《愛の妙薬》を観て――「人知れぬ涙」の成功と、その後始末
ドニゼッティのオペラ《愛の妙薬》を観た(新国立劇場)。
《愛の妙薬》の最終日を観た。
指揮と歌に関しては、もう少し軽やかであってよいと思う箇所もあった。とくにこの作品の場合、重く歌えばよいというものではなく、ブッファとしての推進力、会話の呼吸、音楽の足取りのよさがかなり重要になる。ただし全体としては、おおむね満足した。というのも、今回あらためて、ドニゼッティの「ギア・チェンジ」の巧さに感心したからである。
《愛の妙薬》は、基本的にはブッファである。田舎の娘アディーナ、純朴な若者ネモリーノ、軍曹ベルコーレ、インチキ薬売りドゥルカマーラという人物配置は、ほとんど類型的であり、喜劇的な誤解と計算違いによって進んでいく。したがって演出としても、あまりしんみりさせすぎず、ブッファとして動かしてほしい、というのが私の基本的な好みである。
しかしこの作品は、ただのブッファでは終わらない。ドニゼッティは随所で、喜劇の歯車をほんの少しだけずらし、そこに抒情的な陰影を差し込む。その最たるものが、もちろんネモリーノの「人知れぬ涙」である。
問題は、このアリアがあまりにもよくできていることだ。
劇作術だけで考えれば、「人知れぬ涙」はかなり危険な場所に置かれている。ネモリーノは、アディーナの目に浮かんだ涙を見て、彼女が自分を愛していると確信する。しかし、歌詞をよく読むと、これは少し妙である。そもそもそれはネモリーノ自身の涙ではなく、アディーナの涙である。しかも彼は、その涙をいつ、どの程度はっきり見たのか。そこから「彼女は私を愛している」と言い切るには、劇的な根拠としてはいささか弱い。
ところが音楽が始まると、その弱さが問題でなくなってしまう。理屈としては曖昧な推論が、音楽によって感情的な確信に変えられてしまうのである。言い換えれば、「人知れぬ涙」は、状況説明としてはどこか変なのに、音楽としては圧倒的に正しい。ここにこのアリアの不思議な力がある。
その意味で、「人知れぬ涙」は、ネモリーノの内面を描いているというよりも、作品そのものの重心を変えてしまうアリアである。それまでの《愛の妙薬》は、偽薬、軍隊入隊、恋の駆け引き、村人たちの噂といった喜劇的な装置によって動いている。ところがこのアリアの瞬間、観客はもはや筋の成り行きではなく、ネモリーノの感情の真実を聴くことになる。ここで作品は、一瞬、ブッファから抒情的な恋愛劇へと変貌する。ロマン主義が優位となる。
だからこそ、その後が難しい。
「人知れぬ涙」で音楽的なクライマックスが来てしまったあと、アディーナがネモリーノの入隊契約を買い戻し、彼を自由にしたことが確認される場面は、どうしても少しだれる。もちろん筋としては必要である。アディーナが単に気まぐれな娘ではなく、自分の意志と行動によってネモリーノを救う人物であることを示す場面だからである。しかし音楽的には、すでにネモリーノのアリアで作品の最も深い地点に到達してしまっている。そこからあらためて劇を整理し、告白し、和解し、結末へ持っていくのは、構造的に難しい。
フェリーチェ・ロマーニが、あの場所に「人知れぬ涙」を置くことに反対したという話は、劇作家としてはよくわかる。ロマーニの立場から見れば、あそこでネモリーノに大きなアリアを与えることは、終幕の均衡を崩す。劇の頂点が早く来すぎるからである。だが一方で、結果としてこのアリアは作品中最大の人気曲になった。つまり劇作術としては問題を含みながら、音楽としては大成功してしまった。ここが《愛の妙薬》の面白いところである。
とりわけ見事だと思うのは、アディーナとドゥルカマーラの二重唱から「人知れぬ涙」へ移る部分である。アディーナがドゥルカマーラを軽くやりこめる。そこまでは完全にブッファの世界である。ところが、そのあとにふっと一瞬の間があく。そして突然、ネモリーノの内面の時間が始まる。この切り替えは、まさに天才的である。喜劇的な表面の下に、いつのまにか本当の感情が育っていたことが、そこで初めて音楽として明らかになる。
ただし、繰り返すが、その成功が大きすぎる。あまりにも美しく、あまりにも説得力があるために、その後の場面はどうしても「後始末」に見えてしまう。アディーナの行為、ネモリーノの自由、ベルコーレの退場、ドゥルカマーラの最後の宣伝文句――どれも必要ではあるが、音楽的な焦点はすでに過ぎている。
したがって、私にはこの作品の演出上の最大の難所は、「人知れぬ涙」のあとをどう処理するかにあるように思われる。そこを単なる感動の余韻として流してしまうと、終幕は平板になる。逆に、アディーナの行動をきちんと立て、彼女自身の変化を見せることができれば、この作品はネモリーノだけの抒情的勝利ではなく、アディーナの側の成熟の物語にもなる。
《愛の妙薬》は軽い作品である。だが、その軽さの中に、ほんの一瞬、感情が理屈をねじ伏せる瞬間がある。「人知れぬ涙」とは、まさにその瞬間である。劇作上は少し無理がある。歌詞も、よく考えるとどこか妙である。しかし音楽が鳴り始めると、その無理が無理でなくなる。むしろその曖昧さこそが、恋愛感情の発生する瞬間の危うさをよく表しているようにも思われる。
つまり《愛の妙薬》の魅力は、単に「楽しい喜劇」であることではない。ブッファとして進みながら、ある一点で、理性よりも感情が強くなる。その危うい転換を、ドニゼッティは実に巧みに音楽化している。今回の上演を観ながら、私はそのことをあらためて感じた。


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