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2026年8月15日 (土)

王宮公園の「青い時間」――中世の夜から暁へ

再再度、東屋コンサート(インスブルック、王宮庭園)。

これは前項と同日ながら、夜9時半からのコンサート。夏時間とはいえ、さすがに真っ暗で、足下に設置された灯りを頼りに、公園の入り口から東屋までを探るように歩く。

このコンサートは1300年代や1400年代の音楽を紹介するもので、楽器自体がリコーダーの仲間を除けば、普段、古楽の音楽会でも見かけぬものばかりだった。音楽祭の公式プログラムでも、リコーダー、Doppelflöte、ハープ、Douçaine、Drehleier、Organetto、Dulcimer、Salterio、歌、打楽器という、なんとも珍しい編成が並んでいる。(altemusik.at)

笛で珍しいのは Doppelflöte(ドッペルフレーテ、二重フルート)

二本の管を一本の奏者が同時に吹く楽器で、この日使われた中世型のものは、二本のリコーダーを横に並べて一体化したような姿をしている。奏者は一つの口で二本に同時に息を送り、左右の管を別々に指で操作する。したがって一人で二声を鳴らすことができる。Anne-Suse Enßle が実際に演奏している復元楽器では、左右それぞれの管に指孔があり、片方だけを単なる持続音にするのではなく、二本とも旋律的に動かすことができる。(flute-a-bec.com)

もう一つ目を引くのが Drehleier(ドレーライアー)、英語でいうハーディ・ガーディ。

これは弓で弦を擦るかわりに、横についたハンドルをくるくる回す。すると内部の木製の円盤が弦を擦り続ける仕組みになっている。さらに一定の音を持続させるドローン弦があるため、「ブーン」という低い音の上に旋律が乗る。いかにも中世らしい、少しざらついた独特の響きがする。

Organetto(オルガネット) は小さな携帯オルガン。

膝の上に載せられるほどの大きさで、片手でふいごを動かしながら、もう一方の手で鍵盤を弾く。中世や初期ルネサンスの絵画で、天使が抱えている小さなオルガンを見たことがある人もいるかもしれない。まさにあれである。

Dulcimer(ダルシマー) は、箱に何本もの弦を張り、小さな撥で叩いて音を出す楽器。遠い意味ではピアノの祖先の一つともいえる。細かな音がキラキラと飛び散るように響く。

一方、Salterio(サルテリオ) も箱型の多弦楽器だが、こちらは指や撥で弦をはじく。もっとも、中世の楽器名は現代のようにきっちり分類されているわけではないので、ダルシマーとサルテリオの境界もそれほど単純ではない。

そして Douçaine(ドゥセーヌ)

これはダブルリードの管楽器で、ショームの仲間と考えればよい。ただしショームのような強烈な音ではなく、名前の通り、より柔らかな音を出す楽器である。

こうした楽器を二人の奏者が次々に持ち替えていく。

Anne-Suse Enßle がリコーダー、二重フルート、ハープ、ドゥセーヌ。Philipp Lamprecht がハーディ・ガーディ、オルガネット、ダルシマー、サルテリオ、歌、打楽器を担当する。

たった二人なのだが、目の前に現れる音色は驚くほど多彩である。(altemusik.at)

コンサートのタイトルは 《Die blaue Stunde》――「青い時間」

「青い時間」とは、日が沈んでから完全な夜になるまでの、空が深い青色に染まる時間のことだが、プログラム全体にはさらに 《Nox et alba》――「夜と暁」 という題がつけられていた。

つまり、夕暮れの青い時間から始まり、夜が深まり、最後には朝の光が訪れるまでを音楽でたどっていく。

中心になるのは、中世の Alba(アルバ)、ドイツ語で Tagelied(夜明けの歌) と呼ばれる歌である。

一夜をともに過ごした恋人たち。

しかし朝が近づいてくる。

朝が来れば、二人は別れなければならない。

私たちには「夜明け」は希望や新しい始まりの象徴に思えるけれども、この種の恋愛歌ではむしろ逆である。夜こそ恋人たちが一緒にいられる時間で、朝の光はその幸福な時間の終わりを告げる。

このあたりが、いかにも中世らしくて面白いし、日本の後朝の別れを想起させる。

演奏されたのは、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、ジラウト・デ・ボルネーユ、オズヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタイン、それに「ザルツブルクの修道士(Mönch von Salzburg)」と呼ばれる作者などの作品。

中世の音楽だからといって、すべてが荘重で静かなわけではない。

ハーディ・ガーディや打楽器が鳴れば、かなり土臭く、踊りたくなるような音楽にもなる。一方で、リコーダーやハープだけになると、一転して夜の空気の中に音が吸い込まれていくような静けさが生まれる。

プログラムの最後には、ザルツブルクの修道士による《Gar leis in senfter weis》が置かれていた。

これも夜明けの歌で、愛する女性をやさしく目覚めさせる歌である。公式の解説によれば、この曲で、長い夜をたどってきたプログラムに最初の朝の光が差す、という仕掛けになっている。(altemusik.at)

昼の1時には、まったく同じ東屋で、18世紀ドイツのリコーダー・ソナタを聴いた。

それから八時間半。

今度は真っ暗な公園の中で、ハーディ・ガーディや小さなオルガン、二重フルートを聴きながら、さらに三百年、四百年も昔へと遡っていく。

同じ場所なのに、昼とはまるで別世界であった。

こういう音楽は、立派なコンサートホールの中で聴くよりも、暗い木立に囲まれた東屋で聴くほうが、ずっと似合っているような気がした。



 

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東屋のコンサート(2)

再び王宮公園の東屋のコンサートへ。
もちろん、演奏団体も異なるし、曲目も、以前のとは異なる。

13時からのコンサートは無料で市民に開かれているのだが、ぎりぎりに行ったら、空席がなく、一時間立ち見(立ち聴き)とあいなった。ちょいと疲れた。しかし立ち見の人は結構いて、座席は満席だったのだからめでたい。観客は老若男女とりまぜているが、ややシニア層が多い。

演奏団体は Acanthus Baroque. 2021年設立とのこと。フラウト(縦笛)がMagdalena Spielman. ヴァイオリンが Christophe Mouralt. チェロが Szczepan Dembinski. チェンバロがSobin Jo.

曲目は、
Johann Jakob Kress:《6つのソナタ》より ソナタ第5番 ト長調
  Siciliana – Allegro – Sarabande – Gigue
作者不詳:《トリオ・ソナタ ヘ長調》
  Adagio – Vivace – Adagio – Chaconne

Johann Casper Ferdinand Fischer 
     Chaconne 《Euterpe》fur Cembalo solo

J.S.Bach
  《トリオ・ソナタ ハ長調 BWV 1032》

もう一度 Johann Jakob Kress:《ソナタ第6番 》

Georg Philipp Telemann:《ソナタ ハ長調》TWV 41:C5

Jacob Scheiffelhut:《Partie VI 変ロ長調 Op.5》

つまり、昨日の東屋コンサートは、リコーダーのマグダレーナ・シュピールマンを中心に、18世紀前半のドイツ語圏のリコーダー音楽を集めたプログラムだった。最初に演奏されたのは、ヨハン・ヤーコプ・クレス(1685頃–1728)のソナタ。クレスはダルムシュタット宮廷でコンサートマスターを務めた音楽家だが、今日ではほとんど忘れられている。そのリコーダー作品は近年あらためて掘り起こされつつあり、この日演奏されたソナタ第5番も、Acanthus Baroque が今年2026年に世界初録音したばかりの作品だった。

 




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スウェーデン女王クリスティーナと題された音楽会

スウェーデン女王クリスティーナと題する音楽会を聴いた(インスブルック、大聖堂)。 この大聖堂にはクラナッハの聖母子像が安置されていて、往時は、巡礼の対象でもあったようだ。 クラナッハは不思議な人で、ルターの友人で、彼の活動を様々に助けた人でもあるのだが、その聖母子像はカトリックの側から珍重され、インスブルックやインスブルックの周辺の村でもクラナッハの聖母子像あるいはそのコピーがありがたがられ、それが巡礼の対象となっていたりしたのだ。 インスブルックは、ハプスブルク家が支配していたからカトリックの牙城の一つであるわけだが、そこにスウェーデン女王クリスティーナがやってきたのは1655年11月のことだった。 プロテスタント国の国王だったクリスティーナは改宗のために王位を自ら譲り、ローマに向かうのだが、その途中でインスブルックに立ち寄り、公にカトリックであることを宣言した。それを記念した儀式がいくつも模様されたが、その一つがチェスティ作曲のオペラ《アルジーア》の上演だった。その後、クリスティーナはローマに行き大歓迎され、正式には退位した女王なのだが女王となのりつづけ、小さな宮廷というかサロンを開き、そこにローマの貴族や芸術家が通うことになるのだった。

さてこの日のプログラムは、クリスティーナの波瀾に富んだ生涯を、いくつかの場面に分けて音楽でたどるという趣向になっていた。

最初はまだスウェーデン女王であった時代、すなわち戴冠から退位までである。アンドレ・ダニカン・フィリドールに伝えられる《ラ・スエドワーズ(スウェーデン女)》に続いて、グスタフ・デューベンの《来たり給え、聖霊よ(Veni Sancte Spiritus)》、そしてジャコモ・カリッシミの《来たれ、キリストの花嫁よ(Veni Sponsa Christi)》が演奏された。クリスティーナの戴冠式で実際にどのような音楽が演奏されたのかはよく分かっていないので、ここは彼女を取り巻いていた音楽世界を再構成したものということになる。その華やかな世界が、1654年の退位に結びつけられた《Fader War》によって一転する。王冠を自ら手放し、祖国を離れていくところから、クリスティーナの第二の人生が始まるのである。

そして次の舞台が、まさにこのインスブルックだった。

アントニオ・ベルターリの《ミサ・アルキドゥカリス(Missa Archiducalis)》から、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイが演奏された。ベルターリはウィーンのハプスブルク宮廷を代表する作曲家である。クリスティーナの改宗が個人的な信仰の問題であるだけでなく、ハプスブルク家にとって大きな宗教的・政治的祝祭でもあったことが浮かび上がってくる。

しかし旅はここでは終わらない。クリスティーナはアルプスを越えてローマへ向かい、その後1657年にはフランスを訪れてルイ14世の宮廷にも姿を現す。そこでプログラムはフランス音楽へと転じ、アンリ・デュ・モンの《Pulsate tympana》などが演奏された。北欧からハプスブルクのインスブルックへ、さらにフランスへ――クリスティーナの移動とともに、音楽の様式そのものも変わっていくのである。

そして最後に到着するのがローマだった。

王国を持たない「女王」となったクリスティーナは、ここで詩人や画家、音楽家を集め、自らの周囲に一種の宮廷ともサロンともいうべき文化的な空間を作り出した。ストラデッラ、パスクィーニ、コレッリなど、17世紀後半のローマ音楽を代表する人々とも深く関わっていく。そのローマ時代を象徴するものとして置かれていたのが、クリスティーナが庇護した作曲家の一人、アレッサンドロ・メラーニの《レクイエム》だった。プログラムではそのイントロイトゥスとセクエンツィアが取り上げられた。メラーニのこの作品は現在、ミュンスターのサンティーニ・コレクションに伝えられている。

こうして見ると、この日の曲目は単なる「クリスティーナゆかりのバロック音楽集」ではない。スウェーデンの女王から、王冠を捨てた旅人へ、そして最後にはローマの芸術世界を動かすパトロンへ――一人の女性の人生そのものを、土地と音楽様式を次々に変えながら追っていくプログラムなのである。

演奏したのは、ジャン=バティスト・ニコラ指揮のヴェルサイユ王立歌劇場管弦楽団を中心とするアンサンブル。独唱には、クリスティーナと同じスウェーデン出身のメゾソプラノ、マレーナ・エルンマンが加わった。この人選もまた、この音楽会にはなかなか似つかわしかった。

アンコールも、この音楽会の旅をもう一度たどり直すようで面白かった。最初はスウェーデンの民謡を、エルンマンが伴奏なしのア・カペラで歌った。そこから一転して、チェスティのオペラ《アルジーア》から一曲。クリスティーナがカトリックへの改宗を公にした1655年のインスブルックで上演された、まさにそのオペラである。そして最後はラモーの《優雅なインドの国々》の一曲。ここまで来るとオーケストラのメンバーも実に楽しそうで、荘重な宗教音楽から始まった演奏会が、最後には舞曲の軽やかさの中で解き放たれていくようだった。

それにしても、こうしてポリフォニー音楽をまとまって聴いていると、いつも不思議な感じがする。

もちろんこれは私の個人的な感覚なのだが、ルネサンスのポリフォニーには、個々の作品や作曲家の個性を越えて、何かひとつの高貴な響きがあるように思える。パレストリーナであれ、ヴィクトリアであれ、あるいはもう少し前の世代であれ、何本もの声部が互いに支え合いながら進んでいく音楽を聴いていると、誰か一人が前面に出て「私」を語っているという感じがしない。それぞれの声は独立しているのに、そのどれもが全体の中に溶け込んでいる。音楽がどこかへ向かって劇的に進んでいくというより、その場にひとつの音響空間が立ち現れるようでもある。

それに較べると、17世紀、18世紀、そして19世紀の音楽は、はるかに人間臭い。旋律が前面に出て、喜び、悲しみ、怒り、恋、嫉妬といった感情を直接こちらに訴えかけてくる。もちろんバッハやモーツァルトやベートーヴェンの音楽を「通俗的」と呼んでしまえば乱暴なのだが、それでもルネサンスのポリフォニーと並べて聴くと、後の音楽には聴き手を喜ばせ、驚かせ、感動させようとする身振りがずっと強く感じられる。

では、あれほど精妙で完成されたポリフォニーの世界から、なぜ人々は1600年前後を境に、まるで雪崩を打ったように離れていったのだろう。

おそらく、ポリフォニーが行き詰まったからではない。むしろ逆で、あまりにも高度に完成してしまったからなのかもしれない。

十六世紀末になると、複数の声部を対等に組み合わせる技法は驚くほど洗練されていた。しかし、その完璧さと引き換えに、音楽は一人の人間の言葉や感情を直接表現するには不向きでもあった。何人もの声が同時に別々の旋律を歌えば、言葉そのものはどうしても聞き取りにくくなる。ましてオペラのように、「この人物が、いま、この瞬間に、こう感じている」と示そうとすれば、ひとつの声が前面に立つほうがはるかに都合がよい。

そこで十六世紀末から十七世紀初めにかけて、独唱と通奏低音を中心とするモノディーが現れる。声はもはや複雑な網の目の一部ではなく、一人の人物の声になった。旋律を支える低音があり、その間を和音が満たす。ここからレチタティーヴォが生まれ、オペラが生まれ、やがて調性音楽の巨大な世界が育っていく。

つまりこれは、単なる音楽技法の交代ではなかったのだと思う。

音楽の中心が、「世界の秩序を響かせること」から、「一人の人間が何を感じ、何を語るか」へ移っていった、と考えることもできる。

そう考えると、1600年前後という時期がいっそう興味深く見えてくる。ルネサンスのポリフォニーが、人間を越えた秩序を思わせる音楽だったとすれば、その後に登場したオペラは、これ以上ないほど人間中心の芸術だった。そこでは人間が愛し、怒り、嫉妬し、嘆き、時には神々さえ人間と同じように欲望する。

だから人々がポリフォニーを「捨てた」というよりも、音楽によって表したいものそのものが変わったのではないだろうか。

もちろんポリフォニーそのものが消滅したわけではない。教会音楽の中では生き続けたし、バッハに至れば、古い対位法の世界と新しい調性の世界が驚くべき形で再び結びつく。しかし音楽史の大きな流れとしては、十七世紀以後、聴き手の耳は次第に「幾つもの声が共存する世界」よりも、「ひとつの声が何かを語る世界」に惹きつけられていった。

それが進歩だったのかどうかは、私にはよく分からない。

ポリフォニーを長く聴いたあとでバロックの華やかな音楽を聴くと、後者のほうがずっと身近で、楽しく、劇的である一方で、何か大切なものを失ったようにも感じるのである。



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2026年8月11日 (火)

ボニタティブスのリサイタル

インスブルック郊外のアンブラス城のスペインの間でアンナ・ボニタティブスのリサイタルを聴いた。
音楽会自体のタイトルは  A Tribute to Alan となっているのだが、アランは指揮者のアラン・カーティスのことだ。
ボニタティブスは、ある劇場で端役を歌っているときに、観客の中にいたアラン・カーティスが彼女の資質・才能を見抜き、その場でコンタクトをとって抜擢したのだという。ボニタティブスは、そうしてアラン・カーティスのもとでバロック・オペラに関して薫陶を受けたということなのだろう。
伴奏は、オッタヴィオ・ダントーネの指揮・チェンバロで、アッカデーミア・ビザンティーナ。フルメンバーではなく、10人か11人ほど。このホールだとこの人数でちょうどよい。フォルテでは十分音が鳴り渡る。また、彼らの表現力の幅が広く、表現のパレットの色数が多いので、むしろ少人数でテクスチャーが見える長所が活かされていたと言ってよいだろう。
最初はヘンデルのコンチェルト・グロッソ2番だったが、普段聴いているのと違う曲に聞こえるほど、楽曲の細部がニュアンスに富み、活力にみちたリズムを生みだしていた。単に切れ味がいいだけでなく、ヴァイオリンは高らかに歌うかと思えば、ソフトな弱音で、ささやくようにも歌う。かと思えば力強い全奏がざっざっと刻まれたりもする。だれるところがまったくなかった。
次はヘンデルの《ロドリーゴ》から'Siete assai superbe, o stelle' 《ロドリーゴ》は初演(1707年)がフィレンツェのココーメロ劇場なのであった。ココーメロ劇場はメディチ家の庇護も受けてはいるがアッカデーミア・インフオカーティが運営している劇場で、なかなか劇場の性格が複雑である。
次はヘンデルのロンドン時代のオペラの最後《デイダミア》(初演1741年)からウリッセのアリア’No, quella belta non amo'.この2曲でボニタティブスは、アジリタの妙技を開陳し満場の喝采をさらっていたが、彼女らしい知的なプログラムで、ヘンデルのイタリア留学時代つまり初期のオペラからオペラとしては最後のオペラまでを見渡せる構成となっている。
ついで、Alessandoro Scarlatti 。スカルラッティがローマのルスポリ侯のために書いたオラトリオ《Il giardino di rose》から序の部分の器楽と希望が歌うアリア’Mertr'io godo in dolce oblio'. このオラトリオは1707年でさっきの《ロドリーゴ》と同じ年だが、この時チェンバロを弾いていたのは若きヘンデルで、歌っていたのはこの時代の名歌手でルスポリ侯おかかえのマルゲリータ・ドゥラスタンティであったと言ってほぼ間違いない。このオラトリオは表面的には慈愛、宗教、北風といった寓意的な登場人物が出てくるのだが、実はそれがスペイン継承戦争時の政治情勢を反映したプロパガンダ的作品でもあるのだ。ヘンデルとの関係一つとっても考え抜かれたプログラム!

ここで休憩。
指揮・チェンバロのダントーネは聴衆がいる前庭にやってきて、気軽にわれわれとも話してくれるのだった。演奏会の休憩でこちらにやってくる人は珍しい。そもそもこの日のコンサートも翌日・翌々日は《黄金の林檎》上演が控えているのだから、エネルギッシュというかタフなことに驚かされる。しかも演奏はすみずみまで音楽的な配慮、表現意欲に満ちていて、流しているというようなものでは全くないのだ。

後半
パーセルの《ダイドーとエネアス》(1689)の 'Thy hand, Bellinda--When I am laid in earth'. 死を覚悟したダイドーの私を忘れないで、という歌。下降音型にのって、せつせつと歌われる。愛するエネアスを諦めざるをえない、ならば死を、という誇り高きカルタゴの女王。こちらはアジリタとはまったく異なる叙情的歌を格調高く歌うボニタティブスがいた。
そしてグルック。《パリデとエレナ》(1770)から’Le belle immagini'. これは素材が《黄金の林檎》と同じだからということもあるのだろうし、パーセルとグルックでヘンデルの前と後のパースペクティヴを示しているとも言えるし、カーティスのレパートリーの広さをしめしてもいよう。
ジェミニアーニのコンチェルト・グロッソ第6番。これも意欲的な演奏で、立体的表現と言えばよいのか、柔らかい表情から、研ぎ澄まされた表現まで自由自在に繰り広げられ、こんなに魅力的な曲だったのか、と。
ヴィヴァルディから2曲。《ジュスティーノ》から'Sento in seno ch'in pioggia di lagrime'. これまた叙情的な曲なのだが、ボニタティブスとダントーネは十二分に叙情的でありながら、様式感が崩れることはまったくない。
《忠実なるニンフ》から'Alma oppressa sorte crudele' これは、アジリタも驚異的であり、かつ、どんどん盛り上がって、歌もオケもスイングしていた。ヴィヴァルディの音楽にはそういう音楽的快感を内側から引き出すように書かれているのである。
満場の轟く拍手に応えてアンコールが数曲あったが、ヘンデルの《アグリッピーナ》(1709)は先述の歌手ドゥラスタンティがタイトルロールでヘンデルがヴェネツィアで大成功をおさめたオペラである。歌も見事だが、プログラムもアンコールまで含めて実に見事。最後はヴィヴァルディのオペラから眠りの歌(これでアンコールはおしまいという意味だろう)で、歌い終わったあとに ’grazie, Alan' と言って終わったのだった。
ボニタティブスはありあまる実力がありながら、納得のいかない演出には出ないようなので、知る人ぞ知る歌手になってしまっているかもしれないが、実に充実したコンサートだった。歌の曲芸的なスリルから叙情性、様式感、歌の品格、すべてを思う存分味わえた。ダントーネとの信頼関係も厚いものがあるのだろう、この音楽祭の若手コンクールの前段階のマスタークラスはボニタティブスに委ねられているのだ。

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2026年8月10日 (月)

《黄金の林檎》その3

チェスティ作曲、ズバッラ台本のオペラ《黄金の林檎》は、ハプスブルクの威信・栄光をかけた上演だったのだが、初演の日時は予定より遅れに遅れた。

そもそもこのオペラは皇帝レオポルト1世とスペインの王女マルガリータ・テレーサの結婚を記念してのオペラだった。ハプスブルクは近親結婚が多いので、マルガリータ・テレーサはレオポルトの従姉妹であり、姪であった。この結婚の意味は、スペイン系ハプスブルクとウィーン系ハプスブルクが結合することにより、スペインの王位継承権をウィーン側が強化することにあったと言えよう。このオペラ上演のためにコルティナ劇場というのを宮廷内に建造したのだが、花嫁の到着時に完成をしていなかったので、上演は先延ばしになった。結婚自体は1666年に執り行われた。

ところが、劇場が完成しても《黄金の林檎》はすぐには上演されなかった。翌1667年にはレオポルト1世の誕生日に合わせる案もあったが、これにも間に合わない。さらに皇帝夫妻に最初の男子フェルディナント・ヴェンツェルが誕生すると、その誕生祝いとして1667年から68年にかけての冬に上演することになった。ところが、この皇子が1668年1月、生後わずか数か月で亡くなってしまう。当然ながら祝賀オペラどころではなくなり、またしても上演は延期された。

結局、初演が実現したのは結婚から一年半以上たった1668年7月12日、今度はマルガリータ・テレーサの17歳の誕生日を祝うという名目であった。しかもあまりに巨大な作品なので一晩では収まらず、12日にプロローグと第1・第2幕、14日に第3幕から第5幕までと、二晩に分けて上演された。会場はようやく完成した宮廷の「コルティナ劇場(Hoftheater auf der Cortina)」である。

しかし、上演の名目が結婚から誕生日へと変わっても、作品の中身は徹頭徹尾、皇帝夫妻の結婚とハプスブルク家の栄光を讃えるためのものである。プロローグには「オーストリアの栄光(Gloria austriaca)」を筆頭に、「帝国(Imperio)」「スペイン王国(Monarchia di Spagna)」、さらにハンガリー、ボヘミア、ドイツ、イタリアなどが擬人化されて登場する。つまり幕が開く前から、これは単なるギリシア神話のオペラではなく、ヨーロッパを覆うハプスブルク世界そのものを舞台上に可視化しようとする祝祭なのである。

本編は、よく知られた「パリスの審判」の物語を出発点とする。不和の女神が投げ込んだ「最も美しい女神へ」と記された黄金の林檎をめぐって、ユノー、パッラデ、ウェヌスが争い、トロイアの王子パリーデがウェヌスを選ぶ。ここまでは神話通りなのだが、《黄金の林檎》はそこで終わらない。三女神の争いから地上と天上を巻き込む大騒動が繰り広げられた末、最後には最高神ジョーヴェ自身が黄金の林檎をマルガリータ・テレーサに捧げるのである。つまり、ユノーにも、パッラデにも、ウェヌスにも与えられなかった「最高の美」の栄誉を、現実の皇妃マルガリータが受け取る。神話世界そのものが、最後にはハプスブルクの若い皇妃を讃えるために跪く仕掛けになっているわけだ。

そう考えると、この途方もなく長大なオペラが、なぜこれほど多数の神々、風、復讐の女神、三美神、冥界の神々、さらにはアテネやトロイアの人々まで総動員するのかも分かってくる。物語を簡潔に語ることが目的なのではない。天上界も、冥界も、自然界も、人間世界もすべて舞台に呼び出し、それらを最終的にハプスブルク皇帝夫妻の栄光へと収斂させる。その「過剰さ」そのものが、この作品の意味なのである。

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Stiftskirche Wilten で日曜ミサ

今日は、インスブルック旧市街から少し南にある Stiftskirche Wilten(ヴィルテン修道院教会)へ。

ここはプレモントレ会(Prämonstratenser)の Stift Wilten(ヴィルテン修道院)の中心となる教会。修道院の歴史は12世紀に遡り、1128年頃にプレモントレ会士が入り、1138年には教皇インノケンティウス2世によって正式に確認されたという、インスブルックでも非常に古い宗教施設である。

現在の修道院教会は、インスブルックの宮廷建築家 Christoph Gumpp と Anton Gumppによって、イタリア・バロック建築を手本として造られたもの。内部は全長約60メートル。白い漆喰装飾とフレスコ画、それに黒と金を基調とする祭壇が組み合わされ、華やかでありながらどこか厳粛な雰囲気をもっている。漆喰装飾は1702~07年に Bernardo Pasquale とその工房によって施されたという。

今日8月9日は Laurentisonntag(聖ラウレンティウスの日曜日)。19時からのミサは Innsbrucker Festwochen der Alten Musik(インスブルック古楽音楽祭) の一環でもあり、モーツァルト《ミサ曲 ハ短調》K.427Capella Wilthinensis によって演奏された。

バロックの修道院教会で、コンサートとしてではなく、実際の典礼の中でモーツァルトのミサ曲を聴く。ミサ曲の本来の接し方である。
昨年ここで聴いたのは、ヴィヴァルディとほぼ同時代を生きたゼレンカの《Missa votiva》。バロックらしい華麗さと壮麗さが教会いっぱいに広がる、まばゆいほどの音楽だった。それに対して今年は、モーツァルトの《ハ短調ミサ》K.427。華やかさよりも、まず感じられたのは音楽そのものの大きさと重みである。時代も語法も異なるが、こちらもまた堂々たる響きで、広い教会空間をしっかりと支配していた。

まわりにいるのは、普段の音楽会で見かける聴衆とは明らかに違う人々である。服装もごく普段着で、地元の信者たちなのだろう。顔見知りを見つけては、にこやかに挨拶を交わしている。ここでは音楽を聴くために人々が集まっているのではなく、まず日常の信仰の場としてのミサがあり、その中にモーツァルトの音楽が響く。そのことが、いつもの演奏会とはまったく違う空気をつくっていた。

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2026年8月 9日 (日)

東屋コンサート

インスブルック古楽祭恒例の東屋コンサートに行ってきた。

これまでの異なる点がいくつかあった。最初、ネット上でプログラムを見た時にはよく判らなかったのだが、今見なおしてみると

表示が整理されていて以下のようなことかと思われる。

例年は、東屋コンサートは1日に1組で、お昼の1時から2時という感じだった。それが今年は記念年のせいなのか、8組のアンサンブルが、

とっかえひっかえ、1時から8時過ぎまでコンサートおよび最後はオープンエアでの《ラ・ドーリ》(抜粋でしょうね)となっている。
僕が聞いたのは最初の一組で、
プログラムは以下の通り。

プログラム

ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681–1767)
《トリエット》第3番 ニ短調 I–III

ジェームズ・オズワルド(1710–1769)
《スノードロップ(マツユキソウ)》I ト短調

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685–1759)
《甘美な花の、琥珀のようなひとひらよ》ト短調 HWV 204

ジェームズ・オズワルド
《スノードロップ(マツユキソウ)》II ト短調

フランチェスコ・ジェミニアーニ(1687–1762)
協奏曲 第10番 ヘ長調 I+V

ジェームズ・オズワルド
《百合》I–IV ト短調

ゲオルク・フィリップ・テレマン
四重奏曲 ト短調 I–IV TWV 43
リコーダー、ヴァイオリン、ヴィオラ、通奏低音のための

演奏者

ルーカス・ビーゲル|リコーダー

ヤラ・アンサンブル

最初のテレマンの《トリエット》のみがリコーダーなしで、テレマンにこんな素敵な曲があったのか、と嬉しい驚きだった。ヤラ・アンサンブルの演奏も良かったのだと思う。このアンサンブルは男性4人でヴァイオリン2人(ヴァイオリンとヴィオラになることもある)、チェロ1人、チェンバロ1人で全部男性。リコーダーも男性だったので、この日のコンサートは全員男性奏者であった。

いつも思うことだが、こうした4人や5人のアンサンブルはその場で奏者の姿が見える方が(レコードやCD)よりずっと楽しいし、楽曲の勘所も理解できる。スコアをみなくても、ある旋律が対位法的に受け渡されていくのは目の前に奏者が奏でていると、理屈でどうこう言う前にすっと入ってくるし、奏者同士がアイコンタクトをとったり、奏者の身振りで、ここがとくに感情をこめているところとか、リズムが跳ねているところとか音と視角情報で相乗的に理解が深まるし、エンジョイできる。そもそも17世紀、18世紀にはレコードもCDも無かったわけで、奏者が目の前にいないで聴くということはなかったはず。
それと東屋コンサートは市民に開かれたコンサートなので、小学生になるかならないかの子どももちらほら見かけた。その子らは最初から最後までいたわけではないが、出入りが自由なのも、このコンサートのよいところだ。東屋の3方向が開け放しになっているので、建物の外で漏れ聞こえる音を楽しんでいる人もいる。

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《黄金の林檎》歌手その他

チェスティのオペラ《黄金の林檎》を観たが歌手について記しておこう。
プログラムに名前があがっている順に紹介する。

まず、Sophie Rennert (メゾソプラノ)オーストリアの栄光とジュノーネ。

ここで説明しておくと、ほとんどの歌手が一人二役か三役を演じている。とくに最初の場面プロローグが各国の代表(本来はハプスブルク家の支配地域であったと思われるが、今回は世界各地)がミス・イタリアとかミス・ポルトガルという形で出てきて妍を競うのであるが(前に述べたように、女装する男子も多数いる)その中の一人が別格でオーストリアの栄光(gloria austriaca)というアレゴリカルな存在である。本編が始まると彼女はジュノーネで、つまりジョーヴェ(ジュピター)の妻であり妹である。彼女は、背が高く、立ち居振る舞いも堂々としていてジュノーネにぴったりだった。声もメゾで落ち着いており、ジュノーネらしい品格が感じられた。それでいて後半になると、他の女神とのライバル関係で私情や鬱憤を爆発させる場面も演じきっており、黄金の林檎をジョーヴェにおねだりする(ジョーヴェの娘パッラデ=アテネ女神と競う)場面ではコミカルなお色気も発揮していて楽しかった。前に述べたように、あくまでジュノーネのお色気なので、羽目をはずさず、品位を保っていることが望ましいわけだが、今回の演出ではそこのバランスが巧みに取られていたし、歌手たちの演技も過不足のない黄金の中庸をいくものであったと称賛したい。

次が Jone Martinez (ソプラノ)ミス・スペインとヴェネレ(ヴィーナス)。彼女はかなり出ずっぱりで舞台にいる時間、歌っている時間が長い。というのも、パリデ(パリス)に対し絶世の美女を餌に自分が女神の中で一番美しいという審判をくだして黄金の林檎をヴェネレが得ることになるからだ。女神たちは、後のヘンデルやヴィヴァルディのようにではないが、ところどころでアジリタ、動きの速いパッセージが出てくるが、彼女はレチタティーヴォもアリアも安定した歌唱、安定した演技でこなしていた。戦いの神マルテとカップルなのだが、彼のところを訪れると、他の美女とお戯れの最中というのも(それを濃厚に示唆するリブレットだから、その演出はまったく理にかなっているわけだが)それをマルテが糊塗しようとし、しかし最後にはバレバレとなるのもユーモラスな場面で楽しめた(言うまでもないことだが、ギリシア・ローマ神話では、ゼウス=ジョーヴェからしてまったく一夫一婦制の性道徳を守っておらず、浮気を悪いとも思っていない節があるので、こんな男(男の神)はけしからん、と言っても、この世界ではしょうがないんだよなあ、としか言いようがないのです)。
Shira Patchonik (ソプラノ)は、ミス・サルデーニャとパッラデ(アテナ女神)。彼女はやや軽めの声で、そのおかげでMartinez との区別がつけやすい。Sophie Rennert はメゾなので、たっぷりと低めの声なので、これは背丈だけでなく、声もまったく異なる。これだけ登場人物が多いと人物が衣装および声、あるいは振る舞い方で区別がつくのも重要な演出上のさばきになってくるかと想像する。

Jiayu Jin (ソプラノ)アモーレとエーベ(女神だが、神々の宴会で給仕役を務める)とゼッフィロ。彼女も軽い声のソプラノだが、発声は安定していて、去年もインスブルックでオペラに出ていた。Patchonik もJin もこの音楽祭の若手登竜門チェスティ・コンクールの出身である。この音楽祭ではチェスティ・コンクールに優勝したり入賞した人が翌年の若手オペラ、さらにはメインのオペラに出演することがしばしばある。Jin はアモーレ役ではピアノ線に吊るされたまま歌う場面があったが、堂々としたものだった。
ただし、調べてみると今回のキャストとチェスティ・コンクールとの結びつきは、この二人どころではなかった。Sophie Rennert は2016年第2位および聴衆賞、Margherita Maria Sala は2020年第1位および聴衆賞、José Coca Loza は同年第2位、Rémy Brès-Feuillet は2021年若手賞、Mathilde Ortscheidt は2023年第1位、Giacomo Nanni は同年第3位、Neima Fischer は同年若手賞、そして Patchornik と Jin が続く。つまり今回の巨大な《黄金の林檎》は、同時にこの音楽祭が十年ほどかけて育ててきた歌手たちの一つの集大成にもなっているのである。チェスティ・コンクールから若手オペラへ、さらにメインのオペラへという道筋が、単なる理念ではなく実際に機能していることがよくわかる。
Neima Fischer (ソプラノ)プロセルピナとテシフォーネ(復讐の女神の一人)とアグライエ(三美神の一人)。プロセルピナが、冥界の王プルトーネの妻になって支配領域は広いのだが、それにもかかわらず満足できず、不満を述べる場面が、彼女の若さを感じる歌にぴったりな気がした。

Ester Ferraro(メゾソプラノ)ディスコルディアとアレット(復讐の女神の一人)とエウフロジーネ(三美神の一人)。エウフロジーネは、カメに乗って登場するシーンがユーモラス。彼女はディスコルディアで何と言っても存在感を発揮した。メゾの声と、自分を招かなかった仕返しに不和の種をまいてやる、という邪悪な意志。しかしもちろん、声は品位のある声であり、女神としての品格が感じられるのだった。
Mathilde Ortscheidt (アルト)エンノーネ。《黄金の林檎》ではズバッラの考えだろうが、このパリデの恋人エンノーネが、自分は捨てられるのではないか、自分は捨てられたのではないか、その不安や嘆きの場面が驚くほど多い。パリデはちゃらい男で、口先三寸で君が一番大事だよと言いつつ、美女エレナ(ヘレン)に一目散。落ち着いた声で、庶民のひたむきな女性をせつせつと歌いあげ、ただしカーテンコールではパリデに金けりを喰らわし喝采をうけていた.

Margerita Maria Sala (アルト)。ミス・イタリアとメルクリオとアルチェステ(アテネ王チェクロペの妻、戦場に同行する)。彼女もこの音楽祭では常連といえる存在だ。発声も歌い回しも、バロック歌唱として模範的とも言える歌唱で、イタリア語の響きも美しい。
Filippo Mineccia (カウンターテナー)イメネオとアポロとアドラスト(アテネ王チェクロペの副将)。ミネッチャはもうヴェテランと言ってもよいだろう。この音楽祭にもよく顔を出している。目立つような大きな声ではないが、つねに知的に考え抜かれた歌唱をする人である。
Remy Bres-Feuillet (カウンターテナー)アウリンド。エンノーネを陰ながらいつも見守り、ひたすら恋し、ずっと報われていなかったが、最後の最後に結ばれる。まあ、そういう役柄にあった歌唱だったと思う。
Paul Figuier (カウンターテナー)ボエミアとガニメーデ(ジョーヴェに愛されたトロイアの美少年)と火。ジョーヴェはバイセクシュアルでもある。
Danilo Pastore (カウンターテナー)メジェラ(復讐の女神の一人)とヴォルトゥーノ(風の神の一人)とパジテア(三美神の一人)。2つの役では女神役だが、彼一人が背が高く、男性が演じていることがよくわかるのだが、それが演劇的には適度な異化効果があってよかった。
Alberto Allegrezza (テノール)ミス・アメリカとフィラウラ(エンノーネの乳母)。フィラウラもエンノーネが出てくる場面にほぼ必ずでてくるので、出番は多い。太った老女で、しかしまだ色気がたっぷりあってといった役どころ。モンテヴェルディの頃からそうだが、乳母役が言わば、庶民の恋の本音が露骨に現れる場面だ。だから、パリデがもうエンノーネを捨ててしまったとか、だったらアウリンドに乗り換えたほうがよいわよ、といった極めて実践的アドバイスもする。セクシュアルなくすぐり場面もフィラウラが絡むところが一番性的にあからさまであるが、これは昔からお決まりのパターンと言ってよいだろう。オペラ以外でもシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』などでもそうである。思いがけないところで猫(ぬいぐるみでありかつモック)が出てきたりして、演出もやるな、と言ったところ。
Ziga Copi (テノール)マルテとアウストロ(南風)姿も声も若い。2002年生まれだ。
Mauro Borgioni (バリトン)ミス・ハンガリーとエウロ(東風)とパリデ(パリス)。エンノーネがいながらも審判に選ばれるといそいそと白いスーツで出かけるちゃらい男だが、もてる男でもある感じが良くでていた。
Giacomo Nanni (バリトン)帝国とジョーヴェとエオロ(風を統率する風の王)ジョーヴェは3人の女神とのやりとりも含め出番は多い。堂々たる声と発音の明晰さで好演だった。
Balazs Ban (バス)ミス・ドイツとバッコ(バッカス)
Jose Coca Loza (バス)プルトーネとカロンテとサチェルドーテ(パッラデ=アテナの神官)。プルトーネもカロンテも冥界に属する人物でこの堂々たる深いバスの声がふさわしい。飄々としたユーモアも時に漂わせこの劇に奥行きを与えていた。
Federico D.E.Sacchi (バス)ネットゥーノとチェクロペ(アテネ王)。ネットゥーノの衣装が派手で格好がよく、またそれを見事に様式感ある歌と演技で決めていた。チェクロペでの人間の王とは演技仕分けていた。
Rocco Cavalluzzi (バス)モーモ(他の神々や登場人物を批評する皮肉屋・道化的な神)。エノーネやその乳母フィラウラの出てくる場面にたいてい一緒に出てきて、いわば狂言回しのような役どころである。コミカルだったり、批評家的な役割を時にユーモラスに時に知的に、歌い演じていた。

以上、主要歌手だけでも二十人、カウンターテナーだけでも四人。しかも多くが一人二役、三役を演じている。公式配役を見るだけでも、この作品が通常のオペラとはまったく違う規模を持っていることがわかる。

これほど多数の人物を登場させながら、それぞれに異なる性格と役割を与え、五幕を通じて巨大な物語を動かした台本作者ズバッラの力量には、あらためて感嘆せざるを得ない。そして、それを現代の舞台で人物が混乱しないように整理し、しかもそれぞれの歌手の個性を活かした演出家ファビオ・チェレーザも称賛されるべきだろう。

さらに印象的なのは、これだけ困難で、しかも滅多に上演されない作品に歌手たちが集まり、一人で二役、三役を引き受けていることである。その志の高さにも敬意を表したい。

そして今回のキャストのかなりの部分が、過去のチェスティ・コンクール受賞者から成っていることを考えると、この公演は単に「幻の超大作を復活させた」というだけではない。インスブルック古楽音楽祭が長年育ててきたバロック歌手たちを総動員し、その蓄積によって初めて可能になった上演でもあったのだと思う。音楽祭自身が、コンクールを若手が後にヨーロッパ各地の舞台で活躍しこの音楽祭へ戻ってくるための場として位置づけている。

この上演は、チェスティの《黄金の林檎》という作品の現代における上演史の一齣として残るだろう。そうした音楽史的な意義を持つ上演が、学究的な復元に終わらず、十分な娯楽性を持ち、四時間ずつ二晩にわたって観客を楽しませる舞台になっていた。そのことが何より喜ばしい。

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《黄金の林檎》演出

昨日、チェスティ作曲のオペラ《黄金の林檎》の2日目(初演の時から2日間で上演されていた)を観たので、演出について書く。

インスブルック古楽音楽祭では、上演の一時間前に演出家や舞台装置、指揮者などの解説が入るのだが、昨日は、舞台衣装と舞台装置の人が話した。舞台衣装はイタリア人で、英語で話したので内容が理解できたのだが(ドイツ語圏の人がスピーカーだと通訳が入らない)、面白かったのは、衣装を作る上でファンタジーに制約はかけられなかったが、一番基本になるのはリブレットをじっくり読むことだという言葉だった。演出家との調整でもお互いにピンとくる言葉があると、そこから開けていくということだった。また、衣装に関しては、プロローグで世界各国のミス・イタリアやらミス・ポルトガルやらが出てくるのだが、ミスなのだが、明らかに男性が3分の1くらいいる。背の高い人もいて、彼ら用のハイヒールを探すのは大変だったとのことだった。また、出演者全員のチャットがあって、何か問題があると、全員でわーわー言って解決するということがよくある、つまりチームワークが機能しているとのこと。
今回の演出は、ファビオ・チェレーザという人で、この人は演出家であると同時にリブレッティスタでもあって、つまりオペラ台本作者でもある。また、17世紀のオペラと18世紀のオペラでは演出を変えるべきだと考えており、それは17世紀のオペラではレチタティーヴォとアリアの区別が18世紀オペラほどくっきりしていないので、17世紀オペラでは一つの連続したドラマとして演出として考えるということだ。

視覚的に判りやすい今回の演出の特徴は、神々(ジョーヴェでもジュノーネでもヴェーネレでも)は、神々らしいバロック的豪華な衣装をまとっているが、パリデ(パリス)やエンノーネといった世俗の人間は思いきって現代服を着せている。例えば、パリデが審判役に選ばれて旅に出かける際は白いスーツを着て、スーツケースを転がすといった具合だ。ネットゥーノ(ネプチューン)は三つ叉の矛を持ち、衣装も神々らしいのだが、ある登場シーンではサーフボードに乗り、大勢の人が寝そべって作る波の上を滑って登場するなど、ところどころに笑いのツボがあるのだが、やり過ぎないところが好ましい。世俗の王の中には、赤い野球帽をかぶり、手のひらを身体の前で並行移動させる現アメリカ大統領を想起させるジェスチャーが笑いを取っていた(このくすぐりには続きもあるが、あえて省略)。女神たちは、華やかな衣装で、ただしチャイナドレス風に脚はちらりとみえるお色気はある。しかし女性歌手がリブレット上の必然性なく裸体になるなどといったことはなく、節度のあるくすぐりやお色気で、観ていて飽きないし、過剰演出に憤慨することもなく大いに楽しめた。
舞台転換はもともとのリブレットの段階で多いのだが、今回も実に多かった。舞台の上に、エンノーネの部屋がせりあがってきたり、またその部屋が沈み込んでいったりといった転換もあった。また、神々はしばしば雲に覆われて舞台上方から登場するが、アモーレやメルクリオは、雲の覆い無しで、歌手がピアノ線?で宙づりになって降りてきたり昇っていくので、その状態で歌う歌手が驚異そのものだった。
黄金の林檎というのは、前に書いたが、ディスコルディア(不和)の女神が、一番美しい女神へ、という指示をすることにより女神同士の争いを引き起こすわけだが、最終的にはジョーヴェ(ジュピター)が、3人の女神の長所を全て兼ね備えたマルガリータ(レオポルト1世の妃)に差し上げようというところで終わるはず。ただし今回の演出ではそこには変更が加えられている。
その変更には賛否あろうが、そこを観ると、途中でアメリカ大統領を想起させる人物が出てきたことにも納得がいく仕掛けとなっている。

ぼく個人としては、上演頻度が高いものに関しては、多くの観客にとってストーリが既知なので大胆な読み替え演出も面白い場合があると思うけれど、めったに上演しない演目は、まずリブレットに何が書いてあるのかがわかる(今回のように服装が現代化する程度は可)ことが好ましいと思っている。実際、今回は演出家も衣装係もイタリア人であるせいか、リブレットを重視した演出、衣装で大いに納得がいき、満足感も高かった。言うまでもなく、チェスティの17世紀の超大作が復活上演されること自体、画期的なことであるのだが、歌手、オケ、指揮の充実の上に、実にチャーミングで適切な演出があったのは喜ばしい。

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2026年8月 8日 (土)

《黄金の林檎》その2

チェスティ作曲、フランチェスコ・ズバッラ台本のオペラ《黄金の林檎》は、今年のインスブルック古楽音楽祭の最大の目玉であり、ヨーロッパ中から注目されていると言ってよいだろう。
この作品について紹介したいことは、すでにプログラムに書かれていることと重複しているので、プログラムを要約したものと筆者の調べたことを適宜まぜながら紹介することにしよう。

チェスティはトスカーナ出身の歌手・作曲家であり、彼とインスブルックで組んだリブレッティスタはアポッローニもトスカーナ出身だ。というか二人ともアレッツォという町の出身なのでまったく同郷なのである。フィレンツェ時代にすでに知り合っていた。その二人が1650年代に《L'Argia》ついで 《La Dori》を作り、インスブルックで初演した。《L'Argia》はスウェーデン女王クリスティーナが、インスブルックで正式に改宗(カトリックへの)を宣言した際に上演されたもので、その意義は大きい。男装する女性が出てくるのも、クリスティーナへの連想が働かぬでもないが、これは現段階ではそれを想定して作ったとも、たまたま作ったものの女性主人公がクリスティーナを想起させる人物であったとも断定はできない。

その2年後1657年にインスブルックで初演された《La Dori》は女性の男装が二重になってさらに込み入ったシチュエーションとなっている。

その後、1665年にインスブルックの「チロル・ハプスブルク家」が絶えてしまう。ウィーンのレオポルト1世のもとに吸収されるわけで、結局、迷いはしたものの、チェスティもウィーンに移住する。そして1668年にウィーンで上演されたのが《黄金の林檎》なのである。

このオペラは、《L'Argia》が dramma musicale 音楽劇 と自らを定義していたのとは異なり、festa teatrale 劇場の祝祭 と定義していた。

つまりハプスブルクの威光を世の中に見せつけるための祝祭としてのオペラであった。

 

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インスブルック古楽音楽祭《黄金の林檎》

今年はインスブルック古楽音楽祭が創立50周年で、記念年らしく、いつにもましてめったに上演できないバロック・オペラを上演する。

チェスティの《黄金の林檎》である。話はギリシア神話の有名なお話で、女神の中で誰が一番美しいかが論争になり、ジョーヴェがパリデ(パリス)を審判として選び、一番美しい女神に黄金の林檎を渡すようにという。いつもと違うのは、パリデがエンノーネという羊飼いとねんごろになっているのに彼女を捨てて、ヴェネレ(ヴィーナス)が私を選んだら、世界一の美女(エレナ=ヘレン)を自分のものにできるという一種の賄賂にうかうかと乗ってしまい。。。というストーリである。

このオペラは17世紀でおそらく一番大掛かりなオペラで上演に2日かかった。まあ、現代人はヴァーグナーの指環は4日かかることが周知の事実になっているので、驚きが少ないかもしれないが、バロック・オペラとして、やはり場面の数や登場人物がやたらと多い。

一日目はここまで。指揮はこの音楽祭の現在音楽監督であるオッタヴィオ・ダントーネ。

見応え、聴きごたえ十分あり。

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2026年8月 5日 (水)

ミュンヘン(2)

8月3日、4日のミュンヘンは暑かった。昼間35度になり、日なたを数百メートル歩いただけで熱中症になりそうだった。
すでにニュースで6月、7月にヨーロッパに熱波襲来が報道されていたが、またしても暑くなった。

普段のヨーロッパの感じと異なるのは、6時、7時になっても涼しくなってこない。放射冷却ですっと冷えてくるというのがヨーロッパの夏、特にアルプスの北はそうだった記憶があるが、この2日間はじっとり暑かった。

地下鉄の駅は冷房がある。しかし車両は、新しい車両はエアコンあり、古いのは無し。古い車両が来るとあーあ、という感じになる。ここまで暑いと予定をいくつかカットして体調、体力温存をはかる必要がある。
何年かたったら、スペインのように、ドイツでもシエスタが導入されるだろうか? あるいは日なたを歩くさいに日傘をさすことが普通になるだろうか。今のところ、ベビーカーの赤ん坊に対して以外は、めったに日傘をみない。帽子をかぶっている人は時々見るがファッションであるのか、日よけなのか、両方なのかは不明。

日傘をさしているのは、東洋系の女性が多いようにみうけられる。筆者は直射日光に弱いので、日傘(雨がさ兼用)を持参し、昨日さした。2日間で男性が日傘をしているのはまったく見かけなかった。しかしエアコンと同様に、この暑さが毎年となったらどうなることか。

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ミュンヘン空港

8月3日にミュンヘン空港に着き、新しい入国検査を経験した。

EES(Entry/Exit System)というものらしい。空港職員に non EU passport かと言われ、それに従うと(トランジットの人はまた話が別。羽田からミュンヘンに来て、そのままミュンヘンで降りる人が対象です)、機械がいくつか並んでいて、まず写真を撮られ、つぎに親指以外の四本の指の指紋をスキャンされて、おしまい。大分以前からアメリカに行ったときには五本指紋を撮られたので、ヨーロッパもそうなったというわけだ。

テロ対策、移民・難民対策など使い道は複数ありそうだ。僕の到着便は朝6時台で、空港自体ががらんとした状態で、だからEESの手続きも渋滞はなく、すぐに済んだ。

これとは別に今年10月以降に ETIASという事前登録制度が開始される予定だ。これは今のところまだ開始されていない。

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