ナポリ考古学博物館
ここは今、ポンペイに関する収蔵品の逸品が、日本にやってきている博物館である。前項で述べたカポディモンテに行く途中にある。
ここのコレクションには重要なものが3つあって、ファルネーゼ家コレクションと、ポンペイ関係コレクションとエジプト関係コレクションである。今回は、ポンペイ関係を丁寧に、ついでファルネーゼ家コレクションを観たが、4時間ほどかかりかなり体力的にはヘトヘトになった。ただしこの博物館にはバールがあってコーヒーや軽食はとれるので便利だ。中身は充実の一言で、圧倒される。四半世紀前に一度ここを訪れたのだが、あらためて圧倒された。
ファルネーゼ家のコレクションがなぜここにあるのかは説明が必要だろう。ファルネーゼ家はもともとはローマ郊外のヴィテルボの出身で、傭兵隊を指揮して軍事面で頭角をあらわし、後にパオロ3世(在位1534−1549年)という教皇を出す。彼は息子をパルマ公にし、以後1731年までファルネーゼ家がパルマを支配する。
ここいらへんのことはバロック・オペラにとって大いにかかわりがある。ナポリの支配者がめまぐるしく変わるのだ。16世紀半ば以降、ナポリはスペイン・ハプスブルク家の支配下にあった。ところが1700年スペイン・ハプスブルク家の最後の王カルロス2世が死去。遺言によりブルボン家出身のフェリペ5世が即位。ここでスペイン継承戦争が起こる(1701−14年)。そのさなかの1707年にナポリはオーストリア・ハプスブルクに占領され、以後その支配下にはいる。まさにバロック・オペラの盛りの時期である。ナポリにはオーストリアの皇帝から派遣された副王(vicere)がいて、この副王がナポリの支配者であり、作曲家やリブレッティスタは、副王やその妻の誕生日や聖名祝日、あるいは皇帝(ヴィーンの)やその妻の誕生日や聖名祝日を祝うためにオペラやカンタータを作曲するのである。このオーストリア支配はユトレヒト条約・ラシュタット条約で承認された。
しかし、1733年にポーランド継承戦争が勃発すると当時パルマ公であったスペイン・ブルボン家のカルロ(後のスペイン王カルロ3世)がナポリを攻め落とす。この人はナポリ王としてはカルロ7世なのだが、本人は一度もこの番号を使わずカルロとだけ署名していた。彼の治世にあのサン・カルロ劇場が建てられたのであるし、カポディモンテ美術館も建てられた。カルロの治世は1759年まで続く。その後、フランス革命の時期になると、ナポレオン(一族)とスペイン・ブルボンの攻防が一進一退を繰り返す。
ここでファルネーゼ・コレクションに話を戻すと、カルロ7世は、父がスペイン・ブルボンのフェリペ5世で母がエリザベッタ・ファルネーゼだったのだ。それで彼がナポリの王になった時にコレクションがナポリにやってきたのだ。これは古代ローマの彫刻(古代ギリシアの彫刻の模刻もある)がその代表例だ。ファルネーゼ家がローマやパルマで彫刻や絵画を収集したのである。
ポンペイに関するものも、思えば18世紀に本格的な考古学的活動が始まったのだった。現在、日本でポンペイ展が展開中だが、それはこの考古学博物館の収蔵品が貸し出されているのであり、展示室には貸し出し中のものは写真が飾られ、今日本に貸し出し中という注記があった。ポンペイ・コレクションも膨大なもので、モザイク画が有名だが、実は当時の絵画も相当な数のものが展示されている。モザイクの場合にもそうだが、中世の宗教画などとは異なり、基本的に写実的、リアルな絵である。
色は薄くなったり、ぼけてしまったりしたものもあるが、比較的鮮明なものを写真にあげた。
ポンペイ・コレクションには、エロティックな絵画もある。これはいわゆる娼婦の館にだけあったのではなく、一般家庭でも性というのが子孫繁栄とか豊穣を願うことにつながるので、たとえば呼び鈴のようなものは男根に鈴がついているようなものだし、性愛の絵画もあるのだった。このコーナーは開いている時間が限られているようだった。こうした男根を誇張した人物像が、後のサティロやバッコス像を描く際に影響を与えたと言われている(キリスト教化が進むと、原則、性器を誇大に描くことはなくなっていくが)。
4時間いても、エジプト・コレクションは手つかずである。どのガイドブックにも書いてあるが、この考古学博物館は、考古学博物館として世界有数のものであり、時間をたっぷりと取ることをお勧めします。オーディオ・ガイドもあるが、生身の人間のガイド付きツアーも英語・イタリア語(たぶんフランス語、スペイン語でも)実施されている。生のガイドだと、自分の疑問をぶつけることが出来る点がよい。ツアーに行きたい人がその場で4人集まれば、1人15ユーロだった。
18世紀は啓蒙の時代と言われ、それはまったく間違いではないが、18世紀前半は、継承戦争に次ぐ継承戦争で、列強はしょっちゅう戦い、領土を奪ったり奪われたりしている。フランス革命が勃発してからも戦争はヨーロッパ中に飛び火している。知性が支配することを優先する啓蒙主義の時代でも、そうそう平和な時期はなかったのだ。残念ながら。
カルロ7世(スペインではカルロス3世)も戦争でナポリを侵略する(彼にすれば、おそらく、もともとナポリはスペインのものだったのに一時的にオーストリアに奪われていたという感覚だったのであろう)が、その一方で、古代のものの収集、保存の意義を認め、あのテアトロ・サン・カルロも建造している。素晴らしいことばかりではないが、悲惨なことばかりでもない、両面を観ていくことが大事なのだろう。オペラをめぐるパトロンはこの時期非常に重要なわけで、その支配者の変遷を考慮の外に置くわけにはいかないだろう。
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