2018年6月 3日 (日)

《ティートとエイリアン》

パオラ・ランディ監督の《ティートとエイリアン》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

両親をなくしたイタリアの姉弟が、アメリカのネヴァダ州の砂漠で宇宙との交信を研究する叔父のところを尋ねていくという物語。
生者と死者の交流可能性が関わってくるので、このストーリー展開に気持ちがついていける人、いけない人が分かれるかもしれない。

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《イタリアの父》

ファビオ・モッロ監督の《イタリアの父》を観た(イタリア映画祭2018、有楽町・朝日ホール)。

失恋したゲイの青年と、妊娠したが女性がふとしたきっかけで出会いトリノから南イタリアの南端まで移動するロード・ムービー。
出産後、彼女は姿を消してしまうが、青年はどうするのか。
今回の映画祭では、従来のイタリアの母親像にのっとらない、むしろそのコンセプトをさかなでするような、チャレンジングなともいえるし、挑発的なともいえる女性像が描かれている作品がいくつかあった。実際にそういった女性が増えているのかもしれないし、監督や脚本家が従来の母親像のステレオタイプにあきたらないと思っているのか、その双方であるのかもしれない。

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《チャンブラにて》

ジョナス・カルピニャーノ監督の《チャンブラにて》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

ロマ(ジプシー)の少年ピオが主人公の物語で、南イタリアの南端カラブリア州が舞台で、ロマの集落と、地元のイタリア人、アフリカからの移民が様々な利害で絡んでいる。
ロマの少年は兄と父が逮捕され、危険な橋をわたりながら家族に収入をもたらすが、失敗も犯す。

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《侵入する女》

レオナルド・ディ・コンスタンツォ監督の《侵入する女》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

ナポリ郊外の民営の学童保育所のような施設で起こる事件を描いている。ジョヴァンナという主人公は、ナポリ郊外でこの施設を運営しているのだが、その施設には困窮した家族が一時的に生活できる小さな小屋があって、そこにアイデンティティーを偽ってカモッラの妻と子どもが身をよせるところから騒ぎが起こる。
夫は逮捕されるのだが、妻と子どもを受け入れ続けるかどうかで、そこに子どもあずけている親たち、小学校の教員たちに動揺が走る。
監督によると、実話に基いているという。ある集団にとって脅威となる異分子をどう受け入れるかという物語であるという。

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《愛と縦断》

マネッティ・ブラザーズ監督の《愛と銃弾》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

ナポリのカモッラ(犯罪組織)の親分が九死に一生を得て、にせの葬式をあげ妻と逃亡しようとするのだが。。。というストーリー。
こわい話かと思いきや、コメディータッチで、犯罪組織のチーロと看護師のファーティマが逃亡するのだが、要所要所で登場人物がミュージカルのように歌うのだ。場合によっては周囲の人間が音楽にあわせて踊りだす。ボリウッド的要素があるのだ。
《フラッシュダンス》のメロディをファーティマが朗々と歌い上げたりする。
ギャング映画的に打ち合いもあるのだが、どちらかと言えばチャンバラ的にバタバタ死ぬので本格的なマフィア映画のように怖いわけではない(怖くない方が個人的にはこのましい)。死んだフリ、というのがポイントの映画で、笑える場面が沢山ある。

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《純粋な心》

ロベルト・デ・パオリス監督の《純粋な心》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

非常に信心深い母親(バルボラ・ボブローヴァ)の娘アニェーゼが、スーパーの駐車場の守衛をしている青年ステーファノ(隣接するロマのキャンプの若者たちとトラブルが絶えない)と出会い2人に変化が起こる。アニェーゼの母は結婚まで純血を保つことを絶対視するのだが。。。
監督によると、アニェーゼ役の女優もステーファノ役の俳優も、役の状況を数ヶ月にわたって経験し、その役になりきれるように準備したとのこと。教会に通っている若者たちは、職業的俳優ではなく、自分自身を演じているとのことだった。
昨年も宗教の世界にどっぷりつかっている少女(カトリックでないキリスト教)とそうでない若者との出会いの物語があった。
宗教の要素が出て来るのは、とても興味深いし、2人が出会うことで、それぞれが自分を保護していた殻から出ていくのが見どころだ。そこには痛みも伴うし、新たな喜びもある。

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《Emma 彼女の見た風景(仮題)》

ソルディーニ監督の《Emma 彼女の見た風景》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

5年ほど前にやはりソルディーニ監督は盲人をテーマとした映画を撮っている。その時にはドキュメンタリー的要素が強かったと記憶しているが、今回は完全にストーリー化していて、演じているのもヴァレリア・ゴリーノやアドリアーノ・ジャンニーニらの俳優・女優である。
盲目の整体師エンマが広告マンのテオと出会う。テオには彼女や不倫相手がいるのだが、結婚も同居もせず、どっちつかずに生きている。エンマとの出会いが彼を徐々に変えていくというストーリーだ。
この映画では、ゴリーノの演技もあるし、カメラワークのせいもあるのだろうが、盲人のエンマの手の動き、身体の動きをわれわれはたどることになるのだが、それが新鮮な感覚をこちらに呼び覚ます。身の回りの世界を新たに感じ取るような心持ちになる。テオと出かける時もエンマは植物に触ったり匂いを嗅いだりすることが必然的なふるまいだ。それを見ているテオも次第にまわりの世界を外から傍観するのではなく、触って嗅いで関わっていくようになっていくのではないか、と思う。
エンマが指導している17,8歳の少女(目が見えないことを受け入れられないで、反抗的な態度を取っている)の描写も、エンマとのコントラストによって盲人を一面的に描いてしまうことから救っている。
身体的・物理的にはテオがエンマを手伝う・手助けするのだが、精神的・心理的にはエンマがテオの思春期以来のトラウマを癒やす触媒となる。現代の愛のむずかしさに対する一つの解がそっと提出されている映画である。

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《フォルトゥナータ》

カステリット監督の《フォルトゥナータ》を観た(イタリア映画祭2018、有楽町・朝日ホール)。

主演女優のジャスミン・トリンカが来日・舞台挨拶、上映後に質疑応答に答えた。《フォルトゥナータ》のタイトルは女性の主人公の名前で幸運な女性の意味を持つ。しかし、彼女の結婚は破綻しており、9歳の女の子を抱え、新しい恋人は薬物依存症という状況。

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2018年5月 2日 (水)

《環状線の猫のように》

リッカルド・ミラーニ監督の《環状線の猫のように》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

ローマの中心部に住みシンクタンクで働く父親とその娘が一方にいて、もう一方に、ローマの郊外で様々な人種が混交して住む地区の母と息子がいる。子ども同士がつきあい始めたことで、どちらの親も心配になり、尾行しているうちに親同士が知り合うというストーリー展開。
シンクタンクで働く父親は、大都市の郊外問題を仕事の対象としているのだが、実情は知らなかった。それが娘の交際をきっかけに住民と関わりをもたざるを得なくなる。
コメディなのだが、コメディーを通じて社会問題をストレートに差し出している。イタリアにはこういう社会問題を扱ったコメディでよく出来たものが多いと思う。《やれば出来る》(精神病棟を解放して彼らがどう働き場所を持つかもそうだったし、《明日のパスタはアルデンテ》も、同性愛の問題をコメディータッチで描いていた。プログラムで監督と主演女優が語っていることだが、コメディーのほうがストレートに多くの観客に社会問題を届けることが出来るわけだ。納得。

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2018年5月 1日 (火)

《ザ・プレイス》

パオロ・ジェノヴェーゼ監督の《ザ・プレイス》を観た(イタリア映画祭2018,有楽町・朝日ホール)。

あるバールに座って人々の人生相談に応じている男(マスタンドレア)がいるのだが、相談者に与える答えは、ことごとくほとんど不可能な課題をやりとげよ、というものだ。老婦人に、爆弾をしかけて無関係の人々を殺せなどと言うのだ。
相談者は複数いるのだが、最初はバラバラの相談に見えるのだが、徐々に彼らの間の関係・絡み合いが見えてくる。
一種の室内劇のような映画である。

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