2017年4月23日 (日)

『バッハ・古楽・チェローアンナー・ビルスマは語る』その4

まだまだ続くがこれで最後です。

ビルスマはボウイングの重要性を説いた上で(そのこと自体は弦楽器を演奏する人にとっては当然のことかもしれないが)、バッハのチェロ無伴奏曲集について綿密な考察を加える。
考察は決して観念的ではなく、演奏に即している。
まずはボウイングの原則11か条が提示される。
さらに、ここがこの本の白眉かもしれないが、この曲集のアンナ・マグダレーナ(バッハの二番目の妻)による自筆稿の読み解き方が示される。従来、アンナの自筆稿には写し間違いが多いとされていたが、ビルスマは異なった観点から高く評価している。
バッハは同じフレーズを何度も繰り返すことがしばしばあるのだが、そこでアンナの楽譜ではスラーがかかっている箇所が異なるのだ。それはわざわざそうしているというのがビルスマの解釈である。
それには、歴史的前提があって、イタリアとフランスではボウイングの流儀が異なっていた。イタリアではかなり自由で創意工夫にとむボウイングを各名人が繰り広げていたが、フランスではオーケストラの演奏が揃うことを主眼にがっちりとしたボウイングの規則を作っていた。
バッハはイタリア式のボウイングに通じていたというのだ。それを元に、ビルスマは、バッハは同じフレーズを繰り返す時に、異なるボウイングで弾くよう求めていたはずだと考える。その考えがアンナの自筆稿に反映されているというのだ。ボウイングやスラーに関しては評者は全くの素人であり、その当否を云々する資格はないのだが、それを断った上であえて言えば、自分たちに理解できない楽譜の書き方をアンナのミスのせいだとして来たこれまでの学説には再考の余地があると思えてくるのだった。ビルスマのバッハそしてアンナ・マグダレーナへの素朴な愛情が、読者にも伝染するのかもしれない。
バッハの無伴奏はただCDを聞いていても充実しているが、ビルスマの解説を読みながら、あるいは読んでから聞くとさらに色々な可能性に気がつき、違った聞こえ方をするようになるかもしれない。

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『バッハ・古楽・チェローアンナー・ビルスマは語る』その1

アンナー・ビルスマ、渡邊順生著、加藤拓未編・訳『バッハ・古楽・チェロ〜〜アンナー・ブルスマは語る』(アルテス・パブリッシング、3800円)を読んだ。愉快な楽しさと、引き込まれるような興味深い話に満ちた本だった。

オリジナル楽器の名手ビルスマ(敬称略、以下同様)とチェンバロ奏者渡邊の対談がメインなのだが、ビルスマという人は話しぶりが、実に豪放磊落、構えず思ったことを率直に、しかもユーモアを交えて語る人なので、こちらもその場に居合わせたかのように声をあげて笑うこと1度ならずあった。

ビルスマは、学校秀才の反対で、むしろ先生の言うことを聞かず退学にもなって、夜間学校に通ったりしている。そう言う気質が彼にはずっと生きている、息づいている。音楽学校の教師が、通説を教えようとしても、彼は疑問を持てば、通説に従わず疑問を持ち続ける。

彼は音楽院卒業後、ネーデルランド歌劇場管弦楽団にチェリストとして就職。そこでもしょっちゅう遅刻し、『ローエングリン』上演の時など、劇場に行って見たら誰もいない、その日の公演はいつものアムステルダムではなくてユトレヒトだった!

翌年カザルスコンクールで優勝するが、チェリストを続けるかどうか悩む。そこへフランス・ブリュッヘンから電話がかかり、グスタフ・レオンハルトとも知り合う。

ビルスマはその後、オランダの名門コンセルトヘボウ管弦楽団に入団するが3年で辞めてしまう。その理由がふるっていて、ずっと「12人」や「18人」で同じ音を弾いているのは苦痛だから。

彼の好きな指揮者はフルトヴェングラー。フルトヴェングラーがコンセルトヘボウの指揮者だったらコンセルトヘボウの指揮者だったら彼はコンセルトヘボウを辞めなかったろうと。当時のドイツ人指揮者はオットー・クレンペラーだったと言うからちょっと驚き。しかもビルスマは、クレンペラーの指揮するベートーヴェンの交響曲は「つまんなくてね」。

他にはブーレーズはフランスものは良かったが、彼の振るシューベルトは何がやりたいのか今もさっぱりわからない、とのこと。

ビルスマがバロックチェロを弾き始めたのは1960年代半ばで、モダンチェロでブリュッヘンのリコーダと合わせるといつもピアニッシモで弾かねばならなかったが、バロックチェロでは普通に弾けるようになったと言う話もモダン楽器とピリオド楽器の音量の違いを考える上でなるほど納得のエピソード。

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2017年4月 8日 (土)

『名曲の真相』

佐伯茂樹著『名曲の真相』(アカデミア・ミュージック、1800円)を読んでいる。

この本は副題に「管楽器で読み解く音楽の素顔」とあるように、管楽器からみた各時代の名曲の姿を解説したものである。
そのうち評者は、バロック・オペラ及び古楽器に関心を持ちつつ読んだ。フルートのところでは著者は、バロック時代にはなぜベーム式のトーンホールのメカニズムを持たないか(つまりモダン楽器では転調や半音が楽に出せる)に関して、バロック時代には「調性ごとに異なるキャラクターを持つ」という「調性格論」というものがあったからだとする。バロック時代のフルートで演奏した場合、半音はクロスフィンガリングやフォークフィンガリングで穴をふさぐのでくぐもった音が多くなる。ニ長調やト長調は明るくなり、変ホ長調はこもった音の暗い色調となるのを踏まえてバッハらは調性を選択していたというわけだ。
バッハの時代のトランペットの解説も興味深い。低いところでは自然倍音だからドとソしか出ないのだが、クラリーノ音域と言われる高音域になると音階らしきものが演奏できるようになり、その部分を活用した。
楽器の格式の話もまた面白い。トランペットは古くから格が高く、例えばクラリネットは庶民的な出自で、パリの宮廷ではなかなか使用されなかったなど。
通奏低音に関しては、通奏低音を担当する楽器はチェンバロ、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ(リュートの大きいやつ)など色々あるが、その共通点は最低音がCだということ(細かい例外は本書にあたってください)。
古典派時代に起こったホルンという楽器の変化、変革も実に興味深い。
古楽器・ピリオド楽器からモダン楽器への変化は、 概ね転調の多い楽曲の演奏に関して、便利で演奏しやすくなるのだが、そこで失われるものが皆無なわけではなく、その最大のものは音色であろうと古楽器・ピリオド楽器をしばしば聞くようになると思う。本書はバロックから20世紀まで扱っているので、興味のある部分から読み進めれば良いのかと思う。

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2017年4月 4日 (火)

『ラフカディオ・ハーン』

工藤美代子著『ラフカディオ・ハーン』(NHKライブラリー)を読んだ。奥付を見ると1995年の出版である。

放送が元になっているせいか、平明な文章でスラスラ読めた。分量の制約もあるので、個々の章でここはもっと知りたいという点も出てくるが、詳しいことが知りたくなったら、例えば工藤氏の書いたハーンの伝記(3巻本である)を読めば良いのだろう。
この本はバランス良く、ハーンの生い立ち(ギリシア人の母、アイルランド人の父)、アメリカ時代、マルチニークでの転機、日本(14年間)を描いている。著者によれば、ハーンには漂白の魂というべきものがあって、一箇所にとどまっていることはできない。アメリカでもシンシナティでジャーナリストとしてデビューするが、そこで黒人女性と結婚し、その結婚が破綻してニューオリンズに行く。
若き日のハーンは、とりわけ人間関係において不器用で、周りと軋轢を起こしてしまう。強烈な自負心と他者の評価にギャップがありすぎたのも一因。
アメリカ時代に知り合ったエリザベス・ビスランドという女性ジャーナリストとの淡い恋愛感情や文通も興味深いし、日本に来てからも松江、熊本、神戸、東京と移り住んでいる。ただし、日本では松江で小泉せつという良き伴侶をえて、子供及び使用人も連れての引っ越しとなる。経済的にも恵まれたものとなり、何よりハーンは日本文化に共感し、全体として幸せな晩年であったことがわかる。

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2017年3月31日 (金)

『ダ・ヴィンチ絵画の謎』

齊藤泰弘著『ダ・ヴィンチ絵画の謎』(中公新書、1000円)を読んだ。

ダ・ヴィンチ絵画の謎と言えば、モナリザは誰か、なぜ微笑んでいるのか、というのはこの絵を見た人のほとんどが抱く思いであろうし、私のような全くの素人でも、モナリザのモデルと言われている女性にはいろんな候補がいる、ということは昔から知っていたし、周知のことと言って良いだろう。
本書では、著者自身の研究と最近の様々な学者の研究によって明らかになってきたことを、ある時には著者が他社の研究に同意しつつ、ある時は対比的に紹介して、読者も自分なりの考えを持つことを促す書物である(と思う)。
レオナルドの母は異国出身の女奴隷だったのではないか、その可能性がかなりある、というのは衝撃的な話であった。当時のフィレンツェでは異国出身の女奴隷が有力な家庭では働いており、主人の子を生むこともあったと言った当時の状況が解説される。
本書では、素人の問いに著者が答えるという形をとっている部分がかなりあって、その答えは著者の独断ではなく、レオナルドが残した手稿から相当する部分が抜き出されるという仕組みになっており、叙述が一方通行に陥っていない。
モナリザのモデル問題に行く前に、とても丁寧にレオナルドの自然観が検討される。その時代に支配的だった考えとレオナルドのそれがどう違うか。レオナルドは、昔は地球を全て水が覆っていて海だったが、土地が隆起して陸地になったと考えていた。また、やがてはこの世界の破滅の日が来るとも考えていた。この自然観は図解入りで詳述される。それを踏まえて読み進めて行くとモナリザの背景の右側と左側の風景の様相の違いの理由が解き明かされた時に腑に落ちるのである。
モナリザ及びジョコンダ夫人が同じなのか違うのか、またそのモデルは誰なのかについては、先行する諸説、最近の研究で明らかになったこと、そして著者の説が詳しく解説される。
著者は潔く自分はこう考えるとはっきり言明する人である。他人の説を並列してあとは読者の判断に任せるという態度は取らない。だからこそ、読者は、著者と自分の考えを付き合わせて考えることを求められていると言えよう。考えるための材料は惜しみなく与えられ、なおかつ新書だがカラー版で絵画も鮮明、拡大した細部なども掲載されており、叙述の理解に大いに役立つ。

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2017年3月24日 (金)

『図解雑学 バロック音楽の名曲』

宮崎晴代著『図解雑学 バロック音楽の名曲』(ナツメ社、1650円)を読んだ。
良い本だと思うが、残念ながら古書でしか入手できない。本来CDが2枚付属しているのだが、古書のためCDが欠けているものもあるので、購入の際には注意が必要だ。
こういった音楽の本にCDがついているのはとても便利で親切だと思うし、この本の場合、CDにはいっている楽曲が必ず本文で紹介されているので対照する甲斐がある。
欧文の本で僕が経験したものだと、テクストは古楽器を紹介しており、CDも古楽器演奏なのだが、その両者の間にタグ付けがなくて、CDを聞いていてこの楽器の記述はどこにあるのかなと思ってもとても探しにくい構造になってしまっているというものがあった。
幸い、この本はまったくそういうことはない。見開きで、左側に曲の背景や解説、右側には、作曲家はこんな人というコンセプトのもとに写真や肖像画、簡略な年表と地図が掲載されている。この地図が親切で良い。ドイツの作曲家なら1つにまとめてしまうのではなく、各作曲家ごとに必ず出てくるので、左のページでリューベックがでてきて、どこだっけと思ったら、必ず右ページに地図がのっているのである。この親切さは、受験参考書に似ているような気がする。
第一部の名曲および作曲家紹介がメインなのだが、第二部以降でバロック期の楽器の紹介や、時代背景の解説もあり、構成としてしっかりしていると思う。普段は、通史的性格のものは読まない(必要な部分だけ拾い読みすることはあるが)ので、たまにこういうものを読むと、ふだん親しみのない作曲家、たとえばヴァイスがリュート曲の作曲家としては重要なのだとわかったりするのだった。

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2017年3月20日 (月)

寺西肇著『古楽再入門』

寺西肇著『古楽再入門』(春秋社、2800円)を読んでいる。

個人的に、ここ数年来、バロックオペラを熱心に観たり、聴いたりするようになって、その時のオーケストラは古楽器が比較的多く、しかし時にはモダン楽器のこともあって、自分の中の感性の何かが変わった気がする。
1980年代にアーノンクールやピノックやホグウッドをCDで聞いた時は器楽曲中心で、バロックの演奏法も昔と変わったし、音の感じもシャカシャカ軽いなあという受け止めであった。
しかし、バロックオペラを聴き出して、まずは歌手の唱法がヴェルディ、プッチーニを歌う人たちの典型的な歌い方と、ヘンデルやヴィヴァルディの歌う人たちの典型的な歌い方では異なることに気がつく。無論、中にはレパートリーが広い人もいて、両方歌っている歌手もいるわけだが、概ね住み分けがあって、一方のレパートリーに他方を専門とする人が混じっていると違和感を生じる場合もある。カウンターテナーでバロックレパートリーをメインとする歌手にヴェルディ、プッチーニを歌う女性歌手が唱法を調整しないで混じった場合には、様式感が合わない。歌舞伎に新劇の役者がたとえ衣装だけ身につけても溶け込めないのと同様だ。
やがて声だけでなく、楽器の音の響き方やフレージングの違いも気になってくる。古楽器やピリオド楽器とモダン楽器が違うというのは昔から知っていたのだが、細かいところは判らない。例えば、ストラディバリウスは何百年も前に製作されたのだから古楽器なのになんでモダン楽器として演奏されているのか?この本はそんな疑問に明快に答えてくれる。ヴァイオリンはバロック時代と現代ではネック(棹)の角度が浅く、魂柱は華奢にできている。それは演奏会場が貴族の館などであり、聴衆の数は少なく、大音量が必要とされていなかったからだ。また、標準ピッチも低かった。それが時代が下るにつれて、ガット弦に遅い銀線が巻かれ(知らなかった!)ついにはスチール弦も使われるようになった。大きな弦の張力に耐えられるように本体も改造された。ストラディヴァリやグァルネリも大抵の場合、改造されて表いたと裏板が別の楽器のものになってしまったケースもあるとのこと。
さらにはバロックヴァイオリンといっても地域差があって、バッハ時代のライプツィヒはネックの角度が浅いが、ヴィヴァルディ時代のヴェネツィアのピエタ修道院で使われていた楽器はネックの角度がモダン楽器と大差がなかったというのだ。
このほか弦に関してガット(羊の腸)弦では、地域によって羊が食する資料や生育環境の違いで腸の品質に影響し、音が変わるという。
弓についての記述も極めて興味深い。単に聞いているだけでもモダン楽器の奏者は均質さを重視し、どこで弓がかえったかわからないような弾き方をするが、バロックではダウンボウでは重みがかかり多く圧がかかり、アップボウでは解放されて軽くなり、両者の対比が明確、呼吸するようなフレージングとなる。
モダン楽器は、音の均質さを追求していることがわかりやすいのはピアノだろう。鍵盤楽器の中でもそれまでは撥弦楽器だったのに、打楽器的性格になってしまったわけで、これは楽器だけの問題ではなく、西洋近代というのが目指した方向性を象徴的に現れていると思う。
本書はもちろん、ヴァイオリン系列とヴィオラ系列の違いも明快に説明してくれるし、フォルテピアノやチェンバロについての話もある。
最初に楽器についての章を紹介したが、実は第1章はメンデルスゾーン以降の古楽復興の歴史であり、第2章は概ね20世紀以降の各国での古楽復興に際して活躍した人・団体の紹介である。
それぞれの章に「読む・聞く・観る」という参考文献・ディスクのコーナーが註釈つきであるのも大変親切だ。

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2016年7月28日 (木)

『愉しき夜』

ストラパローラ著長野徹訳『愉しき夜』(平凡社、3456円)を読んでいる。副題にヨーロッパ最古の昔話集とあるが、たしかに、そうなのだが、大変に面白い。

昔話の中には、話の採集の仕方にもよるのだろうが、1つの話がとても短いものもあるが、この『愉しき夜』では、1つの話が十数ぺージで程よい長さである。
ここに収められた話は、子供向けではなく、次々に盗みを働く若者の話、妻が死ぬ直前に再婚するなら自分のしていた指輪のサイズが合う人とと言い残すのだが、サイズが合うのが我が娘で、父は娘を我がものにしようと外国まで追いかけていき、悪事の限りをつくすという恐ろしい話も入っているのだが、あまりにストレートな悪(人)なので、妙に読後感が爽やかである。人物が寓意的だからだろうか。
訳文も良い意味で読みやすく、どんどん読める。

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2016年3月27日 (日)

武田好著『これならわかるイタリア語文法』

武田好著『これならわかるイタリア語文法ー入門から上級まで』(NHK出版、3200円)を読んだ。

とてもわかりやすい。説明が明快であるし、例文がいかにも日常的に使われそうなものだ。基本的なものだけでなく中級以上の注意ポイントにもかゆいところに手がとどくよう。たとえば、
 Forese ce l'ha con me (たぶん私に腹を立てている)p.69
 Ci sei? (わかる?) p.71
  Bambini, togliete i gomiti dal tavolo! (子どもたち、テーブルにひじをつかないようにしなさい!)p.99
  かと思うと、オペラ(ドニゼッティの『愛の妙薬』)から
 Udite, udite, o rustici attenti non fiatate.(村の皆様、お耳を拝借、おしゃべりなさらずご注目)。p.99
  Mio padre si fa fare la barba dal barbiere. (私の父は理髪師にひげを剃ってもらいます)
 さらには、擬音語、擬態語も載っている。p215.
  新聞などを読む人にも役立つ。
 la tutela del lavoratore nelle norme vigenti (現行法における労働者の保護)
これは現在分詞 vigenti が問題になるところだが、
 norma vigente 現行法←norma che vige ancora 現在も効力ある規定
という説明があり、納得。
 現代における通常の会話や散文で文法に疑問を感じた場合にはとても便利な一冊だと思う。中級を終えた段階であまりに詳しい文法書だと(つまり歴史的な経緯、変化が詳述してあると)人によっては混乱してしまうことがあるので、情報を適度に整理してあったほうが、ああこう言う、書くのが標準なのだと教えてくれる本が便利である。
 活字が適度に大きく、行間が詰まりすぎていないのもフレンドリーで良いと思う。
 

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2015年12月 9日 (水)

『兵士になったクマ ヴォイテク』

ビビ・デュモン・タック著、長野徹訳『兵士になったクマ ヴォイテク』(汐文社)を読んだ。

 

不思議と言えば不思議な話である。第二次大戦は周知のごとくドイツ軍のポーランド侵攻で始まるが、この話は、ポーランド軍兵士達がイランに逃げて、そこでクマの子を拾い、そのクマを飼いながら行軍を続けていくというもので、舞台は、南イタリアやスコットランドへと展開する。

奇妙な話に思えるが、これは実話に基づいているとのことだ。

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