Un giro d'Italia という名の音楽会
giro d'Italia と言えば、トゥール・ドゥ・フランスとならぶ、自転車レースが思い浮かぶが、これはれっきとした音楽会である(インスブルック、アンブラス城、スペインの間)。
ここでいうイタリア周遊は、チャールズ・バーニーの旅路を意味しているのだ。コンサート前に指揮者兼チェンバロのキアラ・カッターニ(敬称略以下同様)が語ったところによると、今年がインスブルック古楽音楽祭50周年なので、コンサート自体も何かの記念になるようにしたかったとのこと。チャールズ・バーニーは今年生誕300年なのだそうだ。チャールズ・バーニーは1770年代にヨーロッパ諸国をめぐり、行った先で、作曲家にあったり、コンサートやオペラを観たりして、それを旅行記のように何冊もの本として記録にとどめた人である(日本語訳もある)。
当夜のコンサートはその中でイタリアの諸都市とそれにちなんだ音楽を紹介するという形のプログラムだった。音楽は、pre-classical とか early classical と呼ばれる時代で、バロックからウィーン古典派への移行期、さまざまな作曲家がさまざまな試行錯誤をしていた時期で、今回まとまって聴いてみると、実に豊かな音楽世界が広がっていて、それはいまだ十分に古楽の世界でも、いわゆるクラシックの世界でも復権を遂げていないことがわかる。
最初に取り上げられたのは、トリノ。作曲家はガエターノ・プニャーニ(1731−1798)。シンフォニーが演奏されたが、作曲家も筆者には初めてで新鮮な響きだった。
次はナポリ(1)でニッコロ・ヨンメッリ(1714−1774)。オペラ《デモフォオンテ》から 'Sperai vicino il lido' をこの日の独唱者アリアンナ・ヴェンディテッリが歌った。
そしてボローニャ(1)で、マルティーニ神父のチェンバロとホルンのためのコンチェルト。マルティーニ神父は名前は有名だが、彼の作曲したものを聴く機会は初めてかもしれない。他の同時代の作曲家に比して、極めてドライで、感情移入を誘われない。ところどころに一風変わったフレーズがあったりはするのだが、良くも悪くもセッコなのである。淡々としたハイドンの曲を思わせなくもない。
ヴェネツィア(1)のバルダッサーレ・ガルッピ(1706−1785)。オペラ《Amor lunatico》から 'Quante cosette belle'.
ナポリ(2)はジョヴァンニ・パイジェッロ(1740−1816)で《Le trame per amore》から 'Soffro per or quel duolo'
ここで休憩になったが、ここまでのところでも、耳に馴染んでいる曲は一つもなかったが、それぞれ実に異なる魅力を発揮していて、これが埋もれた状態なのは実にもったいないという気がした。
ミラノはヨハン・クリスティアン・バッハ(1735−1782)のシンフォニー。これはこの日一番暗い情熱をたたえた曲で、調べてみると疾風怒濤期に書かれたものだった。
ヴェネツィア・ボローニャ(2)ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699-1783)の《アルタセルセ》から 'Per questo dolce amplesso'と'Parto, qual pastorella' およびW.A.モーツァルト(1756-1791)のディヴェルティメント。
最後はナポリ(2)ニッコロ・ピッチンニ(1728−1800)の《Gelosia per gelosia》から 'Numi, perche quel giorno' と'Qual parlare e mai questo!...Ah, se morir degg'io'
鳴り止まぬ拍手にこたえて、アンコールの1曲目はグルックのオペラ・セリアからのアリア。
2曲目は、ヴィヴァルディの《勝利のユーディト》からバガオスが歌う復讐の歌。これは2年前に全曲が上演された。
そしてもう1曲ヴィヴァルディの《ウティカのカトーネ》からスローなアリアでこの夕べを締めくくった。
アンコールはともかく、プログラムの本体は、バロックから次の時代にかけての、多様な可能性を探りつつあった豊穣さを垣間見せてくれた。これらの作曲家のオペラ全体をぜひ観てみたいと思った。
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