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2026年8月21日 (金)

カルダーラのオラトリオ《ジョゼッフォ》

カルダーラのオラトリオ《ジョゼッフォ》を聴いた(インスブルック、ヴィルテン修道院)。

例によって街の外れの壮麗な修道院付属教会である。

正式な曲名は、アントニオ・カルダーラのオラトリオ《Gioseffo che interpreta i sogni(夢を解くヨセフ)》である。

題名の「Gioseffo」は旧約聖書『創世記』に登場するヨセフのことである。ヤコブの息子で、兄たちの嫉妬によってエジプトへ売られ、やがて牢獄に入れられる。しかし、夢を解釈する特別な能力によって運命を切り開き、最後にはファラオの側近にまで上り詰める。

このオラトリオが扱っているのは、その物語の中でも、とりわけ「夢の解釈」をめぐる部分である。

牢獄のヨセフ

第1部の舞台は牢獄である。

ヨセフと同じ牢に、ファラオに仕えていた二人の人物が入れられている。

一人は献酌官(Coppiere)、もう一人はパン職人長(Panattiere)である。二人はそれぞれ不思議な夢を見て、その意味をヨセフに尋ねる。

ヨセフは献酌官の夢について、三日後に元の職へ復帰すると予言する。一方、パン職人長については、三日後に処刑されると告げる。

そして、その予言はそのまま実現する。

ヨセフは釈放される献酌官に、自分のことをファラオに話してほしいと頼む。しかし献酌官は、自由になるとヨセフのことを忘れてしまう。

聖書では比較的簡潔に語られる場面だが、オラトリオになると、牢獄に置かれたヨセフの孤独や内省が大きく膨らまされている。ヨセフは単なる「夢占いのできる人物」ではなく、苦難の中にあっても神の摂理を信じ続ける人物として描かれるのである。

ファラオの夢

第2部になると、今度はファラオ自身が奇妙な夢を見る。

よく知られた、

七頭の肥えた牛が、七頭の痩せた牛に食べられる夢、

そして、

七つの豊かな穂が、七つの痩せた穂に呑み込まれる夢、

である。

誰もその意味を説明することができない。

ここで、かつて牢獄にいた献酌官がようやくヨセフの存在を思い出す。

ヨセフはファラオの前に呼び出され、夢の意味を、

「七年間の大豊作の後に、七年間の飢饉が訪れる」

と解釈する。

さらに、豊作の間に穀物を蓄えておくよう進言する。

この知恵に感服したファラオは、ヨセフを高い地位に取り立てる。

つまり、この作品の劇的な核は、

牢獄の囚人 → 夢の解釈者 → 王に認められた賢者

という大きな逆転にある。

1726年、ウィーン宮廷のオラトリオ

この作品は1726年、ウィーンのハプスブルク宮廷で演奏された。

カルダーラは当時、皇帝カール6世の宮廷で副楽長を務めていた。

カール6世は音楽に非常に造詣が深く、とりわけ対位法を好んだ君主として知られる。カルダーラは、イタリア的な美しい旋律と、ウィーン宮廷が好んだ厳格な対位法の双方を高い水準で組み合わせることのできる作曲家であった。

《夢を解くヨセフ》は、1726年3月28日、四旬節の時期にウィーン宮廷礼拝堂で演奏された。

したがって、これはオペラのような世俗的娯楽作品ではない。

たとえばチェスティの《黄金の林檎》が皇帝レオポルト1世の結婚を祝う巨大な祝祭オペラであったのに対し、《夢を解くヨセフ》は、宮廷の宗教生活と密接に結びついた作品なのである。

なぜ「ヨセフ」だったのか

ヨセフ物語は、宮廷で演奏される宗教作品の題材としても興味深い。

ヨセフは、最初は不当に苦しめられる。しかし最終的にはその知恵と徳が君主によって認められ、国を救う人物となる。

そこには、

苦難に耐える正しい人間が、最後には君主によって認められる

という物語がある。

これは君主制社会の宮廷で上演するには、非常に意味深い題材だったはずである。

実際、18世紀前半のウィーン宮廷ではヨセフを扱った宗教劇が繰り返し作られている。

カルダーラ自身も1722年に、アポストロ・ゼーノの台本による別の《Giuseppe》を作曲している。その後、1733年にはポルジーレが、メタスタージオの《Giuseppe riconosciuto》を作曲する。

ヨセフは、当時のハプスブルク宮廷にとってかなり重要な宗教的・政治的象徴だったのかもしれない。

30年以上前の台本

さらに面白いのは、この《Gioseffo che interpreta i sogni》の台本が、1726年にカルダーラのために新しく書かれたものではないことである。

台本作者はジョヴァンニ・バッティスタ・ネーリ。

この台本は少なくとも1692年にはすでにモデナで使われており、その時にはベネデット・ヴィナチェージが作曲していた。

つまりカルダーラは、30年以上前にイタリアで使われたオラトリオ台本を、改めてウィーン宮廷のために作曲したことになる。

17世紀末のイタリアのオラトリオ文化が、18世紀のハプスブルク宮廷にどのように受け継がれていたかを考える上でも興味深い。

音楽――声だけではない面白さ

音楽を聴いていて印象的なのは、単に

レチタティーヴォ

ダ・カーポ・アリア

という繰り返しだけではないことである。

対位法的な書法がかなり目立つし、オーケストラの音色も多彩である。

特に珍しいのが、シャリュモーやプサルテリウムといった楽器の使用である。

シャリュモーはクラリネットの祖先にあたる楽器で、柔らかく少しくぐもった音色を持つ。一方、サルテリオは弦を張った楽器で、独特の透明感を持っている。サルテリオの音を聴いて、昨年この音楽祭で聴いたヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》を思い出した。あの作品でも、第2幕末のジュスティーノのアリア《Ho nel petto un cor sì forte》で、サルテリオが独奏楽器として印象的に用いられていた。奇しくも《ジュスティーノ》は1724年、《夢を解くヨセフ》は1726年。ほぼ同時期のイタリア系オペラとウィーン宮廷オラトリオに、この珍しい楽器が現れることになる。

こうした音色の使い分けも、この作品を単なる宗教的な物語以上のものにしている。

また合唱の役割も大きい。

最後にはヨセフをキリストの「予型」として解釈する方向へ進んでいく。

つまり、

ヨセフの苦難

無実の人間の受難

救済

多くの人々を飢餓から救う

という物語が、

キリストの受難と救済

へと重ね合わされているのである。

旧約聖書の人物を、後に現れるキリストの姿を先取りする存在として読む。これはキリスト教の伝統的な「予型論」の考え方である。

約300年後の復活

この作品は長い間ほとんど忘れられていた。

近年になって再び楽譜が研究され、2024年にはアレッサンドロ・デ・マルキの指揮によって全曲が蘇演された。その成果は録音にもつながっている。歌手もその時と同じで、ジョセッフォ(ヨセフ)がマルゲリータ・マリア・サーラ、エジプトのファラオーネ(ファラオ)がルイジ・デ・ドナート。セデーチャがアリアンナ・ヴェンディテッリ。献酌官がエレオノーラ・ベロッチ。パン職人長がロッリエ・ガルシア。テスト(語り手)がマルコ・ボルジョーニ。サーラとデ・ドナート、ボルジョーニの歌唱は、カルダーラ特有のフレーズが伸びたときに不思議な旋回をみせるメロディの歌いにくさをものともせず、音楽世界にわれわれを惹きつけた。

今回インスブルックで聴いた公演も、その再発見の流れの中にある。

つまり、われわれが今聴いているのは、バロック時代には確かに存在したものの、その後約300年にわたってほとんど演奏されなくなっていた音楽なのである。

こういう作品を実際の演奏として聴くことができるのは、インスブルック古楽音楽祭ならではの楽しみの一つだろう。

そして今回チェスティと17世紀インスブルック宮廷を調べている自分にとっては、別の意味でも興味深かった。

チェスティの時代から約70年後、ハプスブルク宮廷と音楽家との関係はどう変わっていたのか。

チェスティとフェルディナント・カール、そしてカルダーラとカール6世。

作品そのものを楽しむ一方で、その背後にある「宮廷と音楽家」という関係まで考えてみると、この《夢を解くヨセフ》はさらに面白く聞こえてくるのである。

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