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2026年2月14日 (土)

アレッサンドロ・スカルラッティ没後300年記念ー演奏会と講演会 その2

第1夜(12/26)五反田:世俗の親密さから、オペラの劇へ

前半:器楽とカンタータ——“劇”の前に、語法の多彩さを浴びる

前半は器楽曲が並び、最後にカンタータ《Questo silenzio ombroso(この木陰の静けさのなかで)》で締める構成。

まず、リコーダー2本が活躍する「コンチェルト・グロッソ形式のシンフォニーア第5番」。リコーダーが二本あると、掛け合い、模倣、三度・六度の並行など、二声ならではの“喋り方”が立つ。弦のリピエーノとの対比も効いて、色彩と推進力が気持ちよく出る。リコーダーって、ただ音色が素敵なだけじゃなく、ちゃんと音楽を前へ進めるんだな、と再確認。

それから、「チェンバロを伴わない四声のソナタ第3番」。今日の耳には弦楽四重奏の“ご先祖様”みたいにも聴こえる。ただし面白いのは、これが「通奏低音なし」と決めつけられないこと。手稿譜(ミュンスターのサンティーニ・コレクション)には数字が書き込まれている箇所があり、通奏低音が想定されていた可能性があるという。今回はテオルボが加わり、旋律線の絡み合いを壊さず、和声の方向感を微細に補っていた。
このあたり、今回の企画全体の“学術の筋肉”が見える。

そして圧巻だったのが、西山まりえによる「第一旋法のトッカータ第7番とフォッリーア」。20分超のチェンバロ独奏曲で、もはや「チェンバロと西山まりえの壮絶な格闘」と言いたくなる長丁場。技巧の精確さだけでなく、曲の内部に溜まっていく熱量が、ちゃんと聴衆の身体に届く。終止でふわっと収束するというより、推進力を保ったまま“切り上げる”終わり方も、妙にスカルラッティ的な強度がある。

前半の締め、カンタータ《Questo silenzio ombroso》がまた巧い配置だった。スカルラッティは推定600曲以上のカンタータを残した人で、このジャンルを外してしまうと作曲家像が薄くなる。第2曲に出てくるサヨナキドリ(ナイチンゲール)の嘆きは、愛の喪失から「死の眠り」への傾きへ、感情の方向がきれいに設計されている。
ソプラノ阿部早希子とアルト向野由美子が、メリスマを交互に、あるいは重ねていく箇所の溶け合いが見事で、情感は濃いのにセンチメンタルに流れない——ここがスカルラッティの格調だと思う。

後半:オペラ《ミトリダーテ・エウパートレ》抜粋——抜粋上演の弱点を“演出”で潰す

後半はオペラ抜粋を演奏会形式で。抜粋上演の宿命は、筋立ての接着剤であるレチタティーヴォが飛ぶことで、聴衆が「あれ?いま誰が誰を裏切ったんだっけ?」と迷子になりやすい点にある。

ここで効いたのが佐々木なおみの「お話(ナレーション)」。これはもうGPSである。場面の要点と各アリアの内容が手際よく整理され、聴衆の想像力が迷子にならない。むしろ音楽の細部へ集中できる。舞台装置がない分、声の表情がそのまま人物の性格や心理になっていき、「耳で見る劇」が成立していた。

字幕投影も丁寧で、通常の2行表示にとどまらず必要に応じて複数行、さらに登場人物名が明示される工夫があった。抜粋上演にありがちな「誰の心の叫びなのか問題」が解消される。
(字幕担当:三ヶ尻正・宮﨑展子)

歌手陣(阿部、佐藤裕希恵、向野、久保法之、藪内俊弥)も総じて充実。声種のコントラストが人物関係の緊張を音色として提示し、演奏会形式なのにちゃんとドラマが進む。終わってみれば、初日の構成は「器楽=語法の多彩さ」から「声楽=劇」へ、自然に階段を上がる作りだった。

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