カウンターテナー歌手ツェンチッチのヘンデル・リサイタルを聴いた(カールスルーエ)。
オケはドイツ・ヘンデル・ゾリステン。指揮はペトルゥ。
曲目はまずヘンデルのコンチェルト・グロッソの1番。これには驚いた。
ヘンデル演奏のイメージがガラッと変わった。古楽器演奏によるヘンデルには慣れているつもりなのだが、彼の指揮は掴み方が大きく、アクセントのつけ方が大胆。例えばチェロなどある音形、フレーズをスタッカートばかりで弾き、その動きを際立たせる。1楽章はスピード感重視なので、コンサートミストレスは限界まで忙しく弓を動かす。しかしそれによって初めて見えてくる音の情景がたしかにある。
緩徐楽章は、優雅にエレガントにゆったり演奏すると、それがまた映える。
自分の中に、ヘンデルの作品の中ではコンチェルト・グロッソはやや平板な曲というイメージがあったのだが、見事に吹き飛んだ。
ここでツェンチッチ登場。CDのジャケットなどでは極彩色の派手なジャケットを着た写真を見慣れていたのでどんな衣装かと思ったら、黒のヘチマエリのタキシードにプレーンな白のシャツでノーネクタイ。靴もエナメルだが黒で、非常にシックでシンプルであった。
歌の1曲目は、ヘンデルのオペラ《エジプトのジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー=ユリウス・カエサル)》から’Dal ondoso periglio..aure, deh, per pieta''
静かな曲を嫋嫋と歌い上げる曲で、ツェンチッチの最も得意とするタイプの曲だ。ツェンチッチは、普通の歌手が歌うと平凡でつまらない曲に聞こえかねない地味な曲(テンポがスローで、派手なアジリタがない)の隠れた魅力を引き出すのが実に巧み、この人以上にその点で秀でてる人がいるのかと思うくらいだ。
次は同オペラから'Empio, diro', tu sei'.
このリサイタルは、ヘンデルの同時代のカストラート歌手セネジーノが初演した曲を集めたものらしい。
次はオケで、ジャン・フィリップ・ラモー(1683ー1764)の「優雅なインドの国々」からの組曲(1735)。これも、ペトルゥの指揮は、目が覚めるような大胆かつ鮮やかでエクサイティングなものだった。フランス風の優雅さというイメージを払拭するような太鼓の激しい連打、ダイナミックなリズム、アラブ音楽的な響きも感じられ、ウルトラモダンな音楽だと感じた。これまでもチェンバロで聴くと斬新さを感じるのだがオケでここまで斬新なものは筆者は初めてだった。
再びツェンチッチ登場でオペラ《フロリダンテ》から'Se dolce m'era gia'.舟歌風のゆったりしたリズム、テンポにのせて、「あなたと一緒に生きていたのは幸せだったから、死ぬのはもっと幸せ」と切々と歌うアリア。ツェンチッチの情感の込め方には雑なところが皆無で、ビブラートの1つ1つ、声の表情の明暗、強弱全てを完全にコントロールして表現の完璧を目指しているようだった。
ついで《ロデリンダ》から’Se fiera belva ha cinto'. これは元気の良い曲でアジリタの披露もある曲。安易な比較は意味がないと思うが、今回、《セルセ》上演に際しても気がついたことなのであるが、ファジョーリとツェンチッチを比較すると、アジリタの回転(フィギュアスケートでいう何回転ジャンプみたいなものか)はファジョーリの方が早く回る。ツェンチッチのアジリタはブレがなく端正。劇場で気がついたのは、ツェンチッチはメロディが平かな部分では出そうと思えばカウンターテナーとは思えない声量が溢れ出てくるということだ。ファジョーリは声量は通常のカウンターテナー並みと考えて良いかと思う。筆者は、二人の絶対的な優劣をつけたいなどと考えているわけでは毛頭ない。どちらも、心底素晴らしい敬愛するアーティストだ。ツェンチッチは、埋もれた作品、埋もれたアリアを発掘してプロデュースする才能を備えており、ファジョーリはよりスター性の強い存在であると言えるかもしれない。
ここで休憩が入る。
後半は《トロメオ》から’Still amare', 《オルランド》から'Cielo, se tu consenti'.
その後、オケでグルックの《オーリッドのイフィジェニー》からの組曲。グルックも普段は平かな曲想が多いと思っていたが、随分メリハリが効いていた。再び、ツェンチッチが登場で, 《オットーネ》から’Dopo l'orrore' そして最後が《アレッサンドロ》の'Vano amore'. これは叙情性とアジリタのある激情性を兼ね備えた実に聞きごたえのある曲であり、ツェンチッチもテクニックと叙情性の限りを尽くし満場の拍手。
アンコールは、《セルセ》のアルセメーネのアリア’Amor, tiranno amor'であった。ロミルダが条件付きでセルセの求婚を受け入れた(受け入れざるを得なかった)ことを知って絶望し、嘆くアリアである。ツェンチッチは、今までとは一段階ギアチェンジをしたようにフルヴォイスで、切々と歌い上げる。こちらがたじたじとなるような詠嘆の歌。通常であるならば、ヘンデルの様式からは云々と注文もいれたくなるところだが、この日のツェンチッチの歌には、そういう様式感とか(それを知悉している彼であることは言うまでもない)、バランスとかテクニック上のカテゴリーが無化される歌だった。非難の意味ではないのだが、何か毒気に当てられたというか、聞いてはいけないものを聞いてしまったような、 異様の感があった。魂自体が、叫んでいるかのような歌。これはバロックなのか。これもバロックなのだ(ろう)。うまく答えが出せないものを、ズンと突きつけられた。怖い歌手である。
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