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2026年5月24日 (日)

スターバト・マーテル〜悲しみの聖母〜シリーズ 1

「スターバト・マーテル〜悲しみの聖母〜シリーズ1」を聴いた(HAKUJU HALL)。白寿ホールは代々木公園から徒歩数分の小さなホール。

プログラムが大変充実していた。アントニオ・マリア・ボノンチーニの2曲、ペルゴレージの1曲。

最初はボノンチーニの「リタニア」。リタニアは連祷のことで、ここでは聖母マリアに連続で祈りを捧げることになる。細かいことを言えば、イタリアのロレートのマリアに捧げる連祷であるとのこと。ロレートはイタリア・マルケ州にある有名な巡礼地で、ここに聖母の生家が飛んでやってきたということになっている。ここに行くと小さな家があってそれを巨大な教会が包み込む形で建っている。今回はこのパート譜をチェコから取り寄せ、新たにスコアを作ったので、復活蘇演かもしれないとのこと。たしかに、Youtube やスポッティファイで検索したけれど、見当たらなかった。ボノンチーニのスタバト・マーテルは1つ録音があった。

整理すると、演奏の順番は、最初がボノンチーニの「リタニア」、次がペルゴレージの「スターバト・マーテル」、最後がボノンチーニの「スターバト・マーテル」であった。ボノンチーニの「リタニア」は初めて聞いたのだが、驚くほど創意工夫に満ちている。早い装飾的なパッセージもあれば、ゆったりと叙情的なパッセージもあるのだが、それが格調高いというか品がある。同時代の評価でも、兄の方が有名だが、宗教曲に関してはアントニオ・マリアの方を高く評価する向きもあったという。納得がいく。「リタニア」もう一度、二度、三度と聞いてみたい曲である。

次は数ある「スターバト・マーテル」のなかでおそらく最も有名なペルゴレージ。今回、見やすい形(大きな文字)で、舞台背景に歌詞が映し出されていたので、曲と歌詞をじっくりと見較べ、聞き比べることが出来た。スターバト・マーテルは周知の如く、十字架にはり付けられ、死したイエスを嘆き悲しむ聖母マリアを歌う曲であるが、第4曲の 'Quae moerebat' などは歌詞は悲しいのに、曲想ははずむようで明るい。これは聴き手の生理を考えると実によくできた工夫で、ここまでの3曲が暗い曲想で沈んだ曲調であり、聴き手の心も沈んでしまうのを一端リセットして元気づけてくれる効果があると思う。悲しい曲ばかりでは、それ以上、悲しさを受けつけなくなるというか、心が音楽的に反応しなくなってしまうおそれがある。こうした弾んだ思いがけず明るい曲想は、ヴィヴァルディやロッシーニの宗教曲にも出てきて、最初に聞くとハッとさせられるところである。今回の演奏は、古楽器と、阿部早希子(ソプラノ、敬称略、以下同様)と村松稔之(カウンターテナー)のバロック歌唱で、音楽的に実に生き生きとした魅力を持っており、その中にいると聖母の悲しみに導かれていくのだった。別の言い方をすると、ボノンチーニとの比較において、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」は、これまで思っていたよりずっとオペラ的であると感じた。音楽的にも、ガラント様式に近い部分が多く、歌い手は感情をのせて歌いやすく、聴き手もその情感を受け取りやすい。その中で、曲と曲の間の表情がガラッと変わるところがあって、そこがドラマティックである。この曲想の変化を阿部と村松の歌唱は、実に品位高く、しかしドラマティックな表情を過剰ではなくつけ、オーケストラ(全部で10人、第一ヴァイオリン2名、第二ヴァイオリン2名、ヴィオラ2名、チェロ2名、コントラバス1名、オルガン1名)も福島康晴の指揮は、明らかに従来のフルオーケストラの演奏とは異なり古楽器のアンサンブルの音やフレージングなのであるが、俗にいうキレッキレのアグレッシブな攻め方をするのではなく、まさに音楽に、楽譜に寄り添った表情づけであると感じる。古楽のアンサンブルでも、切れがよく、えっ、こんな演奏(こんなテンポ)ありなの?と驚かせるのはフランスに多い気がするが、イタリアのアンサンブルは、おおむね、楽譜から浮かび上がる曲想、テンポを重視しており、演奏のテンポや表情はフツ—な感じがする場合が多い。どちらが良い悪いという話ではない。エクス・ノーヴォはイタリア型であると思う。数ヶ月前にアレッサンドロ・スカルラッティの「スターバト・マーテル」を、阿部と村松の歌、福島の指揮(オケは数人入れ替わっている)で聴いたので、両者の違いもより鮮明になった。スカルラッティの曲は格調高く、ペルゴレージの曲は情感豊かで、ドラマティックな表情に満ちているのだ。どちらも名曲に違いないのだが、タイプが異なるのであり、ロマン派以降の音楽に慣れているわれわれにとって、より心身を揺さぶられるのはペルゴレージであろう。12曲の配置も絶妙なのだ。

ボノンチーニの「スターバト・マーテル」は、ペルゴレージのとは異なり、独唱者が固定されているわけではなく、曲ごとに独奏者が変わる。バロック・オペラと同様、合唱団がいるわけではなく、独奏者たちが合唱している部分があるという感じだ。「スターバト・マーテル」の歌詞自体は、ペルゴレージのそれと同一なのであるが、その中のどこまでが第一曲で、どこからが第二曲かというのは作曲家によって違う。プログラムに対照表が掲載されている(歌詞もラテン語と日本語の対訳が花井哲朗の訳文が掲載されている)のだが、ペルゴレージの第9曲の歌詞は長くて、その歌詞の部分は、ボノンチーニの第6、第7、第8、第9曲に相当するのである。ボノンチーニは、曲によって独唱者がソプラノになったり、テノールになったり、バスになったりするので、語り手が複数であるという印象をより強く受ける。ペルゴレージの場合には、語り手が何人か(強いていえば2人?)かがあまり気にならない。結果的に、ボノンチーニは声の表情のヴァラエティはより豊かになる。ペルゴレージとは異なるのだが、ボノンチーニもオーケストレーションに工夫があって、時にヴァイオリンに非常に早いパッセージを弾かせ、スリリングなところがあったりする。ボノンチーニ聴きどころ満載である。

出演者は、先に挙げた福島、阿部、村松の他に、岡崎陽香(ソプラノ)、小川美羽(ソプラノ)、木下康子(メゾソプラノ)、新田壮人(カウンターテナー)、鏡貴之(テノール)、前田啓光(テノール)、山中志月(テノール)、金子慧一(バス)、目黒知史(バス)、藪内俊弥(バリトン)が独唱者。以下、オーケストラ。池田梨枝子(ヴァイオリン)、宮﨑蓉子(ヴァイオリン)、廣海史帆(ヴァイオリン)、髙橋亜希(ヴァイオリン、この方は2年前にインスブルックでヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》でオケにいらした)、伴野剛(ヴィオラ)、中島由布良(ヴィオラ)、懸田貴嗣(チェロ)、髙橋麻理子(チェロ)、櫻井茂(ヴィオローネ)、新妻由加(オルガン)である。

日本でこれほどレベルの高い古楽演奏が聴けることは素晴らしいし、しかも日本初演あるいは世界的にみて蘇演かもしれないものの演奏が聴けるのは特筆すべきことだ。


 

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2026年5月23日 (土)

桂離宮

桂離宮を観た。

仕事で京都に行くことがあり、仕事の合間をぬって桂離宮を観た。ここにはもともと藤原道長の別荘があったが、時の経過とともに荒れ果てていた。それを秀吉の時代に宮家として創設された八条宮家の別邸として建てられた。親子二代にわたって造園、建物の建造がなされた。宮家自体が、秀吉の養子となったものが、秀吉に実子が生まれたため、宮家となったもので、奇しき運を持った方と言えよう。実際に古書院が建設されたのは1615年頃とされ、すでに徳川の世となっていたわけである。

 実際に京阪線の桂駅からバスに乗り、バス停から歩いてみると、桂川沿いの歩道のない国道をしばらく歩くことになる。昔は桂離宮の池に桂川の水が引かれていたのだという。離宮のところどころに月見を前提に位置を決められたものがあった。ガイド役の方が見せてくれた写真を見ると、たしかに夜の桂離宮もまた絶景なのだった。

 昼でなければ見られない細部としては、灯籠でマリア灯籠と呼ばれるものと、三角灯籠と言われるものがあった。マリア灯籠は灯籠の下部になにか人の像が彫られている。が、それが聖母象であるかどうかは判然としない。三角灯籠は上部も胴体の部分も三角錐状だったり三角柱状だったりする。西洋的な美意識を感じるものである。

 ここでもう一つ興味深かったのは、足下に敷き詰められた石で、整然と真っ平らに磨きあげられしかも形の整ったものから、形も大きさも適当にばらけているものまで、書道で言えば楷書、行書、草書といった趣に分けられている。例えば、園林堂という持仏堂で宮家の位牌などがあった場所。そこに近づくと敷石が方形の飛石となってあらたまった世界に入る、即ち、俗なる世界から聖なる世界に入ることを暗示している。

 茶室は季節ごとにあり、そこから月見もできるようになっていて、さらにそこにたどり着くには、船でも行けるようになっているのだ。運命に翻弄された宮様が、情熱を傾けた雅びの世界には、源氏物語をしのぶ精神がここそこに見られるのであった。

 

 

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2026年5月 7日 (木)

映画『アート・オブ・ジョイ』

イタリア映画祭で『アート・オブ・ジョイ』(ヴァレリア・ゴリーノ監督)を観た。今年のイタリア映画祭の最終上演であり、317分の大作。間に20分の休憩が入ったので、2時45分に上映が始まり、終わったのは8時半だった。オペラで言えば、ワーグナー並みと言えよう。あるいはバロック・オペラではよくある長さとも言える。

 ゴリアルダ・サピエンツァの小説が原作なのだが、映画『外の世界』で言及したようにゴリアルダ・サピエンツァの生涯とこの小説出版までの経緯が波乱に富んでいる。サピエンツァが10年かけて執筆した小説を出版社が受け入れず、サピエンツァは盗みをはたらいて刑務所にことになる。

彼女が書いた小説が Arte della gioia で映画の原作。これは全4部作で、今回上演されたのは、第一部を映像化したものだ。小説自体には第二部以降があって、カターニャでの生活、ファシズム期のことなどが描かれているとのこと。

(以下、いわゆるネタバレありですが、ロードショーものではなく、映画祭のものなので、どんな話かご興味があればどうぞ)

主人公のモデスタは、貧農の母子家庭で育ち、姉が障害者。そこに父親が戻ってきて、悲惨なことが起こり、モデスタが落としたランプのせいで母と姉は焼け死ぬ。モデスタは修道院に引き取られ、そこは貴族の娘だけが入る修道院だったので、長くはいられないはずだったが、なぜか修道院長(ジャスミン・トリンカ)のお気にいりとなりそこにとどまれることになる。しかし修道院長の寵愛は、修道会の規範ぎりぎりの危ういところまでいき、モデスタは修道院長の怒りをかう。その怒りを逆恨みしてモデスタは修道院長を死に追いやる。その後、モデスタは、修道院長の実家に短期間行くのだが、そこで気に入られ長期間留まる、といった具合に話しは続く。実家は広大な館で、その周囲には一家が所有する農地が広がり、農場管理人がその差配を任されている。この一家には実は修道院長の産んだ娘(修道院長の母の子ということになっている)や館の最上階に閉じこめられ、怪物扱いされている息子がいて。。。。

モデスタは、『山猫』の中のクラウディア・カルディナ—レが演じた成り上がりの女性に似ていなくもない。ただし、それが何倍も露悪的かつグロテスクかつ復讐心丸出しの話になっている。モデスタ演じるテクラ・インソリアは端正な顔だちで、修道女にぴったりという感じなのだが、悪意・敵意をむき出しにしたり、時に性欲に火がついたりするとタフな演技力を見せる。長いのだが、退屈するところはなく、続編が観てみたいと思った。

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2026年5月 3日 (日)

イタリア映画祭始まる&『外の世界』

5月1日からイタリア映画祭が始まった。東京は有楽町の朝日ホールが会場である。今年で26年目。

『外の世界』(マリオ・マルトーネ監督)を観た。実在の女性作家ゴリアルダ・サピエンツァの人生が元になった作品。彼女は長年書きためた小説を出版社から次々に断られ、友人の宝飾品を盗み、売りさばいたことで、刑務所行きとなる。映画の冒頭近くで、主人公役のヴァレリア・ゴリーノが裸にされ持ち物検査をされる場面もあり、ローマのレビッビア刑務所の女性刑務所がどういうところかが描かれるのだが、実際は、これが釈放されてから外の世界と交互に配置されている。つまりフラッシュバックのようなことが何回も起こるのである。

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映画『ヴィヴァルディと私』

イタリア映画祭で『ヴィヴァルディと私』(ダミアーノ・ミキエレット監督)を観た。

オペラファンならとうにご存じのことだが、ミキエレットはオペラの演出家として世界的に活躍している。この点はマルトーネ監督が映画監督として名をはせた後にオペラ演出もやるようになったのと好対照である。

18世紀のヴェネツィア、その中でも閉ざされた空間のピエタ孤児院(音楽院)の様子がうかがえて興味深かった。ヴィヴァルディの弟子チェチーリアは架空の人物だとしても、蓋然的にはこんな世界だったのだな、という感じは持った。トルコとの戦いに(一時的に)勝った記念のオラトリオ《勝利のユディータ》が出てくるのは聞き物と言えよう。

オペラ演出では時に荒涼とした世界へ読み替えてしまうミキエレットだが、この映画はむしろ時代劇としてヴィヴァルディの時代、世界をリアルに浮かび上がらせようとしていたようだ。

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映画『大人の人生』

イタリア映画祭で『大人の人生』(グレタ・スカラーノ監督)を観た(有楽町・朝日ホール)。

実話がもとになっているのだが、自閉症の兄と妹イレーネの関係が、時にコミカルに、描かれる。兄はテレビのオーディション番組に出たいのだが、母は反対し、挫折するが、その後、妹の力添えで出場がかなう、といったストーリだ。妹が普段住んでいるのはローマで、弟と両親はリミニに住んでいるという設定。物語はリミニを中心に展開する。そこにはイレーネの叔母や祖母も住んでいるのだった。

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らじるらじる

NHKのラジオ放送が大幅に変わった。今年の3月末?まではAM2局+FMであったのがAM1局+FM1局になった。要するにAMが1つ減ったのだ。そのせいで語学の講座などはFMで夜中の1時半などという時間に放送されている。それとは別件なのだが、FMの「古楽の楽しみ」は朝5時からだったり、6時からだったりしたのだが、再び5時からになった。
というわけで、らじるらじるというインターネット放送を利用するようになった。リアルタイムでも聴くことができるが、聴き逃し配信があって、1週間はいつでも聴くことができる。ただし「古楽のたのしみ」はなぜだか判らないが、聴き逃し配信がある週とない週がある。先週は佐藤康太氏の案内でテレマン特集だった。佐藤康太氏の解説は、真面目な学問的な話のなかに、とぼけたユーモアがあってとても楽しい。テレマンをぐっと身近に感じることができた。この番組は、佐藤氏に限らず、一流の研究者が専門的な話を判りやすく噛み砕いてくれ、なおかつその実例を演奏という形で(演奏会のものもCDの場合もある)聴かせてくれる。

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