2017年3月 7日 (火)

バリトンという楽器

バリトンといえば通常はある音域の歌手をさすが、最近テレ

ビでヴィオラ・ダ・ガンバの一種であるバリトンという楽器

を見た。

 

これは、イタリア語ではヴィオラ・ディ・ボルドーネという

らしい。

 

テレビというのは、NHKのドイツ語番組で、旅するドイツ

語という。2016年度からイタリア語もスペイン語も旅する

〇〇語という風にタイトルが変わったのである。タイトルの

変化に応じて、それぞれの語学の地に行ってオールロケにな

っている。旅するドイツ語の場合は、ヴィーン及びその周辺

の町が舞台なのだが、その中で、エスターハージ宮殿が紹介

され、その宮殿を建て、ハイドンの雇い主であったエスター

ハージ侯爵に言及があった。調べてみると、ドイツ語だとエ

スターハージでハンガリー語だとエステルハージのようだ。

 

名前もドイツ語ではニコラウスだしハンガリーだとミクロ

ーシュ。この侯爵がバリトンという楽器が好きで、ハイドン

は彼のために約160もの曲を作った。

バリトンはヴィオラダ・ガンバに似ていて床につけずに膝

に抱えて弾くが、棹(ネック)の裏に共鳴弦があるところが

大きく異なる。表の弦を弾きながら、裏の弦をはじいてもよ

いのだ。共鳴するので表の弦だけ弾いた時にも音色、響きは

独特である。

興味を持って4枚組のCDを買ってみた。ほとんどがヴィオ

ラ、チェロとのトリオ(三重奏)なのだが、中には八重奏の

曲もある。また、トリオには主題がキラキラ星を用いている

曲もあった。曲は概ね親しいもの同士の打ち解けた会話とい

った風情で、激しく攻めるような曲ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月 1日 (水)

《冥土の飛脚》

文楽の《冥土の飛脚》を観た(国立劇場)。

作者は近松門左衛門。文楽の場合、オペラと異なり、一作の全部を上演することはむしろ稀で、通して上演するときは通し狂言とわざわざ断るほどで、今回も淡路町の段、封印切の段、道行相合かご、が演じられた。
梅川忠兵衛という飛脚屋の若旦那が遊女梅川にいれあげ店の金を使い込み、破滅の道へという文楽にはままある話。淡路町の段とあるが、東京の淡路町ではありません。忠兵衛は、友人に渡すはずの金をごまかし遊女の身請けの金の一部にあててしまう。忠兵衛が三百両を持って取引先に届けようか、色街へ行こうか迷う場面が見せ所。金を「おいてくれう、いてのけう」と何度も繰り返す。置いてこようか、(色街へ)行ってしまおうか、という意味であろう。義太夫の台詞回しが見事。封印切の段は、場面が廓。忠兵衛は、見栄っぱりで、金があるところを見せようとして、金貨の封を切ってしまう。
道行きは、駆け落ちの場面。形式的には身請けの金を払ったものの横領した金であることはいつかバレる。二人は死を覚悟で、忠兵衛の故郷へ向かう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月26日 (木)

『近代ヨーロッパとキリスト教 カトリシズムの社会史』

『近代ヨーロッパとキリスト教  カトリシズムの社会史』(勁草書房、4500円)を読んでいる。

編者が中野智世、前田更子、渡邊千秋、尾崎修治(敬称略)の4人。この本は、序で中野氏が書いているように、日本では、西欧近代というと宗教の役割は大きく後退したと思いがちであるが、実際に各国でどのように機能したのかを、極めて具体的な事例に即して論述した本である。
特にカトリック信仰が中心に据えられている。つまり、日本では、プロテスタンティズムの誕生とともに、カトリック教会やカトリシズムへの関心が薄れてしまいがちなのだ。
最近の研究では、カトリシズムをナショナル・アイデンティティーを妨げる敵とみなす見方は19世紀的なものであるという見直しが進んでいるとのこと。
つまりカトリックと近代の関わりは無視できないほど重要なのだ。
例えば第1章、前田更子氏の「神のいる学校 19世紀フランスにおける女性教師の養成」では
○1880年代に一連の政策で公教育が世俗化されるまで、宗教的雰囲気に満ちていた
○3共和制以前は、公立校でも「道徳・宗教」は初等学校の筆頭科目で公教要理に加え、聖史や聖歌を習った。
○フランス革命期に閉鎖に追い込まれた女性修道会を復活させたのはナポレオンである。
○1800〜20年にフランスでは二十の女子修道会が認可されている。1820年〜60年には年平均6団体というペースで女子修道会の認可ラッシュが起こる
こういった具体的なデータに基づき公教育の教員のなり手は女子修道会出身者出会ったことが明らかにされるし、またそれは何故だったかが論じられる。
第7章、尾崎修治氏の「世紀転換期ドイツの赤い司祭 H.ブラウンスとカトリック労働運動」では、第一次大戦後のヴァイマル共和国では、労働者の保護、生活保障、権利の拡大が実施されたが、その時の労働大臣ハインリヒ・ブラウンスはカトリックの司祭だった!彼は8年に渡って社会保障制度の確立に取り組んだのである。
 その背景には、ドイツの西部の工業地帯では、工場労働者を支援する赤い司祭が誕生したこと。その誕生の理由として、工場労働者が信仰を喪失するのではという危機感があったことなどが説明される。つまり労働運動を牽引したのは社会民主党だけではなく、カトリック労働運動もあったということなのだ。
 本の中ではブラウンスの生い立ちから丁寧に説き明かされている。
第10章、村上信一郎氏の「マフィアとカトリック 犯罪と悔悛」も興味深い。20世紀半ばのマフィアの活動の性質の変化、1980年代まではカトリック教会の高位聖職者がマフィアの実態を把握しておらず、シチリア的心性と捉えていたことなどが語られる。
 マフィアの基本的な性格が説明され、マフィアのボスが信心深いことが数々の具体例を伴って明らかにされる。シチリアの司祭がマフィアに対する強い指導力を発揮できなかった理由の1つとして村上氏はスペイン・ブルボン朝支配下のシチリア王国やナポリ王国の教会制度をあげている。イタリア語で chiesa ricettizia と呼ばれるが適当な訳語がなく、氏は在地世襲聖職者任命権を受託された教会としており、その本質は私有教会で、地域の有力家族や地域共同体が教会を建立する一方、その家族ないし共同体が司祭の地位を世襲するものだった。
 ここにとりあげたのは、ほんの一部にすぎないが近代以降の西欧社会とカトリック教会・信仰との関係を、さまざまなトピックをとりあげて論じた本であり、貴重な視座を与えてくれるものと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月14日 (水)

イングランド銀行博物館

イングランド銀行博物館に行った(ロンドン)。

この博物館は、イングランド銀行に接するようにある。子供にも大人にも中央銀行の果たす役割の理解を助けるいろいろな仕組みがある。はっきりここで述べられているのは、イングランド銀行はインフレ2%を目指していること。日銀の黒田総裁と同じなんだなあと感慨を持ったが、ただし異なるのは、何年間でというタームを決めているわけではないことだ。
イングランド銀行が18世紀前半にできた経緯や、金本位制(だった)のことや、ビデオやアニメもあって理解を助けてくれる。また、イングランド銀行が発行してきた金貨、銀貨やお札も展示されている。
18世紀といえばヘンデルなのだが、実はヘンデルはイングランド銀行に投資していたのだ。ヘンデルの銀行との関わりも1つの展示ケースを設けて解説がしてある。思えば、ヘンデルもロンドンでオペラを作って興行していたわけだが、現在では傑作と言われているものが、必ずしも興行として当たったわけではなく、当たったり、当たらなかったりなのだ。王からは年金をもらっていたものの、老後に備えて?投資をしていたのだろう(ヘンデルには妻子がいなかった)。ヘンデルのオペラ興行のあたりはずれは、ホグウッドの書いた伝記に詳しいが、イングランド銀行への投資はある研究会の報告で知った。感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月13日 (火)

フリーメーソンのグランド・ロッジ

フリーメーソンのグランド・ロッジを訪れた(ロンドン)。

ここには図書館と博物館があり、またガイド付きツアーもあるのでそれに参加し、建物というか神殿(temple)の見学をし、細かな説明を受けた。
フリーメーソンに興味があるのは、イギリスで18世紀前半(1717年)生まれたフリーメーソンが瞬く間にヨーロッパに広がり、モーツァルト、ハイドン、皇帝ヨーゼフ2世、その他ヴィーンの多くの貴族がフリーメーソンだったことだ。
特に、モーツァルトのオペラ《魔笛》が、フリーメーソンの思想が織り込まれているというのはずっと言われていることなのだが、しかしながら、どこがどうそうなのかは、なかなか納得がいかないというか、わかったと云う感じが持てないでおり、自分にとって継続中のテーマの1つなのである。
フリーメーソンは秘密結社ということが強調され、それは間違いではないが誤解を招く面もあって、有名なメンバーがわかっているし、フリーメーソン側もそれを認めている。イギリス王室などは代々、フリーメーソンのメンバーが多い。バッキンガム・パレスにもフリーメーソンのマークの入った部屋があるくらいだ。
テンプルは立派だが、どこか教会にも似ている。キリスト像や十字架に関するものがないのが決定的な違いであろう。ただしソロモン王とか旧約聖書の人物が描かれていることは少なくないのだ。
なかなか興味ふかい場所であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

The Foundling Museum

The Foundling Museum を訪れた(ロンドン)。

Foundling というのは捨て子というような意味で、18世紀にトマス・コーラムという人が捨て子を引き取る施設を作ったのである。それが今は、チャリティーとなっているが、施設は博物館となっている。
18世紀には、75%の子供は5歳以下で死んでいた、というような事実から始まって、子供をめぐる状況が展示されている。
この施設の創設者はトマス・コーラムなのだが、それに手を貸した人物に、ウィリアム・ホガーズ(画家、版画家)や作曲家のヘンデル(ハンデル)がいるのだ。
この建物はもともとはFoundling Hospital と呼ばれていて、1954年まで活動を続けていたl
創建当時、ホガースは、当時の画家たちに呼びかけて、絵を寄付させ、ここがイギリスで最初のパブリックなギャラリーとなった。
ヘンデルはオルガンと、毎年当HospitalのChapel で催されたメサイアの収益金を寄贈した。
最上階にはヘンデル関係の展示もあるし、さらにはここにはGerald Coke Handel Collection というヘンデルの資料のコレクションもあって、こちらは前もって連絡する必要がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月10日 (土)

ブルームズベリー

ブルームズベリーの人間関係にについてある本で読んだ(Literary London by

Eloise Millar & Sam Jordison)
この本によると、ヴァネッサ・ベル(作家ヴァージニア・ウルフの姉)は、クライブ・ベルと結婚していたが、オープン・マリッジを選択し、娘アンジェリカは17歳になってあなたのお父さんはダンカン・グラントだと言われた。
 
このアンジェリカは、デイヴィッド・ガーネットという男と結婚するのだが、デイヴィッドはダンカン・グラントの恋人だったのである。うーん、父の元カレか。
ダンカン・グラントは、ケインズ(あの経済学者)とも、デイヴィッド・ガーネットとも、ヴァネッサ・ベルとも親密だったわけである。バイセクシュアルだったわけですね。
このグループにはヴィクトリア朝の人々の伝記を書いたリットン・ストレイチーもいるわけだが、彼はケインズ、ダンカン・グラントと恋愛関係にあったという。
さらにここにはオットライン・モレルという貴族の夫人もいて、D.H.ロレンスやバートランド・ラッセルと親密だったのだ。
もともとブルームズべりー・グループのパーティはフォーマルで堅苦しかったのだが、ある日リットン・ストレイチーがヴァネッサ・ベルに、ドレスの染みは精液かいと尋ね、一瞬凍りつく沈黙の後、皆が爆笑した。これで遠慮や気兼ねが一気になくなったとヴァージニア・ウルフは書いている。そこからは、男色(者)という言葉が口に登るのも時間はかからなかった。
ウルフの小説だけを読んでいるとなかなかわからない状況である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 9日 (金)

ディケンズ博物館

ディケンズ博物館を訪れた(ロンドン)。

ディケンズ博物館というのは、チャールズ・ディケンズの旧居に彼の使用した家具や手紙などを展示している施設である。ここにもオーディオガイドはある(日本語なし)。
驚いたのは、この家は一軒家ではないが、地下、地上階(日本風に言えば一階)、一階、二階、屋根裏があり全部を使っている。使用人も4人いた。これが20代で彼が手に入れた(賃貸ではあるが)家なのだ。地下は使用人が使うキッチンやワインセラー。地上階にはお客をもてなす食堂。一階に客間、書斎。二階に寝室。屋根裏は子供の寝室及び使用人の寝室。
ディケンズは決して貴族や富裕層の出身ではない。それどころか、父親は借金を払えずに、債務者監獄に入れられたのだ。その借金を返すために12歳のディケンズは働かねばならなかった。それは彼が誰にも、自分の子供にすら語らなかった屈辱的経験だった。ディケンズの祖父母は使用人だったのだ。そこから彼は独力でご主人様になったのである。
この社会階層の跳躍ぶり(少なくとも住居に関して)は、現代の日本で考えると、作家と言うよりは、売れっ子の芸能人に近いだろう。つまり、ディケンズの時代、テレビもラジオも映画もインターネットもないわけで、娯楽の中心は、芝居と小説だった。ディケンズは熱心に芝居を見る人であり、家には大きな鏡があって、執筆中にはいろんな顔つきをして登場人物を思いついたり、その人物になって、また机に向かうという書き方をしていたという。
ディケンズは妻以上に妻の妹(若くして死んでしまう)を愛しており、彼女の墓に埋葬して欲しいと彼女の死後何年も経過してからも言っているし、またもう一人の妹にも思いを寄せ、妻とは別れて、義理の妹と暮らしていたのだった。
知らなかったのは、ディケンズが著作権の確立に熱心だったこと。アメリカ旅行の際にも国際的な著作権を訴え、アメリカの聴衆に単なる欲張りと誤解を受けたりしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 7日 (水)

ミュンヘンフィル

ミュンヘンフィルの演奏会を聴いた(ベルリン)。

ベルリンフィルの書き間違いではありません。ベルリンフィルは今、ツアーに出かけていて、彼らの本拠地で、ミュンヘンフィルが客演していたのです。
曲は、ガリーナ・ウストヴォルスカヤの交響曲3番とショスタコービッチの交響曲4番。前者が1983年の作品、後者は1935・36年の作品である。ウストヴォルスカヤの作品は全く初めてだったが、なかなか面白かった。詩人の朗読と、小さなオケ(トランペット5、コントラバス5、ピアノ、大太鼓2、小太鼓1という変則的な編成)。
詩のようなものの朗読が入るのだが、朗読はアレクセイ・ペトレンコ。指揮はゲルギエフ。なんだか洋風雅楽のようだと思った。リズムがゆっくりで、メロディの数は少なく、ゆっくりと変化を伴いつつ繰り返される。この演奏はなぜか指揮者と朗読者の登場が15分以上遅れて会場はざわついた。
休憩なしで、ショスタコービッチ。ゲルギエフがバンバン鳴らす。また、そういう曲想の曲でもある。ミュンヘンフィルというのはどこまでフォルティッシモになってもうるさくない。音楽している。また、指揮者の一振りでパッと無音になる瞬間の揃い方も見事。音は柔らかいのだが、機能性の高さに驚嘆した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゲメールデガレリ(絵画館)

ゲメールデガレリ(絵画館)を訪れた(ベルリン)。

ここはKulturaforum という中にあるので、やや辿り着きにくい。大通りから少し入ったところにあるのだ。しかも、すぐ近所に新ガレリーという建物(ただいま工事中)があって、道行く人に聞いてもそちらを教えてくれる人がいるので要注意である。
ゲメールデがレリーは、後でガイドブックを見るとヨーロッパ有数の美術館とあった。確かにそうなのだ。ものすごい部屋数、展示数の絵画があり、じっくり見るには半日をかける必要がある。
20世紀は対象外のようだが、中世から18世紀あたりまでドイツだけでなく、ヨーロッパの絵画が収蔵されている。今は企画展としてスペイン絵画を特集しているコーナーがあった。ムリリョ、エルグレコ、ベラスケスなど。
イタリア絵画もボッティチェッリやリッピ、クリヴェッリなどがあり、ドイツ絵画を山ほど見ると、個別の作家の違いを超えて、色使いやタッチというもののイタリア的なるものを感じる部分もある。
絵に描かれている主題でいうと、グァリーニの忠実な羊飼いという牧歌から主題をとった4つの連作があったのが、個人的には興味深かった。
ここも、じっくり時間をかけて再訪したい(チャンスがあれば)ところである。
同じ建物で、絵画ではないが、ブゾーニ展をやっていた。ブゾーニの活動の多面性がうかがえる展示だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧