2021年12月21日 (火)

クラウス・マケラ&ダニエル・ロザコヴィッチ演奏会

クラウス・マケラ指揮のマッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ管弦楽団の演奏会に行った(フィレンツェ、マッジョ劇場)

12月16日は、3大労働組合の全てではないのだが、いくつかがゼネストをしたため、バスが使えず歩いて行ったがフィレンツェの旧城壁を端から端まで歩いたことになり我ながらご苦労さんだった。座席はガレリアの最前列だった。かなり高さがあるのだが、音響的な響きはよく、実によく響く。

曲目は、ブルッフのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第5番。ロマン派、後期ロマン派である。オーケストラの編成は大きい。マーラーの時には、コントラバス奏者、チェロ奏者8人ずつ、ホルン4人、フルート4人である。ヴァイオリンは多すぎて数えきれない。

古楽を主として聴いている人間の言うことと聞いてほしいが、実に現代オーケストラは音が大きい。マーラーなど1楽章、2楽章、3楽章は、圧倒され時に騒々しい限りである。その分、4楽章になり弦楽とハープでほっとするわけで、喧噪の現世対静寂の彼岸とも言えるし、ギャン泣きの赤子がやっと泣きくたびれて寝ついた一時のようでもある。

ブルッフはロマン派の協奏曲ってこう言うものだったなあ、という感じだ。

この日、最も僕が感銘を受けたのは、ヴァイオリンのダニエル・ロザコヴィッチがアンコールで弾いたイザイの無伴奏バイオリン・ソナタ第3番バラードである。この曲になって俄然、ロザコヴィッチがどう言う音楽をやりたいのかがわかる気がした。独奏になれば緩急自在だし、それに伴い表情の変化も一瞬で変化する。もともとの音楽もより調性音楽的なものと前衛的な要素がないまぜで表情の変化が激しくそれを官能的なまでにエスプレッシーヴォに弾ききったのは見事だし、ここでこそ技巧のさえが生きていた。

さらにアンコールは続き、バッハの無伴奏が2つ。これはイザイの無伴奏が、バッハの無伴奏を聴き触発されて書かれたことを想起させるし、ブルッフを間にはさんで歴史を一筆書きにした知的な構成とも言えよう。

マケラは20代半ばでmロザコヴィッチは二十歳というのは、驚くべきことだろう。

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2021年12月18日 (土)

カシオーリの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲

ジャンルーカ・カシオーリのピアノ演奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番《ジュノム》をテレビで観た(RAI5)。

指揮はピエタリ・インキネン。全く同世代である。録画は明らかにコロナ以前なのだが、はっきり何年とは示されず数年前だろうということしかわからない。

カシオーリがCDでデビューした時に、そのテクニックとバッハをブゾーニ編曲で奇を衒うことなく真っ直ぐな音楽を奏でていた。一方で20世紀の作品もバリバリ弾きこなし、ポリーニを思わせる天才が出てきたと感じた。来日した時にコンサートに行ったが、おそらく1997年だったかと思うのだが、彼はドビュッシーの練習曲を弾いてやはり度肝を抜いた。フランス風の霧のかかったドビュッシーではなく、全く晴れ渡った曖昧さの微塵もないドビュッシーで、会場で会った知人は一様にテクニックの凄さは認めるものの、ドビュッシーをこう弾くことへの好悪は別れた。

僕は、ポリーニがショパンの練習曲でやったこととパラレルだなと思っていた。ポリーニのショパンの練習曲も当時は衝撃的で、サロン的な味わいが皆無の明晰の極みというピアニズムであったからだ。中川原理氏が「玲瓏」な音と描写していたことを思い出す。

こうやって彼独自のピアニズムで19世紀末から20世紀のレパートリーを開拓してくれるのかと期待していたら、しばらくして彼はソロではなくて、庄司沙矢香の伴奏者として来日するようになって(それが悪いというつもりは全くないが)、ベートーヴェン、モーツァルトのヴァイオリンソナタなどの伴奏をする人になって不思議だと思っていたが、やがて彼への関心が薄れていたし、僕自身の関心が大きくオペラに傾斜したのでも会った。

彼のソロを聞く、見るのは本当に20年ぶりあるいはそれ以上が経過している。カシオーリは上下黒い服でゆったりと歩いて普通にお辞儀をして立ち居振る舞いに奇矯なところは少しもない。のだが、音楽は全く独自なのだった。途中であれ、これがモーツァルトの何番かと気になったほどだ。つまり今まで聞いた奏者の誰とも違う弾き方をしていたのだ。それはつまり、この曲をあらかじめ完成したものとして、なるべく美しく弾こうという弾き方ではないのだ。むしろ、彼が今この曲を作曲あるいは初演していて、次の音は何にしようかと探りながら弾いている感じなのだ。技術的に言えば、右手と左手のリズムがしばしば微妙にずれる。無論、彼ほどのテクニシャンであってみれば、モーツァルトのこの協奏曲でリズムを整えるのは朝飯前だろう。しかし彼が注力しているのは、明らかに、表面的なピアニズムの磨き上げではないのだ。若い時期のモーツァルトが新しい音、和声進行、音楽の進み方を探求している様を再現したいとするかのようだった。だから、聞いていて、いかにも綺麗でしょう、という印象ではなく、次にどんな音が来るのか、という不安定さが支配する瞬間があって、妙に難解な音楽にも響くのだった。

ここで思い出すのは、少し前にたまたま見たグレン・グールドのyoutube で、その中でグールドは、モーツァルトは若い時には、新しい音楽を探求していただが、晩年は「堕落」して自分を模倣し、新しい音楽の追求をやめてしまった、という趣旨のことを言っていた。言われてみるとそういう面もある。ただし、晩年の「堕落」はあまりに美しく典雅で、憂愁を含んだ「堕落」でその魅力に抗するのは極めて困難なのだが。

そういう意味で、カシオーリは若き日のモーツァルトの持っていた前衛性を前傾化した演奏していたのだと言えよう。観客の中にもそれがどれくらい共感を持って受け入れられたのかは、観客の表情からは心もとない感じだった。

カシオーリはどういう風の吹きまわしか、アンコールにショパンの軍隊ポロネーズを弾いた。これもまた不思議な演奏で、情熱を掻き立てようとするところから切断された演奏で、通常テンポが速くなる(アッチェレランドする)ところでも、むしろ歩みが遅くなりこそすれ速くはならず、そのままポンと終わり、観客は呆気にとられた人も、不満を持った人もいたろうと思うが、僕としては上述のように、カシオーリの目指している境地はそういう情熱的ロマン派という果てしなく繰り返されてきた情景の再現ではないのだと考える。それを淡々とした表情で、しかし一貫して実現している彼のピアノに深い感慨を覚えた。たぶん40歳前後の録画だと思うが、彼の音楽的深化はこういうところにあったのか、と大いに見直した。

 

 

 

 

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2021年9月11日 (土)

オルリンスキー、リサイタル

オルリンスキーのリサイタルを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)

《Anima aeterna》(永遠の魂)と題されたリサイタルを聴いた。オルリンスキー自身が時々司会をするのは、先月のオーストリア、インスブルックでの演奏回と同じなのだが、曲目がまったく違うのは立派。本人によると、Anima aeterna と題するCDを録音したところで、その中には世界初録音がいくつもあるので、今日皆さんは、世界で初めて聞く曲がいくつもあります、と言っていた。

作曲家はJanez Krstnik Dolar (1620頃ー1673)、Georg Reutter der Jungere (1708-1772), Antonio Lotti (1667-1740), Francesco Bartolomeo Conti (1681-1732), Francisco Antonio de Almeida (1702-1755), Gaetano Maria Schiassi (1698-1754), Baldassare Galuppi (1706-1785), Bartolomeo Nucci (1695-1779). 17世紀から18世紀前半の様々な作曲家の器楽曲(Dolar, Galuppi) と宗教的歌曲を集めたもので、スローなテンポなものと早めのテンポのものをほぼ交互に歌っていた。

オーケストラはポモドーロなのだが、インスブルックの時とコンサートミストレスとチェロが違うのに気がついた。インスブルックのプログラムにはZefira Valovaの名前が音楽監督として明記されており彼女が音楽をリードしていく部分があり、それに呼応してチェロやコントラバスも時に積極的なリズムを刻んでいた。ほんの零点何秒かそれ以下の違いでも、通奏低音が前に出たりするとリズムの動きとしておっという感じになるし、適切な場合には音楽が活性化する。インスブルックではミナージ(指揮者のミナージの弟)がチェロだったが当日は違う男性であった。またZefira Valova もいなかった。あとである方に教えていただいたのだが、Valovaとミナージは夫婦なんだそうである。知らなかった。それはともかく、この二人がいるときといない時ではポモドーロのサウンドが異なっていて、一言で言えばアンサンブルは例によってピタっと合っているのだが、大人しい控えめな伴奏になっていて、自分から仕掛けるという場面が少なくなっているのだった。ずっと古楽の高いレベルの演奏を聴いているとわれながら途方もなく贅沢な耳になっていると思う。スポーツでもオリンピックやワールドカップなどを見続けていると、高いレベルの技に見慣れてしまうのと似ているかもしれない。自分が出来る出来ないはまったく無関係である。しかし、見慣れれば、こちらの選手の方が上手いとわかってしまうわけで、逆に言えばそういう面がなかったらその競技をする人しか楽しめないということになって観客層はとても狭いものになってしまうだろう。

音楽も同様で、一つか二つの楽器をやった経験はある人が多いと思うし、まあ自分の習った楽器の方が技量の細かいところまで判るということはあるけれど、オーケストラのすべての楽器を習い、声楽、指揮、演出をやり、リブレットも書いたことがある、などという人はごくごく稀に違いない。しかしそうでなくても楽しめるからこそのオペラであり、コンサートであり、リサイタルなのだとも思う。

後半はヴィヴァルディの Beatus Vir (Psalm112) RV795 これなどは、宗教曲なのだが、結構アジリタを聴かせる部分がある。Giuseppe Antonio Brescianello (1690-1758)の Ciaccona a 6 in A-Dur 器楽曲。Johan Joseph Fux (1660頃ー1741)、Davide Perez (1711-1778)で最後はヘンデルの Amen, Alleluia. Antiphon in d-Moll HWV269. 

アンコールでは前半のSchiassi のMaria Vergine al Calvario 'A che si serbano'を歌った。

オルリンスキーはデビュー当時はともかく最近は、17世紀のものや宗教曲に傾斜しているように見える。たしかに比較的ビブラートが少なく、ドラマティックというよりはリリカルな声質にあっているのかもしれない。ないものねだりで言えば、音程が少しあやふやなところがパッセージ途中に時々みられるのだった。

しかし宗教曲がかび臭いものではなくて、同時代のオペラと同様の語り口を持っていて、結構スイングしたりノレる音楽であることを示しているのは素晴らしいことだと思う。これもまた、17世紀、18世紀の音楽に対するわれわれの認識をポジティブに上書き更新してくれる営みだ。

 

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2021年9月 9日 (木)

マルティナ・パストゥーシュカの室内楽コンサート

ヴァイオリニストで指揮者のマルティナ・パストゥーシュカとその仲間による「王侯の音楽」と題されたコンサートを聴いた(バイロイト、辺境伯劇場)。パストゥーシュカは去年、このフェスティヴァルでヴィンチ作曲の《ジスモンド》の指揮・コンサートミストレスを見事に演じていた。Youtube でVinci、Gismondo (カタカナではダメです)で検索するとバイロイトのではないが、彼女の弾き振りが観られます。

劇場に入ると、先日の《カルロ・イル・カルヴォ》の時とはまったく異なった建物の内側を遠近法を強調した感じのセットが組まれている。翌日のオペラ《ポリフェーモ》のためのセットだと思われる。この日の演奏は5人によるものだったが、カメラが五台、舞台上に二台、客席に三台入っていた。これもひょっとすると翌日のオペラ上演撮影の予行演習を兼ねていたのかもしれない。5人の室内楽を撮影しているのだが、舞台上のカメラ二台には移動をなめらかにする脚がついていた。

プログラムはなかなか凝ったというか、珍しいもので、マクシミリアン3世ヨーゼフ(バイエルン選帝侯、1727-1777)が2曲、Michele Mascitti (um1664-1760) が3曲, Johann Pfeiffer (1697-1761). 

選帝侯の作品があるのは面白いが、先日はバイロイトの辺境伯に嫁いだヴィルヘルミーネの曲が演奏された。Michele Mascitti はこの選帝侯の祖父マクシミリアン2世に作品を献呈していてその中の2曲が演奏された。Johann Pfeiffer はヴィルヘルミーネが弟のフリードリヒ大王から紹介され、長い年月をかけてバイロイトへの招聘に成功し、ここで宮廷楽長となり、ヴィルヘルミーネに楽器演奏や作曲を教えもした。

選帝侯の作品は、洒落た主題が出てきて感心した。カノン風の曲もある。ただし、主題がどう展開するのかなあ、というあたりになってぱっと終わってしまい、あっさりと終わるのだった。プロの作曲家ではないから、手の込んだ部分は省略で良いのかと思う。それを専業というかプロの作曲家の作品と比較するのも一興だった。

当日の演奏メンバーはヴァイオリン2人、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ、テオルボ(キタローネと時々持ち替え)。ヴィオラ・ダ・ガンバの心に訴える音色やそれを活かした曲を聴いているとなぜあるときこの楽器が廃れてしまったのか不思議である。

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2021年9月 7日 (火)

マッダレーナ・デル・ゴッボのディナー・コンサート

マッダレーナ・デル・ゴッボ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)のディナー・コンサートを聴いた(バイロイト、エレミタージュ宮殿)。

バイロイトの中心から五キロほど離れたところに離宮エレミタージュがある。

ディナー・コンサートというものをどうやるのか、ということに興味もあった。主催者や場所によってそれぞれであろうが、今回は、そもそも3回に分かれている(密を避けるためか)。6時の回と7時半の回と9時の回である。

6時の回に行くと、その宮殿のテーブルの並んでいる部屋に案内される。どこで演奏をするのかと尋ねると別棟だという。つまり客が食べながら演奏するのではなく、食べ終わって別の棟というか部屋に移動して演奏会があるのだった。よかった。

一人で座っていると、親切にカールスルーエから来たという紳士が相席してくれ、カールスルーエのへンデル・フェスティバルや今回のバロック・オペラ・フェスティバルについて楽しく話しが出来た。前のことだったので忘れていたが、切符を買うときに、コースを選ぶようになっていて、僕は好奇心からベジタリアン・コースを選んでいたのだが、肉のコースもおいしそうだった。思ったより本格的レストランだったのだ。前菜、メイン、デザートである。

演奏会のある別室は狭いのだが、天上か円錐状(トンガリ帽子状)になっていて、残響音はたっぷり。マッダレーナ・デル・ゴッボのヴィオラ・ダ・ガンバ、アルベルト・ブゼッティーニのチェンバロ。

フランツ・ベンダ(1709ー1786)のソナタヘ長調。ベンダはもともとフリードリヒ大王のもとにいて、王の姉ヴィルヘルミーネの侍女と結婚したというので、バイロイトとゆかりの深い作曲家である。

次が Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788)のソナタト短調。Wq88. 彼もベルリンの宮廷礼拝堂でチェンバロを担当していた。C.P.E.バッハの曲は最近、僕にはとても興味深く響く曲が多い。この日の演奏でも、主題に半音階があり、また途中でヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの不協和音が何度も鳴る。かと思うとエレガントな世界に戻っていく。この日の作曲家は3人ともフランス革命の直前に亡くなっているが、時代のきしみのようなものをどこかで感じ、それを表現することもあったろうか。などと想像をめぐらすことをうながされる音がある。

最後のCarl Friedrich Abel (1723-1787) ソナタホ短調、WKO150。これも最後の方で、低弦を弓いっぱいに使って鳴らすところが数回あって、単にエレガントとは言えない世界がぬっと姿を現す。アベルは、最後のヴィオラ・ダ・ガンバの名人だったと言われる人で、ロンドンに行ってバッハのもう一人の息子J.C.バッハと出会い、二人でコンサートを催している。そこへ8歳のモーツァルトがやってきて、アベルの交響曲をコピーしたりしている(そのため長らく誤ってモーツァルトの作品と考えられていた)。

わずか3曲からでもヴィオラ・ダ・ガンバのたどった運命や、バイロイトとの関わりがほの見える知的なプログラム構成である。演奏も、優雅なところと、地の底から湧き上がる低音のコントラストは見事で、長く引き延ばす低音など、まさに力業なのだった。

ディナーおよびコンサートに、ラング氏、ツェンチッチ氏も参加していた。彼はバイロイト・バロック・フェスティヴァルの芸術監督でもあるから、歌手としての出番はオフでも、コンサート類に来ているのである。

 

 

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シモーネ・ケルメス、リサイタル

シモーネ・ケルメスの 'Canzonetta d'amore'と題するリサイタルを聴いた(バイロイト、辺境伯歌劇場)。

桟敷の一階の一番舞台よりの席。前に述べたように、桟敷は平土間の高さにはなく、その上はバルコニー状になっているので、桟敷の一階は三階くらいの感じである。

ケルメスは Amici Veneziani という彼女が設立したグループを引き連れて演奏した。このAmici veneziani というのは、ヴァイオリン2人、チェロ1人、コントラバス1人、リュート・テオルボが1人の計5人。曲によってこれで十分と言うときもあれば、ヴィヴァルディなどだとややさみしいと感じることもあった。古楽、バロックの演奏に慣れてきても、5人と10人、10人と20人は違う。10数人いればおおむね十分なのだが、会場にもよるかもしれない。

愛の歌と題されたコンサート、前半は

モンテヴェルディ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ブォナメンテ、ヘンリー・パーセルなどがはいり、またイタリアに戻ってペルゴレージの《オリンピアディ》の 'Tu me da me dividi'  とヴィヴァルディの《グリゼルダ》の'Agitata da due venti' を歌った。

最後の ’Agitata da due venti' は超絶技巧を駆使する難曲として名高く、youtube などでもバルトリの演奏、さらには、バルトリのパロディを巧みに歌うものまで出てくるだろう。ケルメスも相当がんばって歌っていたと思う。彼女の特徴は、バロックを単にお行儀のよい音楽として奏でるのではなく、ポップス的なスイングやノリの良さを加えるところであろうが、ノリノリのところの切れの良さと、通常の部分の様式美の対照が大事なわけである。彼女の場合、途中でロマン派以降のオペラを歌ったことが影響しているのかは不明だが、様式感がややたがが緩み、アジリタの切れが少し衰えを見せていた。つくづく、アスリートや歌手というのはベストの時期が短い残酷な職業だと思った。

しかしこうした先駆者がいたから、バロック・オペラの難曲の魅力が広く知られ、それにチャレンジする若者が増えたのだ。リスペクトすべき存在であるとも思う。

後半はヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ》の'Piangero, la sorte mia'. ヴィヴァルディのソナタ’Follia' 器楽曲、カルダーラのMaddalena ai piedi di Cristo から Pompe inutili che il fasto animate ,これはチェロが活躍する穏やかだが味わい深い曲だった。John Eccles が二曲。

ダウランド、最後がRiccardo Broschi のIdaspe から 'Qual guerriero in campo armato' 。オペラから超絶技巧曲を持ってくると、オケが10人いたらなあと思ってしまうのだったー無い物ねだりとは知りつつも。

アンコールは、ヘンデルのリナルドの Lascia ch'io pianga をゆったりとしたテンポでかなりロマンティックに。

 

 

 

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2021年9月 5日 (日)

ドロテー・オベルリンガー「辺境伯の家庭・宮廷音楽」

ドロテー・オベルリンガーのリコーダーを中心としたコンサートを聴いた(バイロイト・辺境伯劇場)

オベルリンガーのリコーダー、オルガ・ヴァッツのチェンバロ、アクセル・ヴォルフのリュートである。オベルリンガーは、インスブルックでテレマンのオペラの指揮をしていた人。あの時も指揮台のところで一瞬だけリコーダーを吹いたけれど、今回は主役である。チェンバロのヴァッツに見覚えがあったのでチェックすると、ヴァッツもヴォルフもテレマンのオペラ上演の際にオケの側で演奏していた人たちであった。

会場は、辺境伯劇場で、ピットには譜面台やチェンバロ(2台)が置いたままで、それとは別のチェンバロが舞台に運びこまれていた。オベルリンガーは、大小のリコーダーを7,8本は持ってきていたように見えた。正確な本数は、平土間からは見えないわけだが、ともかく、曲によって使いわけていた。

3人で奏する曲が多かったが、時に、リュートの独奏やチェンバロの独奏もあった。曲目は、前半がテレマン、クヴァンツ、C.P.バッハ、ヴァイス、J.S.バッハ、ここで休憩。

後半は、アダム・ファルケンハーゲン(1697−1754)、J.S.バッハ、ヴィルヘルミーネ・フォン・バイロイト(1709ー1758.辺境伯夫人であり、フリードリヒ大王の姉、オペラまで作曲している)、J.S.バッハのシャコンヌをチェンバロにMortensen が編曲したもの、Michel Blavet (1700-1768).オーベルリンガーは数曲ごとにコメントをいれながら演奏した。

以前にも書いたが、ここでも強く感じたのは、古楽の笛は身体性が高く(メカニズムに頼る部分がモダン楽器にくらべ小さく)、演奏者の息づかい、タンギングが直に音に反映される。また、演奏者の姿勢の変化や他の奏者との目配せや楽器の上下での合図と言ったものが、観るもの聴くものに音楽の勘所を伝えてくれる面が大きい。だから、観た方がずっと面白く、楽しめる。同じくリコーダー奏者のフセックの演奏を観た(聴いた)時も思ったのだが、オベルリンガーもヴィルトゥオジッシマ、超絶技巧を駆使する。音楽的な聞き所であり、何か曲芸を観ているようなスリリングな感じも同時に味わえる。この目にもとまらぬ指の動きも音だけを聞いているよりは目の前で見るほうがエクサイティングだ。オーベルリンガーは、時には、彼女の長い脚をあげて吹いたりもする。曲の終わりには、一瞬口から笛を離して、その笛をスイングして再び短いフレーズを吹いてフィニッシュということもあり、演奏姿も実に格好いいのだ。こうしたものCDだけでなく、DVD,ブルーレイももっと出て欲しいものである。

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2021年8月30日 (月)

ドゥランテ《レクイエム》

ドゥランテの《レクイエム》を聴いた(インスブルック、宮廷教会)。

フランチェスコ・ドゥランテを初めて聞いたのは、20世紀最高のバリトン歌手(の1人)エットレ・バスティアニーニの日本でのリサイタルのCD(いや、最初はレコードだったと思う)で、冒頭にドゥランテの Vergin, tutt’amor を歌っている。このタイトルは、「清き乙女、愛の泉よ」と訳されていて、非常にミスリーディングである。Vergin は聖母であり、罪人が聖母マリアに切々とうったえる歌である。バスティアニーニは古楽

よりむしろ、ヴェルディやヴェリズモのオペラで名高いが、ドゥランテや時代下ってトスティの歌唱も、情感あふれる中に端正さをたもった歌の姿が凜々しい。曲の持つ気品が伝わる。

さて、ドゥランテは1684年生まれ、1755年没なので、バッハやヘンデルとまったく同時代人である。

彼はこの時代、きら星のごとく輩出したナポリ楽派の作曲家の一人である。周知のごとく、この時代のナポリには音楽院が4つあって、ドゥランテは1699年15歳の時に、その1つ Conservatorio di Sant'Onofrio に入学した。音楽院ははじめは孤児を救うためであったが、やがて音楽院としての性格を強め、ドゥランテは叔父が教えるこの音楽院に入学した。A.スカルラッティの教えをうけ、後にはローマでパスクィーニにも教えを受けたのではないかと考えられているがこれは確たる証拠がない。

その後ナポリに帰って音楽院の教師になり、パイジェッロやペルゴレージ、トンマーゾ・トラエッタなどを教えている。ドゥランテはオペラは書かず(教え子たちはオペラ作曲家になっているが)、あらゆる種類の宗教曲を書いた。

この日演奏された《レクエイム》ト短調(ca.1718) もその一曲ということになる。プログラム(Alexandre Ziane)によると、この曲はいくるかの版が現存しているが、当日ファゾーリスが使用した版は、ローマのSan Giacomo degli Spagnoli という教会(スペイン人のための教会、当時は大使館・領事館的な役割を果たしていた)のアーカイブにあるものという。まだ、ドゥランテのカタログ・レゾネ(全集)には納められていない。アーカイブの音楽家フランチェスコ・ルイージによると、この曲の音楽様式や4つのパートからなる編曲の点で1718年頃の作曲ではないかとのことで、つまりドゥランテのローマ滞在中の作。ドゥランテのスペイン人コミュニティーとの関係は1709年にさかのぼるものでミサ曲を書いている。ナポリは当時スペインに支配されていたので、ドゥランテがスペイン人の教会のために仕事をしたのも不思議ではない。

演奏は、教会の天井に近い部分に橋がかりがあるのだが、その上に独唱者、合唱、器楽がいる、という形で行われた。最初想定していた位置と異なるらしく、演奏前にファゾーリスが内陣の客に対して、演奏者は上にいるのでここからは見えないので、移動するならどうぞご自由にという意味のことを言い、移動する人もいたし、その場にある補助椅子の向きを変えて、演奏者の後方から聞く人もいた。

レクイエムは、その時代なりに Dies irae (神の怒り)がドラマティックで、リズムや音楽的表情が激しいものになると思ったし、同時にそれはあくまでもこの時代のものとしては、という限定もつくのであった。

演奏はオケがイ・バロッキスティ。独唱およびスイス放送曲合唱団。指揮はディエゴ・ファゾーリス。

 

 

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「ティンパニーとトランペットとともに」その2

太鼓とトランペットのその昔の軍楽は、何度か繰り返しやっていてもう一度観に行った。

1回目は、メンバーが広場の一隅にいたのであるが、今回は、黄金の屋根と言われる建物のバルコニー(建物の3階から突き出てて、黄金の屋根の真下である)にメンバーがいて、観衆は広場のカフェでコーヒーを飲んでいたり、立ち見だったりする。ここは歩行者天国なので自動車の来る心配はない。今回も子供がけっこういて、明らかに小学校前の3歳から5歳くらいの子が、トランペットや太鼓の音を聴きつつ走り回っている。兄妹らしき二人が追いかけっこをしていたり、姉弟が手をつないでぐるぐるまわっていたり、なぞのステップを踏んでいる男の子がいたりして、楽しい。曲が終わると、その子らも拍手するのである。まわりの大人が拍手するからではあろうが、親にうながされているわけではなく自然にというか自発的に拍手をしている。次の曲がはじまると、また走りまわったり、ステップを踏んだりしている。

非常に興味深い音楽との出会いだと思う。小さい子が音楽会で椅子の上に一定の時間じっと座っているのはなかなか厳しいものがあろう。この場合は、いつ来ても、いつ帰ってもよいわけだが、子供は案外あきる様子なく走ったり、踊ったり、ステップを踏んでいる。こういう基本的音階でリズムも明快な音楽は、身体にはいりやすいとも言えよう。

インスブルックは、町から空港が近いので、野外のコンサートでは時々、飛行機の爆音が割り込んでくるのだが、そういったことは些細なことに思えるおおらかさがこういった街角のフリーコンサートにはあるのだった。このティンパニーとトランペットのミニコンサートは最初に観た時とは少なくともメンバーが2人入れ替わっていた。今回は男性4人女性2人だった。

演奏された曲は、前回に聞いた記憶があるものが4曲はあったので、もしかするとすっかり同じかもしれない。

公園の東屋での古楽演奏とは異なり、こちらは係員もいないし、ペラのプログラムもない。立ち見の観衆がスマホで撮影するのもまったく自由である。あらゆる意味で開かれたコンサートなのだった。

 

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2021年8月29日 (日)

コンサート《Lost in Arcadia》

《Lost in Arcadia》(アルカディアにさまよって)と題されたコンサートを聴いた(インスブルック、シュロス城)。

この日は、前日よりも涼しげだったので、長袖シャツの上にヤッケを羽織って出かけたのだが、冷え込みが予想以上で、会場でも寒くてヤッケが脱げず、バツが悪かった。会場は、シュロス城のスペイン広間という長方形の部屋で、長い一辺の真ん中に舞台があり、3方に客席があるのだが、この日は正面席だった。前に横の席で聴いたときには、反響、残響が多く悩ましかったが、正面席だとまったく気にならないことがわかった。

正面席の一列目には聖職者が2人いたし、いかにも社会的地位の高い人らしき(州政府の重鎮?)人たちが居並んでいた。インスブルック古楽祭自体が連邦の芸術・文化・スポーツ省、ティロル州、インスブルック市の支援で支えられているのである。その他にも、多くの企業の協賛がある。こうした充実した音楽祭は、芸術、文化を推進すると同時に、地元の文化を活性化し、なおかつこれも重要なことだが、地元の観光産業(ホテル、レストラン、土産物屋など)、商店街を活性化するだろう。

この日は、ソプラノと5人の室内楽の共演。ソプラノはステファニー・ヴァルネリン。オケはラストレというトリノを本拠地にする5人組。フランチェスコ・ドラツィオ(ヴァイオリン)、パオラ・ネルヴィ(ヴァイオリン)、レベカ・フェッリ(チェロ)、ピエトロ・プロッセル(テオルボ)、ジョルジョ・タバッコ(チェンバロ)である。彼女も、彼らもそれぞれ複数のCDを出している。

この日のプログラムはカルロ・フランチェスコ・チェザリーニ(1665−1741)のカンタータを中心に、コレッリやストラデッラの器楽曲をはさんだもの。

最初はアルカンジェロ・コレッリ(1653−1713)のSonata da camera a tre ト短調、op2の6。バロックの室内楽は、CDで聴くより実際の舞台を観ながらの方がずっと興味深い。音が生音で、古楽器の微細なニュアンスがわかるということが1つ。しかしそれ以上に大きいのは、4,5人のグループで演奏している場合、演奏者は、お互いに目をみたり、うなずいたり、弓を上下させたりで、仲間の演奏者に合図を送ったり、音の出を合わせたり、音量の調整や、音の表情づけを合わせたりしている。それがCDだと結果の音しかわからないわけだが、目の前での演奏だと、まさに演奏者の息づかいとともに、上記の演奏者同士のやりとりが視覚的・聴覚的に伝わってくるわけで、音楽の勘所がはるかに把握しやすい。演奏者にとっても、二人の息がうまくあっていった時の(一瞬の)満足げな表情がうかんだり、テオルボやチェロが時たまではあるが、はっしと低弦をはじいたり、弓をぶつけたりする気迫にはっとさせられたりもする。音だけで聴いている時よりもずっとカラフルで、立体的な表情が読み取れるのである。僕はCDやストリーミングで音楽を聴くことの価値をおとしめたいのではない。昔の王侯貴族ではないのだから、いつも演奏家がそばにいるわけもなく、日本で自宅にいても車にのっても音楽が手軽に聴けるありがたさは人一倍感じている。ではあるが、だからといって生のコンサートの意義がいささかも減じることはない、と言いたいのである。少なくとも、僕にとって、テレマンやコレッリは、目の前の演奏者を観ながらのほうが、ずっと音楽の動きをいきいきと感じることができた。

次は Carlo Francesco Cesarini の 'Fetone, e non ti basta' Cantata da camera。これはかなりオペラに近いものえ、レチタティーヴォ、アリア、レチタティーヴォ、アリア、レチタティーヴォ、アリアという構成である。つまり、オペラのある場面を切り取ってきた感じなのだ。チェザリーニで重要なことは、この人は枢機卿のベネデット・パンフィーリ(1653−1730)にお仕えした人で、この日のカンタータはすべてパンフィーリの歌詞に曲をつけたものである。

パンフィーリと言えば、ヘンデル好きの人は思い出すであろうが、ヘンデルがローマ時代に世話になった人で、最近比較的よく演奏されるようになったヘンデルの Il triomfo del Tempo e del Disinganno (時と悟りの勝利)の歌詞を書いたのは、このパンフィーリであった。というか、この枢機卿は、この時代の芸術の偉大なパトロンで、A.スカルラッティであれ、ボノンチーニであれ、ヘンデルであれ、チェザリーニであれ、自分の歌詞に曲をつけさせているのである。美術でも建築でも音楽でもそうなのであるが、この時代、ローマの名家や教皇の甥で枢機卿だったもの(パンフィーリの場合は、大叔父がイノケンティウス10世)で、美術・建築・音楽のパトロンだったものは数多く、中にはパンフィーリのように制作に深く関与しているのである。

だからパンフィーリの書いたものに、チェザリーニが曲をつけたという言い方の方が実態にあっているだろう。チェザリーニの同時代の作曲家にはアレッサンドロ・ストラデッラやアレッサンドロ・スカルラッティ、ボノンチーニらがいたわけである。

これらの人物に関係した重要な出来事として1690年にアッカデーミア・アル・アルカディア(Accademia all'Arcadia)の設立がある。17世紀に支配的だったマリニズムに対抗するものであり、ローマにおけるスウェーデン女王クリスティーナのサロンを継承発展するものだった。これが一種の文学の共和国と称されるようになり、さらには文学者のみならず、哲学者、科学者そして作曲家もメンバーに加わるようになり、コレッリやパスクィーニやA.スカルラッティが加わった。もちろんベネデット・パンフィーリもメンバーだった。

3曲目はアレッサンドロ・ストラデッラ(1639−1682)のSinfonia  McC22. 

4曲目がチェザリーニの Cantata , La Gelosia ('Filli, no'l niego, io dissi')

ここで休憩が入った

5曲目 チェザリーニの Cantata, L'Arianna ('Gia, gl'augelli canori')

6曲目 コレッリの Sonata da camera a tre ニ長調 op.4の4。

最後、7曲目 チェザリーニの Cantata Oh dell’Adria reina.

アンコールにはヘンデルのカンタータが歌われたが、比較をすると、ヘンデルの方が派手にアジリタを駆使して同一音を連続して歌わせる部分があって、演奏効果は高いのであった。チェザリーニによって逆にヘンデルの特長が浮かび上がった瞬間でもあった。

また、歌手ヴァルネリンの才能の違った一面を垣間見せてくれた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

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