« 2026年6月 | トップページ | 2026年8月 »

2026年7月20日 (月)

小説『夏帆』の中の音楽

村上春樹の新作『夏帆』の中の音楽について一言。(特にネタバレにはならないと思います)

この作品の主人公は若い女性で浦和(さいたま市という呼称を嫌っているが、その気持ちは筆者も個人的にはよくわかる。叔母二人が浦和在住であったし、高校も浦和の高校に通ったので)出身で父親が小児科医である。

その父親がクラシック音楽ファンで、たまたま主人公が帰宅したときに、バッハのブランデンブルク協奏曲の2番を聴く。父親が昔からのクラシックファンということで、スピーカはタンノイ・バークレー。主人公の父が持っていたパブロ・カザルス指揮のLPを彼女は聴き、「柔らかな毛並みの、たくましい熊さん」をイメージする。久しぶりにカザルスのブランデンブルク協奏曲の2番を聴いてみると、意外なほどテンポが速い。そして、ここが肝心なところだが、2番はトランペットや管楽器のソロが目立ち、弦楽合奏が他の協奏曲より目立たない。カザルスは、演奏された年代から不思議はないのだが、モダン楽器で演奏しており、弦楽器合奏のところは現代の古楽器での演奏と比較すると厚くやや古めかしく聞こえてしまうのだが2番ではその部分が目立たず、むしろソロが早めのテンポで細かすぎるニュアンスをつけずにグイグイと進んでいく。しかしそのグイグイ進んでいく中に、曲の構造やメロディの繰り返しからにじみ出る叙情を感じる曲である。主人公は決して、クラシック音楽のマニアではなく、父が聴いていたから、なじんでいるということで、上述のような小うるさい詮索はしない。それで良いのである。しかし、一読者の筆者は、勝手にこの演奏、そしてこの選曲に、感じるところがあり、あらずもがなの解説めいたものを書いた。

この小説にはアリクイだとかシロアリといった動物、生き物が出てきて、人間の言葉をしゃべる。明らかに寓意的な存在なわけで、村上が『騎士団長殺し』でイデアとかメタファーを大々的に取り上げ、二人の登場人物として小説に組み込んだことの発展形ともとらえられると思う。アレゴリーが何のアレゴリーかはもちろん作者は言わない。個人的にはこのアレゴリーの存在は、効いていると考えるし、『騎士団長殺し』以降、彼の作品は世界文学になりつつあるのではないか(世界的に流行している作家という存在を超えて)とも感じている。19世紀の徹底的なリアリズム追求の果てに、20世紀はアレゴリーが求められたと思うのだが、安部公房などとは異なり、前衛性をひっさげずに、するっと寓意性が登場するところが新しいと思う。(日本ではたとえば、クラシック音楽の世界では、21世紀になっても、19世紀が大きな顔をしてどかっと居座っている)。

| | コメント (0)

2026年7月 3日 (金)

『古楽の楽しみ』

NHKのFM放送の『古楽の楽しみ』を聴いている。

今は、NHKのらじるらじるの聴き逃し配信で聴いている。らじるらじるの聴き逃し配信というのは、youtube のようにオンデマンドで聴けるシステムで、ただし聴ける期間は一週間で、無料だ。
かつては、この番組は午前6時からだったが、その後、5時からになったり、再び6時からになったりしたが、再び5時からになって、僕はらじるらじるを利用して、番組開始時間を気にせず朝食の時間などに聴いている。

さて、ここで紹介したいのは、この番組の素晴らしさだ。毎週、番組の案内者(番組の構成とアナウンスを兼ねている)が変わる。しかも毎週、古楽の専門家・研究者・演奏家が月曜から金曜の5つの番組に一つのテーマを与え、いろいろな角度から作品を紹介し、演奏をCDなり、演奏会の録音で紹介してくれる。講師(案内者)の話は、一般の視聴者向けなので、親しみやすく判りやすいのだが、しかし紹介される作曲家、作品は、一般のクラシックファンになじみのないものも多い。実際、バロックの作曲家、作品は、今も年々新たな作品が発掘されたり、新たに演奏されるようになるものも多く、研究の最先端が演奏の最先端と結びついている。つまりそこがモーツァルトやベートーヴェン、それ以降のロマン派の有名な作曲家とは事情が異なるところだ。

自分にとって新たな作曲家や作品が、既知のバッハやヘンデルやヴィヴァルディやラモーといった作曲家とともに、毎週、専門家によって解説され紹介されるのを聴いているのは、常に新たな気づきがあって楽しい。実に贅沢な時間であると思い、ありがたく聴いている。

例えば今週の番組は「20世紀の文芸と古楽」というテーマで、紹介は遠山菜穂美氏。月曜は、ロマン・ロランが紹介された。無知な僕は、ロマン・ロランと言えばベートーヴェンというくらいしか知らなかったのだが、彼は古楽をいち早く深く知っており、リヒャルト・シュトラウスに、古楽の素晴らしさを説いていたのだ。バッハのライプツィヒでの前任者ヨハン・クーナウの「聖書ソナタ」をシュトラウスにお勧めしていたという。無論、番組では実際に「聖書ソナタ」が流される。

木曜日にはポルトガルの作家サラマーゴの小説『修道院覚書』という小説が紹介されたが、この小説にはドメニコ・スカルラッティが登場するというのだが、知らなかった!
金曜日には、堀辰雄や梶井基次郎の創作と西洋音楽の関係が紹介された。堀辰雄が軽井沢にあったチェコスロヴァキアの公使館別邸からピアノの音が聞こえて来て、聴き入っているとそれがバッハのト短調であるとわかったと堀が書いている。堀辰雄は、小説の構想にこの音楽を取り入れている。ト短調フーガはバッハの平均律曲集に2曲あり、それがアンドラ—シュ・シフの演奏で2曲とも紹介された。梶井基次郎については、梶井が実際に聞いたフランス人ピアニスト(日本で6日演奏会を開き、梶井は全日聞いたという)の演奏がSP復刻で紹介された。遠山氏が言うように、古楽であってもテンポを揺らし、自由なスタイルであったが、1902年生まれの梶井が若き日に古楽を聴いていたのだ、しかもこの人の演奏でと思うと感慨深いものがあった。堀も梶井も、1900年代一桁の生まれであり、20世紀後半から現在にいたる古楽の新たな演奏スタイルとは無縁だが、ピアノ演奏を通じて、創造力を駆使して、バロックの息吹にふれていたことは間違いのないことなのだと知った。

前述のように毎週、案内者は変わるし、週によっては最近の演奏会からということもある。また、金曜日はリクエスト特集で大塚直哉氏が、リスナーのリクエストを紹介して、そこに専門的知をさりげなく紹介して、こちらの理解を促してくれる日もある。

というわけで、新たな気づきがある番組なのだ。

| | コメント (0)

« 2026年6月 | トップページ | 2026年8月 »