2023年8月 8日 (火)

チロル州立博物館(その4)オランダ風景画の勃興

オランダ風景画の勃興

16世紀に勃興した風景画は、単に宗教画の背景ではなかった。オランダの風景画は17世紀になると独立した、非常に人気のあるジャンルへと発展する。ただし、絵画ジャンルのヒエラルキーの中では末席にいたことは間違いないのだが。

この時代、遠国の珍しい風景ではなく、国内の風景が描くに値するモティーフと捉えられるようになったことが新しい。

静物画と同様に、そこには象徴的な意味があり、堤防を建設する技術を誇るのと同様のプライドが反映されているのである。それゆえ、風景は必ずしもあるがままに描かれるとは限らず、理想化されて描かれることもあった。

一方、イタリアを描いた風景画は、国内の風景画よりも高く売れた。しかも画家たちは必ずしもイタリアに実際に行って描いたのではなく、牧歌的情景にたっぷり南方の光をいれて理想化された光景を描いた。

風景画のサブジャンルとしては、Aert van der Neer のように夜の情景を専門とするものや、Egbert van der Poel やFrans van Oosten のように火の燃えさかる情景を専門とするものもいた。

次項に続く。

 

 

 

 

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チロル州立博物館(その3) オランダ絵画のアイデンティティー

博物館の展示・解説から

16世紀・17世紀のオランダのアイデンティティー

何世紀にもわたり、オランダは水との戦い、外国支配との戦いを続けてきた。

16世紀半ばからはスペイン・ハプスブルクからの独立を目指す。その結果、カルヴァン派の北部(ネザーランドの北部)とカトリックの南部(ネザーランドの南部)に分かれる。1566年に大規模な聖像破壊運動が起こる。カルヴァン派の牧師たちは教会から聖像を取り除くように説いた。

この宗教運動は、美術の世界にも影響を及ぼした。北部では独立した商工業者が、新たなジャンル、風俗画(genre painting)を受け入れた。これによってはじめて近代的な意味での美術の市場が生まれた、とこの博物館の解説は語っている。一方、南部では宗教画の需要があり、貴族たちが大きな役割を果たし、より保守的な嗜好を示していた。

北部で出現した風景画は、この新しい美術市場の恩恵をこうむった。これらは、直接的・間接的にその地域の歴史を語るものだった。海や堰を描いたもの、17世紀に気候が寒冷化した情景などを描いている。

次項へ続く。

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チロル博物館 その2 風景画や静物画の誕生について

この博物館の一角には、オランダの画家たちの風景画や静物画が展示してある。この博物館のところどころに付された絵画史に関するコメントは、個別の画家の情報とは別に、時代を俯瞰し、巨視的にヨーロッパ的視野からどういう事態、事件、政治・経済情勢が発生していて、文化(絵画)がこういう変化を遂げたという解説が各コーナーにあり、決して長い文章ではないが近年の研究も反映されているようで嬉しい。

いくつかを紹介する(大意を取ったものできちんとした翻訳ではないことをお断りしておく)。

歴史画が、絵画のジャンルのヒエラルキーの中でトップに登りつめたーそれは17世紀オランダに限らない。歴史画といった場合、絵画のモティーフを旧約・新約聖書、ギリシア・ローマ神話、聖人伝、詩や歴史書から取っている。このジャンルの卓越性は、上記のところから取ってきた人物を上手く配置することによって物語が語られるように(観る者が読み解けるように)描くことである。

歴史画の一つの起源は祭壇画にあって、そこでは聖書の出来事を語る(例えば東方の三賢者の礼拝)のだった。

ところが、オランダの北方でカルヴァン派が確立すると、礼拝所で図像(絵画・彫刻)が禁止され、歴史画の需要が無くなってしまった。こういった絵画は、教会からは注文もされず、購入もされず、新たに富裕になった都市商業階級によって購入されるようになった。Barent Fabritius やレンブラント周囲の画家たち、Cornellis de Baellieur らはこういった新しい階層が顧客となったのである。

以下、次項へ。

 

 

 

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