2020年2月18日 (火)

映画『蜜蜂と遠雷』

映画『蜜蜂と遠雷』を観た。

この映画は日本映画として画期的!なところがいくつかある。

ストーリは単純でピアノコンクールの参加者たちの葛藤。

画期的なことの1つは、課題曲、春と修羅のカデンツァをピアニストたちが

それぞれに作って弾くわけだが、これが藤倉大の作曲したもので、本格的なクラシック音楽(の伝統に沿った現代曲)であること。

また、コンテンスタントが決勝で選ぶ曲がプロコフィエフのピアノ協奏曲2番、3番や、バルトークの

ピアノ協奏曲の第3番なのだ。

もちろん、現代曲に慣れ親しんでいる人から見れば、古典中の古典だ。

しかし、今でも日本の現実の音楽コンクールなどではベートーヴェンやチャイコフスキーやブラームスの

コンチェルトで競われていて、バルトークのバイオリン協奏曲を弾いた女性もいたがむしろ例外的だ。

どうにかラベルのピアノ協奏曲あたりまでなのである。無論、ラベルのピアノ協奏曲は名曲であることは言うまでもない。

しかし、20世紀ならではの、鋼鉄の叙情を叩き出したのはプロコフィエフやバルトークではなかったか。

この映画を機に、プロコフィエフ、バルトークの音楽を楽しんで聞く人が爆発的に増えてほしい。

バルトークのピアノ協奏曲の第3番は、アメリカに行ってからの作曲で、抑制がききつつもノスタルジックな思いにみち

た2楽章、終わり方がこの上なくスタイリッシュな第3楽章といい名曲中の名曲であると思う。

商業ベースの世界であまり取り上げられないこうした楽曲を前面に取り上げている点でこの日本映画は日本映画史上に燦然と輝く存在となるだろうと夢想する。そう、ピアノ協奏曲で素晴らしいのはショパンやチャイコフスキーやブラームスで終わってしまったわけではないのです。

| | コメント (0)

日々是好日

樹木希林の最後の映画『日々是好日』を観た。

評者は茶道の心得が全くない、と言う立場からの感想であることをお断りしておく。

面白かったのは、型について。主人公とその従姉妹がお茶を習い始め(その先生が樹木希林)、最初は細かい所作に戸惑うし、何の意味があるのかとも思うのだが徐々に考えなくても手が動くようになってくる。型とか様式とはそう言うものだ。お稽古に来ている人が女性ばかりなのも、おそらくは現実を反映しているのだろうが、日本の伝統文化としてため息をつくしかない。

台本的には主人公の女性をめぐる男性関係がナレーションのみで済まされていて、味気なくさみしい。カメラワークも、もう一つ独自の

美意識を開陳してくれると良かったかと思う。主人公や従姉妹がお茶の先生宅に行くところなども、フツーに説明的なのだ。

型は大事、と言うのと、季節とともに茶事の所作も変わる、と言うところに収斂してしまうのは、もったいない気がした。

 

| | コメント (0)

映画『シュターン夫人』

アナトール・シュスター監督、アハマ・ゾンマーフェルト主演、「シュターン夫人」を観た。機内でドイツ映画の選択肢はこれだけだったのだが、

渋い面白さのある映画ではあった。

主人公は90歳の老婦人(今日では何歳から老をつけて良いのか良くないのか、どんどん後ろにずれていて、60代なら子供から見れば老人なのだが大人の世界に入ると、60代ではまだまだ70代、80代は層が厚く、90代も決して珍しくない現今で、中年くらいの感じが強いのではないか)がフラフラと生きている物語。

 冒頭からこのひと、もう生きているのが嫌になったから死にたいと思うのだが、なかなか銃が手に入らない。このあたり物騒だから、と言う理由を述べると、じゃ催涙ガスがいいでしょう、と言われてしまうのだ。淡々としたユーモアの中で、近所の訪問床屋からマリファナを作ってもらったり、娘や孫娘との交流が描かれる。ありがちだが、孫娘は母親には本音を言わず、祖母には本心を吐露するのだ。祖母は、一歩引いた所にいるから、あれしろ、これはするなと言う物言いはしないのである。

 いかにもドラマチックなことはあまり起きないのだが、不思議と退屈はしない映画だった。

| | コメント (0)