アレッサンドロ・スカルラッティ没後300年記念ー演奏会と講演会 その3
第2夜(12/27)神田:祈りの残響から、「聖なる劇」へ
会場が教会になると、同じスカルラッティでも耳のモードが変わる。ホールでは言葉の輪郭を追いやすいが、教会では響きが残る分、フレーズが空間に“滞在”する。その滞在が、祈りの身体感覚をつくる。
前半:《スターバト・マーテル》——声が空間に二本の軌跡を描く
独唱はソプラノ阿部早希子とカウンターテナー村松稔之。阿部はピッチの確かさとフレーズ設計の堅牢さで、悲嘆を輪郭のある祈りとして成立させる。一方、村松は声の色彩と語りの身振りで、テクストの痛みや切迫をより劇的に照射する。
この二つが教会の残響のなかで混ざりすぎず、むしろ別々の軌跡を描くのが良い。悲しみは一色ではない、ということが音でわかる。
後半:オラトリオ《ラ・ジュディッタ》(ローマ1694年版)抜粋——これは「宗教」以上に「劇」
物語は有名なので省くが、要するにジュディッタは「美しい未亡人、しかしやることは容赦ない」。祈りと策略、官能と暴力、沈黙と決断が一つの身振りに凝縮される。これが教会空間で鳴ると、宗教作品というより「聖なる劇(サクラ・ドラマ)」の緊張が立ち上がる。
ここでも抜粋ゆえにレチタティーヴォは限定されるが、佐々木の場面説明が効いて、切迫感が落ちない。テノールが登場するのは二日間でこのオラトリオだけだったが、中村康紀が対立陣営を往来する人物の特異性を、過剰な芝居にせず的確に描いたのが印象的だった。
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