2025年8月22日 (金)

ランチ・コンサート 2

再びランチ・コンサートに行った(インスブルック、王宮庭園)。

僕にとって今回は2度目のランチ・コンサートだが、音楽祭としては第3回目のランチ・コンサートである。

メンバーは2人の姉妹。ヴェラ&パトリツィア・ビーバー。ヴェラは、オベルリンガーの弟子でリコーダを吹く。パトリツィアは、チェンバロでの伴奏。ただし、ジャン・アンリ・ダングルベールは彼女の独奏であった。

曲目は

ビアージョ・マリーニ(1594−1663)のSonata 4. マリーニはヴェネツィアでモンテヴェルディの同僚だった人で、このソナタは、曲想の変化が激しく、多分に実験的な要素も感じられた

J.S. バッハのリコーダーソナタ g-moll BWV1020   マリーニの後では、形式がはっきりしていることが強く感じられる。

マラン・マレ(1656−1728) Folies d'Espagne  フォリアの曲で変奏曲である。これはリコーダーの独奏。

ジャン・アンリ・ダングルベール (1629−1691)ルイ14世の宮廷のクラブサン、オルガン奏者、作曲家である。

フランチェスコ・ロニョーニ(1570−1620)1620年には『Selva de varii passaggi』を出版し、演奏技法や装飾音(ディミヌイツィオーネ)の重要な資料となっているそうだが、ここから Io son ferito が奏された。

フランチェスコ・マンチーニ(1672−1737) Sonata 第1番 d-moll  ナポリ楽派のオルガニスト、宮廷楽長。

イタリアの南北、ドイツ、フランスと幅広い対象を概観し、17世紀と18世紀前半の音楽を見渡せる意欲的なプログラムで、アンコールにはイギリスの作曲家の変奏曲を演奏した。

リコーダーは古楽ではありがちだが、曲ごとに笛を変えていた。4本くらい使用か。チェンバロは一台。

前にも述べたが、このコンサートは公園の東屋で、無料で開催される。途中で子犬が吠えたり、飛行機が通過(インスブルック空港は町から近いので町の上を低空で飛ぶのである)したのはご愛敬。若手が意欲的なプログラムを、思い切りのよい演奏で披露してくれ満足度は高い。

 

| | コメント (0)

2025年8月21日 (木)

コンサート《Combattimento》

《Combattimento》と題するコンサートを聴いた(インスブルック、アンブラス城スペインの間)。

モンテヴェルディの作品「Combattimento di Tancredi e Clorinda」を中心としたプログラムである。演奏は、Michele Pasotti と La fonte musica. マドリガルのような声楽曲をも演奏する団体なので、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ、チェンバロ、テオルボの奏者の他にソプラノ、アルト、バリトン、バスの歌手がいる。

一時間前に開催されるレクチャーに参加したのだが、Michele Pasotti (リーダー)と Mauro Borgioni (バリトンで、Combattimento のナレーター役で大活躍)とソプラノの Alena Dantchevaが英語で語った。この日のコンサートは、'Combattimento di Tancredi e Clorinda' が初演の時、つまりヴェネツィアのモチェニーゴ家の館で上演された時のコンサートを再現することを目指している。'Combattimento di Tancredi e Clorinda' のテクストはトルクヮート・タッソの長編叙事詩『解放されたエルサレム』第12巻52-62,64−68編から取られている。周知のように、タッソの『解放されたエルサレム』はその中のエピソードがもとになって多くのバロック・オペラが書かれている。タンクレディはキリスト教徒の騎士で、クロリンダはイスラム教徒の女性。敵同士なのだが恋におち、この曲では、戦場で相手が誰とは知らず、激闘することになる。

モンテヴェルディ自身が書いているのだが、'Combattimento' の前にマドリガルが演奏された(詳細な曲目は不明)とのことなので、それをパゾッティが想像してこのようなものであったろうというプログラムで再構成しているのである。

その際には、モンテヴェルディとマントヴァやヴェネツィアで同時代の作曲家だったサラモーネ・ロッシ(1570−1630)やダリオ・カステッロ(1602−1631)の作品が選ばれている。

前半は

サラモーネ・ロッシの Sinfonia grave a 5

モンテヴェルディの

'Sfogava con le stelle' SV78

'Crud' Amarilli' SV94

'Anima mia, perdona' SV 80a

'Che se tu se' il cor mio' SV 80b

オルフェオから Sinfonia

'Ohimè il bel viso' SV 112

Sinfonia a doi violini e una viola da brazzo

'Zefiro torna' SV108

サラモーネ・ロッシの Sonata prima, detta Moderna

モンテヴェルディの 

'Hor che 'l ciel e la terra e 'l vento tace' SV147

ここで休憩

後半は

ダリオ・カステッロの 

Sonata XV a 4   これはなかなかスタイリッシュな曲だった。」

最後がモンテヴェルディの 'Il Combattimento di Tancredi e Clorinda' SV153

タンクレディ役とクロリンダ役は、部屋の端から登場し、わずかな身振りで演技らしきものもする(舞台衣装は身につけていない)。しかし圧倒的に分量が多いのは語り手である。語り手(バリトン)のマウロ・ボルジョーニは大喝采を得ていた。また、この作品では戦いというものを音楽で描写的に描きだしたことが革新的で Stile concitato (興奮した様式)を用いたとモンテヴェルディ自身が述べている。これは16分音符で弦が細かく刻むことによって緊張を表象しているのである。

戦いの場面をナレーションするということで、語り手というとレチタティーヴォ的なものであるわけだが、通常のオペラのレチタティーヴォよりはるかに分量が多く、出ずっぱりになるし、音楽的な起伏、伴奏のオーケストラも明らかに劇的な表情、振幅の大きな表現を意図しているのであり、それを見事に実現した上演で、モンテヴェルディのオペラとは異なった醍醐味があった。語り手のところは必ずしもモノディーではなく、後のロッシーニのバッソ・ブッフォのように、一音節に沢山の言葉が詰め込まれた早口の部分もあった。つまり語りの表情が激変するのである。語り手のマウロ・ボルジョーニは、'Compattimento'がモンテヴェルディの最高傑作だと断言していた。この日の演目であり、彼が最重要な役を演ずるということを考慮にいれねばならないが、彼がそう確信していることに納得のいく、大熱演で、その熱は聴衆に伝わった一夜であった。

| | コメント (0)

2025年8月20日 (水)

ランチ・コンサート

インスブルックの王宮庭園でランチ・コンサートを聴いた。

4人のアンサンブルで、メンバーは17〜19歳という若さ。グループ名は Studio 16。カールスルーエのギムナジウムに通っているとのこと。

しかしすでにいくつかのコンクールに入賞し、カールスルーエのヘンデル音楽祭で演奏したりしている。

インスブルック古楽音楽祭でのランチ・コンサートは、王宮庭園の東屋で開かれ、無料である。

東屋の三方はドアを開け放ち、その階段で座って聞く人、立ち見をする人もいる。

コンサートの内容も演奏も極めて質が高い。

この日のプログラムは 

リュリのシャコンヌ47 C-Dur

テレマンの トリオソナタ g-moll

リュリのパッサカリア 39 a-moll

Johann Konrad Baustetter (c.1700-c.1752)のトリオソナタ G-Dur   バウシュテッターというのは、ドイツ・オランダでオルガニスト・作曲家だった人。

Johann Christoph Pez (1664-1716)のソナタ8 g-Moll  ペツは、バイエルン選帝侯のカペルマイスターだった。

ヘンデルの トリオソナタ g-moll

楽器の配置はチェンバロ(Georg Schäfer)が奥にあり、その前に3人の奏者が並ぶ。真ん中がチェロ (Merle Riemann), 客席から向かって右側がオーボエの Anna Mai Johnnsen .  左がヴァイオリンの Elizabeth Zimmermann. 

曲目がトリオソナタなどということもあるが、チェロとヴァイオリン、ヴァイオリンとオーボエが目線を交わしながら音・リズムを合わせつつ弾く姿は一幅の絵を見ているような美しさ。特別なドレスを着ているというわけではない。目の前で演奏されるのを見ていると、旋律がヴァイオリンからオーボエへ、オーボエからチェロへ、といった様が耳でも目でも確認できて、音楽を立体的に把握出来るし、奏者の身体がスイングする様子が見えるのもこちらの音楽への没入を助けてくれる。一緒にのれる感じ。彼らは高い技巧の持ち主で、攻めるところは思い切ってテンポをあげて攻める。こちらもワクワク、はらはらするし、大喝采。

アンコールは意外なことに?ピアソラだった。すっとなでるようなヴァイオリンに、オーボエのややセクシーなメロディが絡んでいく。この4人はバロックで様式感ある演奏も、ピアソラも柔軟に魅力的にこなすのだ。素晴らしい才能。

 

 

| | コメント (0)

《Harmonie》というコンサート

《Harmonie》というコンサートを聴いた(インスブルック、Christuskirche).

Christuskirche はキリスト教会というほどの意味だが、場所がインスブルックの王宮庭園の北側の Martin-Luther-Platz という場所にあることから察せられるようにプロテスタントの教会である。インスブルックおよびオーストリアは圧倒的にカトリックの教会が多いのであるが、この演奏会がこの教会で催されたのには、十分な意味・意義がある。

この日の演目は、ヘンデルのドイツ語歌曲である。ヘンデルはオペラはほとんどがイタリア語台本に作曲し、その後オラトリオは英語台本に作曲しているので、彼の母語であるドイツ語につけたものは相対的に少ない。

バルトルド・ハインリッヒ・ブロッケスという人がハンブルクにいて、役人もしていたが詩人でもあった。この人が書いた『神における地上の悦びー自然詩と道徳詩』という詩集があって、これは自然を観察する(観察の中に顕微鏡を用いての観察や天体観察も含まれる)ことを通じて神の存在、素晴らしさを認識するということらしい。また敬虔主義(pietismus)を代表する詩集でもある。まあ要するに自然賛歌が信仰に通じている歌なのだ。ルター派のなかで、教義や儀式を重んじる人たちに対し、敬虔主義の人たちは、心からの信仰体験と日常生活での信仰実践を重んじたわけで、ブロッケスの詩は教会ではなくて、家庭で広く読まれたらしい(もちろんプロテスタント圏で)。

ちなみに、ブロッケスの書いたテクストに基づいた受難曲をヘンデル、テレマン、マッテゾンらが書いている。

さてこの日のコンサートは、上述のヘンデルの9つのドイツ・アリアをソプラノの Ana Vieira Leite が歌い、Concerto 1700 という管弦楽(この日は5人、ヴァイオリン、フルート、チェロ、チェンバロ&オルガン、エルツラウテ(金属弦のリュート))が伴奏をした。

ただし、プログラムの構成は凝っていて、この9曲が4つのパートに分かれ、かつ間に器楽曲が挟まるのだった。

パート1から見ていこう。

パート1は 《Deus sive Natura》(スピノザ)と題されている。神、即ち自然というスピノザの考えが、おそらく Concerto 1700のリーダーのDaniel Pinteño によって引用されている。

まず HWV389のフルート、ヴァイオリン、通奏低音のためのソナタからラルゲットが演奏され、

次に9つのドイツ・アリアの4番 Süße Stille, sanfte Quelle (甘美な静けさ、柔らかな泉)が歌われた。

続いて、HWV370 のヴァイオリンと通奏低音のためのソナタからラルゴ

次に9つのドイツ・アリアの8番 In den angenehmen Büschen (心地よい茂みの中で)

以上の4曲でパート1を形成している。

パート2は、《Über das Gute oder das Eine》(プロティノス)と題されている。Über das Gute oder das Eineは、善についてまたは一者について、ということで、プロティノスの哲学を象徴する考えだ。一者とは、すべての存在の根源であり、存在や思考をも超えた超越的原理。 パートごとの哲学者とモットーは、ヘンデルやブロッケスによるものではなく、この日のプログラムを構成した人による引用である。
パート2で演奏されたのは、HWV397からアダージョ。9つのアリア第一番 Künft'ger Zeiten eitler Kummer (未来の時代のむなしい憂い)。人は未来のことを思い悩むが、それは空しい。むしろ今ある自然の美と神の創造を喜ぶべきだ、というメッセージだという。HWV408のアレグロ。9つのドイツ・アリアの2番 Das zitternde Glänzen der spielenden Wellen (戯れる波の揺らめく輝き).以上の4曲がパート2.

パート3は、《Das evig lebendige Feuer》(ヘラクレイトス)永遠に生き生きと燃える火=太陽を題しているが、ヘラクレイトスは根源として火を重視した。ここで演奏されたのは、HWV396のアンダンテ、9つのドイツアリアから第9番、Flammende Rose, Zierde der Erde (燃えるようなバラ、大地の装飾), HWV374のアダージョ、 9つのドイツアリアの第5番、Singe Seele, Gott zum Preise (歌え、魂よ、神を讃えて)。以上の4曲。9つのアリアの番号は、プログラムに書かれたまま記述しているが、調べると、違った番号が出てくる。ご了承ください。

パート4は、 《Anima mundi》(ジョルダーノ・ブルーノ)。世界の魂。ブルーノによれば宇宙自体に生命があり、anima mundi による貫かれる。HWV 388からアンダンテ。9つのドイツアリア、7番、3番、6番が連続で歌われ、全体を締めくくった。

アンコールには、第4番の冒頭が歌われた。

これらの9つのドイツ・アリアが書かれたのは1724-27年でオペラの《エジプトのジュリオ・チェーザレ》が書かれた時期と近く、リズムや曲想が似ているものがいくつかあった。また、9つのアリアのうち1つを除いてはダ・カーポ・アリアの形で書かれている。ただし、劇場用のものではないので、派手な効果をねらった曲想ではなく、静かに上述の哲学的・宗教的想念を叙述していくタイプの歌なのだった。

ヘンデルのもう一つの世界が開示されたきわめて興味深いコンサートだった。

歌手のAna Vieira Leite は、綺麗な響きの伸びやかな声なのだが、前のコンサートでもそうだったように子音が弱く、歌詞が聞き取りにくいのだった。言葉を伝えることは、歌う際に最も重要な要素の一つであることは言うまでもない。彼女の気づきと成長を期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年8月17日 (日)

ミサ・ソレムニス

ザルツブルク大聖堂のミサ・ソレムニスに出席した(ザルツブルク大聖堂)。

8月15日は聖母被昇天の日なのでカトリックの国では重要な祝日で、町の商店は閉まる店が多い。大聖堂では音楽つきのミサ、ミサ・ソレムニスがあるので出席した。先日のインスブルックのミサと比較したい気持ちがあった。

この日の司祭の列は人数は20人ほどいたかと思われる。司教の話でわかったがインドの枢機卿とベルガモの司祭が特別に参加していたとのこと。その理由は不明。

式次第の紙が配られなかったので、この日用いられた音楽が何であるかは不明だが、様式的にモーツァルトの時代なので、ザルツブルクでこの大聖堂のために音楽を書いていたミヒャエル・ハイドンの曲かもしれない。聖体拝領の際にはモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスが演奏された。

曲をたっぷり演奏したせいか式は全体で1時間50分。音楽付きミサの構造は、レチタティーヴォ的部分とアリア的部分が交錯し、オペラの構造と似ていると思う。時間軸を考えれば、教会がオペラに影響を与えたのであろう。ただし、原初のオペラでのレチタール・カンタンドではアリア的な要素が乏しいので、そもそも発祥の時点ではさほど音楽つきミサ云々ということはなかったであろう。

インスブルックでもそうだったが、合唱団や弦楽奏者は、入り口の上方にいる。ザルツブルクの大聖堂の場合こちらにより大きなパイプオルガンがあってこの日はそのオルガンも要所要所で演奏されていた。いつも感じることだが、御堂全体が鳴り響く音響は、教会で体感しなければ理解できないマッシヴな音である。

教会の入り口では特別な民族衣装を着た女性信徒たちが野の花を集めた花束を売っていた。聖母が天に昇った際に、空に棺に草花が残っていたというエピソードに由来する聖母被昇天の時の特別な習慣かと思われるが、どこの町でもやっているのかどうかは判らない。

| | コメント (0)

2025年8月10日 (日)

インスブルックの教会 Stiftskirche Wilten でのミサ

Stiftskirche Wilten で Pontifikalamt という音楽を伴う特別なミサに参加した(インスブルック、Stiftskirche Wilten).

インスブルックの古楽音楽祭のプログラムの一部となっているので、信者ではないが参加させていただく。聖体拝領以外はまわりの信者の方々と同じ動作をするが、ドイツ語での司祭と会衆の応答はアーメン以外は口パクとなる。

一言で言えば音楽つきの荘厳ミサなのだが、Ponitikalamt というのは特別らしく、助祭や副助祭を含め10人ほどの聖職者あるいはその助手が儀式に関わる大掛かりなものである。入場式の時から音楽が奏でられ、香炉が前後に振られあたりに白い煙とともに特別な匂いが満ちる。

今回はJ.D.ゼレンカ(1679-1745) のMissa Votiva(誓願ミサ、奉献ミサ) zwv 18が、ミサの儀式によって「分断」されながら演奏された。楽曲としてみれば連続して演奏されず分断されたことになるが、ミサ曲という性格を考えれば、これこそが作曲家も意図していた演奏のされかたなのだと思う。

ゼレンカの曲は、華麗かつリズミカルなもので、ところどころ心浮き立つフレーズがある。そのフレージングはヴィヴァルディを思わせるところがたぶんにあるのだが、彼はドレスデンで活躍しており、それゆえピゼンテル(ヴィヴァルディと直接コンタクトのあった作曲家、演奏家)がドレスデンに持ち帰ったヴィヴァルディの楽曲を知っていた可能性はある。独唱者の歌う装飾的なフレーズがヴィヴァルディの宗教曲に通じる心躍るフレーズに満ちているのだ。ゼレンカはもっともっと知られるべき作曲家だと思った。

間に聖歌が2つはいってこれは素朴な歌。ゼレンカの楽曲とは別世界である。

聖体拝領の際にはさらにB.Storace (1637-1707)の Recercar がオルガンで演奏された。聖職者たちの退場の際には同じく B.Storace の Ciaccona がオルガンで演奏された。

カトリックのミサは、香の匂いからはじまって、儀式的様式的美に満ちている。聖職者の僧衣も位階ごとに違っていて、司教らしき人はミトラ(帽子)をかぶったり脱いだりもしていた。聖変化の儀式がその頂点にあるわけで、五感に訴える力があるのだが、こちらはゼレンカの音楽に心打たれたのであった。もっとゼレンカの音楽を知りたいと思った。

 

| | コメント (0)

《フーガの技法》

《フーガの技法》のコンサートを聴いた(インスブルック、アンブラス城、スペインの間)。

素直にJ.S.Bach の《フーガの技法》全曲である。版に複数あり、自筆稿の問題もあるがここでは省略。

この演奏は、Roel Dieltiens 率いる Ensamble Explorations によるもの。Dieltiens はチェロとオルガンを奏するが、他の奏者(5人)も大体2つずつの楽器を持ち替えつつ弾く。だからフーガの技法の何番かによって楽器編成が変わるのだ。プログラムの解説にDieltiens が書いていたことだが、《フーガの技法》は単一の楽器、チェンバロなりオルガンでも演奏可能だ。しかし今回のように楽器編成が変化しつづける方が、音色の変化があって単調にならない。たしかにそうであることは実感できた。一回の休憩をはさんで約2時間の演奏会だった。

夜8時から始まったのだが、インスブルックも暑く、男性はついに半袖の人の方が多くなった。前半45分は暑くて、むしむしして、酸欠状態だった。コンサートが終わって10時だったがまだ涼しくはない。暑くはなくなっていた、という程度である。

| | コメント (0)

2025年2月 1日 (土)

ツァグロゼク指揮のシューマンと モーツァルト

ローター・ツァグロゼク指揮の読売日本交響楽団のコンサートを聴いた(東京オペラシティ、コンサートホール)。

曲目は、前半がシューマンの《マンフレッド》序曲と交響曲4番ニ短調で、後半がモーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》。

ツァグロゼクはドイツ・オーストリア音楽で定評がある巨匠とのことなのだが、ぼくは初めて聴く。彼のブルックナーは大人気だそうだが、ここ20年ほど、バロックオペラに入れ込んでいて、ロマン派近辺のコンサートや指揮者にうとくなっている。

というわけで、ツァグロゼクに関しては白紙の状態でのぞんだのだが、ぼくにとっては意外な発見であった。《マンフレッド》序曲は、聞き込んだ記憶がなく、しかしながらところどころいかにもシューマンらしい節回しと思われるものが出てくる。ツァグロゼク+読響では、思いのほか、シューマンのオーケストレーションが豊かに響く。交響曲4番は、大昔にCDで聞き込んだ覚えがあるのだが、オケの音はもっと暗く、こんなにリッチな響きではなかった。おそらくモノラルの古い録音のせいもあったろうし、オケの音色もシューマンでは独特の陰影をもった響きをかなでていたのだろう。今日のコンサートでは、より明るくて、内部から充実した響きのオーケストラが聞こえてきた。しかもシューマンらしい屈曲したメロディや鬱屈した思いも伝わってくる。ツァグロゼクの指揮では、クレッシェンドやアッチェレランドが実に内発的かつ自然だ。ひさびさにドイツらしいドイツ音楽を聴いた思いがする。彼の指揮のブルックナーが人気というのも想像がつく。

休憩をはさんで後半のモーツァルトは、読響がピリオド奏法を駆使して、モダン楽器の豊かな響きとピリオド奏法の歯切れのよさを巧みに融合させたスタイリッシュなジュピターであった。特別客演コンサート・マスターの日下紗矢子のフレージングは優雅かつ歯切れがよく、ノンヴィヴラートで、フレーズの切れが良い。彼女がフレーズを奏で、切断するさまがヴァイオリンを奏でる姿と音楽的に一致していて観ていても美しいのだった。読響は、メンバーの中に気持ちよさそうに弾いたり、吹いたりしている人の割合が高く、こちらまでうれしくなる。

知人Kさんの好意に甘えて、ツァグロゼクとほんの数分話を聞かせてもらったのだが、彼は《マンフレッド》序曲がめったに演奏されないが、充実した曲であることと、この曲の革命とのつながり(初演は1848年である)を強調しておられた。めったに演奏されず埋もれてはいるが、もっと認識されて良い曲なのだと言う点に関しては、今回実際に聞いてみて納得がいった。

会場はほぼ埋まっていた。オペラの時と比べると、男女比が男の比率が高いように思った。

 

| | コメント (0)

2024年9月10日 (火)

クリストフ・ルセのランチ・コンサート

ルセのランチ・コンサートを聴いた(エルミタージュ、バイロイト)。

バイロイトのはずれに離宮があって、そこでのランチ・コンサート。実はディナー・コンサートもある。

ルセもオペラ、カンタータ、独奏と3日連続でご苦労様である。

この離宮でのランチ・コンサートは毎年開催されている。離宮のカーブした長い回廊(ウィング)で食事をし、その後、礼拝堂に移ってミニコンサートがある。

演奏者は数人のこともあれば、今回のように一人(チェンバロ独奏)のこともある。

ルセのプログラムは、クープラン(1668−1733)、ラモー(1683−1764)、Antoine Forqueray (1672-1745) でフランス・バロックを短い時間だが堪能した。

クープラン、ラモーはともかく、Forqueray は初めてだったが、彼の音楽は二人に比べて、少し優美さ、華麗さを落とし、むしろドイツ的というかオスティナートで押してきたりして異なる味わいがあり、たいへん面白かった。ほぼ同世代で、埋もれた作曲家の中に未来を予見させる要素があったのかもしれない。今、wikiを調べてみると、彼の音楽は激しい表現の衝動から「悪魔のフォルクレ」と言われたという。なるほど。ひたすらにエレガンスを追求するという意図は本人にそもそもなかったということなのだろう。

| | コメント (0)

2024年9月 9日 (月)

サンドリーヌ・ピオのリサイタル

フランスのソプラノ歌手サンドリーヌ・ピオのリサイタルを聴いた(バイロイト、オルデン教会)。

オルデン教会はバイロイトのややはずれにある。18世紀にはこの裏手に大きな池というか湖が広がっていて、バイロイトの領主は船を浮かべて模擬戦争をやったという。今は埋め立てられてその池・湖はない。

カンタータがメインなのでプログラムを参照しつつカンタータについての整理を。

筆者自身も数年前までカンタータといえばバッハの宗教カンタータが思い浮かぶ状態だったので、それはある意味で極端なパースペクティヴだということが最近は実感できている。

カンタータは大まかにいえば1630年代くらいにイタリアで出てきた。初期のカンタータは、歌の旋律と通奏低音だけが記されている楽譜も多いそうで、貴族の館などで演奏されることが多かった。せいぜいそこに一丁か二丁のヴァイオリンが加わる程度だった。

バッハのようなフルオーケストラのカンタータ(宗教カンタータ)はドイツのプロテスタンティズムに特有の現象なのである。

イタリアでは、貴族の当主やその妻の誕生日や聖名祝日、子供の結婚など、お祝いに際してカンタータを作って祝うというジャンルであった。18世紀に入る頃から、レチタティーヴォとアリアの連なる曲であるという形式が固まってきた。カンタータの生産地としては、ヴェネツィア、フェッラーラ、ボローニャ、ナポリそしてローマが挙げられる。

ローマの名家、オットボーニ、ボルゲーゼ、パンフィリなどは、カリッシミ、チェスティ、ストラデッラ、ヘンデルらにカンタータを書かせてきたのだ。とりわけ、ローマでは、時の教皇がオペラ上演を禁ずることがあったので、世俗カンタータが栄えた。要するに小型のオペラ、ミニチュア版オペラとしてもてはやされたのだ。

1699年シャルル・アンリ・ド・ロレーヌがミラノに入城する。この人ロレーヌ公国の貴族なのだが、スペイン・ハプスブルク家に軍人として仕えていた。1701年にスペイン継承戦争が起こるので、このあたりのヨーロッパの領主は単に世代交代だけでなく、入れ替わりや移動が激しく、またそれに音楽家も間接的な影響を受けていることが多々ある。シャルル・アンリは、音楽家として、ミシェル・ピニョレ・ド・モンテクレールを連れてきた。結論からいえばミシェル・ピニョレはこのミラノ滞在により、イタリア風カンタータの影響を受け、オケにコントラバスを持ち込むことになった。リュリとラモーの間の人である。ただし、1706年にジャン・バティスト・モランのカンタータ集が出版されている。

モンテクレールは1667年生まれで、1686年にパリに出てきた。ミラノ滞在を経て1702年か03年にはパリに戻ったのだが、作曲家としては遅咲きだった。彼の書いたカンタータの一つが当日演奏された《ルクレツィアの死》である。

続いて演奏されたのはコレッリのコンチェルト・グロッソ第一番。

ドメニコ・スカルラッティの 《Tinte a note di sangue》

アレッサンドロ・スカルラッティの4声のソナタ。

ヘンデルの 《Agrippina condotta a morire》

世俗カンタータの本場イタリアを中心にしつつ、フランスのカンタータ(ただし歌詞はイタリア語)、作曲されたのはスペインのD.スカルラッティのカンタータとよく考えられたプログラムである。

オケは、クリストフ・ルセ指揮のレ・タラン・リリック。このオケは2024年はバイロイト・バロック・フェスティヴァルのレジデンス・オーケストラなのである。

サンドリーヌ・ピオの歌唱は文句なく素晴らしかった。ここで演奏されたカンタータはどれも生きる、死ぬ、別れなど激しい主題なのだが、彼女は一声で音楽に緊張感が走るのだ。決して大声をあげるわけではない。ピアノでもフォルテでも必要なテンションが音楽に表出するのだ。しかも情熱的になったときに、様式感が崩れないのが素晴らしい。フレーズのおさまりがきれいなのだ。古楽器の演奏がフレーズをパッと切り上げるのと平仄が合う。迸るパッションとカント・バロッコの様式感は両立するのである。勢いにまかせて歌ってしまうところは皆無であり、アジリタもきれいだった。

アンコールはヘンデルのオペラ《ジュリオ・チェーザレ》から 'Se pieta di me non senti'  ともう一曲(詳細は不明)ヘンデルだった。

ちなみに会場のオルデン教会は、沢山の蝋燭が灯されていて独特の雰囲気だった。蝋燭型の電球ではなく、本物の蝋燭である。2台テレビカメラが入っていたので、後日なんらかの形でネットでも見られるようになるかもしれない。

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧