2022年11月13日 (日)

《魂と肉体の劇》のリブレット

前項で書いたように《魂と肉体の劇》をシアターXで観たのだが、そのリブレットの特徴について書いておこう。

リブレットはアゴスティーノ・マンニによるもので、この人は1547年にローマでフィリッポ・ネーリ(オラトリオ会の創設者)を知り、弟子となって後にはオラトリオ会の長(prefetto) となっている。説教が上手で評判だった。

このリブレットは序(Proemio) と3幕から成っている。序の部分はAvveduto とPrudenzio という二人の若者の散文による会話。現世の様々な誘惑や欲望をどう考えるべきか、といった内容。

第一幕になると Tempo (時)が出てきて、現世の物事の空しさを説く。合唱や知性も出てくる。第四場になってCorpo (肉体)とAnima (

魂)が登場する。第一幕は冒頭からずっと rima baciata (カプレット)で書かれている。行末が2行ずつ韻を踏んでいて、aabbcc...

という形をとっている。一行の音節数はわずかな例外を除き7音節である。

第一幕第四場で肉体と魂が出てくるところは、それぞれが3行ずつの台詞を交わすのだが、そのうち2行目と3行目が rima baciata になっている。ここもやはり1行は7音節である。続く第5場は合唱だが、1行11音節と7音節が交錯し、韻もabab のような交差韻となっている。11音節と7音節が使用されるのは、16世紀の牧歌(劇)によく見られるパターンである。

第3幕になると今度は1行8音節で rima baciata が頻出する。1行8音節の二行連句を連ねてこのオペラは終わる。

8音節の部分ではリトルネッロ付きのダンスを踊りながらの進行となっている。明らかに音楽的性格にあわせて詩の音節数も選ばれているものと思われる。

 

 

 

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2022年11月 9日 (水)

デ・カヴァリエーリ作曲《魂と肉体の劇》

デ・カヴァリエーリ作曲のオラトリオ(あるいはオペラ)《魂と肉体の劇》を観た(両国、シアターX)。

シアターXと書いてシアターカイと読む。両国は相撲の国技館のある両国であるが、シアターXがあるのは、総武線を挟んで国技館とは反対側だ。入り口が大通りから少し入るので初めての時には注意が必要かも知れない。

劇場は、こぢんまりとしていてバロック・オペラにはふさわしい。収容人数は100−300人程度に可変のようだ。11月6日(日)は満員であった。《肉体と魂の劇》は、1600年の聖年に、宗教劇として作曲された音楽劇であり、一般のクラシックファンにとって有名とは言いがたい作品だが、これが満員になったのはまことに喜ばしい。

作曲家のカヴァリエーリは、フィレンツェのオペラ揺籃期にフィレンツェにいてオペラ上演にも深く関わった人物である。1600年はカトリック教会の定めた聖年であり、それを記念して、当時フィリッポ・ネーリが創設したオラトリオ会で宗教音楽劇を上演したのがこの《魂と肉体の劇》である。だから、音楽と演劇の関係からすれば、フィレンツェのオペラとまったく同様で、モノディー様式でかつ通奏低音も用いられ、この作品をオペラと分類することが可能で近年の研究者はそう捉える人が多い。従来は、内容が宗教的であり、教会で初演されたことなどからオラトリオと分類されていたのだ。しかし分類というものはそもそも便宜的なものであり、基準次第でその境界線がずれることは十分ありうるわけでこれもその一例と言えよう。

この作品では登場人物は、魂や肉体、快楽、時、現世といった概念だ。つまりアレゴリーが登場人物の寓意劇である。魂と肉体がカップルになっていてこのカップルは、現世の空しさを聞かされたり、逆に現世の魅惑に惑わされたりし、最後には天国に行くためには現世的な魅惑ではなくて、もっと大事にすべきものがあるという教訓がある、そういった劇だ。この音楽劇が上演された場所と時代からわかるように、これは極めて対抗宗教改革(カトリック改革)の中で、その方向性を反映させて作られた作品で、リブレットはアゴスチーノ・マンニの文から取られたのだが、マンニはフィリッポ・ネーリの弟子であり司祭になった人である。

作曲家のカヴァリエーリは先述のように、フィレンツェでオペラができかかっている時期にあのバルディのカメラータに出入りをしていた。メディチ家の当主フェルディナンドが、もともとローマで枢機卿であったのだが、兄の死去によって、還俗して当主となりフィレンツェに帰った。カヴァリエーリはフェルディナンドのおぼえがめでたく、フィレンツェに招かれメディチ家の芸術活動の責任者に任命されたのである。という事情から想像されるように、もともとフィレンツェにいた音楽家・詩人連中からすると面白くない存在であったらしい。

今回の上演は古楽アンサンブル・エクス・ノーヴォによるものだが、彼らは今年5月には1589年にカヴァリエーリが総監督をつとめた《ラ・ペッレグリーナ》のインテルメディオを演奏している。カヴァリエーリはこの頃からレチタール・カンタンド(歌いながら語る)の可能性をさぐっていたわけで、《魂と肉体の劇》(1600年上演)には約10年の隔たりがあるわけで、その間にモノディー様式や通奏低音の使用法に習熟していったのだろう。

エックス・ノーヴォの上演では前回もプログラムが充実していたが、今回も萩原里香氏、長岡英氏による解説は大変充実したものだ。

オケはヴァイオリン、リラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、コルネット、トロンボーン、チャンバロ、オルガンによるもので、一人二役の人も4人いた。やはりこういう作品はピリオド楽器の響きが似つかわしい。

演出は井田邦明で、この日の演出は素晴らしかった。長年イタリアで活躍し、オペラの演出もてがけてこられた井田氏の薫陶をうけ、この日の歌手たちは一つ一つの動きに血が通い、動きの意味、表情も明確だった。舞台装置は簡素だが、衣装も洗練され、身振りや動きとあいまって、この宗教的な内容を雄弁に語っていた。

音楽的にも演劇的にも大いに充実した舞台だった。肝心の劇のメッセージに関しては、言いたいことは判るのだが、現世的な欲望に囚われている自分を認識するものの、それではそういった欲望を捨て去ろうという気になれないのであった。こうして悟ることはできないにしても、自分の愚かさを鏡で映し出すのは悪いことではないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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2022年11月 3日 (木)

ヘンデル作曲《シッラ》

ヘンデル作曲のオペラ《シッラ》を観た(桜木町、神奈川県立音楽堂)。

実に素晴らしい上演だった。歌手よし、オケよし、演出よし、何も言うことはない。指揮のビオンディもすみずみまで心を行き渡らせながら、かといってエッジがなまることのない心地よく生き生きとしたテンポ、リズムで音楽を運んでいた。

このオペラの上演は、2020年3月に上演が予定されておりながら、しかも3日前の2月26日まで練習が進められておりながら、コロナ禍のため直前に中止となった(この点では新国立劇場の《ジュリオ・チェーザレ》と酷似している)。

そのキャンセルされた公演の前には、日本ヘンデル協会によるレクチャーがあり、諏訪羚子氏の対訳、三ヶ尻正氏の解説のついたリブレットが販売されていた。今回の上演の二週間ほど前に、ネット上でもミン吉さんのサイト「オペラ御殿」(オペラ・ファンにはつとに知られたサイトである)でも《シッラ》についての解説と、要所要所に文法的、語法的解説のついた対訳がアップされた。さらには、今回の上演はNHK・BSで来年の1月に放送されるとのことで、三種類目の日本語字幕が参照できることになる。これはバロック・オペラとしては、モンテヴェルディなど一部を除いて希有なことだと思う。

今回の上演では何といっても声の競演が素晴らしかった。解説にもあるように《シッラ》はおそらくは興業用ではなく、オケージョナルな上演を目指していて、社会情勢が変わったためそのオケージョナルな上演がおそらくは中止になってしまったとのこと。これは以前に当ブログで紹介したマッテゾンの《ボリス・ゴドノフ》でも生じたケースである。そのせいかアリアの配置・数が均等に近い感じがした。どの歌手にもそこそこアリアの数が割り振られていて見せ場、聴かせどころがある。

今回の歌手は粒ぞろいでレベルが極めて高いことは言うまでもないのだが、声質のヴァラエティにも富んでいる。ソニア・プリーナとヴィヴィカ・ジュノーはヴェテランだし知名度も高いが、自分のスタイルを持っていてそれで聴かせる。二人とも叙情的な部分とアジリタ(早い敏捷的な動きを見せるパッセージ)の使いわけも見事。それに対し、ロベルタ・インヴェルニッツィとフランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリは模範的に端正かつ上品な歌い方で、これはこれで見事なものだった。かつての名歌手で言えば、デル・モナコやディ・ステーファノのような個性的名歌手と、ベルゴンツィのような模範的に端正な名歌手といったところである。そういう2つのタイプの名歌手たちが勢揃いして入れ替わり立ち替わりヘンデルの様々なタイプのアリアを歌ってくれ、時には二重唱まであるのだから、贅沢の極みである。クラウディオを歌ったヒラリー・サマーズという人はアルトなのだが、不思議な声質の人で、ファルセットのような響きがするのだったが、とても体格がよく上背のある人で舞台映えがした。メテッラ役のスンヘ・イムは、軽めの声であるが、劇的な場面での声の表情づけが巧みだった。

ビオンディは指揮兼ヴァイオリンの弾き振りで、手兵とも言うべきエウローパ・ガランテのメンバーとは目線を交わすだけで以心伝心、しかも楽員の自発性が感じられる実に好ましい演奏。オケは19人で、編成も弦楽器以外は、チェンバロ、小ぶりなテオルボ、リコーダーとオーボエの持ち替え、トランペット、ファゴットといったシンプルな編成だが、たとえばオーボエからリコーダーに変わると、やはり曲想にぴったりの変化でその巧みさに舌を巻く。オケの表情は劇的になったり叙情的になったり自由自在で、生き生きしたテンポ、リズムで実に音楽的に心地よく納得のいくものだった。

演出および舞台衣装は、歌舞伎にインスピレーションを得たものであることは、上演前のビオンディ・弥勒対談で弥勒氏が述べていた通り。ソニア・プリーナやヴィヴィカ・ジュノーの男役は実に決まっていて愉快だった。むしろ女性役の方がスンヘ・イムを除いては、気の毒な気がした。異性装の方が舞台映えがしたのである。ひょっとするとそれは観客であるわれわれは、日本に暮らしているので、専門家でなくてもある程度、着物を見慣れていることにも原因があるのかもしれない。主人公のシッラは悪役(つぎつぎに人妻にも、婚約者のいる女性にも権力をかさにきて迫る)なのだが、それにふさわしくソニア・プリーナは歌舞伎の悪役風の藍隈取りをしていてそれが決まっていたのだ。ヴィヴィカ・ジュノーは善良な人物の役で、それにふさわしくエレガントな立ち居振る舞いで、アジリタの超絶技巧だけでなく、演技でもおおいに感心した。最後のエクス・デウス・マキナは、天井から布を伝って女性がサーカスのように空中で舞う趣向で表現されていて、スペクタクルな要素がやや乏しい舞台に花を添えた。

神奈川県立音楽堂は、舞台は狭いのであるが、舞台中央に鳥居を抽象化したような赤い門が左右に複数あり、その間から神が登場した。また客席からみて左手にやや張りだした部分があって、そこでアリアや二重唱を歌わせるのも巧みな工夫であった。

悪役のシッラは、最後海で遭難し妻に助けられて突然改心する。その突然さの前後の練り具合がやや弱いのだが、おそらくこれは、急いで作曲されたのであろうし、また、リブレットにも原作がないことにも起因しているかと思う。ヘンデルのオペラではしばしばヨーロッパ大陸で上演されたものを、黙って改作してそれを上演台本にしていることがあるのだが、《シッラ》の場合は、それがないのだ。

バロック・オペラならではの歌の競演、超絶技巧の披露、敏捷なオケの変わり身の見事さを堪能した。これほどの音楽性の高みを味わえるオペラ上演は、ヨーロッパでもそう多くはないと思う。会場の神奈川県立音楽堂も、バロック・オペラ上演にちょうどよい大きさだ。観客にも大いに受けていた。

幾多の艱難を乗り越えてこの上演を実現してくれた関係者の皆さんに心から感謝。

 

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2022年10月29日 (土)

ヘンデル《ジュリオ・チェーザレ》

ヘンデル作曲のオペラ《ジュリオ・チェーザレ》を観た(初台、新国立劇場)。

新国立劇場のシーズンにおいてバロック・オペラを上演するのは初めてのことであり快挙であり慶賀すべきことであると思う。

今後も、こうした上演が毎年継続する(今のところ1年おきの予定という人もいる)ことを切望する。

しかもこの《ジュリオ・チェーザレ》は、2020年4月に上演予定で、指揮者アレッサンドリーニも来日して舞台稽古を進めていて上演間近でコロナ禍のために上演中止となった経緯は、新国立劇場の提供する Youtube で今も見ることが出来る。その苦難を乗り越え、チェーザレ役の歌手は交代しているが、しっかりとした舞台装置つきで、上演にこぎつけた関係者に敬意を表したい。

ここ20年ほど、ヨーロッパでは特に夏の音楽祭などではバロック・オペラを上演することが珍しくなくなっている。ここ数年ではパリのオペラ座やミラノのスカラ座でもバロック・オペラ上演を開始していたので、新国立劇場がそこに加わり、上演演目の幅が広がり、観客の楽しみが多様になることは意義深いと思う。

演出および舞台装置は、古代エジプト美術を所蔵する博物館が舞台で、そこにチェーザレ(カエサル)やクレオパトラの霊が現れるという設定となっている(この設定はもともとのリブレットにはないが、近年のオペラ演出でそれは珍しいことではない)。博物館員としてモック役(黒子)が活躍する。

少し驚いたのは、コントラバス奏者が4人いて、オケが重々しかったことだ。重厚な響きになるし、軽やかに舞うという感じは乏しくなる。このオーケストラ編成は、常設の歌劇場でそこに付属オーケストラがある場合、ヨーロッパでも対処に苦労している問題の1つのようだ。音楽祭の場合は、バロック専門の小規模な管弦楽団を指揮者が連れてくるのが普通である。その場合、実に様式的には好ましい響きがするのだが、音量的には大音量とはいかない。歌劇場付きの管弦楽団が存在している場合、どういう編成のオケで演奏するのかはケースバイケースである。

1.  歌劇場付属のオケがピリオド奏法(古楽器風にヴィヴラート少なめ、フレーズの終わりを短めに演奏する)で演奏する。

2.歌劇場付属のオケと古楽器演奏者の混成

今回の上演では歌劇場専属ではないがレギュラー的な存在となっている東京フィルハーモニー交響楽団に、古楽器を専門とする通奏低音奏者が加わっていたので2の形に近いと言えるだろう。そのため、通常の古楽専門のグループではありえないほどコントラバスやチェロの数が多く、重厚な響きとなっていたわけだ。このことから推測出来るように、第一幕ではリズムもやや歯切れが悪かったのだが、これは第二幕以降随分改善された。

歌手はチェーザレ役のマリアンネ・ベアーテ・キーランドは、古楽にふさわしい清らかな歌唱法であったが、ドラマティックな曲想のところでは声量が十二分とまでは言えず、迫力に欠けるうらみがあった。その一方、クレオパトラ役の森谷真理は、声量豊かに響いていたが、歌唱のスタイルとしてはバロック歌唱とは言いがたい。というわけで、歌唱の様式の統一感はなかったがそれは無いものねだりというものだろう。ヨーロッパで聞いていても、やはりふだん19世紀以降のオペラを歌っている人は声量は大きいのである。楽器でも同様で、一番判りやすいのは鍵盤楽器のチェンバロとピアノの相違だろうか。チェンバロの方が繊細なニュアンスが出しやすいのだが、絶対的な音量はピアノの方がはるかに大きい。イタリアの音大では、すでに学部段階からオペラの声楽科と古楽の声楽科は別れているという。

オーケストラの人数が多くて音量が大きいと、バロック歌唱でそれに対抗するのはつらいかと思う。古楽のオケは大抵20人から30人程度である。ということもあって、ヨーロッパでも音楽祭では小さめのホールが選択され、オケの人数も少ないのだ。だから、パリのオペラ座やミラノ・スカラ座でバロック・オペラを上演する場合、オケをどうするかということと、歌手の声量をどう考えるかという二つの問題に対処しなければならないわけである。

以上のような課題があるにせよ、新国立劇場でバロック・オペラが上演されることの意義は大きいと思う。実際、今まで19世紀以降あるいはモーツァルト以降のオペラにのみ親しんできた人が、今回の上演ではじめてヘンデルのオペラに接したという人も少なくなかったようだ。バロック・オペラの面白さ、愉しさ、音楽的な豊かさに気づく人が多くなり、日本でのバロック・オペラ上演が盛んになることを期待したい。

 

 

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2022年9月19日 (月)

ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(4)

ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲のオペラ《グリゼルダ》の楽譜復元について、それを担当したDragan Karolic が書いている報告のあらましを記す。

彼が《グリゼルダ》の一部を聴いたのは1985年のことで、レチタティーボなしのアリアがいくつかの抜粋のレコードで1967年録音のものだった。その経験が心に残りつづけ、2005年にロンドンのブリティッシュ・ライブラリーからデジタル・コピーを作成した。音楽学者兼出版者として、忘れられたオペラを聴衆に近づきやすい形で提供したいと願う気持ちが強まった。昨年(2021年)の9月にツェンチッチから電話で申し出をうけ喜んで承諾した。

《グリゼルダ》の総譜は、有名なチャールズ・バーニーが所持していたのだが、1814年に彼が亡くなって売りに出され、その後行方不明となってしまった。

最初、 Dragan Karolic のもとにあったのは1722年と1733年のリブレット、ジョン・ウォルシュの出版したスコア、いくつかのアリアの手稿譜であった。これらのソースにはレチタティーボと管楽器およびヴィオラのパートが欠けていた。それを再構築、復元する必要があったわけだ。幸い、いくつかのアリアなどは印刷されたスコアに全体が保存されていた。即ち、序曲、いくつかのアリアと最後のコーラス(登場人物の全員合唱)、そして強弱などの指示、通奏低音の記号が書き込まれていた。アリアにオーケストレイションを付け終わったところで、ベルギーのDenee で知られていなかった手稿を発見した。それには12のアリアが含まれ、ヴィオラのパートが完全に書かれていた。そこでスコアを書き直して新たな情報を統合した。

レチタティーボ・セッコとレチタティーボ・アコンパニャートを作成するのは時間がかかった。1733年版のリブレットは短縮版でおよそ3分の1がカットされていた。 Dragan Karolic は1722年版にもとづいて復元をした。彼はツェンチッチとボノンチーニ研究者のローウェル・リンドグレンに感謝の言葉を捧げている。

 

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(3)

《グリゼルダ》については、前に記したように、もともとはボッカッチョの『デカメロン』の中のエピソードがあり、それをもとにアポストロ・ゼーノがリブレットを書いた。ゼーノは、ヴィーンの宮廷詩人として、メタスタジオの前任者だった人。ゼーノの《グリゼルダ》にはトマーゾ・アルビノーニ、ルーカ・アントニオ・プレディエーリ、アレッサンドロ・スカルラッティが曲を付し、1735年にはヴィヴァルディが作曲している。ジョヴァンニの兄、アントニオ・マリア・ボノンチーニもジョヴァンニの4年前にゼーノのリブレットに曲を付しているのだ。

ボノンチーニの場合、スタンピリアとの共作を通じて、こういう牧歌的な話はお手の物だった。ロンドンで、リブレッティスタをつとめたのはパオロ・アントニオ・ロッリ。彼は登場人物をカットしたり、名前を変えたりしている。オペラはすぐに大成功だった。初演は1722年2月22日、ロンドンのキングス・シアター。4ヶ月の間に15回再演された。グリゼルダを歌ったのはアナスタジア・ロビンソンで、グァルティエーロを歌ったのがカストラート歌手のフランチェスコ・ベルナルディ、通称セネジーノである。二人は劇場の外でも様々なスキャンダルを巻き起こした。周知のようにセネジーノはヘンデルのオペラのいくつかの役も創唱(初演)している。

こういった事情で作品は後世に伝わったのだが、レチタティーボの部分とオーケストレイションの大半は消失している。その復元について記す。

その復元を担当したのは Dragan Karolic だ。彼によって全作の1733年以来の蘇演(復活上演)が可能となった。

次項にプログラムに記された Dragan Karolic の 'Report from the Workshop' と題された記事のあらましを翻訳する。

 

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(2)

ボノンチーニのオペラ・セリア《グリゼルダ》の続き。演奏とボノンチーニその人について記す。

《グリゼルダ》のリブレットを書いたのはパオロ・ロッリだが、そのリブレットはもともとゼーノが書いたリブレットに基づいている。そしてゼーノはボッカッチョの《デカメロン》を参照しているのだ。

演奏は

グリゼルダがメゾのソーニャ・ルニェ

グァルティエーロがツェンチッチ

アルミレーナがヨハンナ・ローザ・ファルキンガー

エルネストがデニス・オレラーナ

ランバルドがスレーテン・マノイロヴィッチ

ソーニャ・ルニェは素直な発声で、メゾやアルトらしい深い声で落ち着いた歌を聴かせる。

ツェンチッチはいつもながら、スローな曲に山をつくるのが巧み。

ファルキンガーは若い歌手のように見えた。

エルネストのデニス・オレラーナは実際若い(21歳!)のであるが、歌いまわしは既にして巧みだ。

ランバルドのマノイロヴィッチは、バス。

ボノンチーニの曲は、聴きごたえがあり、チャーミングな曲も多いのだが、オーケストレーションについては大幅な補筆があったようで後述する。

オーケストラは、Wroclaw Baroque Orchestra というポーランドの楽団で、指揮はBenjamin Bayl. 

作曲家ジョヴァンニ・ボノンチーニは、まだ知る人ぞ知る作曲家なので、プログラムに研究史を含め比較的詳しい説明があるので紹介する。

ボノンチーニに完全に忘れられてしまったことはなかったが、音楽史の教科書でヘンデルとの比較で出てくる存在だった。彼のイメージを長年規定していたのはドイツの音楽史家フリードリッヒ・クリザンダーで、1858年から1867年にかけて、最初のヘンデルの本格的伝記(未完だが)を著した。その中でクリザンダーはボノンチーニの音楽はメロディーは美しいが生き生きとした推進力やエネルギーに欠けるとか眠くなるといった主観的な評価を下している。クリザンダーはヘンデルを賞揚したいあまり、他のライバルを皆くさしたわけである。

しかし、それではボノンチーニがなぜ1720年にローマからロンドンに招かれ、1727年までに6つのオペラを書き、ヘンデルのオペラと競い合い、ヘンデル作品よりも人気を博したものもあったのかは説明できていない。ボノンチーニの音楽は、ヘルムート・クリスティアン・ヴォルフやハーヴァード大学教授のローウェル・リンドグレンにより再評価が進んできた。

ボノンチーニは1670年に音楽家の一家に生まれた父から音楽教育を受けた。父が亡くなると8歳のボノンチーニはボローニャに赴き、そこでジョヴァンニ・パオロ・コロンナから教育を受けた。1686年には楽譜を出版し、やがて教会音楽家として身を立てる。ボローニャでリブレッティスタのシルヴィオ・スタンピリアと知り合い、5つのオペラを共作する。

スタンピリアは後にヴィーンの宮廷詩人となるのだが、牧歌が得意で、田園牧歌の羊飼いやニンフや風景を汚れなき一種の理想郷としてーーこういう様式は古代から存在するわけだがーー描くのだった。スタンピリアとの関係は、生涯ボノンチーニに影響を及ぼす。

1691年に、おそらくはスタンピリアの影響で、ボノンチーニはローマにやってきて、スタンピリアと同様、有力家系のコロンナ家にお仕えする。ここで作曲スタイルを洗練させ、5つのオペラを書き、特に《カミッラの勝利》の成功により名声を確立する。同時代の作曲家フランチェスコ・ジェミニアーニはこのオペラが音楽界に与えた衝撃を伝えており、それまでの浅薄なメロディーを拒否したものと高く評価している。このオペラは1710年までにローマ以外の19のイタリアの町とロンドンで上演された。1697年にパトロンのロレンツァ・コロンナが亡くなると、ボノンチーニはヴィーンのレオポルト1世に雇われ、5000ギルダーという破格の年俸を得る。レオポルトの後継者ヨーゼフは1698年にさらに2000ギルダー昇給させる。1706年にはスタンピリアがヴィーンに合流する。

しかしスペイン継承戦争のためヴィーンの音楽活動が低調となり、ボノンチーニはまずベルリンに行き、イタリアに戻る。彼の名声はオペラと世俗カンタータで高まっていた(今回の音楽祭ではボノンチーニのカンタータの演奏会もあったのはすでに紹介した通り)。ヴィーンのポストは1711年まであったが、その後はイタリア中を旅し、ローマにもやってくる。1719年にイタリアを旅していたイギリスのバーリントン伯爵に出会い、ロンドンのロイヤル・アカデミーとの関係がつく。ボノンチーニはロンドンにやってくるとオペラ関係者の闘争に巻き込まれる。関係者もオペラファンも、作曲者同士のライバル関係や花形歌手同士のライバル関係に加わるからだ。そこに政治的な党派制も加味されてくる。ヘンデルはウィグ派で、ボノンチーニはトーリー派というわけだ。

長くなったので、《グリゼルダ》の製作事情は次の項に。

 

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》あらすじ

ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲のオペラ《グリゼルダ》を聴いた(辺境伯劇場、バイロイト)。

聴いたというのは、演奏会形式であったからだ。2022年バイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルの最後の演目である。

ボノンチーニには兄弟がいて、兄も《グリゼルダ》を作曲しているので、ジョヴァンニ・ボノンチーニの《グリゼルダ》と言う必要がある。

あらすじは比較的簡単である。

シチリアの王グァルティエーロは女羊飼いのグリゼルダと結婚するのだが、身分違いの結婚に臣下の者たちが反発し反乱を起こすのを恐れている。

部下のランバルドは密かに反乱を画策し、グリゼルダに横恋慕している。グァルティエーロは、グリゼルダをいくつかの試練にかける。まず、彼女を宮廷から追い出し、新たに妻をめとると言い出す。若い新妻はアルミレーナというが実は彼の娘なのだ。アルミレーナは義務感からこの結婚を承諾するが、彼女に恋するエルネストは思い悩む。

この間に、グリゼルダは昔住んでいた森の小屋に戻る。そこへランバルドがやってきてグリゼルダを口説くが彼女は拒絶する。ランバルドは受け入れなければ彼女と息子を殺すという。狩りの途中でグリゼルダのところにやってきたアルミレーナはグリゼルダの人柄にひかれる。最後はアルミレーナが行方不明だったグァルティエーロの娘とわかり、アルミレーナはエルネストと結婚できることとなり、グァルティエーロは再びグリゼルダを妻とし、ランバルドは悔い改め許される。

めでたしめでたしのようでいて、現代的感覚ではひっかかるところがいくつかある。身分違いとはいえ、グァルティエーロがグリゼルダを何度も試すところ。アルミレーナはエルネストに恋しているわけではなく、グァルティエーロにいいつけにも大人しく従うのみで自分の意志が曖昧なのである。グリゼルダは何度試練にあっても怒らない。まあ、こういうドラマは寓意的に解釈するしかないのだろう。

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ユリア・レジネヴァのリサイタル

ユリア・レジネヴァのリサイタルを聴いた(辺境伯劇場、バイロイト)。

ポルポラのオペラ・アリアを集めたプログラムで、ところどころにポルポラのシンフォニアがはいる。

レジネヴァが歌ったアリアは、まずオペラ《シロエ》の'Torrente cresciuto'。マルティーナ・パスツスカの指揮するoh!オーケストラは集中力十分かつ音楽する喜びが奏者の表情からうかがわれる。最初のアリアはタイトル通り、水かさのます川の流れを感じる。

次のアリア、オペラ《スタティーラ》の'Sol fra scogli e fra tempeste' は圧巻だった。スタティーラはチーロの未亡人で、古代ペルシアの話だ。このオペラのリブレットを書いたのは劇作家のカルロ・ゴルドーニ。歌詞は、嵐の中の船乗りというお決まりの比喩を用いたものなのだが、曲は気宇壮大で、レジネヴァの歌唱を聴くと、一気にオペラ・セリアの世界に連れて行かれる。彼女の歌唱は、アジリタのテクニックといい、リズム感といい、テンポの揺らし方と戻し方、音色の使い分けといい、一瞬たりと間然とするところがない。高音のアクートからソットヴォーチェまで自由自在に実に適切に使い分ける。声として表現の幅が広いだけではなく、曲を構築する音楽性も超一流なのだ。

情感がこもりつつ、同時に、気品や毅然とした態度を示すことが可能だ。メロディー部分だけでなく、装飾音符に血が通っている、そこから音楽がほとばしり出る。こういう歌手と同じ時代を共有できたことは幸せだと思う。

他にオペラ《シファーチェ》、《カミッラの勝利》からを歌って休憩。

後半は《シロエ》、《シファーチェ》、《イッシピレ》のアリアを歌った。

鳴り止まぬ拍手にこたえてのアンコールはヘンデルの《時と悟りの勝利》から3曲、1曲目が’Un pensiero nemico di pace'、2曲目が’Tu del ciel ministro eletto'、3曲目が'Lascia la spina',  4曲目はプログラムに戻ってポルポラの《シファーチェ》の'Son pellegrino errant'であった。

しばらくは次のURLでヴィデオとして観られるはずです。

https://www.facebook.com/BayreuthBaroque/videos/629598608813399

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2022年9月18日 (日)

ブルーノ・デ・サのリサイタル

ブルーノ・デ・サのリサイタルを聴いた(辺境伯劇場、バイロイト)

この日のリサイタルは、'Roma Travestita' (ローマの異性装)と銘打たれている。トーマシュ・クラール(バリトン歌手)のリサイタルでもそうであったが、デ・サも同じタイトルのCDを最近出したところである。

ただ、CDの曲目とリサイタルのプログラムを比較してみると、重複しているのは約半分で、残りの半分は、CDには入っていないアリアを歌っていた。パルナッソスというエージェント(プロダクション)に所属している歌手のアルバムにはよくあることなのだが、このCDでも世界初録音が7曲もある。大手のレコード会社の一部、プロモーターの一部には売らんかなで、音楽愛好者一般に人気のある演目を上演し、いわゆるレパートリーをなぞっているのに対し、新たなレパートリー、音楽領域を積極的に紹介しようという方針に共感を覚える。

ローマの異性装というのは、教皇シクストゥス5世が1588年に女性が劇場や教会で歌うことを禁じたので、劇場で女性役を誰がやるかと言うときにカストラートを起用し、彼らが女装して歌っていたことを指しているのだ。当時はローマとヴェネツィアは別の国なので、ヴェネツィアでは女性歌手も歌っていたのである。実はカストラートを作る行為も1587年に禁止されたいたのだが、落馬などの事故を言い訳に抜け道があった。

というわけで、この日のデ・サが歌ったアリアはアンコール曲は別として、女性役が歌うアリアだった。アレッサンドロ・スカルラッティの《グリゼルダ》、ヴィヴァルディの《イル・ジュスティーノ》から2曲、ジュゼッペ・アレーナの《アキッレ・イン・シ—ロ》、ポルポラの《カルロ・イル・カルヴォ》。最後のポルポラは去年はデ・サは舞台で男の役を歌っており、この日はジュディッタという幼いカルロの母親役を歌い、満場の喝采をあびた。ここで休憩。前半ではアリアの前後にアレッサンドロ・スカルラッティのシンフォニアやコレッリのトリオソナタが演奏された。

後半。

ジョアッキーノ・コッキの《アデライーデ》から’Timida pastorella' (内気な女羊飼い)、ハッセ、ガルッピのコンチェルト、ガエターノ・ラティッラの《ロモロ》から'Vanne barbaro alle selve', ヴィヴァルディのシンフォニア、ピッチンニの《良き娘》から 'Furie di donna irata' (いらついた女の怒り)。

アンコールはブロスキの有名なアリア'Son qual nave' とボノンチーニの’Ombra mai fu'. 

指揮はフランチェスコ・コルティでオケはイル・ポモドーロ。ただしイル・ポモドーロは指揮者兼チェンバロをふくめて7人の体制。

CD録音の時の指揮とオケなので曲はしっかりはいっているという感じで、弦楽器間の受け渡しも細かいニュアンスまでのやりとりが実に音楽的でよかったが、シンフォニアなどでは厚みに欠けるところなしとはしないのであった。ただし、この人数になってくるとテオルボの音、加わっているときの全体の響きのニュアンスの変化は聞き取りやすく、これはこれで音楽的に充実しているのであった。

デ・サはプログラムには、カウンターテナーでもなく、ソプラニスタでもなく、ソプラノと書かれていた。この人の声は不思議な声で、高音域で強い声を持っており、逆に低い方は出しにくそうなのだーというか高音ほど響かない。まさに女性のソプラノのよう。

去年と較べ、着実に人気と実力をつけつつある注目の歌手である。

 

 

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