ベルトーネ、アル・ジャジーラに出演
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司祭の独身制が議論になっている(11月29、30日、Corriere della Sera).
イタリア司教会議の機関紙Avvenire に寄稿する神学者ジャンニ・ジェンナーリは語る、「近い将来にやってくるでしょう。...司祭の独身制は、ドグマ(教義)ではないのです。教会法の規定であって、それは1139年に遡り、トレント公会議で固定化されました。公会議を招集したのはパオロ3世、即ちアレッサンドロ・ファルネーゼですが、彼には4人の子供があり、そのうち2人を認知しました...皮肉でなく、教会の中でも、歴史は変化しながら進んできたと申し上げたいのです」。
カルロ・マリア・マルティーニ枢機卿は、西欧における深刻な状態(聖職者志願者の不足)に関しては、教会自ら問うてみるが良いだろう、と述べた。
また、独身制の変更の可能性についてはこれまでにも司教会議で議題としてはとりあげられている。
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イギリス国教会の伝統派がカトリック教会に受け入れられた(10月21日、Corriere della Sera).
記者会見は、ヴァティカンとロンドンで同時に開かれた。ヴァティカンでは、教理省長官ウィリアム・ジョゼフ・レヴァダ枢機卿が記者会見に応じた。
前日、合意に達したのは、イギリス国教会のなかの伝統主義者(tradizionalisti、Traditional Anglican Communion)が、2007年以来カトリック教会への入会を要望していたのがかなえられたことである。彼らは、女性祭司や同性結婚への祝福が受け入れられなかったのである。国教会の祭司で、すでに結婚していたものは、妻子をともなったままでカトリックの司祭になれる。
人数はまだ確定していないが、Traditional Anglican Communion は50万人の信者がおり、30ー50人の司教がいる。
そもそもカトリック教会とイギリス国教会の分裂は、1549年にヘンリー8世が首長令(Atto di supremazia) を発して、自らをイギリス国教会の長としたことに始まる。
1549年には、エドアード6世が英語の典礼を導入した。Book of Common Prayer でカルヴァン派の要素が入った。
イギリス国教会は、女性の司祭を認めている。また、結婚した人が叙任される可能性が開かれている。イギリス国教会の長は、カンタベリー大司教である。
386年の会議で、はじめて、司教や司祭で結婚しているものは、一緒に住んではいけないと決まった。
1545ー63年のトレント公会議で、聖職者の独身性が義務となった。
1917年に司祭の独身が教会法に組み入れられた。
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ヴァティカンの銀行 Ior の頭取が交代した(9月24日、Corriere della Sera).
Ior (L'istituto per le Opere di Religione) は1942年に教皇ピオ12世によって創立されたヴァティカンの銀行である。2008年時点で資産は50億ユーロ。
9月23日からこれまで20年にわたり頭取をつとめてきたアンジェロ・カロイア(写真)に替わって、エットレ・ゴッティ・テデスキが新頭取に就任した。カロイアは70歳で、1989年に頭取になり、任期を一年あまり残して、国務長官の意向で早期退職した。
新頭取のエットレ・ゴッティ・テデスキは、ミラノ・カトリック大学やトリノ大学の教授をつとめた人で64歳。オプス・デイの信者である。これまでは毎日5時40分の電車でピアチェンツァからミラノのサンタンデル銀行のイタリア事務所に通っていた。彼はそこに到着すると新聞を読み、8時にはミサに行くカトリチッシモ(カットリコの最上級)な人である。5人の子供と1人の妻がいる。
Ior は1982年には、アンブロージョ銀行をめぐる謎に満ちた事件に深い関わりを持っていた。当時は Ior を率いていたのは、ポール・マルチンクス大司教だった。
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教皇べネデット16世が転倒し、手首を骨折した(7月18日、Corriere della Sera).
ヴァッレ・ダオスタのLe Combesの山荘 に滞在中、寝室で転び、手首を骨折した。
地元の病院で手術をうけ、ギプスをしている。
病院には当初「患者917」として運ばれたが、すぐに情報は伝わった。
教皇は、病院の業務が混乱することを懸念し、他の患者と同じように扱うことを求めた。そのため、レントゲン撮影の際も、他の患者と同様、順番を待った。
右手首の橈骨(とうこつ)に骨折のあることが判り、部分麻酔をして、約25分の手術をした。骨折部分に2本の金属線をいれた。約1カ月後に、この金属線は、外に付けたガラス繊維強化樹脂のギプスとともにはずす予定。
そのため、一か月は、教皇は執筆やピアノを弾くことができない。
病院を出る際には、教皇は看護師ら一人一人にお礼を述べた。
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マルティーニ枢機卿はとドン・ヴェルゼは、2009年の2月から4月にかけて対談し、それを元に新著『われわれは同じ運命のもとにある』(Siamo tutti nella stessa barca)を出版した(5月19日、Corriere della Sera).
同書のなかで、デリケートな議論、離婚し再婚した者への許しの問題と、聖職者の独身問題が扱われている。彼らは、自由にこの問題を論じている。
マルティーニ枢機卿は、1927年トリノ生まれ。聖書学の世界的な権威である。ミラノの大司教を1980年から2002年までつとめた。共著者のドン・ルイジ・マリア・ヴェルゼは、1920年生まれ、ミラノのサン・ラッファエーレ病院およびVita-Salute サン・ラッファエーレ大学を創設し、後者の総長である。
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教皇ベネデット16世は在位5年目に入った(4月20日、Corriere della Sera).
ドイツ人枢機卿ヨーゼフ・ラッツィンガーは、コンクラーヴェ(教皇を選出する選挙)の第四回目の投票で、2005年4月19日に第265代教皇に選ばれた。78歳であった。自ら、教皇名をベネデット16世とした。
選出された時の挨拶で、教皇は「私のために祈ってください。私が狼たちの前で恐怖のあまり逃げ出さないように」と言って、多くのものを驚かせた。
「狼」はヨハネ福音書からの引用であるが、福音書では単数の所が複数になっている。
この狼とは、ヴァティカンの機関紙オッセルヴァトーレ・ロマーノの編集長ジョヴァンニ・マリア・ヴィアンによると、教会の内部、外部双方に存在するとのことである。
教皇はこれまで11回の海外訪問(イタリアを含めると12回)を挙行しており、2回の枢機卿会議(Concistoro)で38人の枢機卿を新たに任命している。
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カトリック系の団体「キリスト軍団」(Legionari di Cristo)にヴァティカンの調査の手が入ることになった(4月1日、Corriere della Sera).
キリスト軍団は、マルシャル・マヒエルが1941年に創設した団体。この軍団は、Università Europa di Roma の創設にも貢献している。
ヴァティカンの決定は、国務長官タルチーゾ・ベルトーネ枢機卿の書簡で伝えられた。創設者のマルシャル・マヒエル師は、幼児性愛、神学生へのセクシュアル・ハラスメントで告発され、2006年に「引退」することを余儀なくされた。2008年に87歳で亡くなっている。
今年になってさらに、特定の愛人と娘(20歳)がスペインにいることが明らかになった。
信心会にとっては、最悪のニュースである。この組織は世界30カ国以上に800人の司祭と2500人の神学生、6万5000人の平信徒をかかえ、158の学校と18の大学を擁している。また、メル・ギブソンの映画『パッション』のスポンサーにもなっている。
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