アウクスブルク
アウクスブルクを訪れた。
この帝国自由都市と宗教改革の関係をミクロに見てみたいという狙いからだったが、かなりその願いはかなった。
この町出身でヨーロッパ有数の富豪となったフッガー家。そのフッガー家の造った福祉住宅フッガーライを見たが、ここを建て始めたのが宗教改革の発端とほぼ同時期。その後、町がプロテスタント一色になると、カトリックの教会は閉じられたり、ミサをあげることを禁じられたので、フッガライの中に教会を造った。一時は再カトリック化の動きもあるのだが30年戦争でスウェーデンがやってくると、フッガーライはスウェーデン軍に接収されてしまう。スウェーデン軍退去の後再び福祉施設として働きはじめる。
町の市庁舎を作ったエリアス・ホールという建築家は、プロテスタントに改宗するが、町が再カトリック化したときにプロテスタントを貫いたため失職する。
アウクスブルクは教科書的には帝国自由都市で、カトリックとプロテスタントが共存・併存していたということで巨視的にはそれで間違ってはいないのだろうが、ミクロに見ると、そんな単純なものではないことがわかる。
この町の守護聖人ウルリッヒをまつるウルリッヒ教会などは、本体はカトリックのお堂なのだが、脇に突き出ている部分はプロテスタントであり、この境界線が確定するまで長年裁判があったほどだ。
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