めったに出会えないヘンデル《アタランタ》――若い演奏家たちの勢い
ヘンデルの《Atalanta(アタランタ)》を聴いた(インスブルック、Haus der Musik、Kammerspiele)。Kammerspieleというのは地下の小さなホールである。
《Atalanta》は、ヘンデルのオペラのなかでも上演頻度の高い作品ではない。私自身、実演で聴く機会はこれまでなかったので、今回の上演は貴重な機会だった。
1736年、イギリス王太子フレデリックとオーガスタ・オブ・サクス=ゴータの結婚を祝って作曲された作品で、基本的には明るい牧歌劇である。にも関わらず、初演の時も、続く上演でも新婚カップルはこのヘンデルの上演に立ち会わなかったのだという。
オペラに登場するのは二組のカップル。
一組は羊飼いのアミンタとイレーネ。こちらは本物の羊飼いたちである。
もう一組が少々ややこしい。アルカディアの王女アタランタは「アマリッリ」という羊飼い娘に、エトリア王メレアグロは「ティルシ」という羊飼いに、それぞれ身をやつしている。
そして二人は恋に落ちる。
ところが、お互いに相手を本当の羊飼いだと思っているので、高貴な身分の自分が身分の低い相手と結ばれてよいものか、と悩むのである。
見ている方からすると、
「いや、二人とも王族なのだから大丈夫だよ」
と言いたくなるのだが、もちろん本人たちは知らない。このすれ違いに、もう一組のアミンタとイレーネの嫉妬や恋の駆け引きが絡んで話が進んでいく。
大事件が次々に起こるタイプのオペラではない。むしろ、恋をしているのになかなか本心を口にできない若者たちの気持ちを、田園的な世界の中で眺める作品である。
今回、ピットに入ったのは Orchester der Schola Cantorum Basiliensis。若い演奏家を中心としたオーケストラで、今年できたばかりだという。もちろんまだアンサンブルとして磨かれていく余地はあるだろうが、それだけに、これからどう成長していくのか大いに期待したくなるオーケストラだった。
指揮は Andrea Buccarella。
私はこの人の指揮がかなり気に入った。
曲の勘所をよく押さえていて、とくにアリア・ディ・ブラヴーラになると面白い。オーケストラの縦の線を何が何でもきっちり揃えることよりも、多少それを緩めてでも音楽の推進力を優先するタイプの指揮に聞こえた。
そのため、速いアリアになると音楽が急に前へ走り出す。
バロック・オペラでは、細かな音符を整然と並べることに気を取られると、技巧的には立派でも音楽の推進力が減じることがある。Buccarella の場合は逆で、音楽がどこへ向かっているのかをはっきり示し、歌手とオーケストラをそこへ一気に運んでいく。
こちらも自然にその勢いに乗ることができた。
そして今回、とくに印象に残った歌手が、メレアグロを歌った Sarah Hayashi である。
メレアグロはエトリア王なのだが、「ティルシ」という羊飼いに身をやつしている。したがって舞台上では、王でありながら羊飼いとしてアタランタを追いかけることになる。
この役には、派手なアジリタを要求されるアリアが何度も出てくる。
Hayashi は昨年もインスブルックで聴いたが、それと較べると長足の進歩だった。
まず、アジリタがぐんとうまくなった。
速いパッセージを単に音符として処理するのではなく、それが音楽の勢いそのものになっている。そして、それ以上に印象的だったのが、声のダイナミックな振幅に表情がきちんとのるようになっていたことだった。
声を強くしたり弱くしたりする。それだけなら技術の問題である。
しかし今回の Hayashi には、その振幅がそのままメレアグロの感情の動きになっているところがあった。勢いよく前へ出る声、ふっと力を抜く声、その変化に表情が伴っている。
若い歌手が一年ほどの間にこれほど変わるのか、と少し驚いた。
もちろん、まだ完成した歌手というわけではない。むしろ、だからこそ面白い。これからさらにどこまで伸びていくのか、追いかけて聴いてみたくなる若手歌手である。
《Atalanta》そのものも、聴いてみるとなかなか魅力的な作品だった。
有名な《Care selve》のような静かな歌がある一方で、華麗なアジリタを駆使するアリアもある。狩りの場面があり、恋のすれ違いがあり、最後には登場人物たちの正体も明らかになる。
そして最後には、それまでの牧歌的な恋愛喜劇が一転して、作品が作曲された現実の王室結婚を祝う大掛かりな祝祭音楽へと広がっていく。
ヘンデルの有名オペラだけを聴いているとなかなか出会えない、少し変わった作品である。
珍しい作品を、これから伸びていく若い歌手と若いオーケストラで聴く。
演出も、簡素ではあるのだが、上手く舞台奥の壁に映像を投射して、それが夜の森やイノシシの顔になったりするのだった。
音楽的には、licenzaという祝婚オペラでその祝われるカップルに向けての台詞や音楽が最後に出てくるところがあるのだが、案外ここが長いので驚いた。以前にコルセッリ作曲の《シーロのアキッレ》を聴いた時の何倍もあった。
インスブルック古楽音楽祭の Barockoper という企画には、完成された名演を聴くのとはまた違った楽しさがある。若手の挑戦を聴く上演なのだ。
今回の《Atalanta》は、そのことをよく感じさせる公演だった。


最近のコメント