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2026年4月14日 (火)

ロマーノ・ルペリーニの死去

イタリア文学者、批評家のロマーノ・ルペリーニが亡くなった。小説も詩も戯曲も何でも鋭く読む人で、数千ページのイタリア文学史を共編者二人と編んでいる人で、何でも知っているという感じであったが、博学というより、つねに問題意識がシャープであった。左翼系の戦闘的な批評家でああったことは世に知られている。

ささやかではあるが、ルペリーニとの縁について書いてみたい。勤務先の在外研究でイタリアに行こうという気持ちが抑えきれず、実際にそうしたのだが、当時本郷の助手だったHさんからルペリーニを紹介してもらった。1995年のことで、イタリアに渡る前に、阪神淡路の大震災や地下鉄サリン事件があった。ルペリーニの授業では、マンゾーニの『いいなずけ』のゼミに出させてもらった。20世紀の詩人モンターレや小説家ヴェルガ、トッツィについても著書があり、文学を細かく区切って○○世紀の専門とかある特定の詩人、小説家の専門家というのではないスケールの大きさがその視点には常にあった。それでいて、2008年には「モンターレの難解な詩」という講義に出席させてもらったのだが、一行一行精読していって、あるところで新しい視界が開けるという経験を何度も味わった。

彼が他の2人と編纂したイタリア文学史の教科書(高校でも大学でも使用されている)は、常々参照する自分にとっての基本図書となっている。これは日本の教科書とは異なり、文学史が5巻とか6巻になっていて、しかも1巻が1000ページを超えている。時代ごとにその時代のヨーロッパの思想潮流が解説され、その上でイタリアの情勢を把握し、イタリア文学の潮流を理解するという仕組みになっている。そして作品の例示が実に豊富にあって、その全てに詳しい語注や解説が付けられている。

彼は2008年の秋に日本にやってきた。奈良を案内したときに、遷都くんというゆるキャラのTシャツを息子に買っていこうかと思ったが、角が生えているのはイタリアだとコルヌートになるから(間男された亭主を意味して侮蔑の対象となる)やめていた。大仏も観てもらったが、むしろ清水寺で信徒が熱心に祈っている場に興味を持ったようであった。

彼の文学者・批評家としての素晴らしさを開示するようなエピソードでなくて恐縮です。

 

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