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2026年8月23日 (日)

1589年フィレンツェの婚礼音楽が、スウェーリンクへ――宮廷教会のオルガン・コンサート

昼、インスブルックの宮廷教会(Hofkirche)でオルガン・コンサート《Sonare organo》を聴いた。

演奏は若いオルガニスト、Josef Laming。

そして楽器は、この教会に残る有名な Ebert-Orgel。ラーフェンスブルクのオルガン製作者 Jörg Ebert が製作し、1561年に完成した歴史的オルガンである。

今回のプログラムは、この古いオルガンそのものを祝うと同時に、16世紀から17世紀初頭にかけての鍵盤音楽を、ドイツ語圏、ネーデルラント、イングランド、イタリア、スペインと、ヨーロッパ各地から集めたものだった。

最初の曲から面白かった。

Jan Pieterszoon Sweelinck(1562–1621)の《Ballo del Granduca》。

スウェーリンクという名前には、個人的に少し懐かしいものがある。

今日演奏された曲とは別だが、昔、グレン・グールドの1959年のザルツブルク・リサイタルのCDを聴いたとき、コンサートの冒頭にスウェーリンクの《Fantasia in D》が置かれていた。シェーンベルク、モーツァルト、そして最後にはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》というプログラムなのだが、その最初がスウェーリンクだったのである。

その後、グスタフ・レオンハルトによるスウェーリンクの録音も聴いた記憶がある。

だからスウェーリンクは、私にとって、グールドの現代ピアノで知り、その後レオンハルトらの古楽演奏へと戻っていった作曲家の一人でもある。

そして今回は、インスブルックに残る1561年のオルガンで聴くことになった。

その《Ballo del Granduca》の背景がまた興味深い。

題名だけを見ると、スウェーリンク自身が作った舞曲のように思うが、この曲のもとになった旋律をたどると、1589年のフィレンツェへ行き着く。

この年、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチとクリスティーヌ・ド・ロレーヌの結婚を祝って、喜劇《La pellegrina》が上演された。そこで幕間に演奏された大規模なインテルメディオの音楽の一部を担当したのが Emilio de’ Cavalieri である。

スウェーリンクの《Ballo del Granduca》は、そのカヴァリエーリの音楽に由来する。

つまり、

1589年、フィレンツェのメディチ家の婚礼祝典
→ カヴァリエーリ
→ スウェーリンク

という道筋があるのである。

しかも、この旋律を取り上げたのはスウェーリンクだけではない。Kapsberger や Peter Philips など、各地の作曲家によって繰り返し取り上げられたという。

これはとても興味深い。

一つの王家の婚礼のために作られた音楽が、その祝典とともに消えてしまうのではなく、旋律だけが国境を越えて歩き始め、別の作曲家の作品の中で新しい生命を得ていく。

今日さらに調べていて、1616年にはインスブルックにもカヴァリエーリの楽譜があったという記述に出会った。

そうなると、フィレンツェで生まれた音楽が、アムステルダムやロンドンだけでなく、アルプスを越えてインスブルックにも届いていたという、ヨーロッパの音楽のネットワークが見えてくる。

プログラム冊子でも、フェルディナンド2世時代のインスブルック宮廷を、16世紀後半にイタリアの音楽や祝祭文化を積極的に受け入れた宮廷の一例として挙げていた。

この夏、チェスティと17世紀のインスブルック宮廷について調べてきたが、それより何十年も前から、ここにはイタリア音楽を受け入れる土壌があったということになる。

今回のプログラム全体も、そうした「音楽の移動」を感じさせるものだった。

Leonhard Kleber の《Fantasia in re, trium vocum》に続いて、匿名作品と Arnolt Schlick の二つの《Maria zart》が演奏された。

《Maria zart》というのは、15世紀末から16世紀初頭にかけて広く知られていたドイツ語の聖母マリア賛歌である。題名は歌い出しの「Maria zart, von edler Art」、おおよそ「やさしきマリアよ、高貴なる方よ」という意味の言葉から来ている。

この旋律は当時非常に人気があったらしく、さまざまな作曲家が取り上げている。なかでも有名なのが Jacob Obrecht の大規模な《Missa Maria zart》で、同じ賛歌の旋律をもとに巨大なミサ曲を作り上げている。

この日の演奏では、まず Kleber-Tabulatur に収められた作者不詳の四声の《Maria zart》、続いて Arnolt Schlick の《Maria zart》が演奏された。

同じ有名な旋律が、二つの異なる鍵盤作品へと姿を変える。その違いを続けて耳で確かめることができるわけで、このプログラムの考え方をよく示す組み合わせだったと思う。

1521年から1524年にかけて成立した、いわゆる Kleber-Tabulatur は、16世紀初頭のオルガン音楽を知るうえで重要な史料で、Ludwig Senfl、Antoine Brumel、Jacob Obrecht、Heinrich Isaac などの作品をオルガン用に移したものが多数含まれているという。

さらに Paul Hofhaimer によるとされる《Ain frewlich wesen》、Carl Luython の《Fuga suavissima》へと続く。

現在なら「声楽曲」と「オルガン曲」は別のジャンルとして考えがちだが、この時代には、声楽曲を鍵盤に移し、舞曲を鍵盤に移しながら、少しずつ鍵盤楽器独自の語法が育っていったらしい。

William Byrd の《Pavan》《The Galliard Jig》《The Maiden's Song》、Orlando Gibbons の《Prelude》と、イングランドの鍵盤音楽も演奏された。

プログラムの解説によれば、当時のイングランドの教会オルガンは Ebert-Orgel よりも一般に簡素で、大きなミクスチュアを持たず、「sweet sound」を特徴としていたという。いわゆるヴァージナル楽派の音楽も、ヴァージナルだけでなく、小型オルガンやレガールで演奏された可能性があるらしい。

レガール(Regal)というのは、ルネサンスから初期バロックにかけて使われた小型のリード・オルガンである。金属の舌を風で振動させて音を出すため、普通のオルガンとは少し違った、鼻にかかったような独特の響きを持つ。箱型で持ち運べるものも多く、宮廷や家庭での演奏、歌の伴奏などにも用いられた。つまり、当時の鍵盤音楽は、私たちが現在思い浮かべる「チェンバロ曲」「オルガン曲」という区分ほど、特定の楽器に固定されていたわけではなかったのである。

Tielman Susato の《La Danserye》から二つの Basse danse も、もともとは鍵盤楽器のための作品ではない。四つの楽器によるコンソートのための舞曲を、一台の鍵盤楽器へと移したものである。

ここでも「原曲」と「編曲」の境界は、私たちが考えるほど固くない。

Bartolomeo Tromboncino の三つのフロットラも面白かった。

これは Andrea Antico が1517年にローマで出版した《Frottole intabulate da sonare organi, libro primo》からのもの。歌だったフロットラが鍵盤楽器へと移されている。

しかもプログラム解説によれば、この曲集は、今日につながる右手用と左手用の二段の五線譜を用いた、ごく初期の鍵盤音楽印刷物の一つだという。

歌だったものがオルガンの音楽になる。

そして、そうした「移された音楽」を聴いているうちに、やがて鍵盤楽器そのものの語法が生まれてくる。

後半の Antonio de Cabezón の《Tiento del quinto tono》では、まだモテットを思わせる均衡のとれたポリフォニーが中心にある。その一方で、ときおり明らかに鍵盤楽器的なパッセージが現れる。

Christian Erbach の《Canzon noni toni》になると、Andrea Gabrieli や Claudio Merulo などヴェネツィア楽派の影響が強くなってくる。

そして最後が Samuel Scheidt の《Toccata super “In te Domine speravi”》。

Scheidt はスウェーリンクの弟子である。

曲の最初はモテットのような模倣的・対位法的な書法なのだが、しだいに鍵盤楽器ならではの細かな音型が増え、17世紀の新しいヴィルトゥオーゾ的な世界へ入っていく。

考えてみれば、一時間ほどの間に、

声楽曲や舞曲の鍵盤編曲
→ 声楽的なポリフォニー
→ 鍵盤楽器独自の語法
→ 17世紀的なヴィルトゥオジティ

という長い変化を聴いたことになる。

しかも、それを1561年に完成したオルガンで聴いている。

それでも私がいちばん興味を持ったのは、やはり冒頭の《Ballo del Granduca》だった。

最近、王家の婚姻と音楽との関係に関心を持っていることもある。

1589年の《La pellegrina》はメディチ家の婚礼。

この夏インスブルックで聴いたチェスティの《Il pomo d’oro》も、皇帝レオポルト1世とマルガリータ・テレーサの結婚を祝う巨大な祝祭オペラだった。

そしてヘンデルの《Atalanta》も、イギリス王太子フレデリックとオーガスタの結婚を祝うために作られた作品である。

王家の結婚は、単なる私的な慶事ではない。

大規模な祝典が催され、そのために新しい音楽が作られ、新しい舞台芸術が試みられる。いわば、新しい音楽を生み出す巨大な装置でもあった。

さらに《Ballo del Granduca》が教えてくれるのは、そこで生まれた音楽が婚礼の一夜だけで終わるとは限らないということだ。

フィレンツェで鳴った一つの旋律が、スウェーリンクに渡り、Kapsberger に渡り、Peter Philips に渡り、

ヨーロッパの各地で姿を変えていく。

考えてみれば、《Maria zart》にも、よく似たことが起きている。

一つのよく知られた旋律が、オブレヒトのミサになり、鍵盤用のタブラチュアになり、Schlick のオルガン曲になる。

音楽は、作品という完成された箱に閉じ込められていたのではなく、旋律そのものが人から人へ、都市から都市へ、声から楽器へと移動していたのである。

そして、その音楽の旅の途中にはインスブルックもあった。

古いオルガンを聴きながら、思いがけず、ヨーロッパの宮廷や都市を結んでいた音楽のネットワークを考える一時間になった。

 

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