« チェスティの家 | トップページ | ランチ・コンサート 2 »

2025年8月22日 (金)

ヴィヴァルディ《ジュスティーノ》その4

ヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》の三回目を観た(インスブルック、音楽館)。

歌手と配役についてもう一度。

今日は、フォルトゥーナ(運命の女神)とレオカスタ(皇帝の妹)の一人二役をやるサラ・ハヤシが不調であるというアナウンスが事前にあった。アマンツィオ(権力を簒奪するが、すぐに退治される)役のベネデッタ・ザノットも喉の不調と思われた。歌い回しに様式感はあるのだが、声がまるで声変わりの少年のようになってしまうことが度々起こるのである。調子が整った状態でぜひ聴いてみたいと思う。

3回観たが、フォルトゥーナとレオカスタの一人二役というのは、サラ・ハヤシのせいではなくて、演出としていかがと思った。二人の役柄の区別がつきにくいのである。それでなくても、メタスタージオものなどより人数が多くてストーリが複雑なのだから、むしろ観客にとって人間関係がすっきりと把握しやすいように作るべきであると思う。皆が、2度、3度、4度と観るわけではない。一度みてストーリや人間関係がわかるようにした方がよいのではないだろうか。しかも、《ジュスティーノ》はそれほど頻繁に上演される演目ではないのだから。一人二役をするなら、思い切って服装か持ち物を変えた方がわかりやすかったと思う。

このオペラにはいくつかの飛び抜けて叙情的なアリアもあるのだが、以外なほどセリアなアリアが多い。アナスタジオは皇帝だから威厳あるアリアがあって当然なのだが、農夫から皇帝にのぼっていくジュスティーノにも叙情的なアリアとともにセリアなアリアが多い。あるいは叙情性と威厳の入り交じった曲もあるし、ジュスティーノのアリアは多様性がある。アマンツィオは権力を簒奪するとホルンまで出てきて勇壮なアリアが歌われる。小アジアの暴君のヴィタリアーノにも同じく勇壮なアリアがふられている。しかもこの勇壮なアリアが聴きごたえがある。さらには、皇妃のアリアも毅然としたものが多い。しかしところどころに入る優れて叙情的なアリアのおかげで全体が重いとか堅苦しいとは感じない仕組みになっている。さすが赤毛の司祭。

歌手で歌もレチタティーヴォも形がきまっているのはアリアンナ役の Jiayu Jin.彼女の役は、暴君から迫られても皇帝への操をたて、囚われの身になっても毅然としている強いキャラクターなのだが、歌でも演技でもそのキャラクターを実に適切に表現していた。未知数なのは、アリアンナには求められていない甘美な表情やアジリタであるが、これはまた別の役柄で聴くことがあるのを楽しみにしよう。

ヴィタリアーノ役の Thoma Jaron-Wutz は大いに可能性を感じる歌だった。レチタティーヴォがもう一歩。レチタティーヴォに関してはタイトルロールの Justina Vaitkute も同様だ。彼女はとても安定した美しい声を持っているのだから、レチタティーヴォにもう少し緩急がついて、引き締まるとアリアが一層映えるはずだ。成長を期待したい。

一人二役のサラ・ハヤシは、とても知的にレチタティーヴォもアリアも演技もコントロール出来ている人だと思った。喉が不調で、強い声が出ないなら出ないでそれをうまく補う術を心得て、聴かせるアリアになっていた。

アナスタジオの Maximiliano Danta はレチタティーヴォの緩急が上手い。声域もあるアリアでは地声で低いところまで出していた。

インスブルックではチェスティ・コンクールというのもやっていて、そこでの入賞者が翌年の若手オペラに出たりするのだが、この人は伸びそうとか思って聴くのも楽しいものだ。相撲でも幕内を観るのも良いが、十両で力をつけつつある若手を観るのも楽しいというようなことにも通じるかもしれない。

指揮者のステーファノ・デミケーリは、生真面目な指揮をする人で、四拍子で、全部の拍を強調してくるような時もある。曲想次第ではあるが、もう少し肩の力を抜いてさらっと流すところもあって良いのではとも思った。楷書で書くとすみずみまで形がわかる。つまり、楽譜が見えるような指揮もあって良いのだが、曲によっては勢いにのってノリが欲しいところもあるのだ。

 

 

|

« チェスティの家 | トップページ | ランチ・コンサート 2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« チェスティの家 | トップページ | ランチ・コンサート 2 »