2025年4月 5日 (土)

ヘンデル『時と悟りの勝利』

ヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』を観た(初台、オペラシティ)。

指揮ルネ・ヤーコプス、管弦楽ビーバロック。このオラトリオには4人の登場人物がいるが、美、快楽、時、悟りというすべてアレゴリー(寓意)が登場人物になっており、彼・彼女らの会話は、一種の哲学談義、人生論になっている。美が最初は快楽にそそのかされて?享楽的な生き方を良しとしているのだが、時や悟りが美にお説教をする。現世における美や快楽ははかないよ、あっという間に過ぎ去るよ、と。あの世にいってからの美、真実は永遠だよ、と。美はゆらいで、わたしは2つの心が欲しいと言うが、最後の最後には時と悟りの説得に応じ、快楽と手を切る。

というあらすじを読むと、キリスト教のお説教か、と鼻白むかもしれないが、音楽を聴くとリブレッティスタや作曲家の狙いがどこにあるのか、聴き手もまどわされる。なぜかというと、最も技巧的でドラマティックな曲は、第一部の第7曲「平和への敵意が(Un pensiero nemico di pace)」と第二部の最後から2つめのアリア「風に流される雨雲のように(come nembo che fugge col vento)」である。オケも劇的に細かいリズムを刻み躍動するメロディが縦横無尽にかけめぐる。快楽は一時にすぎない、はかないものだというのは、西洋人なら子供のころから聞かされていて耳たこに違いない。絵画でもメメントモリ(死を忘れるな)など同工異曲のテーマはいくらでもある。さはさりながら、快楽の魅力、誘惑は大きいということをこの音楽構成は示している。これがリブレットを書いたパンフィーリ枢機卿の意図だったのか、ヘンデルの創意工夫だったのかはわからない。

この当時のローマの枢機卿たちは、絵画や音楽のパトロンでもあり、芸術に通じているどころの話ではなく、芸術の潮流を動かしている人たちだったと言えよう。

さらに驚くべきはこれを書いたヘンデルは22歳の若さであるのだが、音楽のコントラストや歌詞との関係が巧みで、パンフレットの解説にもあるように、第一部の第10曲で美が Taci ! 静かに と突然言うのも効果的だ。もっとも意外なのは終曲で、オペラ・セリアや形式的にはそれに準じているオラトリオでは、通常、登場人物が全員集まっての合唱で、秩序が回復されたり、もつれた人間関係が解決したりを言祝ぐことが多い。それに対し、このオラトリオでは、縁切りを告げられた快楽の激しいアリアに対し、美が悟りを得たことを示すまことに静かなアリアを歌う。この曲が単にスローな曲では、直前の「風に流される雨雲のように」の激しさにかすんでしまうだろう。ところが実際には、終曲の「選ばれた天国の使者よ Tu del ciel ministro eletto」は、弦楽はきわめてシンプルに一音を奏でるだけで、コンサートマスターだけが歌によりそっていく。このシンプルな構成で、前曲に拮抗する内的な力を持つのは至難なことであるが、若きヘンデルは見事にこれをやってのけている。後のオペラでもヘンデルの場合、テンポの速い曲(激しい曲)とゆっくりした曲(叙情的な曲)のコントラストは常に見事なのだが、それを予見させるおそるべき才能である。

歌手は「美」がスンヘ・イム。癖はなく、相対的に浅い声である。「快楽」のカテリーナ・カスパーは、ソプラノと書かれているがメゾ的な声で、声質の美しさに聞き惚れる。この二人の声のコントラストは効果的である。「快楽」の歌う前述の激しい2曲では、アジリタと息継ぎが苦しそうなところが散見された。「悟り」のポール・フィギエはカウンターテナー(アルト)で、彼の問題か、オケあるいは指揮の問題かは不明だが、曲想からしてテンポがもう少し速いほうがよいと思う曲があった。「時」はトーマス・ウォーカーで彼のイタリア語がもっとも聞き取れた。子音がしっかり出ていたし、歌の表情にも説得力があった。指揮のヤーコプスはゆるい指揮だった。ゆるいというのは、オケを隅々まで細かくコントロールするのではなく、テンポを指示してあとは楽員の自発性にお任せする感じだ。良い点は、楽員がリラックスして自発的に音楽を奏でる点である。時々、音楽的に劇的な表情からしてここはもう少しテンポをあげて欲しいと思うところもあったが、贅沢な悩みというものか。

全体としては、やはり字幕があるのは良いということ。曲自体は聞きなじみがあるのだが、ストーリの展開、このアリアはこういうことを言っているのだと細部まで分かると音楽への理解も深まる。オラトリオ全体に対する評価も変わるというものだ。バロックのオペラ・セリアもオラトリオももっとCDのみならず、DVD,ブルーレイで字幕ありで出てほしいものだと思うが、そもそもディスクというメディアが後退しているので難しいのだろうか。あるいは Youtube なり spotify で正確な日本語字幕が出るようになるという風に進化していくだろうか。

この曲の解釈にかかわることなので記すが、三ヶ尻正氏が『ヘンデルが駆け抜けた時代』に書いていることだが、このオラトリオが書かれたのは1707年のローマであり、スペイン継承戦争(1701−1713)のまっただ中であった。イタリア半島の諸国は最初はフランス側についていた。しかし1703年にピエモンテがオーストリア側に寝返ると、イタリア中に動揺が走る。1706年にオーストリア側はトリノを防衛し、ミラノに入城し、オーストリア側が一気に勢いを増す。その時点で書かれたため、三ヶ尻氏は、美はカトリック教会、快楽はオーストリア、時はスペイン、悟りはフランスを表すと言う。つまり今はオーストリアに勢いがあるけれどそれに誘惑されてはいけないよ、最後にはフランスが勝つよ、というわけだ。そういう政治的メッセージ、プロパガンダを含んでいることはオラトリオにもオペラにもバロック時代にはよくあったことである。リブレットを書いたパンフィーリ枢機卿は親仏派だったのである。

| | コメント (0)

2024年11月26日 (火)

ドニゼッティ《ピーア・デ・トロメイ》

ドニゼッティ作曲のオペラ《ピーア・デ・トロメイ》を観た(日生劇場、11月24日)。

ピーア・デ・トロメイというのは人名で、トロメイ家のピーアということなのだが、実は、ことはそう単純ではない。

ダンテの煉獄第5歌にピーアという人物(煉獄なのでその魂)が出てくるが、この人は「私はピーアです」とは名乗るのだが、名字は名乗っていない。ダンテが生きた時代に近い古註によれば、シエナのトロメイ家のピアだろうということになっていて、そこではピーアは夫(ネッロ・デイ・パンノッキエスキ)により殺された、理由は夫が別の有力家系の女性と再婚するため、もしくは、ピーアが不貞を働いていたため、あるいはその両方となる。実際、ネッロはマルゲリータ・アルドブランデスキという女性と再婚していることは書面で確認できるのだが、そこには前妻の名前がない。しかも、ネッロの時代には、トロメイ家にはピーアという女性が記録上存在していないのだ。

だからトロメイではなくてマラヴォルティ家のピーアではないか、という説もある。この人はややこしいことにネッロ・デ・パンノッキエスキを代理人としてトッロと結婚した。

19世紀になってこの『神曲』に登場するピーアはバルトロメオ・セスティーニによって物語詩に書かれる(1822)。この時、ギーノという人物がこの時付け加えられた。ネッロの従兄弟でピーアに横恋慕する人物である。彼は、煉獄篇の第6歌に登場している(ギーノ・ディ・タッコ)。しかし名前はギーノだが、ネッロの従兄弟ではない。セスティーニの物語詩においては、ギーノはネッロの友人で、ピーアに拒まれたのを逆恨みし、ピーアと弟があっている場面をネッロにみせピーアが不倫を働いていると思い込ませるという仕組みになっている。

細々とした点がわれわれが観るドニゼッティのオペラのピーアおよびその周辺の人物と異なりつつ重なっているわけである。しかしこういったことはそれを専門とする人間以外は大づかみに把握しておけばよいことだろう。

今回、上演の前に藤原歌劇団総監督折江氏の解説があった。《ピーア》がなじみのない作品ゆえあらすじ紹介に注力するとのことであった。そこでなるほどと思ったのは、トロメイ家とパンノッキエスキ家がそれぞれ教皇派と皇帝派に属しており、《ロメオとジュリエット》のような構造を持つとの指摘だった。それならば、ピーアが弟ロドリーゴと会うことを秘密にしていたのもうなずける。ロドリーゴは敵地に乗り込むことになるので、姉を訪れることが知られては危険なわけだ。先行作の観点からすれば、この教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベリーニ)の要素を取り込んだのはセスティーニより後に彼の物語詩を踏まえつつ戯曲を書いたカルロ・マレンコだった(1830年代)。

ここまでの複雑な経緯を一層複雑にしているのは、ドニゼッティ、カンマラーノが改作・改版をしていることで、つづめて言えば、オペラ《ピーア・デ・トロメイ》にはヴェネツィア版、セネガリア版、ナポリ版があるのだ(これらの版の相違、製作の経緯については、プログラムで小畑恒夫氏による詳細な紹介がある)。

演奏は、期待以上のものだった。舞台の衣装が敵味方で色わけされているし、衣装自体も豪華とまでは言えないものの中世に想いを飛ばす助けとなるものだった。飯森範親(敬称略、以下同様)の指揮が納得のいくきびきびしたものだった。ともすれば、日本では、ロマンティックな要素があるとその情感を丁寧に描こうとしてテンポがずるずると遅くなっていく傾向が見られるのだが、この日の飯森の指揮ではそんなところはみじんも観られなかった。ピーアが独白するアリアで歌手のテンポに合わせるというようなことはあったが、すぐにレクーペロして、戦いや雄々しい歌詞ではヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》を想起させる湧き上がる活力にみちた音楽を聴かせてくれた。《ピーア》と《イル・トロヴァトーレ》は、プロットの要素をひろっていくと類似点がいくつかある。主要な女性(ピーアとレオノーラ)が毒を飲んで死ぬ。女性が横恋慕する男に迫られる(ギーノとルーナ伯爵)。登場人物が二つの陣営に分かれていて戦闘がある、などなど。飯森は、勇ましいところから、3拍子や8分の6などに変わるとギアチェンジして、しかも楽しげな浮き立つ感じが良く出ていて、ドニゼッティ独特の高揚感を味あわせてくれた。

ロドリーゴがメゾ・ソプラノなのは、ドニゼッティの作では稀だと思うが、これはヴェネツィアのフェニーチェ劇場からの要請でメッゾのロジーナ・マッツァレッリに主要な役を与えなければならないという大人の事情があった。歴史をちょっと遡れば、ロッシーニのオペラ・セリアにはヒーロー的な役をメゾ・ソプラノが歌うことは、しばしば観られるわけで、そう驚くことではないのだが、ヴェルディの方向へ下っていくと、ズボン役は《仮面舞踏会》のオスカルのようにお小姓役などであって、軽い声の役になっていくのだが、ロッシーニや《ピーア》でのロドリーゴはヒロイックな強い声を音楽が求めていると言えよう。その点では公演での星由佳子はむしろ女性的な声だった。

ピーア役の伊藤晴は、情感をのせロマンティックに歌い上げるタイプで、子音の発音がより明確になれば一層よかった。男性陣は、かなり発音がよく聴き取れ、熱演であった。思えば、日生劇場が上野の文化会館や新国立劇場とくらべて小ぶりであるのも、良い効果をあげているのかもしれない。この劇場は、バロック・オペラの上演にも向いていると感じた。

バロック・オペラの時代であれば、ロドリーゴのようなヒロイックな役柄は、カストラートが歌う場合もあったし、女性歌手が歌う場合もあり、歌手の性別はその時の劇場の事情により柔軟に変えることができたわけだ。

上演機会のまれなオペラを、これだけのレベルの公演で味わえて、満足であった。聴きごたえのある曲がいくつもある放置しておくには惜しいオペラであると感じたし、上演を実現した方々に感謝したい。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2024年9月11日 (水)

ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》その3(演奏評)

今回のバイロイトの辺境伯劇場での公演について。

前々項で記したように、オケはイル・ポモドーロ。今回のメンバーは20数人だった(歌手のソロコンサートなどでは数人の編成であることが多い。それはイル・ポモドーロに限ったことではないが)。

指揮は、フランチェスコ・コルティ。当夜、筆者の席は桟敷の一番低い階(日本風に言えば2階)で最も舞台に近い席だったので、オケおよび指揮と舞台が見通せた。観客席から見て舞台の左端が隠れてしまう。コルティは、オケも歌手もぐいぐい引っ張っていくタイプで、そのためアリアの途中でテンポがダレることは皆無なのだが、アルチーナ(ジュゼッピーナ・ブリデッリ)やアンジェリカ(アリアンナ・ヴェンディテッリ)が男を手玉に取って二股をする場面などでは、多少、テンポに自由があってもと思わないではなかった。

序曲などは衝撃的な速さであったが、これは、オルランドの被る運命の苛烈さを思えば相応しいテンポの選択かもしれないし、イル・ポモドーロだからこのテンポで音楽的に柔軟さを保って演奏できるのだとも思う。

歌手人はカウンタテナー(オルランドのミネンコ、ルッジェーロのティム・ミード)、上記のブリデッリ、ヴェンディテッリ、ブラダマンテのソーニャ・ルニェ、バスのホセ・コカ・ロサに至るまで、アジリタが綺麗で、コルティのテンポでも様式感が崩れないのは立派だった。

タイトル役のミネンコは音域も上から下まで、表出すべき感情も嫉妬、愛情から正気を失う状態までこの上ない広がりをダイナミックに、低声部では地声も混ぜて巧みに表現していた。

アンジェリカのヴェンディテッリおよびティム・ミードも見事なカント・バロッコで素晴らしい。

ヴィヴァルディのオペラが音楽的に充実しているのは第一幕、第二幕でこれは文句なく素晴らしいのだが、第三幕はややレチタティーヴォに頼って相対的に弱い面がある。もしかすると、楽譜の残存状況が第一幕、第二幕とは異なるのだろうか。

演出は舞台装置はかなり簡素で、現代の椅子がいくつか並べられたりする。ただし、衣装がよく出来ていて、人物の識別がしやすかった。衣装は現代服ではないが、かといって18世紀風でもない。第二幕では、メドーロとアンジェリカが木々に自分たちの名前を刻むところでは、文字が舞台に投影されそれが移動するという工夫を見せていた。木に刻んでも、客席からはほぼ見えないので何らかの工夫が必要なところだ。オルランドの狂乱の場は、像を倒したりという場面があるはずなのだが、そこはオルランドは舞台を彷徨う形に変形されていた。

このプロダクションはフェッラーラのテアトロ・コムナーレとモデナのパヴァロッティ劇場との共同制作なので、ひょっとすると劇場の装置で使用可能なものが、辺境伯劇場と前記2劇場では演出の細部は異なっているのかもしれない。そちらは見ていないので何とも言えないが。

ともあれ、ヴィヴァルディの音楽の悦びに満ち溢れた一夜であった。感謝。

 

 

| | コメント (0)

ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》その2(あらすじ)

《オルランド・フリオーソ》は前項で記したように登場人物が多い。

アリオストの原作が大長編の騎士物語(詩の形で書かれている)なので、リブレット作者がどのエピソードを取って、あとは全部捨てるという思い切りが必要となる。ヴィヴァルディの《オルランド・フリオーソ》は、ヘンデルの《アルチーナ》などとは異なり、アリオストの原作の主人公オルランドが登場し、彼の狂気が扱われるので、それがなぜ生じたか、どう解決したかが描かれているので、ストーリの複雑さが増している。

簡単にあらすじを紹介しよう。筆者の場合、フルストーリを細かく最初から説明されるとストーリが逆に頭に入らず、簡易版で幹の部分がわかって後から枝葉を付け加える方が理解しやすい。読者によって、最初からフルストーリが頭に入る方もいらっしゃるとは思うがここは簡易版で。

第一幕

メドーロという若者が難破を逃れてある島にやってくる。メドーロはアンジェリカの恋人なのでアンジェリカは喜ぶが、アンジェリカに恋しているオルランドが嫉妬をあらわにするので、アンジェリカはメドーロは兄弟だと嘘を言う。

魔女アルチーナは、騎士ルッジェーロを気に入り、魔術を使って彼の妻ブラダマンテを忘れさせ、アルチーナを愛するようにさせる。男装してやってきたブラダマンテはルッジェーロの「心変わり」を知る。ルッジェーロは妻を認識できない。

第二幕

森の中。アストルフォはアルチーナを愛しているのに、アルチーナはつれないと嘆く。アルチーナは一人の恋人では満足できないし、それをアストルフォは受け入れるべきだと言う。

ブラダマンテはルッジェーロに指輪を見せると、アルチーナによる愛の呪縛がとけ、ブラダマンテが誰かがわかり、今までの自分の行為を悔いる。ブラダマンテはすぐにはゆるさない。

アンジェリカは、オルランドを追い払うために洞窟に行ってある薬を取ってきてくれと言う。オルランドはそこで魔術にかかる。

アルチーナはメドーロとアンジェリカの結婚を取り計らう。二人は愛を誓う言葉をあちこちの木に刻む。苦労して洞窟から逃れでたオルランドはこの木に刻まれた言葉を読み、アンジェリカに騙されたことを悟る。怒りのあまり彼は正気を失う。鎧兜を脱ぎ捨て、彼は木を抜き始める。

第三幕

ルッジェーロ、ブラダマンテ、アストルフォは、オルランドが死んだものと思っている。彼らはヘカテの神殿の前で、復讐を誓う。神殿の中のメルリンの灰を奪ってアルチーナの魔力を奪おうとするのだ。彼らの会話を盗み聞いていたアルチーナは激怒する。アルチーナは魔力を増そうと思い神殿に入るが、そのすきに三人も入る。アルチーナは男装したブラマンテ(アルダリコ)に惚れている。そこへオルランドが現れるが正気を失ったままで、暴れまくり、結果的にメルリンの像を倒して、アルチーナの魔力を奪う(この場面は演出のため具象的に描かれてはいなかった)。

島は一瞬で荒野へと変わり、アルチーナを取り囲んでいた豪華な建物は全て消え失せる。

オルランドは眠りに落ちる。

アルチーナは醜い姿に変わっているが(今回の演出では特になし)、復讐のためオルランドを殺そうとする。ブラダマンテとルッジェーロが彼を守る。

目が覚めるとオルランドは正気に戻り、アンジェリカへの恋心も解消している。アルチーナは彼らを呪い、去っていく。アンジェリカは騙したことを悔いるが、オルランドは許し、アンジェリカとメドーロを祝福してめでたしめでたし。

原作を読むと、奇想天外なところがいっぱいあって、オルランドがアンジェリカを怪物から救う(西洋絵画にはオルランドやその他の登場人物を絵画化したものが多くある)のだが、アンジェリカはお礼を言うまもなく、他の男のところへ行ってしまうし、オルランドの狂気は、モノとして存在し、そのありかは月なのである。まあ、この辺りは、ヴィヴァルディでは出てこないのであるが。

アリオストの『オルランド・フリオーソ』はイタリアでは、日本で言えば『平家物語』くらい有名で、平家と異なり作者は一人であるが、それを元にいくつものオペラや絵画作品が作られたのである。つまりかつてはヨーロッパ中でよく知られた物語であった。

近代の演奏ではクラウディオ・シモーネが1978年に蘇演したわけで、その功績は実に大きいと思うが、彼はかなりカットや順序の入れ替えをしているので注意が必要である。CDやDVDを聴き比べ、見比べるとすぐに気づく。今から見れば、楽器や奏法が古楽でないことが気になる面もあるものの、マリリン・ホーン、ヴァレンティーナ・テッラーニ、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスの歌唱は素晴らしい。テンポはやや遅め。

 

 

 

| | コメント (0)

ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》

ヴィヴァルディのオペラ《オルランド・フリオーソ》を観た(辺境伯劇場、バイロイト)。

イタリア語で歌われ、字幕はドイツ語と英語。

指揮はフランチェスコ・コルティでオケはイル・ポモドーロである。演出はマルコ・ベッルッシ。このプロダクションはフェッラーラのテアトロ・コムナーレおよびモデナのテアトロ・パヴァロッティとの共同制作。

配役は、

オルランド・・・ユーリ・ミネンコ

アルチーナ・・・ジュゼッピーナ・ブリデッリ

アンジェリカ・・・アリアンナ・ヴェンディテッリ

ブラダマンテ・・・ソーニャ・ルニェ

ルッジェーロ・・・ティム・ミード

メドーロ・・・キアラ・ブルネッロ

アストルフォ・・・ホセ・コカ・ロサ

合唱・・・アッカデーミア・デル・サント・スピリト合唱団(フェッラーラの合唱団で、名前は1598年に創設されたフェッラーラのアッカデーミアに由来。作曲家のフレスコバルディやレグレンツィもメンバーだった)

ヴィヴァルディとアリオストの『オルランド・フリオーソ』の関係はちょっとややこしいので整理しておこう。

簡単に言えば、ヴィヴァルディのオルランド関係は3作品ある。

1713年11月にジョヴァンニ・アルベルト・リストーリ作曲、グラツィオ・ブラッチョーリ台本で《オルランド・フリオーソ》(RV.anh.74)が初演される。これは純粋なヴィヴァルディ作品ではないが、リストーリの曲に加えて彼の曲が加わっている。彼は劇場支配人としてこの作品を上演したのだ。好評であった。
翌1714年に、ヴィヴァルディはヴェネツィアでのデビュー作として《オルランド・フィント・パッツォ》(RV727)を初演する。これはオルランドものではあるが原作はボイアルドの『恋するオルランド』。しかしこれが大失敗だった(というのが通説で、そうではなかったという異説もある。資料が十分でないため決定的なことが言えないようだ)。

大失敗説を一応採っておくと、そのシーズンの穴埋めをするために、大急ぎで、前年の《オルランド・フリオーソ》を元に彼の曲を加え、台本にも手を入れて彼とリストーリの曲が混在した《オルランド・フリオーソ》を作った。これにはさらにヴィヴァルディの曲が加わっている(RV819ー近年になって作品番号がついた)。

そこから10年以上が経過して1727年にサンタンジェロ劇場のオペラ監督だったヴィヴァルディが作曲したのが《オルランド》(RV.728)である(通常、《オルランド・フリオーソ》と呼ばれるのはアリオストの原作によるものか)。これは以前のリブレットに手が加わり(それが誰かは不明なのだが、ヴィヴァルディ自身ではないかという説もある)、今度はすっかりヴィヴァルディによって作曲された。これが今回バイロイトで上演された《オルランド・フリオーソ》である。ちなみにフリオーソでもフリオーゾでも同じ(どちらの発音も正しい)。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2024年9月 8日 (日)

ポルポラ《アウリデのエフジェニア》その2

ポルポラ作曲のオペラ《アウリデのエフジェニア》を再び観た(バイロイト、辺境伯劇場)。

さすがルセとレ・タラン・リリクである。初日の時より、ポルポラ節を掴んできた。

強弱やリズムのきれ、緩急に確信を持ってやってくるようになった。ルセとレ・タラン・リリクの場合、これまでのオケより練習時間が取れなかったようだ。ポルポラへの慣れが少ないから、実演を通して慣れる余地があるわけだ。

本番になってしまうと二重唱や三重唱は伴奏の部分に磨きをかけることは可能でも、二人、三人の掛け合いのテンポやアッチェレランド、リタルダンドは変えるのがむずかしかろう。

現代においては、練り上げられた重唱を聴くのは贅沢な経験なのである。

演出は衣装を含めほぼギリシア神話およびリブレットに沿っているのだが、3体の胎児らしきものが、木枠で囲まれたガラスの中に入って出てくるのはどういう意味だったのか。演出家ツェンチッチが我々に投げかけるオープンクエスチョンだ。

| | コメント (0)

2024年9月 7日 (土)

ブルーノ・デ・サのリサイタル

ブルーノ・デ・サのリサイタルを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)。

このリサイタルはオルリンスキーのリサイタルが予定されていたのだが、彼の体調が悪くなり、急遽ブルーノ・デ・サに変更となったものなのだが、結論から言えば、大変素晴らしいもので、ブルーノ・デ・サの成長を感じるものだった。

オケはイル・ポモドーロ。音楽祭では、フルメンバーではないことが多いが、今回はヴァイオリンが Alfia Bakievaで、身体をリズミカルに動かしつつ生き生きとした音楽をする人で、チェロのミナージが通奏低音部の核となっていた。ミナージのチェロは、淡々とリズムを刻んでいることもあれば、朗々と渡された旋律を歌いあげることもあれば、爆発的エネルギーをもって低音部を強調することもあるし、早いパッセージもどこまででもテンポを上げられるといった具合で、超絶技巧が極めて音楽的な闊達さと表裏一体になっているのだった。ある一曲では、ピッチカットのみなので、チェロをギターのように横にかかえてつま弾いていた。同じイル・ポモドーロでもチェロがミナージの時と別の人の時とでは音楽のキレが違っていることは経験ずみなのだが、今回もそれを強く感じた。

急遽決まったリサイタルなので、今回の音楽祭のプログラムは全体が一冊の冊子になっているのだが、それには前述のオルリンスキーが歌うはずだったプログラムが掲載されており、当日はペラの印刷物が配布された。ただしそこに掲載されているのは、デ・サが歌う曲目であり、実際には歌と歌の間に器楽のみの曲がはいりそのいくつかは興味をかき立てられる曲だったのだが、プログラムには書かれていないのだった。

デ・サが歌ったのは前半が2曲。

ヘンデルの Gloria in Excelsis Deo とヴィヴァルディの In furore iustissimae irae で、前者は6曲から構成されているし、後者はアリア、レチタティーヴォ、アリア、アレルヤの構成となっていて、かなり長大なものだ。イル・ポモドーロの音楽的な活気にみちつつ、構成力とデ・サがどう歌ってもきっちりサポートしてくれる安心感が基盤にあって、彼はのびのびと、しかし曲どうしにメリハリをつけて、なおかつヘンデルの最終曲Quoniam tu solus sanctus では嵐のようなテンポでアジリタを歌い抜け、それにイル・ポモドーロもよしきたとばかりに全力疾走し(そこで音楽の形が崩れないのがさすが)会場は興奮のうずにつつまれた。

後半も長めの歌と歌の間には器楽曲がはいったがパンフレットに掲載はなし。後半の歌はバロック・オペラからのアリアで、ヘンデルの《アーチ、ガラテアとポリフェモ》から 'Qui l'augel' .  ハッセの《マルカントニオとクレオパトラ》から 'Un sol tuo sospiro' . ポルポラの《Germanico in Germania》から ’Parto ti lascio'  . 最後はヴィヴァルディの《オリンピアデ》から 'Siam navi all'onde  algenti'. 

ハッセやポルポラのアリアは、難度が高く、難度が高いというのは技巧的にもそうなのだが、曲のつぼを歌手やオケがつかんでいないと練習曲のように響いてしまいかねないのだが、デ・サもイル・ポモドーロもここがつかみのフレーズというのは逃さない。繰り返されるフレーズが単調になることがなく、常に歌手とオケの間にコミュニケーションが成立していて、それは軽妙であったり、掛け合いであったり、緊張をはらんだものであったりする。バロック歌唱で超絶技巧を要するものは、当時はカストラートがいたわけで(女性が歌うこともある)、現在はカウンターテナーが歌うことが多い(女性が歌うこともある)のだが、デ・サの声は目をつむって聴くとカウンターテナーか女性歌手かわからないような特殊な声なのである。ソプラニスタであるといえばそうなのだが、通常のソプラニスタと比較しても、声量がある。彼の声は成長過程にあるようで、柔軟性や必要に応じた声量の供給において目に見える(耳に聞こえる)進化が感じられた。

彼の歌唱スタイルはツェンチッチやファジョーリと較べると、多少カジュアルなところがある。字体でたとえればカチっとした楷書より行書で流していく感じだ。フレーズの細部をつきつめていくとアラがないわけだはないのだが、こういうカジュアルなスタイルの愉しさもある。楽しそうに歌っていて、それがこちらにも伝染するのだ。

アンコールではヘンデル、ヴィヴァルディ、モーツァルトなどが歌われたが、こちらはアンコールでいっそうカジュアル度が増し、踊りながら、身体をスイングさせながら、ステップを踏みながら歌っていた。アンコールの最中に、マイクをとり、オルリンスキーに電話をするから、早く治るようにエールを送ろうと言う話で、最初は携帯を舞台に向けオケのメンバーがエールを送り、くるっと向きを変え観客もオルリンスキーにエールを送ったのだった。また、次のアンコールではオルリンスキーの代わりなのですが、彼のようにブレイクダンスはできません、でもサンバは踊れるよ、と言ってステップを踏んだ。デ・サは若いし、お茶目なところがあるのだ。彼の演奏スタイル、歌唱、キャラクターは世代を超えて、若い人、あまりオペラに慣れ親しんでいない人にもアピールする魅力があると思う。若いオペラファンが増えるといいなあ。

デ・サは去年はインスブルックの古楽音楽祭でヴィヴァルディの《オリンピアデ》で喝采をあびていた。バイロイトでも2年前のヴィンチの《インドのアレッサンドロ》で見事な女装と歌唱で大人気だった。来日はまだなのだけれど、本人は来たいとのこと。

 

| | コメント (0)

ポルポラ作曲《アウリデのイフィジェニア》

ポルポラ作曲のオペラ《アウリデのイフィジェニア》を観た(バイロイト、辺境伯劇場)。

今年2024年のバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルの開幕である。この音楽祭は、昨年、Oper! Awards というドイツで唯一のインターナショナルなオペラ関係の賞でベスト・フェスティヴァルを獲得したのだが、あまり日本では知られていないのはまことに残念だ。

ヨーロッパでは、オペラを新しい潮流はいくつかあると思うが、もう新しいと呼ぶことさえためらわれるほど、バロック・オペラを取り上げる音楽祭は増えているし、オペラ・ファンの中に、一つのコーナーとして根づいていると言ってよいかと思う。

ポルポラはこの音楽祭ではすでに《カルロ・イル・カルヴォ(カルロ禿頭王)》が取り上げられ、驚異的に質の高い演奏と演出で度肝を抜かれた。この演奏は Carlo il calvo で検索すれば you tube でもご覧になれるし、CD化されたものも発売されている(CDはスタジオ録音)。

アリア一曲なら https://www.youtube.com/watch?v=A9CsrUmR4Z0 をどうぞ。

話を《アウリデのイフィジェニア》に戻す。この日の指揮者はクリストフ・ルセ。ペトルーやマルティーナ・パストゥツカの指揮と比較すると、フランス風の感じがする。いかにもポルポラ風、ナポリ風の和音を強調することが控えめで、歌手の旋律とオケが乖離する際も、そこを強調して緊張感を高めるというよりは、ソフトに響かせ、よく言えば上品な感じになるし、ポルポラになじんでいる人だと、味が薄めだと感じるかもしれない。ただその度合は二幕になると薄まった。

ストーリはグルックなどでおなじみかもしれないが、作曲年代はポルポラの方が先である。彼はヘンデルのライバルであり、ロンドンのいわゆる貴族オペラのためにこの作品を書いたのである。

あらすじ

幕開き前の背景

ギリシア軍はトロイに出航する前にアウリスにやってきた。大将のアガメンノーネ(アガメムノン、歌手ツェンチッチ)はディアナ(ジャスミン・デルフス)の神聖な森の雄シカを殺してしまう。神官のカルカンテ(カルカス)はアガメンノーネの娘イフィジェニアの犠牲によってのみ女神の怒りを静めることが出来るだろうと予言する。

第一幕

一通の手紙がウリッセ(オデュセウス、歌手はニコロ・バルドッチ、去年はインスブルックのヴィヴァルディ《忠実なニンフ》で歌っていた)に届く。その手紙は、クリテンネストラ(マリー・エレン・ネージ)に娘のイフィジェニア(ジャスミン・デルフス)とアキッレの結婚は遅延させるべきと警告するものだった。神官カルカンテ(カルカス、歌手リッカルド・ノヴァーロ)は、ディアナの命令を守るが、アキッレに真相は伝えない。ウリッセは慎重さこそが最高の美徳とほめたたえる。

イフィジェニアと母クリテンネストラはアウリスにやってきて、知らずにアキッレ(歌手マーヤン・リヒト)に出会い、イフィジェニアは恋におちる。最初混乱したが、ディアナも同じ歌手が歌う。イフィジェニアはモックの女性が演技をし、少し離れたところでジャスミン・デルフスが歌うのである。

妻子と再会したアガメンノーネは嬉しさとともに苦悩する。苦悩の真相をしったアキッレは彼女を守ると宣言する(第一幕の幕切れアリア)。マーヤン・リヒトは叙情的な歌は、ヴィンチの《インドのアレッサンドロ》をここで歌った時より上手くなったが、幕切れアリアの派手なブラブーラがある劇的なアリアでは、もう一つパンチが効けば、とないものねだりをしたくなるのだった。劇的なアリアになると、ツェンチッチやファジョーリの歌唱と比較しては気の毒というものなのだろうが、バロック・オペラの聴き所としてゆったりめのテンポで叙情的な曲もあれば、コロラトゥーラを駆使して、上から下まで声が駆け巡り、劇的な表情を作りあげるアリアもあってそれも幕切れアリアで明らかに作曲家も劇的に書いているのだから、聴き手もそれを期待したくなるのは無理もないのだ。

第二幕

ウリッセは軍隊に不満がつのっていることを警告する。イフィジェニアの犠牲を求めているのだ。アキッレは彼女を守るという。神官カルカンテは、ディアナの復讐をおそれよという。二つの立場が対立するアキッレとカルカンテの二重唱が幕切れの歌。この二重唱がなかなか聴かせるのだが、欲を言えばもう一段盛り上げることができたのではないか。指揮が二人の歌を邪魔しない安全運転なのは、わかるのだが、それで安住するのではなく、アキッレ、カルカンテの二人の緊張感を高める細かい工夫が欲しいところだ。

第三幕

アキッレはイフィジェニアをアウリスから逃す計略を考える。船に向かう途中で、神官カルカンテらにあい、再び葛藤が生じる。

イフィジェニアは、自らが犠牲になることを決意する。神官カルカンテが処刑する直前に、アキッレが飛び込んでくる。そこへ女神ディアナが死んだ雌シカとともにあらわれ、雄シカの死は雌シカの死であがなわれたと宣言し、イフィジェニアの自己犠牲の決意は、流される血よりも尊いと言う。アキッレは、神々の慈悲(clemenza)を讃え、皆が悦びのうちに幕。

演出はツェンチッチ。二幕の幕開けなどで深々と頭を垂れたり、鐘が鳴ったりと古代ギリシアの儀式をおもわせる場面がいくつかある。不気味なのはハッピー・エンドのはずの終幕で、舞台上の太鼓がたたかれるたびにギリシアの戦士が一人ずつ倒れていくのだ。

途中の場面で、ギリシアの戦士は着衣のときも、裸のときもあったが、第一幕では勇者の中心人物が股間があらわになっており、二幕では戦士全員が股間をあらわに登場した(ある種の肉襦袢をつけているかいないかは不明)。言われてみれば古代オリンピックでは、裸で競技をしていたのだよな、と思い出すが、オペラの舞台で出てくると多少びっくりする。それもツェンチッチの仕掛けの一つなのだろうと思う。

ジャスミン・デルフスが一人二役なのは、ディアナの場面が少ないからというのもあろうが、モック役を立てて離れたところで歌わせる意味はよくわからなかった。デルフスもネージも、キレッキレではないが、安定した歌唱だった。あるいは、指揮、オケと微妙な駆け引き、緊張をはらんだところが増えるとより面白いのではないかとも思ったが。

全体としては、極めてレベルの高い演奏、歌唱で、上記の注文はまったくないものねだりなのである。ポルポラを経験することで、たとえばオケやルセのこれからの音楽づくりに影響があるのだろうか、と思ったりもした。

| | コメント (0)

2024年8月28日 (水)

グラウプナー《ディドー》その3

演出について。

インスブルックでの上演の演出を担当したのはデーダ・クリスティーナ・コロンナである。彼女と Christian Moritz-Bauer の対談内容を参照しつつ演出についてかいつまんで紹介する。

今回の《ディドー》は上演時間約3時間であるが、もともとの作品を少し短縮した。17世紀や18世紀のオペラ上演では、舞台と観客のやりとりがもっとあって、長時間上演がゆるされていたが、第四の壁が発明され、客席は暗いところで、静かにしていることが求められるので、一定時間以上は厳しい。

彼女は独自にバロック・ジェスチャー的なものを構築している。つまり、われわれが映画やテレビドラマで見慣れているリアリズムのジェスチャーではない。特に目立つのは6重唱などの比較的多人数の重唱で、決まったジェスチャーを複数の人間が交互に演じたり、同時に演じたりすることでジェスチャーそのものが様式美を持っている。Cessate (止めなさい)という歌詞(歌われている)とともに片手を前に突き出す、その仕草はシンプルであるが、一人で行ったり、複数の人が同時に行ったりするのと、重唱の進行具合がシンクロしているので美しい。

その他にも、重唱ではジェスチャーの連鎖が見られた。

単独のアリアの際にも、特に手の上げ下ろしなどは、リアリズム指向ではなく、様式的なジェスチャーであった。ただし、これは楽譜にもリブレットにも具体的な指示があるわけではないので、コロンナが時代の歴史的な情報源を参照しつつ、それをフレームとして、個々の振り付けを編み出していくという方法をとっているとのこと。舞台装置のドメニコ・フランキと協力して、歴史資料を彼女なりに解釈しつつ、独自の世界を組み立てていくわけだ。

セット、衣装は、金色が多用されていて、神々が舞台上方からちゅうずりで出てくるときには金一色の衣装。神と人間の差異が一目瞭然であり、そこでアジリタも含めて歌う歌手にも感心した。ディドーが金色の象(造作である)に乗って出てくると、トランペットが象の鳴き声を模倣するのも愉快だった。

ハンブルクでの初演時の演出がどうであったかは別として、われわれは十分にバロック的世界に心を飛ばし、そこに浸ることが出来た、と思う。

歌手について。

ディドーのRobin Johannsenはなかなか力強い声で熱演だったが、ジェスチャ—や所作にエレガントさがやや欠けていたのが惜しまれる。

ヒアルバス(ヌミビア王)のアンドレアス・ヴォルフ(バスバリトン)は豊かな声量の持ち主。存在感があった。

ヴィーナスはAlicia Amo. 舞台の外(天からという想定)からアエネアスに訓告を与える。

アエネアスはJacob Lawrence. 

ユーバは、ホセ・アントニオ・ロペス(バリトン)で、声も舞台での振る舞いも堂々としており安定感があった。

ジュノーはJone Martinez.金色の衣装でちゅうずりでの歌は、冒頭からわれわれの度肝を抜くもので、実に素晴らしい歌唱・演出だった。

アカテス(アエネアスの友人)はホルヘ・フランコ(テノール)。アエネアスとの掛け合いでユーモラスな二重唱もあるのだが、楽しく聞かせていた。

指揮はアンドレア・マルコン。オケは、チェトラ・バロック・オーケストラ。非常に明快な指揮で、オケもそれに応えて、場面に応じて表情、リズムを自在に変える。変える時の運動神経が良い。敏捷でありつつ、迫力があるときはあり、しんみりした曲では、ヴァイオリンソロや、オーボエが情感たっぷりに聴かせる。グラウプナーの曲づくりで、曲と曲とのコントラストをつくる巧みさは、ヘンデルを想起させるものがあった。

全体として、極めて満足度の高い上演で、しかもグラウプナーという上演頻度の稀な作曲家の作品であるところに深い感銘を覚えた。

| | コメント (0)

グラウプナー《ディドー》その2

前項の続きです。

ハンブルクに来て、グラウプナーは3年間鍵盤楽器奏者として働く。当時のゲンゼマルクト劇場に出入りする人の振る舞いは勝手放題だった。カイザーやその周辺の人たちは、言いたい放題、快楽をむさぼることにも遠慮がなかった。グラウプナーより3年前にハンブルクにやってきたヘンデルも快楽を忌避していたわけではないが、さっさとここを立ち去ったのだった。

ハンブルクでは常に新しいオペラが求められていた。ハインリッヒ・ヒンシュ(1650−1712)というリブレッティスタは、すでにカイザーやマッテゾンのためにリブレットを書いていたが、ウェルギリウスの『アエネーイス』を原作にしたリブレットを書いた。トロイが焼け落ちるとそこから逃れたアエネイスはカルタゴに着く。ディドーに求愛するものは複数いたのだが、アエネイスに恋してしまう。しかし神々は彼に別の使命を与える。ローマ建国である。彼はディドーを捨て、ディドーは死を選ぶ。

カヴァッリがヴェネツィアで1641年に《ディドーネ》を作曲して以来、この主題は人気があった。1688あるいは1689年に、ヘンリー・パーセルはこのエピソードに曲を付けた。1724年にメタスタージオは、彼流のディドーをリブレットにした。

ヒンシュがなしたのは、サブプロットを加えたことだ。新たな登場人物を増やして、葛藤や情熱の場面を増やした。ディドーの妹のアンナは、登場場面が多く、姉と異なり、愛の神キューピッドのいいなりにはならない、あるいはその力に屈しかけるのだが、はねのけたりという一連の葛藤が複数の場面で見られる。彼女を愛するユーバは一貫して彼女に愛を捧げようとしていてアンナのような揺らぎはない。

ヒンシュのリブレットではユノー(ジュノー)やヴェネレ(ヴィーナス)など神々が出てきて、ディドーやアエネアスの個人的な思い、愛情のままに行動することは許されないのだということが繰り返し告げられる。

《ディドー》はグラウプナーにとって初のオペラで様々な工夫を凝らしている。旋律が進んでいくのに、オケはオスティナートで元のところに留まるので両者にわざと乖離を起こす、など。この作品がどう受容されたかはわかっていない。

やがてダルムシュタット方伯にスカウトされ、1709年以降ダルムシュタットで働く。彼は1450ものカンタータと112のシンフォニア、85の組曲を残した。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧