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2025年8月 8日 (金)

シュターンベルガー湖

シュターンベルガー湖に行った。

より正確に言えば友人のKさんに連れていっていただいたのである。ありがたい。この湖はミュンヘンの郊外にあり昔から有名だったのだが、開発が厳しく制限されているとのことで、19世紀にルートヴィヒ2世や森鷗外が観た光景とあまり変わっていないのではないかと思われる。つまり、観光地にありがちな土産物屋も、湖畔に中高層のホテルらしきものもまったく見当たらない(ホテルが一帯に皆無という意味ではない)。

まずローゼンインゼル(バラの島の意)に小舟でいく。乗っているのはほんの数分である。往復五ユーロ。Casino と呼ばれるヴィラがある。島の庭はルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世が整え、バラ園とヴィラがある。8月なので季節は遅く、まだ咲いているバラはほんのわずかであったが、外からCasino を観て満足。このCasino はヴィスコンティの映画《ルートヴィヒ》に出てくるとのこと(Kさん情報)なのでそのうちにあの映画をもう一度観てみよう。

次に対岸のベルクという場所に行く。ここに王家の別荘があって、そこに連れてこられたルートヴィヒ2世が謎の死をとげた、つまり彼の終焉の地である。その場所に湖の中に十字架があり、岸辺は傾斜地なのだが、坂の途中に十字架があり、さらにそれより高い場所に小さな教会らしきものが建っている。実は記念礼拝堂で、ルートヴィヒの母が建てたのだという。

T.S.Eliotの長編詩『荒れ地』(The Wate Land)には冒頭にヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の引用がドイツ語の原文であり、このシュターンベルガー湖からの風が吹いてきて、マリーという女性(バイエルン家のマリー・ラリッシュとされる)との回想シーンがある。明らかにルートヴィヒ2世と彼の死を読者に想起させる仕組みになっている。図式的に言ってしまえば、ロマン主義的な理想とそれが不可能になった現実を象徴する存在としてのルートヴィヒ。その現実は『荒れ地』では根源的に世界が断片化して表象される。世界を統一的な視点から把握することが不可能になってしまったから、安易なストーリが書けないとでも言うかのように。

最近の説では、ルートヴィヒは単に唯美主義的な王ではなく、芸術を統治のため、よりよい世の中にするために、ということを真剣に考えていたのだという。もう一度、ルートヴィヒについてより深く知りたくなった。

 

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