2018年8月29日 (水)

行きあたりばったりのオルガン・コンサート

予定外のオルガン・コンサートを聴いた(ザルツブルク大聖堂)。

ザルツブルクはさほど大きな町ではないので、旧市街の見所は2、3日もあれば一通りは見られるだろう。音楽祭の合間に街をぶらぶらして、モーツァルトの住居(住んだ家と生家と両方がザルツブルクにはある)を何度も訪れたりしている。
今回気が付いたのだが、メインのザルツブルク音楽祭とは別に地元の教会やミラベル公園や宮殿で音楽会が催されている。
なんという目的もなく大聖堂へ歩いていくとお昼のオルガンコンサートをやるというので入った。料金は5ユーロ。12時5分開始というのが中途半端だなと思っていたら、12時には教会の鐘が鳴るので鳴り止んでからという意味だとわかった。
曲目は3つ。最初の1曲と後半の2曲では弾くオルガンを使い分けていた。
1曲目は教会の中央に近い壁についたHoforgel で演奏され Franz Xaver Schnitzer (1740-1785)のSonata V ロ長調、作品1、5。マイナーでローカルな作曲家だが、年代的にもモーツァルトに少し先立つ世代。ソネチネ・アルバム風の曲。それがオルガンで弾かれると、音がかぶって聞こえるがご愛嬌。
2曲目と3曲目は教会の出入り口の上方に聳えるようにある大オルガン(Grossen Orgel).2局目は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ)のイギリス組曲第三番、BWV808。この日の演奏者・オルガニストのマティアス・ロートによる編曲。
3局目はメンデルスゾーンのソナタ第四番、ロ長調。作品65、4。最終楽章はアレグロ・マエストーゾ・エ・ヴィヴァーチェとあったが、大オルガンの重層的な音響に圧倒された。
今回、ニュルンベルクの聖ロレンツ教会でもたまたまオルガンを聞く機会に恵まれた(オルガニストが練習していたのかもしれない)が、教会のお堂の空気全体が振動しているのは体感しなければ経験できない音だ。方向性も曖昧になるし、低音は、花火などは別として、楽器の楽音としてこんな低い音はないだろう。オーディオ装置での再生は、いくら大画面と言っても建築物の大きさは実際に見上げたり、その建物の中に入らないと実感できないのと同様だ。
何度も教会の音を経験した上で、オーディオ装置の音から実際はこう響いているだろうと逆算するしかない。人間イコライザーだ。
音響はともかく、バッハからバッハの末息子より5つ年下のシュニッツァー、そしてロマン派のメンデルスゾーンと面白いプログラムだった。
こういうものを気軽に聞ける環境も豊かだと思った。明らかに観光客たちが気軽に入って聞いていた。

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2018年8月28日 (火)

ペトレンコ指揮ベルリンフィル演奏会

キリル・ペトレンコ指揮ベルリンフィルの演奏会を聴いた(ザルツブルク祝祭大劇場)。

曲目は前半がポール・デュカスの「ラ・ペリ」というバレー音楽とユジャで・ワンを独奏者に迎えてプロコフィエフのピアノ協奏曲3番。後半はフランツ・シュミットの交響曲第4番。
デュカスの曲は彼晩年の曲。官能的なところを指揮ぶりでは出していたが、ベルリンフィルの表情はやや真面目な感じで、あくまで美しいのだが。。。
次のプロコフィエフでは、独奏者がユジャ・ワンという人のトレードマークらしいがミニスカートとピンヒールで出てきてものすごい速さでお辞儀をする。普通の人の倍速ではないだろうか。
で、バリバリ弾く。彼女のケレン味たっぷりで切れ味の良いピアニズムはプロコフィエフにぴったりだと思う。プロコフィエフの曲自体がケレン味の塊、スリリングにピアノを弾かせ、オケを鳴らすように書かれている。生で聞くとピチカートの多さに改めて気がつく。また、コントラバスの出番の多さにも気がつかされた。座席が左右の中央で前の方であったためピアノが運び込まれると指揮者がすっかり隠れてしまい指揮ぶりは見えなかった。
しかし曲がいたるところにスリリングでエキサイティングなフレーズを持っており、外見に照応した華やかなピアニズムを持った独奏者であるから弾き終わると嵐のような拍手。プロコフィエフの非ロマン主義的な叙情に心打たれた。ユジャ・ワンは小品をアンコールした。
後半は、フランツ・シュミットの交響曲4番。後期ロマン派の曲で、フランク的に同じような旋律がぐるぐると繰り返されたり、楽器間を受け渡されるうちに不思議なうねりが生まれたり、ある種の陶酔感も生まれてくる。最初こそ金管がソロで出てくるが、メインの部分は弦楽器の内声の充実したやり取りが中心。渋いがなかなか良い曲かもしれない。
ベルリンフィルの指揮者が何を演奏するかの曲目選びは難しいのだろうと思った。このオケだから何でも弾けるには違いないのだが、ペトレンコは常任になることが決まっているわけでこれからベルリンフィルをどういう方向にリードしていくのかが問われることになると思うからだ。
ペトレンコの指揮は柔軟性に富んでいる。曲のうねりを捉えるのが見事で、そこでもりもりとテンポを上げて、結節点でバーンと決める。曲の構造に沿っているから、アッチェレランドも決めも自然な流れにのっている。でなければ、シュミットの曲など、かなり退屈な演奏をすることも十分可能な曲だと見た。音楽、曲に内在する喜び、ダンス的な活力を見出して、形にするのがとても上手なのである。
これからベルリンフィルがどう変容していくのか楽しみだ。

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2018年8月26日 (日)

ヘンツェ「トリスタン」他

ヘンツェの「トリスタン」という管弦楽曲を聴いた(ザルツブルク大劇場)。 ヴィーンフィルの演奏会で、前半がヘンツェの「トリスタン」、後半はヴァーグナーの《神々の黄昏》の抜粋。指輪4部作の最終篇が《神々の黄昏》なわけだが、その中の管弦楽だけの部分で抜粋しており、歌手は登場しない。 前半、楽団員入場の前に、指揮者のヴェルザーメストがやってきてマイクを持ち、ドイツ語と英語を交互に駆使してヘンツェの曲の解説をした。

この曲が書かれた1970年代にヘンツェは、コレオグラファーのジョン・クランコや詩人のオーデンといった仕事上の仲間を失っている。その追悼、親密な語りかけがピアノに反映されているという。ピアノとオーケストラとテープ音楽からなる曲で6部からなるのだが、通常のピアノ協奏曲のように華やかではなく、むしろ、死者に想いを馳せつつ、時に感情が爆発するといった感じか。決して穏やか一方の音楽ではなく、特に打楽器は多彩に展開し、打楽器奏者によっては何度も楽器を持ちかえていた。
休憩をはさんで後半はヴァーグナーの《神々の黄昏》から管弦楽部分の抜粋。指揮者のヴェルザーメストは非常に熱い指揮ぶりであった。2年前にフィデリオの序曲でも感心したのだが、この人は一皮、二皮むけて自分のやりたい音楽を大胆に表現するようになったのではないか。オーケストラが一糸乱れず進むことよりも、場面によっては攻めの表現を取ることに躊躇しなくなったと言ってもいいだろう。終演後は徐々に拍手たかまりスタンディングオベーションに。この人の指揮ぶりもそうなのだが、最初からエクサイティングなのではなく、体の芯からじわじわと熱くなっていく感じなのだ。表情は優秀な官僚やビジネスマンのようにクールなのだが、熱いハートを抱えているというか。
普段、クリーブランドを振っていて、ヴィーンフィルの音、音響を奏でる喜びに満ちているように見えた。

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2018年8月18日 (土)

8月15日前後の移動

ヨーロッパにおける8月15日前後の移動について、何回か困難な状況に陥ったのでメモ代わりに書いておく。この時期に旅行する人の参考になれば幸いである。というか、注意すべきことを、のど元過ぎると忘れてしまう自分へのメモでもある。

この時期は、イタリアならフェラゴスタ(聖母昇天日)で、日本で言えばお盆休み的な時期だ。この時期でよくあるのは鉄道の保守点検のために、ある区間電車が走らず、バスで振り替えになる。バスで振り替えられて、到着時間がずれて、本来自分が乗るはずの電車に乗れなくなった場合が問題だ。国境を越える場合、オーストリアなりドイツで発券された切符はイタリアにはいってしまうと次の便に書き換えてもらえない。
今回、インスブルックに長距離列車が工事のせいで泊まらないのでイェンバッハから乗るという予定だったのだが、さらにブレンネル峠の工事が延びて、トレントまでずっとバスに乗ることになった。バス自体は快適なバスでした。
イタリアで発券してイタリアの列車の乗り継ぎがうまくいかなかった場合は駅のアシスタントに言えば、無料で次の列車の券に替えてくれます。
ただし、本来、ボローニャ行きだった列車が、こういう混乱している状況ではヴェローナ行きになってしまうといった変更も起こりがちである。
というわけで、移動時間が例えば5時間くらいだったはずのものが、8時間とか10時間かかってしまうこともある。
そうすると、移動日に移った先でコンサートやオペラに行く、ということがかなり難しくなるし、間に合っても、相当に消耗することになる。
体力や気力は個人差が大きいのは言うまでもないが、筆者の場合、来年からはもっとゆとりある日程の組み方にしようと思った次第である。

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2018年8月17日 (金)

ロッシーニのグラン・シェーナ

ロッシーニのグラン・シェーナについての講演を聞いた(ペーザロ)。

講演者はアンドレア・マルナーティという若い研究者で、ディ・セータ教授のもとで、このテーマで博士論文を書き、最近それをもとに著書 La Gran Scena nell'opera italiana (1790-1840) を出した。タイトルからわかるように、Gran Scena (グラン・シェーナ)というものが、いかにこの時期にイタリア・オペラで盛んに用いられ、ついで次第にあまり用いられなくなったかということで130以上の実例 を調べたという。
グラン・シェーナという言葉には2つの用法があって、うんとつづめて言えば彼はアリアの1つの特殊な形態をグラン・シェーナと呼んでいる。この形式を用いたのはロッシーニだけではなく、ドニゼッティやその師マイール、メルカダンテなど同時代の何十人もの人が用いているのだが、この日のレクチャー(洒落てConversazioneと題されているのだが、内容は極めて高度)では、ロッシーニの《タンクレディ》の’Dove sono io? (私はどこにいるのだ?)’を例にとって、説明がなされた。通常のアリアならレチタティーヴォがあってアリアとなるものが多いわけだが、グラン・シェーナの場合、長めのオケによるプレリュードがあり、シェーナがある(1)。カヴァティーナ(短めの歌)がある(2)ここでアリアに行かずにレチタティーヴォや合唱によって一種の中断・介入がある(3)そうしてアリアに入る(しかもこのタンクレディの例の場合、アリアの部分がさらに3部構成となる大掛かりなもの(4)。こうした4つの要素からなるひと続きの楽曲(拡大アリアとでも言えようか)をグラン・シェーナと呼んでいるわけだ。むろん、これには上記の4つの要素が少しずつ異なるヴァリエーションが存在する。
マルナーティの調査によれば、グラン・シェーナは圧倒的にオペラ・セリアで用いられており、
彼の調査した130以上の実例の中で、セミセリエが13、オペラ・コミコはわずか4例に過ぎない。
また、やや話が専門的になるが、この4つの要素が入れ替わるところでは韻律も変化する。つまりそれまで1行が11音節詩行だったものが、7音節や別の音節の詩行になったりするので音楽の表情だけでなく、リブレット上も変化がはっきりと生じているわけだ。ここからは筆者の感想。この言わば拡大アリアはアリアの表情がのっぺりと単調になってしまうことが避けられるのだと思う。しかしながら、変化の中に統率力がなければ、曲がバラバラになってしまう危険性もあるわけで、ここが作曲家の腕の見せ所と言えよう。
以前にも書いたことがあるが、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルは、オペラ上演をする興行という面を持っているが、それと同時に車の両輪のようにロッシーニに関する学術的研究が並行して行われて、生かされて、聴衆に還元されているところに大きな特色がある。上演も、必ず最新のクリティカル・エディション(批評校訂版)に基づいて演奏されている。ペーザロにあるロッシーニ財団がロッシーニのスコアの校訂版、リブレットの校訂版、書簡集、さらに年報(論文集)を出版して、世界のロッシーニ研究の推進力になっているわけである。
(訂正)
マルナーティ氏の著書は8月17日現在まだ購入することはできません。講演の際に本が示された(見本ずりの段階だったのかもしれません)ので勘違いしてしまいました。失礼しました。なおいつ、入手可能になるのかは、ロッシーニ財団の人の話では未定とのことです。

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2018年8月14日 (火)

《ミサ・クリオッラ》

インスブルック音楽祭で《ミサ・クリオッラ》を聴いた(イェズイット教会)。

ペルーやボリビアの18世紀や17世紀の宗教音楽(作曲者不明のもの)とCodex Martinez Companonや Codex Zuola からのもの、1959年生まれのエドアルド・エゲスによるもの、そして最後にアリエル・ラミレス(1921−2010)のミサ・クリオッラ(1963)。
南米におけるカルミナ・ブラーナ的なものといえば良いのだろうか。南米の民族音楽及びその楽器とヨーロッパの教会音楽の混交。実に不思議な音楽であった。
途中にアカペラの曲が1つあって、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア(イタリアの北部)合唱団の声が壮麗に響いた。教会の音響は、音響的には今更ではあるが、アカペラにふさわしいのを痛感した。反響音・ 残響音が長いので、楽器で早いパッセージにはあまり向かないわけだ。
 このところ、バロック音楽に沈潜している時間が長いせいか、対位法的な要素がないと音楽的に物足りなくなっているのを感じ、苦笑を禁じえなかった。
 しかし会場は大いに盛り上がり、拍手に包まれていた。

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ランチ・コンサート

インスブルック音楽祭のランチ・コンサートを聴いた(インスブルック)。

今回の滞在で聞く曲目の中ではこのコンサートが一番古楽らしいものが揃っている。
ダリオ・カステッロ(ー1630)のソナタ7、8番。
G.B.フォンターナ(1571−1630)。
ビアジョ・マリーニ(1594−1663)。
モンテヴェルディ。
ジョヴァンニ・ピッキ(1572−1643)。
生没年からわかるように、モンテヴェルディの同時代人及び少し後輩にあたる人たちだ。
当然といえば当然だが、著名な作曲家や文学者が出る時に、1人だけ彗星のごとく現れることは稀で、その同時代や前後に多くの同業者がいるものだ。
音楽祭の良いところ、あるいはよく考えられたプログラムの良いところは
既知の作曲家(あるいは曲)と多くの人にとって未知の作曲家(あるいは曲)を
結びつけて、聞くものの音楽世界を一回り広げてくれることだ。
このコンサートの奏者は3人で、チェンバロとリコーダーとドゥルツィアン(ファゴットの前身)。
ドゥルツィアンは小さめのものに持ち替えることもあった。
リコーダーがビルギット・ピルヒャー。チェンバロがマルコ・ヴィンチェンツィ。ドゥルツィアンが
パオロ・トニョン。
2人で演奏する曲もあったがほとんどは3人での演奏。
演奏会場は、王宮公園のパヴィリオンで入場は無料。パヴィリオン自体が開け放たれた空間なので、建物の中に椅子がならべられているが、近くにいれば音楽が聞こえてきたことだろう。
無料なので市民に開かれているわけだが、内容は凝ったものなので、時間前に立ち見まで出ることに驚きを感じた。
ドゥルツィアンを生で聴いたのは初めてだったが、飄々として味わいに富む。リコーダーの澄み切った音色とは対照的であり、チェンバロと3者が組むと、単調に陥らずに音楽の表情に変化があり、大いに楽しめた。

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2018年3月 2日 (金)

チェンバロ・リサイタル

Mahan Esfahani のチェンバロ・リサイタルを聴いた(カールスルーエ、クリストゥス教会)。

もともとはバロック・バイオリンのリサイタルの予定だったのだが、奏者の怪我のため、急遽チェンバロ・リサイタルに変更された。バイオリンでNichola Matteis, バッハの無伴奏、Heinrich Ignaz Franz Biber といった大まかに言えばヘンデルの同時代人の作品をバロックバイオリンで聞く(特にバッハは例えばグリュミオーのようなモダン・バイオリンの演奏とどう違うのか)のを楽しみにしていたのだが、怪我とあってはやむをえない。
Mahan Esfahani はテヘラン生まれで、英米で教育を受けた若手のチェンバリスト。最初はギボンズ(1583-1625)の Pavan。モンテヴェルディと同時代人になるわけだ。次のバッハと比較するとずっと音の数は少ないシンプルな組み立てである。次はJ.S.バッハのイギリス組曲4番BWV809. バッハの音の多さ、装飾音の多さ、装飾音が繰り返されつつ音階を上っていったり下がっていったりしてメロディと分離しがたいこと、左手もやはり和音を鳴らしつつ音階を上がり下がりしてどこまでが伴奏、どこまでがメロディとは切り離しがたいことを確認。ロマン派以降の音楽に比べて立体的、構築的であり、かつ豊穣で、ほとんど過剰なまでに華麗、壮麗でゴージャスな音が押し寄せてくるのであった。
Esfahaniは早めのテンポでグイグイ攻めるタイプ。チェンバロの強みだが曲の途中でレジスター(ストップ)を用いて音色を変化させられる。会場は教会で蓋も開けてあるので、華やかに反響がこだまするので音量に不満はない。音色を残響を多い方に持って行くか、スタッカート気味の方に持って行くか、またその中間かで音色が変化していく。
次は予定を変更してJiri Antonin Benda (1722-1795) のソナタ5(1757)。バッハやヘンデルとハイドンの中間。対位法的な部分はあるのだが、それが本格的に発展する前に断片で終わる感じ。そして再びバッハで、トッカータ BWV 912.  この曲は途中で何度も曲想が大きく変わる。それを空中分解させずに1つにまとめる技量に今更ながら感嘆する。
最後はラモー(1683-1764)の新組曲。有名な鶏の曲が含まれている。Esfahaniはこの曲をエレガントには弾かない。どんどんと前へ前へとのめりそうなくらいに弾き進める。その結果、普段ならラモーにほとんどロココ的な優雅さを感じたりするのだが、彼がバッハと同時代人であることを認識させられるような曲の印象を受けた。言ってしまえば無骨なラモーなのだが、そこで新たに見えてくるラモー像があり、これはこれで収穫だった。
 満場の拍手に応え、アンコールはまず、パーセルのグラウンドハ短調。彼はクロフト作と言う説もあるが、クロフトでなくパーセルだと確信していると言う意味のことを述べて弾いた。パーセルは1659-1695年なのでヘンデルやバッハの直前の世代ということになろう。そして最後がドメニコ・スカルラッティ。左右の手が忙しく交錯し、まるでリストを弾いているような名人芸でエクサイティングであった。
Esfahani の演奏は単に名人芸のひけらかしではなく、バロック時代のチェンバロをめぐる音楽言語がどういうものであったかのパースペクティヴを与えてくれるものだった。1時間半強で、休憩は無しの充実した時間であった。

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2018年2月24日 (土)

ヘンデル・ゾリステン・コンサート

ドイツ・ヘンデル・ゾリステンのコンサートを聴いた(カールスルーエ)。

指揮はリナルド・アレッサンドリーニ。CDで彼の指揮を聞いてはいたが、実演は初めて。彼の指揮はリズムがスイングするときには腕全体と胴体がスイングし、対位法が用いられているところでは右腕と左腕が交互に大きく揺れて、指揮する姿自体から音楽の形が読み取れる。
曲は、ヘンデルの時代を多角的に捉えようと意図が感じられる。前半は、Georg Muffat (1653-1794)のArmonico tributo, Sonate No5 (1682), Francesco Geminiani (1687-1762) の Concerto grosso, e-Moll, op.3 no3 (1733), Arcangelo Corelli (1653-1713) の Concerto grosso D-dur, op.6 no1 (1712)。Moffat のものはやや単調で、ジェミニアーニの曲が、ヴィヴァルディの四季を思わせるところもあり、さらに前衛的な響き、曲調の大胆な変化があって面白かった。
後半はヘンデルの世俗オラトリオ『アポロとダフネ』(1712)。バロック時代の作曲家にはありがちなことだが、他のヘンデルのオペラで聞き覚えのある曲(『デイダミア』かと思ったが自信がない)がオーケストレーションは違うが出てきた。コンサート形式なので、演技や舞台装置はない。声楽が入ると、コンチェルト・グロッソとは違いストーリー性が出てくることはわかるが、オペラまではいかない。ヘンデルもいろいろな形の音楽を書いたものだと改めて思った次第。ヘンデルのオラトリオでは前半からオーボエやファゴットが加わり、オーケストレーションもカラフルであった。オーケストラの人数は20数名で、ヘンデルの時は30名前後だったように思う。このサイズのオケはヘンデルやバロックにはとても好ましい。リュートやテオルボが出てくるともっと人数が少なくても良いのかもと思うことすらある。テオルボはチェンバロと同時に演奏することが多いのだが、他の楽器も同時だとなかなか音を拾いにくいのである。
演奏のレベルは高いと思った。歌手はアポッロを歌ったバスバリトンのアンドレアス・ヴォルフが大変良かった。声がしっかり出ているだけでなく、歌詞をしっかり把握してそれを伝えるテクニックが確かで安心して音楽に浸っていられる。ダフネのソプラノ歌手レベッカ・ボットーネは名前からするとイタリア系なのかもしれないがイギリス人でやや発音が甘いところがあった。
全体としては、大いに満足したコンサートであった。

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2018年1月21日 (日)

333HBS 記念シンポジウム

「333HBS 記念シンポジウム」に行ってきた。6人のスピーカーがいたのだが、どなたのものも大変興味深く、得るところの多い充実したシンポジウムであった(飯田橋、ナチュラック)。

1時半からの開始よりやや早く着いたのだが、会場は満員に近い。
そうそう、HBSというのは、ヘンデル、バッハ、スカルラッティの略で、今年2018年は彼らの生誕333年に当たるのです。3人とも1785年生まれ。
まずは金澤正剛氏の基調講演。格調高くしかし堅苦しくない調子で、年表を見ながら、3人のキャラクターの違いを解説。結論だけ言えば、J.S.バッハはルター教会の音楽家であり、ヘンデルはあらゆる分野で活躍し、単なる作曲家というよりプロモーターを兼ねていた。ドメニコ・スカルラッティは鍵盤曲が名高いがオペラやオラトリオも書いている。バッハとスカルラッティは生前は演奏家として名高かった。
福島康晴氏は、スカルラッティの「10声のスターバト・マーテル」をとりあげて、曲による拍子の変化および全体の構成、各曲の調性または和音(調性というほどはっきりしないが、どういう和音で終わるか)を説明したうえで、スターバト・マーテルの歌詞と音楽フィグールの解説をしてくれた。たとえば Catabasisという音楽フィグールは下降を強調する旋律の形象。「涙して(lacrimosa)」というところに、ソーファミレーソという下降するフレーズが次々と声部を変えて
歌われる。それはちょうど涙がいくすじも流れ落ちる様と照応しているというわけである。なるほど、なるほどであった。
山田高誌氏は、「ドメーニコ・スカルラッティのもう一つの顔」。まず、スカルラッティの受容が他の2人と異なり、人々から忘却された時期がなかったこと、これまでの出版楽譜や研究の概要を示し、メタスタージオ台本の世俗カンタータをとりあげた。この中にはpene を苦しみとペニスの二重の意味、そしてあるフレーズの繰り返しの後に跳躍があるところは愛の頂点を示しているのではないか、という解釈を示した。福島氏のいうフィグールの世俗版ということになろうか。
渡邊順生氏はタンゲンテンフリューゲルという楽器をとりあげた。これは、チェンバロからピアノへの過渡期の楽器で、ハンマーが木でその木の部分にフェルトなどがつかずに露出したまま弦をたたく。模型も持ってきてくれたのであとで実際に触ってというかキーをたたいて弦をたたくシステムが実感できてよかった。報告は、このタンゲンテンフリューゲルをバッハが知っていた可能性がある、というものであった。上野学園は1803年頃製造されたタンゲンテンフリューゲルを所蔵しており、渡邊氏がこれを弾いた「チェンバロとピアノの狭間で」というCDがある。J.S.バッハ、C.P.E.バッハ、ハイドン、モーツァルトの曲が録音されている。実際、独特の音色である。
三ヶ尻正は「新しいヘンデル像:政治・外交と音楽ビジネス」。三ヶ尻氏は、ヘンデル協会でのレクチャーやヘンデル協会が上演するヘンデルのオペラのパンフレットでもこれまで主張されておられるように、ヘンデルのオペラは、音楽ビジネスであると同時に、政治的なメッセージを含んだものであることが多い、場合によっては政治的なプロパガンダであるということだ。一番わかりやすい例は、ヘンデルがいた時代、ジョージ1世はドイツのハノーヴァからやってきたわけだが、ステュアート朝の子孫でわれこそは正当な王と称する人たちがいた(僭王)。ヘンデルは王党派のオペラも書くし、僭王側に立ったオペラ(追放された王や騎士がなんらかの形で戻ってくる)も書く。これはヘンデルは広告代理店のような役回りを演じているというのが三ヶ尻氏の主張である。話が大掛かりであるから、テクストの細部を論じる場合と異なり、どの時点で証明が完了するのかの判断は聞き手にとっても難しいわけだが、論点としてはきわめて有意義かつ興味深いものだと思う。作品の中身や細部も重要であることは言うまでもないが、オペラを誰がどうプロデュースしているのか、誰がパトロンになっているかも同様に重要なことは明らかだ。
加藤拓未氏は「歴史の中でとらえるバッハの受難曲」。今回始めて知ったのだが、同時代のテレマンは受難曲を53曲も作曲しているのである。また受難曲は大掛かりな曲なので、都市によって演奏回数が全然違う。当時はハンブルクが栄えていて、受難曲の演奏回数も断然多く、バッハのいたライプツィヒとは大きく異る。こういった事情をバッハの息子エマヌエルがテレマンの孫にあてた手紙の読解から説きすすめるもので大いに蒙をひらかれた。
全体として、大変充実したシンポジウムであったが、これからもヘンデル・バッハ・スカルラッティ生誕333年記念祭の行事は、多くの演奏会(レクチャー付きのものもある)などがある。

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