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2026年8月10日 (月)

《黄金の林檎》その3

チェスティ作曲、ズバッラ台本のオペラ《黄金の林檎》は、ハプスブルクの威信・栄光をかけた上演だったのだが、初演の日時は予定より遅れに遅れた。

そもそもこのオペラは皇帝レオポルト1世とスペインの王女マルガリータ・テレーサの結婚を記念してのオペラだった。ハプスブルクは近親結婚が多いので、マルガリータ・テレーサはレオポルトの従姉妹であり、姪であった。この結婚の意味は、スペイン系ハプスブルクとウィーン系ハプスブルクが結合することにより、スペインの王位継承権をウィーン側が強化することにあったと言えよう。このオペラ上演のためにコルティナ劇場というのを宮廷内に建造したのだが、花嫁の到着時に完成をしていなかったので、上演は先延ばしになった。結婚自体は1666年に執り行われた。

ところが、劇場が完成しても《黄金の林檎》はすぐには上演されなかった。翌1667年にはレオポルト1世の誕生日に合わせる案もあったが、これにも間に合わない。さらに皇帝夫妻に最初の男子フェルディナント・ヴェンツェルが誕生すると、その誕生祝いとして1667年から68年にかけての冬に上演することになった。ところが、この皇子が1668年1月、生後わずか数か月で亡くなってしまう。当然ながら祝賀オペラどころではなくなり、またしても上演は延期された。

結局、初演が実現したのは結婚から一年半以上たった1668年7月12日、今度はマルガリータ・テレーサの17歳の誕生日を祝うという名目であった。しかもあまりに巨大な作品なので一晩では収まらず、12日にプロローグと第1・第2幕、14日に第3幕から第5幕までと、二晩に分けて上演された。会場はようやく完成した宮廷の「コルティナ劇場(Hoftheater auf der Cortina)」である。

しかし、上演の名目が結婚から誕生日へと変わっても、作品の中身は徹頭徹尾、皇帝夫妻の結婚とハプスブルク家の栄光を讃えるためのものである。プロローグには「オーストリアの栄光(Gloria austriaca)」を筆頭に、「帝国(Imperio)」「スペイン王国(Monarchia di Spagna)」、さらにハンガリー、ボヘミア、ドイツ、イタリアなどが擬人化されて登場する。つまり幕が開く前から、これは単なるギリシア神話のオペラではなく、ヨーロッパを覆うハプスブルク世界そのものを舞台上に可視化しようとする祝祭なのである。

本編は、よく知られた「パリスの審判」の物語を出発点とする。不和の女神が投げ込んだ「最も美しい女神へ」と記された黄金の林檎をめぐって、ユノー、パッラデ、ウェヌスが争い、トロイアの王子パリーデがウェヌスを選ぶ。ここまでは神話通りなのだが、《黄金の林檎》はそこで終わらない。三女神の争いから地上と天上を巻き込む大騒動が繰り広げられた末、最後には最高神ジョーヴェ自身が黄金の林檎をマルガリータ・テレーサに捧げるのである。つまり、ユノーにも、パッラデにも、ウェヌスにも与えられなかった「最高の美」の栄誉を、現実の皇妃マルガリータが受け取る。神話世界そのものが、最後にはハプスブルクの若い皇妃を讃えるために跪く仕掛けになっているわけだ。

そう考えると、この途方もなく長大なオペラが、なぜこれほど多数の神々、風、復讐の女神、三美神、冥界の神々、さらにはアテネやトロイアの人々まで総動員するのかも分かってくる。物語を簡潔に語ることが目的なのではない。天上界も、冥界も、自然界も、人間世界もすべて舞台に呼び出し、それらを最終的にハプスブルク皇帝夫妻の栄光へと収斂させる。その「過剰さ」そのものが、この作品の意味なのである。

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