オペラ《ホテル・メタモルフォーシス》その2
演奏・演出について。
前項で演出の枠組みについてはすでに書いたが、オルフェオが語り手となって舞台にいるのだが、それを演じるのは女性で、筆者はずっとナレーターであると勘違いしていた。
オルフェオが次々にオウィディウスの『変身物語』のエピソードを語っていく。
この仕組みを考えたのは演出家のバリー・コスキーである。前半はエピソードの並列で、後半になるとオルフェオが虐殺され、エウリディーチェ(バルトリ)が前面にでてきてそれを悼む。演劇の構成としては、不思議な構成であるとも思うが、このプログラムの他面的な目的を考えると、こういうのもありなのかもしれない。
歌手について。チェチリア・バルトリはその技巧は健在で、後半に弱音での表情の変化をグラデーションのようにつけて悲嘆を表していたが、前半は舞台自体がマスメディアらしきものを登場させ、インタビューされる呈で、マイクの使用を自然なものにしていた。
フィリップ・ジャルスキーは、かつての輝かしい高音はかなりくもったものとなっていたが、中音部やスローな曲になると、聴かせる部分があった。レア・デザンドレはフレッシュな声で柔軟性のある音楽性を発揮した結果、うまくいっているアリアと形が大幅に崩れたアリアがあったが観客には大受けしていた。Nedezhda Karyazina は、大柄な女性でミネルヴァやジュノーという役柄にふさわしかったし、多様な歌が歌える人と見た。
ザルツブルクとインスブルックでは明らかに客層が異なる。そもそも音楽祭の性質が大きく異なっていて、インスブルックはルネサンスおよびバロックの専門店であり、ザルツブルクは百貨店で何でもありだ。モンテヴェルディをやることもあれば、モーツァルトもヴェルディもワーグナーも20世紀、21世紀のオペラや器楽曲も演じられるわけだ。だからバロック・オペラという観点からはインスブルックが古楽を専門とする演者が多く、様式感を感じる。
しかしだからこそ、ザルツブルクでヴィヴァルディ名アリア集のようなパスティッチョ・オペラを上演する意味・意義は大きいと考える。今まで、ヴィヴァルディにオペラがあること、あるいはそのアリアがどれだけ魅力的であるかを体験したことがなかった人にそれを実際に体験してもらうということだ。それに較べればここの歌手の様式感うんぬんは些末な話であるかもしれない。
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