2019年1月17日 (木)

ルーベンス展

ルーベンス展を見た(上野、西洋美術館)。

美術史とは直接関係なく、極私的に関心に引っかかったことが2つあった。1つは「サウルの改宗」で、このところ宗教改革や改宗に関心を持っているので、こういう主題の絵に目が止まる。
もう1つは年表を見ていて、ルーベンスが1600年くらいにイタリアに出てきて7、8年滞在するのだが、マントヴァのゴンザーガ家のお抱えになっていることだ。つまりモンテヴェルディと同僚になっている。年齢でいうとモンテヴェルディが10歳年長である。美術館の年表には、ルーベンスがフィレンツェに1600年に行ったように書いてあったと記憶するが(記憶違いかもしれない)、ウィキペディアで調べてみるとそのあたり曖昧で、フィレンツェをへてローマに行ったということしか確認できなかった。ルーベンスに関する伝記を読めばもっと情報が出てくるのかもしれない。手元にあるモンテヴェルディに関する本2冊を調べた限りではそれ以上の情報は出てこなかった。
マントヴァのゴンザーガ家は、文学者もタッソーやグァリーニを抱えており、マントヴァの宮廷の文化度の高さは比類のないものだったと言えよう。
ルーベンスがイタリアに来てイタリアの画家から学んだのはわかるが、それ以降のイタリアの画家がルーベンスから影響を受けたというのは意外だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月13日 (日)

コンクール番組

年末・年始にかけて コンクールに関する番組を4本観た(NHK Eテレ)。

4本という数え方は正確ではないかもしれない。日本音楽コンクールは声楽やヴァイオリン、ピアノ、クラリネット、トランペットに分かれているからだ。あとの3つは、ショパン・コンクール(数年前の再放送)とショパン・コンクールの古楽器版と左手のためのピアノコンクールだった。
ショパン・コンクールでは、奏者だけでなく、ピアノメーカーおよびその調律師の熾烈な戦いもあるのだと知った。具体的にはスタインウェイ、ヤマハ、カワイというピアノメーカー(およびその調律師)が、決勝進出者、そして優勝者に自社のピアノを使ってもらいたいと願い競争しているわけだ。
古楽器(ショパンの当時の楽器あるいはそれをコピーした楽器)を用いたショパン・コンクールも、ピリオド楽器への一般聴衆への浸透がここまできたのか、あるいはこの時代にまで来ているということを示しているし、また実際聞いてみると、フォルテピアノから現代のコンサートピアノというのは、ものすごい勢いで進化・変化したので、例えばモーツァルトの時代とベートーヴェンの時代、さらにはショパンの時代で違うし、もっと言えばベートーヴェンの時代の中でどんどん鍵盤の鍵の数が増えるし、フェルトの素材やフェルトと皮の組み合わせも工夫が凝らされて行ったわけである。作曲家が使っていた当時の楽器(またはそのコピー)で聞いてみたいという気持ちはよくわかる。だからピアニストにもこういうピリオド楽器を専門とする人が出てきつつある。
左手のピアノのコンクールは、歴史的にはヴィットゲンシュタインが第一次大戦で左手だけになってしまって多くの作曲家に委嘱して左手だけで弾くレパートリーがあるわけだが、現代の左手のコンクールの出場者は様々な原因で右手が思うようには動かなくなり転身している人たちだ。このコンクールはアマチュア部門とプロ部門に分かれていてプロ部門ではタイからの出場者もいた。身体の不自由さと、こういうジャンルがあることでの希望とが何人かの出場者に対する丹念な取材とともに描き出されていて見応えがあった。つまり、安易なストーリーに落とし込まず一人一人が抱えてきた困難のあり方の違いが見えてくるのだった。
日本音楽コンクールは、若い人たちが真剣に音楽に向き合っている様はよろしいのであるが、ピアノやヴァイオリンでレパートリーにあまりに20世紀のものが少ないのが気になった。ピアノはラヴェルの協奏曲 を弾いた人が複数いたがそれ以外のものは無し、ヴァイオリンではバルトークの協奏曲を弾いた人が1人いただけなのだ。バルトークもプロコフィエフも今や全く古典だと思うのだが。。。
(お断り)全て録画した見た番組なので、放映の順番とは一致していないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月25日 (火)

スピノザの『エチカ』

スピノザの『エチカ』についての放送を見た(Eテレ、100分で名著)。

講師は國分功一郎氏。
非常に興味深かった。これまで名のみ知っていて、実際には見たことも触れたこともなかったスピノザだった。たしかに、放送の中でも朗読を聞くと、字が映し出されているにもかかわらず、チンプンカンプンなのだ。しかし、國分氏の解説や、彼と対話する伊集院光のたとえ話で、腑に落ちる。
國分氏によると、スピノザはコンピュータでいうOSが違うのである。
真理というものの証明に関しても、自分の主観で真実だとわかる、その感覚を重視している。だから、自分がある階段を登ると把握できる真実が変わってくるのだ。
 真実についてはともかく、彼のいわんとするところは、芸術鑑賞なら納得がいくところだ。自分が理解して素晴らしいと思える音楽の範囲は、自分が音楽経験を重ねるにつれて変化することは体験ずみだからだ。
 いわゆる客観的に、公共性をもって証明できる真実と、そういうプロセスは踏みにくいのだが真実を把握するとしたということが本人にとって納得がいく真実がある、というわけだ。
 これは第4回の放送の議論だが、4回ともそれぞれに面白かった。時間のあるときにスピノザ読んでみようか、と思ったほどである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月29日 (水)

行きあたりばったりのオルガン・コンサート

予定外のオルガン・コンサートを聴いた(ザルツブルク大聖堂)。

ザルツブルクはさほど大きな町ではないので、旧市街の見所は2、3日もあれば一通りは見られるだろう。音楽祭の合間に街をぶらぶらして、モーツァルトの住居(住んだ家と生家と両方がザルツブルクにはある)を何度も訪れたりしている。
今回気が付いたのだが、メインのザルツブルク音楽祭とは別に地元の教会やミラベル公園や宮殿で音楽会が催されている。
なんという目的もなく大聖堂へ歩いていくとお昼のオルガンコンサートをやるというので入った。料金は5ユーロ。12時5分開始というのが中途半端だなと思っていたら、12時には教会の鐘が鳴るので鳴り止んでからという意味だとわかった。
曲目は3つ。最初の1曲と後半の2曲では弾くオルガンを使い分けていた。
1曲目は教会の中央に近い壁についたHoforgel で演奏され Franz Xaver Schnitzer (1740-1785)のSonata V ロ長調、作品1、5。マイナーでローカルな作曲家だが、年代的にもモーツァルトに少し先立つ世代。ソネチネ・アルバム風の曲。それがオルガンで弾かれると、音がかぶって聞こえるがご愛嬌。
2曲目と3曲目は教会の出入り口の上方に聳えるようにある大オルガン(Grossen Orgel).2局目は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ)のイギリス組曲第三番、BWV808。この日の演奏者・オルガニストのマティアス・ロートによる編曲。
3局目はメンデルスゾーンのソナタ第四番、ロ長調。作品65、4。最終楽章はアレグロ・マエストーゾ・エ・ヴィヴァーチェとあったが、大オルガンの重層的な音響に圧倒された。
今回、ニュルンベルクの聖ロレンツ教会でもたまたまオルガンを聞く機会に恵まれた(オルガニストが練習していたのかもしれない)が、教会のお堂の空気全体が振動しているのは体感しなければ経験できない音だ。方向性も曖昧になるし、低音は、花火などは別として、楽器の楽音としてこんな低い音はないだろう。オーディオ装置での再生は、いくら大画面と言っても建築物の大きさは実際に見上げたり、その建物の中に入らないと実感できないのと同様だ。
何度も教会の音を経験した上で、オーディオ装置の音から実際はこう響いているだろうと逆算するしかない。人間イコライザーだ。
音響はともかく、バッハからバッハの末息子より5つ年下のシュニッツァー、そしてロマン派のメンデルスゾーンと面白いプログラムだった。
こういうものを気軽に聞ける環境も豊かだと思った。明らかに観光客たちが気軽に入って聞いていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月28日 (火)

ペトレンコ指揮ベルリンフィル演奏会

キリル・ペトレンコ指揮ベルリンフィルの演奏会を聴いた(ザルツブルク祝祭大劇場)。

曲目は前半がポール・デュカスの「ラ・ペリ」というバレー音楽とユジャで・ワンを独奏者に迎えてプロコフィエフのピアノ協奏曲3番。後半はフランツ・シュミットの交響曲第4番。
デュカスの曲は彼晩年の曲。官能的なところを指揮ぶりでは出していたが、ベルリンフィルの表情はやや真面目な感じで、あくまで美しいのだが。。。
次のプロコフィエフでは、独奏者がユジャ・ワンという人のトレードマークらしいがミニスカートとピンヒールで出てきてものすごい速さでお辞儀をする。普通の人の倍速ではないだろうか。
で、バリバリ弾く。彼女のケレン味たっぷりで切れ味の良いピアニズムはプロコフィエフにぴったりだと思う。プロコフィエフの曲自体がケレン味の塊、スリリングにピアノを弾かせ、オケを鳴らすように書かれている。生で聞くとピチカートの多さに改めて気がつく。また、コントラバスの出番の多さにも気がつかされた。座席が左右の中央で前の方であったためピアノが運び込まれると指揮者がすっかり隠れてしまい指揮ぶりは見えなかった。
しかし曲がいたるところにスリリングでエキサイティングなフレーズを持っており、外見に照応した華やかなピアニズムを持った独奏者であるから弾き終わると嵐のような拍手。プロコフィエフの非ロマン主義的な叙情に心打たれた。ユジャ・ワンは小品をアンコールした。
後半は、フランツ・シュミットの交響曲4番。後期ロマン派の曲で、フランク的に同じような旋律がぐるぐると繰り返されたり、楽器間を受け渡されるうちに不思議なうねりが生まれたり、ある種の陶酔感も生まれてくる。最初こそ金管がソロで出てくるが、メインの部分は弦楽器の内声の充実したやり取りが中心。渋いがなかなか良い曲かもしれない。
ベルリンフィルの指揮者が何を演奏するかの曲目選びは難しいのだろうと思った。このオケだから何でも弾けるには違いないのだが、ペトレンコは常任になることが決まっているわけでこれからベルリンフィルをどういう方向にリードしていくのかが問われることになると思うからだ。
ペトレンコの指揮は柔軟性に富んでいる。曲のうねりを捉えるのが見事で、そこでもりもりとテンポを上げて、結節点でバーンと決める。曲の構造に沿っているから、アッチェレランドも決めも自然な流れにのっている。でなければ、シュミットの曲など、かなり退屈な演奏をすることも十分可能な曲だと見た。音楽、曲に内在する喜び、ダンス的な活力を見出して、形にするのがとても上手なのである。
これからベルリンフィルがどう変容していくのか楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月26日 (日)

ヘンツェ「トリスタン」他

ヘンツェの「トリスタン」という管弦楽曲を聴いた(ザルツブルク大劇場)。 ヴィーンフィルの演奏会で、前半がヘンツェの「トリスタン」、後半はヴァーグナーの《神々の黄昏》の抜粋。指輪4部作の最終篇が《神々の黄昏》なわけだが、その中の管弦楽だけの部分で抜粋しており、歌手は登場しない。 前半、楽団員入場の前に、指揮者のヴェルザーメストがやってきてマイクを持ち、ドイツ語と英語を交互に駆使してヘンツェの曲の解説をした。

この曲が書かれた1970年代にヘンツェは、コレオグラファーのジョン・クランコや詩人のオーデンといった仕事上の仲間を失っている。その追悼、親密な語りかけがピアノに反映されているという。ピアノとオーケストラとテープ音楽からなる曲で6部からなるのだが、通常のピアノ協奏曲のように華やかではなく、むしろ、死者に想いを馳せつつ、時に感情が爆発するといった感じか。決して穏やか一方の音楽ではなく、特に打楽器は多彩に展開し、打楽器奏者によっては何度も楽器を持ちかえていた。
休憩をはさんで後半はヴァーグナーの《神々の黄昏》から管弦楽部分の抜粋。指揮者のヴェルザーメストは非常に熱い指揮ぶりであった。2年前にフィデリオの序曲でも感心したのだが、この人は一皮、二皮むけて自分のやりたい音楽を大胆に表現するようになったのではないか。オーケストラが一糸乱れず進むことよりも、場面によっては攻めの表現を取ることに躊躇しなくなったと言ってもいいだろう。終演後は徐々に拍手たかまりスタンディングオベーションに。この人の指揮ぶりもそうなのだが、最初からエクサイティングなのではなく、体の芯からじわじわと熱くなっていく感じなのだ。表情は優秀な官僚やビジネスマンのようにクールなのだが、熱いハートを抱えているというか。
普段、クリーブランドを振っていて、ヴィーンフィルの音、音響を奏でる喜びに満ちているように見えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月18日 (土)

8月15日前後の移動

ヨーロッパにおける8月15日前後の移動について、何回か困難な状況に陥ったのでメモ代わりに書いておく。この時期に旅行する人の参考になれば幸いである。というか、注意すべきことを、のど元過ぎると忘れてしまう自分へのメモでもある。

この時期は、イタリアならフェラゴスタ(聖母昇天日)で、日本で言えばお盆休み的な時期だ。この時期でよくあるのは鉄道の保守点検のために、ある区間電車が走らず、バスで振り替えになる。バスで振り替えられて、到着時間がずれて、本来自分が乗るはずの電車に乗れなくなった場合が問題だ。国境を越える場合、オーストリアなりドイツで発券された切符はイタリアにはいってしまうと次の便に書き換えてもらえない。
今回、インスブルックに長距離列車が工事のせいで泊まらないのでイェンバッハから乗るという予定だったのだが、さらにブレンネル峠の工事が延びて、トレントまでずっとバスに乗ることになった。バス自体は快適なバスでした。
イタリアで発券してイタリアの列車の乗り継ぎがうまくいかなかった場合は駅のアシスタントに言えば、無料で次の列車の券に替えてくれます。
ただし、本来、ボローニャ行きだった列車が、こういう混乱している状況ではヴェローナ行きになってしまうといった変更も起こりがちである。
というわけで、移動時間が例えば5時間くらいだったはずのものが、8時間とか10時間かかってしまうこともある。
そうすると、移動日に移った先でコンサートやオペラに行く、ということがかなり難しくなるし、間に合っても、相当に消耗することになる。
体力や気力は個人差が大きいのは言うまでもないが、筆者の場合、来年からはもっとゆとりある日程の組み方にしようと思った次第である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月17日 (金)

ロッシーニのグラン・シェーナ

ロッシーニのグラン・シェーナについての講演を聞いた(ペーザロ)。

講演者はアンドレア・マルナーティという若い研究者で、ディ・セータ教授のもとで、このテーマで博士論文を書き、最近それをもとに著書 La Gran Scena nell'opera italiana (1790-1840) を出した。タイトルからわかるように、Gran Scena (グラン・シェーナ)というものが、いかにこの時期にイタリア・オペラで盛んに用いられ、ついで次第にあまり用いられなくなったかということで130以上の実例 を調べたという。
グラン・シェーナという言葉には2つの用法があって、うんとつづめて言えば彼はアリアの1つの特殊な形態をグラン・シェーナと呼んでいる。この形式を用いたのはロッシーニだけではなく、ドニゼッティやその師マイール、メルカダンテなど同時代の何十人もの人が用いているのだが、この日のレクチャー(洒落てConversazioneと題されているのだが、内容は極めて高度)では、ロッシーニの《タンクレディ》の’Dove sono io? (私はどこにいるのだ?)’を例にとって、説明がなされた。通常のアリアならレチタティーヴォがあってアリアとなるものが多いわけだが、グラン・シェーナの場合、長めのオケによるプレリュードがあり、シェーナがある(1)。カヴァティーナ(短めの歌)がある(2)ここでアリアに行かずにレチタティーヴォや合唱によって一種の中断・介入がある(3)そうしてアリアに入る(しかもこのタンクレディの例の場合、アリアの部分がさらに3部構成となる大掛かりなもの(4)。こうした4つの要素からなるひと続きの楽曲(拡大アリアとでも言えようか)をグラン・シェーナと呼んでいるわけだ。むろん、これには上記の4つの要素が少しずつ異なるヴァリエーションが存在する。
マルナーティの調査によれば、グラン・シェーナは圧倒的にオペラ・セリアで用いられており、
彼の調査した130以上の実例の中で、セミセリエが13、オペラ・コミコはわずか4例に過ぎない。
また、やや話が専門的になるが、この4つの要素が入れ替わるところでは韻律も変化する。つまりそれまで1行が11音節詩行だったものが、7音節や別の音節の詩行になったりするので音楽の表情だけでなく、リブレット上も変化がはっきりと生じているわけだ。ここからは筆者の感想。この言わば拡大アリアはアリアの表情がのっぺりと単調になってしまうことが避けられるのだと思う。しかしながら、変化の中に統率力がなければ、曲がバラバラになってしまう危険性もあるわけで、ここが作曲家の腕の見せ所と言えよう。
以前にも書いたことがあるが、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルは、オペラ上演をする興行という面を持っているが、それと同時に車の両輪のようにロッシーニに関する学術的研究が並行して行われて、生かされて、聴衆に還元されているところに大きな特色がある。上演も、必ず最新のクリティカル・エディション(批評校訂版)に基づいて演奏されている。ペーザロにあるロッシーニ財団がロッシーニのスコアの校訂版、リブレットの校訂版、書簡集、さらに年報(論文集)を出版して、世界のロッシーニ研究の推進力になっているわけである。
(訂正)
マルナーティ氏の著書は8月17日現在まだ購入することはできません。講演の際に本が示された(見本ずりの段階だったのかもしれません)ので勘違いしてしまいました。失礼しました。なおいつ、入手可能になるのかは、ロッシーニ財団の人の話では未定とのことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月14日 (火)

《ミサ・クリオッラ》

インスブルック音楽祭で《ミサ・クリオッラ》を聴いた(イェズイット教会)。

ペルーやボリビアの18世紀や17世紀の宗教音楽(作曲者不明のもの)とCodex Martinez Companonや Codex Zuola からのもの、1959年生まれのエドアルド・エゲスによるもの、そして最後にアリエル・ラミレス(1921−2010)のミサ・クリオッラ(1963)。
南米におけるカルミナ・ブラーナ的なものといえば良いのだろうか。南米の民族音楽及びその楽器とヨーロッパの教会音楽の混交。実に不思議な音楽であった。
途中にアカペラの曲が1つあって、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア(イタリアの北部)合唱団の声が壮麗に響いた。教会の音響は、音響的には今更ではあるが、アカペラにふさわしいのを痛感した。反響音・ 残響音が長いので、楽器で早いパッセージにはあまり向かないわけだ。
 このところ、バロック音楽に沈潜している時間が長いせいか、対位法的な要素がないと音楽的に物足りなくなっているのを感じ、苦笑を禁じえなかった。
 しかし会場は大いに盛り上がり、拍手に包まれていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ランチ・コンサート

インスブルック音楽祭のランチ・コンサートを聴いた(インスブルック)。

今回の滞在で聞く曲目の中ではこのコンサートが一番古楽らしいものが揃っている。
ダリオ・カステッロ(ー1630)のソナタ7、8番。
G.B.フォンターナ(1571−1630)。
ビアジョ・マリーニ(1594−1663)。
モンテヴェルディ。
ジョヴァンニ・ピッキ(1572−1643)。
生没年からわかるように、モンテヴェルディの同時代人及び少し後輩にあたる人たちだ。
当然といえば当然だが、著名な作曲家や文学者が出る時に、1人だけ彗星のごとく現れることは稀で、その同時代や前後に多くの同業者がいるものだ。
音楽祭の良いところ、あるいはよく考えられたプログラムの良いところは
既知の作曲家(あるいは曲)と多くの人にとって未知の作曲家(あるいは曲)を
結びつけて、聞くものの音楽世界を一回り広げてくれることだ。
このコンサートの奏者は3人で、チェンバロとリコーダーとドゥルツィアン(ファゴットの前身)。
ドゥルツィアンは小さめのものに持ち替えることもあった。
リコーダーがビルギット・ピルヒャー。チェンバロがマルコ・ヴィンチェンツィ。ドゥルツィアンが
パオロ・トニョン。
2人で演奏する曲もあったがほとんどは3人での演奏。
演奏会場は、王宮公園のパヴィリオンで入場は無料。パヴィリオン自体が開け放たれた空間なので、建物の中に椅子がならべられているが、近くにいれば音楽が聞こえてきたことだろう。
無料なので市民に開かれているわけだが、内容は凝ったものなので、時間前に立ち見まで出ることに驚きを感じた。
ドゥルツィアンを生で聴いたのは初めてだったが、飄々として味わいに富む。リコーダーの澄み切った音色とは対照的であり、チェンバロと3者が組むと、単調に陥らずに音楽の表情に変化があり、大いに楽しめた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧