのも大変なご苦労だと思うが、予算もどこから出たのかと率直に不思議に思う。西洋美術館などでもシンポジウムやレクチャーをやることがあるが、あちらは、1人1人の入場者から千五百円ー二千円くらいの入場料を取っているし、入場者の数も相当数にのぼる。オペラのことを普段から考えていると、文化的な事業というものも、芸術への情熱だけでなく、誰がスポンサーなりパトロンなのか、どうやってビジネスとして成り立つのかといったことも考えざるを得ないし、そういう観点から書かれた論考も少なくはない。

さて、はずは、展覧会を見たのだが、ここにはレオナルドの作品の実物が飾られているわけではない。そうではなくて、色々学術的な考察に基づいて、元々はこんな状態であったろうという状態に戻したものが写真というかデジタル加工して展示されている。例えば「ベルナルド・ベンチの肖像」であると、現存のものは、下3分の1くらいが欠けている。手の部分がないのだが、ここでは様々な資料をもとにどういう風に体の前で手の

ポーズを取っていたかが、これを復元して画像として展示している。モナリザなどもシワがとれており、出来立て、レオナルドの最晩年の状態が復元され展示されている。演奏会の方は、副題にあるようにレオナルドと同時代の作曲家の作品を中心に聞く。中にはレオナルドがつくった歌もあった。ただし、これはレオナルドが作詞に合わせてドレミファを埋め込んでいてそれをもとにメロディを探っていく感じだった。アントネッロの濱田芳通氏のリコーダー(何本かを持ち替えて使っていた)、阿部雅子氏のソプラノ、矢野薫氏のヴァージナルであった。ヴァージナルはレオナルド時代の(復刻?)ものであるとのことだった。演奏会が終わった後で、楽器に近寄ってみると、弦が横に張られているし、鍵盤も4オクターブ半くらいで小ぶりなのだった。

曲目は作者不詳のもの、ハインリッヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレ、クレマン・ジャヌカンなどだが、リコーダーの伴奏はおそらくは即興でかなり装飾音をつけ、リズムやテンポが生き生きとしていた。演奏前に池上英洋氏の解説が、演奏中は濱田氏の解説があり、鑑賞の助けに大いになった。これは酔っ払いの歌です、とか、これはエッチな歌なんですといった具合で、なかなかタイトルだけではそこまではわからないのだった。

 

 

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2006年6月22日 (木)

「カルティエ現代美術財団コレクション展」

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メンディーニの《プルーストの安楽椅子》

カルティエ現代美術財団コレクション展を見た(江東区、東京都現代美術館、7月2日まで)。

インスタレーション作品が中心。その場では気づかなかったが、帰ってきて印象に残ったものを想起してみると、音または音楽が伴っている作品が多い。それが、私という観察者の偏差によるものか、一般的にそうなのかは、判別しがたい。

印象に残ったものをいくつかあげると、デニス・オッペンハイムの《テーブル・ピース》。18メートルもあるとても細長いテーブルが黒から白へとグラデーションに塗られていて、両端には、黒い人形と白い人形が座っており、その前にマイクが置かれている。

実際には、複数のスピーカがテーブルの下に設置され、二人が意味不明の言葉のような音を発しているのだが、これは、明らかに現代音楽のミニマル・ミュージックの影響を受けている。二人の発する音が似ていて、少しずつずれて、もわれのような現象を起こすのである。

それが不思議な感覚を呼び起こす。

ナン・ゴールディンの《性的依存のバラード》1979ー1995年。684点の画像によるスライド・プロジェクション、サウンドトラック。いかにも現代のアメリカの性を剥き出しに、生々しく想起させるイメージが、テーマごとに、音楽にのって繰り出される。テーマは、ドラッグであったり、売春であったり、同性愛、エイズ、死であったりする。音楽は、ポップスであったり、イタリアのカンツォーネであったりするので、作者のテーマへの思いが伝わりやすい。

20世紀の芸術は、テーマが複雑なものが多いので、せめて作者のある種の視点、こだわりが、読み取れるように構成されていないと、単に思いつきだけとか、独りよがりのようにも受け取れてしまう危険がある。

映像が次々に繰り出されると、一枚では舌足らずな場合でも、連続するイメージによって、こちらの心に多面体が形成されて、何となく、伝わるものがある。何となく、というといい加減のようだが、おそらく作者もそれを単一に限定しようとは願っておらず、受け手によって、異なることを望んでいるのではないだろうか。

音の無いもので面白かったもの。

アレッサンドロ・メンディーニの《小さなカテドラル》。高さ5メートルほどの小さな聖堂である。モザイク調。意味不明あるいは難解風なものが多いなかで、明らかに教会にしか見えない建物を造っているところが、面白い。インスタレーションしてもイタリア人は、きわめて保守的なのだなあ、と感心した。

メンディーニのもう一つの作品《プルーストの安楽椅子》も誰がどこから見ても椅子である。大きさは3メートルで、通常の椅子としては巨大であるが。

松井えり菜の《えびちり大好き!》は、楽しい作品であった。158×126,5cmのカンヴァスに目をつむって、えびちりにうっとりとする、ほとんど醜いとも言えるデフォルメされた、しかし恍惚とした表情の巨大な顔が描かれている。聖人にかかっている光輪のように、光る文字の輪が頭上にかかっている。「こんにちは、まつい えりなです。いちがつようかうまれのえーがたです。えびちりだいすき!なおかやまけ」(作者は岡山県出身)と書いてある。ユーモアと造形力に富み、しかも西洋美術の古典を踏まえているところがニクイ。

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2006年6月18日 (日)

ミンモ・イョーディチェ写真展

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「ミンモ・イョーディチェ写真展ー地中海の神話」を見た(九段下、イタリア文化会館、6月25日まで、入場無料)。

新しくなったイタリア文化会館に行って、イョーディチェの写真を見た。文化会館は、外観が鮮やかな赤で、それが赤すぎるかどうかが議論になっているのを、以前に新聞などで見た。

自分の眼でも確かめようと見たわけだが、僕個人としては、意外に落ち着いた赤だな、という印象である。色彩観は個人差があるし、また、時代によっても好まれる色が変わったりするだろう。

イョーディチェ展は、40点ほどの白黒写真が一階に展示されていた。被写体が、神話的なもので、まさに「地中海の神話」というタイトルにふさわしい内容である。

それをライティングや、被写体の一部分だけが止まっていて、まわりには動きを出したりしていて、その彫像、遺跡が眼に飛び込んでくる感じである。

あたかも、その彫像や、遺跡の発見に立ち会っているかのような感覚を一瞬もつ。白黒であることも、時間を超越した感覚に一役かっているだろう。

古代彫刻のまなざしと向き合っていると、こういう写真になるのだろうか。写真家の技巧うんぬんの前に、被写体の存在感の強さにうたれる。

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2006年6月 2日 (金)

「ポンペイの輝き」展

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「ポンペイの輝きー古代ローマ都市 最後の日」展を見た(渋谷、Bunkamura ザ・ミュージアム、6月25日まで)。

ポンペイだけでなく、エルコラーノ、オプロンティス、テルツィーニョ、ポンペイと分けて、展示がなされていた。

ポンペイは、ヴェスヴィオ山の東南に位置し、いうまでもなく、もっとも有名な遺跡であるが、エルコラーノ(ヴェスヴィオの西南、海ぎわ)、オプロンティス(ヴェスヴィオのほぼ南)、テルツィーニョ(東)にも、それぞれ興味深い発掘品がある。

今回の展示では、人が集団で埋もれていた様子を再現していたのが目新しい。エルコラーノの人々は、海岸の船倉庫に集団で避難していたのだが、そこへ熱の灰雲(サージ)が襲った。熱雲は400度にも達していた可能性があり、通り過ぎたあとには、1,5メートルの火山灰が堆積した。

その人々が折り重なるようにして亡くなった時の様が、発掘時の再現という形で展示されていた。

また、剣闘士が闘技場に入場するときに身につける兜、肩当ては、初めて見た。兜には、ローマの擬人化された像が浮き彫りになっており、肩当てにも、胸像が浮き彫りになっていた。実際に戦うときには、もっとシンプルな兜、肩当てを着用したのだそうだ。

文字入りの壁画「居酒屋の場面を表わした壁画」も面白かった。ある客が水を「ここにもってきてくれ」というと隣の客は「いや、私だ」と反駁する。すると、給仕の女性は、「欲しい人が飲みなさい」といっている。

他にも、さいころ遊びをしていて、出た目が3ではなく2だったなどと言って争っている場面もある。

宝飾品も、立派なものから、普及品と思われるものまで、多様なものが見られた。

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